トゥリングラード戦線
ビッグストン王立兵学校の校庭に結集した士官候補生一千五百人。
臨時編成、第五〇一騎兵旅団となった若き騎兵は最後の検閲を受けていた。
「諸君! 太陽神の恩寵があらん事を!」
学生指導長エリオット・ロイエンタール伯も馬に乗っていた。
学内に居る軍人軍属の全てが馬上に有り、その姿をゼルとカウリが見ていた。
「凄いな。全部学生か」
「あぁ。そうだ。未来ある若者達だ。この旅団からは死人を出したくない」
「そうだな。その通りだ」
この三日間。ゼルとカウリは学内の戦術講堂で先の地上戦解説を聞いていた。
その時、ゼルは間髪入れず『釣り野伏』という言葉を吐いた。
戦術教官エリオット・ビーンは解説を求め、ゼルは事細かに戦術説明を行った。
それを聞いていたロイエンタール伯は『やはりあなたは本学に必要だ』と漏らした。
「いいですか。重要な点は三つしかありません。まず、逃げる敵を深追いしない事。手合わせで一撃入れたらこちらから離れる事。今まで陽動だった敵が実働部隊となる前に、牽制的な一撃を加え陽動部隊を先に叩く事です」
平面図の上に駒を並べ、ゼルは徹底して戦術解説を行った。
元々が歴史マニアで軍事ヲタク路線だったゼルなのだから、この手の解説は微に入り細を穿つ綿密な解説を行ったのだった。
「結局、戦術の進歩っていうものは、相手の裏をかくのが狙いな筈なんですよ。相手の行動をパターン化し……じゃ意味が通じないか。敵の行動を正確に分類分けして、それに沿った対処をするって事なんです。ですから、こっちの知らない動きで相手が翻弄してきたら、こっちも予想外の動きで相手を翻弄する位でないとね」
ゼルの説明を聞いたエリオット・ビーンは、自分の書庫から幾つもの本を取り出してゼルに見せ、解説を求めた。全部英語で書かれたその本は、ル・ガル国内では理解不能だったのだろう。
学び尽くしたエリオットは学生と共に馬に乗っている。徹底して学者肌な子爵であるからして、論理の次は実践が必要だと張り切っていた。
「ゼル」
カウリは馬上のゼルを呼んだ。
「なにか?」
「エイダの件だが」
「なにか問題が?」
「あぁ」
カウリはゼルのすぐそばで本題を切り出した。
「あの小僧。ウチの娘で筆下ろししおったぞ」
「ほんとか? 親は無くとも子は育つというが……」
「ウチの娘もこの半年で随分と女らしくなってきた」
「良い事だよな。育つっていうのは」
本来はヒトである筈の五輪男だが、カウリにとってはゼル以上の存在になっていた。
年に数度しか顔を合わせない筈の二人だが、いつの間にか酒を酌み交わし、本音で話をする仲になっている。
そして、このまま行けば間違いなく親戚になるはずなのだが……
「重要な話なんだ。冷静に聞いてくれ」
「あぁ」
「ゼルは俺にとって兄だが養子という扱いにしたいんだ」
「……あ、そうか。血が濃くなり過ぎる」
「そう言う事だ。エイラと結婚する上で家の格が問題になったってことにしたい」
「出は何処にするつもりだ?」
「そうだな。ノーリの姉のイスカーの血統にしようと思う」
「何処にも接点が無い訳だな」
「そうだ」
「うん。問題ない」
「いや、実は問題が一つあるんだ」
怪訝な顔になったゼル。
カウリは申し訳なさそうに切り出した。
「イスカーの家系は絶えてるんだ。つまり、フレミナの一門から『帰ってこい』と言われる危険性がある」
「そうしたら、精一杯嫌がって、挙げ句に死んだ事にすれば良いよ」
「実際には死ぬなよ?」
「エイラに飼われるヒトでいいよ」
「……すまんな」
「気にすんな」
沓を並べて学生の列を眺めるゼルとカウリ。その姿を遠くからカリオンが見ていた。
ギャレットだけで無く、同室の第一中隊の面々が眺めている。
胸を張って学生を見送るゼルの姿。
「カリオンは父親もマダラなんだな」
「そうなんですよ。ですから余計に色々と」
ギャレットの言葉にカリオンが苦笑いした。第一中隊のメンバーも失笑している。
だが、その面々はカリオンの姿に驚きもしていた。多くが士官学校生である白の腰帯をしているのに対し、カリオンだけは王宮騎士を示す赤い腰帯を締めていた。
そして、愛馬レラに乗せられた鞍には太陽王の紋章が入っている。遠い日、初陣を迎えた孫エイダに太陽王シュサが下賜した、あの上等な拵えの鞍だった。腰へ佩た軍刀もまたシュサ肝いりで作らせた軽くて強靱な片刃のレイピアで、その出来映えはそこらの貴族子弟が持っているものなどお話にならないレベルだった。
「しかし……」
「気にしないでください」
「さすがだよ。目立つな、それでは」
校庭を抜け王都郊外の環状通りを行く士官学校の騎馬列。
王都の市民が集まり、通りへ花を投げ入れ祝福している。
その光景を見たカリオンは、初陣となった日を思い出していた。
「初陣の祝いは白い花だったな」
ギャレットの独り言に皆が頷いている。
だが、カリオンは投げ込まれる花を見ながら恥ずかしそうにしていた。
「実は、もう初陣を済ませているので、白い花を投げ込まれるのが恥ずかしいんです」
「なんだって?」
「八歳の時に越境窃盗団を殲滅した事があるんです。あの時と同じです」
カリオンの言葉に第一中隊の仲間が改めて驚いた。
太陽王の一門が背負う責任の重さに、言葉を失っていた。
「通りを馬で歩いて行って、街を抜ける所で……」
街を抜ける所まで来たカリオンは、通りの両サイドに王立女学校の学生が沢山居るのを見つけた。そして、その中にリリスの姿を見つけた。皆が勝利を祈る白い花を持って集まっているのだが、リリスだけは無事な帰還を祈る黄色の花を持っていた。
「リリス!」
「エディ!」
行軍列を乱し馬から下りる事は禁止されている。
ならばとカリオンはリリスを馬上へ引き上げた。
「ごめんねレラ! すぐに降りるから」
レラの背を優しく撫でたリリス。
首を振ったレラはリリスの声に応えている。
「ちょっと行ってくるよ」
「生きて帰ってきてね」
「大丈夫だよ。あの時と同じだ。しっかり戦果を上げて帰ってくる」
リリスを抱きしめキスしたカリオン。
その後で今度はリリスがカリオンを拘束してキスした。
「お別れの口付けじゃ無いよ?」
「当たり前だよ。行ってきますの挨拶だ」
「気をつけてね」
「あぁ」
リリスを馬から下ろしたカリオン。
涙目になっているリリスが見上げていた。
「王都に父上が来ている。どこかで会うかも知れない。きっと会いたがってるはずだから、顔を見せてやって。じゃぁ! 行ってくる!」
男らしい笑みで手を振ったカリオン。
リリスは泣くのを堪えてその後ろ姿を見送った。
遠い日。
初陣で出掛けていったあの後ろ姿を思い出して、リリスはまた急激に心細くなった。
だけど、帰ってくると言ったカリオンの言葉に鈴の音が重ならなかった。
――――大丈夫よね きっと
そんな根拠の無い確信をリリスは持っているのだった。
■ ■ ■ ■
ガルディブルクの西にあるトゥリングラード演習場は、帝國歴二百年に二代目太陽王が作った西への備えの最大拠点だった。
国民の約四割が死傷した第三次祖国防衛戦争の終わりから約三十年後。トゥリ帝が作ったその施設は、西方面へ向かう国軍の最大集積点として補給敞と前線基地の機能を統合した演習場とは名ばかりの施設だった。
その地へル・ガル全土から大軍が結集しつつある。
ル・ガル側の設定したネコの国の国境まで残り二十キロほどの地。
馬で走れば小一時間の場所に前進したル・ガルの国軍は、総勢で二十五個師団。
総動員数、実に二十万を超える大軍団。
その指揮本部は北部・西部・東部の各方面軍司令部を統合し、合同作戦本部としてトゥリングラードの施設に開設された。本部長・最高元帥はセダ・アージン。前線最高責任者三軍統合元帥にノダ・アージン。中央軍集団、騎兵師団元帥にカウリ・アージン。統合作戦本部長兼参謀本部作戦遂行責任者にゼル・アージン。元帥や将軍の肩書きを持つアージン一門が全て集まった重厚な布陣となった。
「兄貴。ちょっと良いか」
本部幕僚の並ぶ所へ顔を出したノダ。
参謀が全員敬礼で出迎えるなか、ノダはセダを誘って離れの幕屋にやって来た。
中にはカウリとゼルが待っていた。アージンの男が結集したのだ。
「誰も近づけないように」
「心得ました」
幕屋の外で警戒に当たるオスカーとヨハン。
ノダとカウリの仲立ちでセダとゼルは初めて顔を合わせた。
「なるほど。こりゃ少々ではばれない訳だ」
「お初にお目に掛かります」
「いや、お初じゃないさ。俺は今まで何度もゼルと話をしているからな」
全てを飲み込んでいたセダはゼルの肩を抱いた。
「そなたの苦労も心労も、全部カウリやノダから聞いていた。そして、今現状も苦労しているのは聞いている。オヤジも良くそれを言っていた。俺の目の黒いうちは、俺がなんとかするから、その後はお前がやれってな。だが……」
セダの手がゼルの手を握った。
「ル・ガル北方に君臨する常勝将軍。いかなる敵をも退ける不敗の魔術師。そして、王立士官学校始まって以来と呼ばれた秀才の父親。夢幻の存在と呼ばれ、神出鬼没の疾風と称される機動戦術家。誰にも尾を振らぬ孤高の存在。そんな評価を俺も貰ってみたい。正直、嫉妬するよ」
こんな時、イヌは馬鹿が付くほど徹底的に素直だ。
五輪男は長年の験しでそれを知っている。
知っているだけに怖い部分があったのだけど、セダは心底心酔しているようだった。
「何ともこそばゆいですが…… 勝利の為に微力を尽くします。どうかよろしく、お引き回しください。お役に立てれば幸いです」
セダは黙って頷いた。
「各方面軍の参謀が集まっている。中には気位の高い者も居る。或いは、マダラを、ヒトを小馬鹿にする者も居る。だが、目標は同じだ。そしてオヤジの夢見た理想は共有している。ヒトである事は早晩バレるだろう。その時は堂々とゼルの替え玉だったとばらして良い。俺が何とかする。カリオンは間違いなくゼルの子だ。皆それは疑うまい」
「ならば最初からその線で行っては如何でしょうか。最初から自分がヒトであると話をした上で……」
「それもそうだが、それには周りの参謀を黙らせる実績が必要だ」
セダはしばし黙考し、不意に顔を上げた。
「最初の数度、軽くネコの連中を揉んでみる。その上で所見を聞こう。話に聞くとおりに、従来の戦術とはまった違うのであれば、そなたの戦術眼が役に立とう。周りを実力でねじ伏せる事が出来れば、誰もその存在に文句はあるまい。白くても黒くても。役に立つならそれはイヌだ。神の番犬なのだからな」
セダの作戦を聞いていたカウリとノダは顔を見合わせ頷く。
そして、カウリはゼルの背を叩いた。
「さすがセダ兄貴だ。完璧な作戦だよ。あとはゼル次第だ」
「そうだな。イヌもヒトも関係ない。まずはオヤジの敵討ちからだ」
三人のイヌが打ち合わせを終えた所でゼルはゆっくりと頷いた。
「そうだな。むしろゼルが全指揮を執れ。総勢二十万の大軍なんてオヤジも手に余していた。現場で走り回りながらじゃ無理なんだ。だから、ゼルは参謀本部に陣取り、各方面へ伝令を飛ばす係だ。その上で、具体的どう動くかを考え、指示を出してくれ。出来れば簡単で簡潔な指示が良い。複雑な事を言われても現場じゃ出来ん。とりあえず……」
セダを中心に簡単なブリーフィングが行われ、まずは手堅い従来戦術をゼルが提案した。
幾重にも折り重なった強力な横陣を組み、力に任せ前進する作戦を取るのだ。
それは全てのモノを踏みつぶしてまっすぐに進軍する、巨大な兵の津波。
そして、この陣形で前進するイヌの強さは、他種族ではなかなか太刀打ち出来ない。
逆に言えばネコの側が散々研究したであろう、イヌの常套手段だった。
それぞれの軍団へ帰っていった元帥を見送り、ゼルは統合参謀本部の幕屋へと入った。
三軍の参謀達が敬礼でゼルを迎えた。中にはゼルの正体を知っている者も居たが、最初は黙っている事にした。
「さて、彼らはどう出るかね。向こう側のお手並み拝見だ」
前線本部に陣取ったゼルは大きな戦況卓の前に立ち、各陣況をみていた。
中央軍はセダ直率の騎兵旅団が展開している。右翼にノダ。左翼にカウリ。
中央軍の後詰にトウリの所属する騎兵団。その左右にはウダの遺臣が歩兵を率いて待機していた。
戦線に出ていないゼルを訝しがる参謀たちだが、ゼルは黙って戦況卓にチョークを走らせる。トゥリングラードから西へ八リーグ。両翼を先頭に立て前進し、包囲殲滅を図るようにゆっくり輪を閉じていく手堅い攻め手だった。
「では、踊って貰いましょう。戦場交響曲、第一楽章の始まりだ」
軽装騎兵が持ち帰ったネコの編成情報は、すぐに戦況卓へプロットされ雄弁に状況を語り始めた。大きく分けて三つの集団がバラバラに集まっているらしく、それぞれの間に伝令らしきものは無いとの事だ。
――――魔法でも使って意思疎通をしてるんじゃないだろうな……
戦況卓をぐるりと回りこみネコの側からイヌの陣形を眺めたゼル。
途端にネコの側の戦術が見えたような気がした。
「ここが危ない。左右後詰班は中央と両翼の接触点を重点的に補強せよ」
北部からゼルと一緒にやってきた参謀がすぐさま指示を飛ばし、後詰が動き始める。
それを見ながらゼルはさらに思考をめぐらす。陣内部に入り込んだ成金は厄介。
将棋ならそれがセオリー。ならば最初に潰すしかない。
「各歩兵陣の弓隊をなるべく前進させよ。接近してくる敵兵に矢の雨を降らせ大歓迎してやれ。その際、最前線の兵士を狙わず、後方にいる者から削っていくようにな」
なんとなく臭いが違う。
そんな所からゼルの正体を見抜いたいずこかの参謀は不機嫌そうにつぶやく。
「ゼル様は臆病すぎる。この兵力差なら押し負けせぬでしょう」
高笑いを始めた金耀種の作戦参謀がいた。
その乾いた笑いに、同席していた参謀たちも釣られて笑った。
そして、もちろんゼルも笑った。
「ちょっとこっちへ」
その本人を隣に立たせ、ゼルはその肩へ手を置いた。
「今日からあなたは異動になる。新赴任地はネコの騎士団の作戦参謀だ。現状では約二十万のル・ガル騎兵団に対し手勢三万強で対峙する事になる。本国からの指示は簡単だ。敗北は許さぬ。手痛い一撃を加え、本国への侵攻を極力遅滞せよ。なお、敵前逃亡は許さぬ。もし逃亡を図った場合は一族郎党全て縛り首だ。そして、味方の犠牲は二割以内とせよ。さぁ、君ならどうするかね?」
反撃を許さぬ迫力で一気にまくし立てたゼル。
参謀の表情から笑みが消えた。
「……不可能です」
「だが、現実にわが軍は手痛い一撃を受け、事もあろうに太陽王は戦死なされた。その理由を簡潔に述べよ」
「……不運でした」
「太陽神と契約するほどに運のよい太陽王が……ねぇ」
数歩下がったゼルは何かを取り出してきた。
その手にしていたのは、小さなヤットコ……ペンチだった。
「深謀遠慮の太陽王を凡百の愚将と並べ哂うその舌を抜け」
不愉快そうに小さなペンチを投げつけたゼル。
居並ぶ参謀をぐるりと見回し、渋い声音で打ち据えた。
「誰ぞ、勝てると言い切る者はおらぬか」
重い沈黙が流れた。
チョロチョロと響く水時計の音が流れる。
「かような戦力差では百術、千策、万考を用いるとも勝は不能かと存じますが」
勇気を出してそう言った壮年に近い白瑪瑙種の参謀は、いくつも下げた飾緒を重そうに揺らしながら戦況卓を指差した。
「オスカー」
手を差し出したゼルの手にオスカーは小さな鉈を手渡した。
ゼルは迷わずそれを投げつけ、戦況卓に鉈が突き刺さった。
「敵味方を問わず参謀とは勝ちを追求する職なはず。垂直を水平に変えてでも答えねばならぬ者が安易に不可能を口にするか。無能な参謀など必要ない。頭骨をえぐれ」
突き刺すような恐ろしい眼差しをゼルが浮かべている。
おそらくこの男はイヌではない。多くの参謀がそう気づいた。
だが、老練な側近は迷わずゼルの指示を受けている。
その事実に参謀は驚いていた。
「では、ご教示願いたい。ネコはいかに攻め手を取りましょうや」
参謀飾緒を下げた白尾種の男は、戦況卓を指差した。
「まず、騎兵を単縦陣に取り、中央陣へ突撃を掛ける。この時、最も重要なことは左右の翼を閉じさせることだ」
戦況卓を挟んだ向こうとこっちでゼルは駒を動かし始めた。
作戦参謀が黙って話を聞き始める。
「次に左右へ展開させた騎兵を使い、翼の後方から攻める。混乱に陥った両翼の陣を結果的に挟み撃ちにし、両翼と中央陣の付け根をすり抜け後方で脱出。その後、大きく迂回して本陣へ帰還するだろう」
駒が盤上を動いていき、中央と両翼をつなげなくなったイヌの陣が浮き始める。
ゼルは尚も駒を走らせて、両翼後方で応戦する騎兵に混乱をもたらす機動を見せた。
「中央集団は半分削られてしまっても、左右へ展開した集団は生き残るだろう。結果的に損害は二割で済む。どうだ? 事態は混乱し、両翼の騎兵は同士討ちをするか衝突衝力を解消しきれず、前線に近い者は後方の味方に踏み殺される事になる」
完全に言葉を失って戦況卓を見つめる参謀たち。
だが、そこへ向かって着々と伝令が届き始めた。
「伝令! ネコ中央集団、およそ縦三列で中央軍集団へ突撃を開始。一点を集中して攻めています。セダ元帥の側近騎兵による応戦中! 以上伝令終わり!」
「伝令! 右翼ノダ元帥! ネコ中央集団に側面突衝開始! ネコ騎兵は各個回避!」
「伝令! 左翼カウリ元帥! ネコ中央集団に対し弓射手を集め攻撃中!」
次々と伝令が入ってくる中、ゼルは参謀本部伝令を走らせた。
「後方の後詰隊に両翼後方を守らせるんだ! 弓を使え!」
金切り声にも近い叫びとなったゼルだったが、その前に前線から伝令が走ってきた。
「伝令! 右翼後方にネコ騎兵! 挟み撃ちにされています!」
「伝令! 左翼後方にネコ弓兵! 投射力に違いがあり押されています!」
参謀本部内で駒を動かし戦況を確認するゼル。
各軍団の作戦参謀が言葉を失っていた。
「トウリ隊に伝令! カウリ隊の後方に展開するネコを蹂躙しろ!」
伝令を命ずるとともに、ゼルは幕屋を飛び出して平原を見た。
砂塵が沸き起こり、騎兵と弓と兵士の声が遠くから聞こえてくる。
「伝令! カウリ元帥! 敵陣を横切りネコ本陣へ切り込み中!」
「伝令! ノダ元帥! ネコ中央集団を横切りネコ弓隊へ攻撃中!」
「伝令! セダ元帥! 本陣後退を開始!」
伝令の声にはじかれ、ゼルは再び戦況卓を見た。
あの幾重にも折り重なって踏み潰す体制だったイヌ側陣営が無様に崩れている。
だが、その姿は臨機応変に対応し、互角に戦っているのが手に取るようにわかった。
「さすがだな。みな経験豊富だ」
ボソリと呟いたゼル。
言葉を失っている参謀たちをジロリと睨み付けてから、再びチョ-クを走らせた。
「防衛線はここにしよう。両翼を再び開かせたほうがいい。それと、弓兵を一旦後退させ、騎馬の動く隙間を作るべきだな」
戦況卓の上に策を描き続けるゼル。
その背中をオスカーが見守っていた。
同じころ。
トゥリングラードはずれの丘の上に、士官学校の学生が集まっていた。
戦術教官ビーン子爵は学生を前に戦況指導を繰り返している。
そんな場所へ伝令が走ってきた。
左の肩に矢を刺したまま、伝令は報告を上げた。
「中央軍は順次後退中! 1リーグ後退し戦線を整理。後に押し返す算段です、候補生旅団は後詰として突撃の用意をせよとセダ公より指令です!」
皆の表情が一瞬引きつる中、カリオンとジョンはにやりと笑った。
伝令を受けたロイエンタール伯は一言『委細承知!』とだけ答えていた。
「おぃエディ」
「あ?」
「楽しみだな」
クックックとこもった笑いの二人。
士官候補生たちの中には、無意識に漏らす者が現れ始めた。
「しかしすごいぜ、あの戦術」
「あぉ、そうだな。あんなに動き回ってて、しかもぜんぜん乱れてねぇ」
カリオンとジョンはネコの戦術を喝破していた。
数に劣るのであれば一点突破しかない。
面にいくつかの穴を穿ち、そこを拠点に浸潤戦術をとって、そして挟み撃ちだ。
「常識外れもいいところだぜ」
「あぁ。授業の最後にこれを小論文にしたら呼び出されるだろうな」
線と線を接し面で戦う事が常識の時代。
常識外れの戦術で戦線を混乱させるネコの騎士団。
「諸君! 我々はセダ公を支援するべく突入を図る! 全員抜刀用意!」
ロイエンタール伯の号令が飛び、カリオンはレイピアの留め輪をはずした。
いつでも剣を抜ける体制にし、突撃命令を待った。
遠くからラッパの音が聞こえていた。