精神を蝕む存在
~承前
不夜城と言うべきガルディブルク城だが、そんな王城も深夜には静かになる。
24時間体制で動いている国家の中枢故に、様々なセクションが王と国家の為に夜を徹して機能しているのだ。
だが、そうは言っても深夜の時間帯となれば多くが眠りにつく。そして、交代で警備に当たる兵士を除き、城の中から人の気配が消えるのだった……
「さぁ、行こうか」
「えぇ」
サンドラを連れて王専用の階段を降りていくカリオン。地下から立ち上る冷気には明確な魔力の混じった気配があった。すでにこの大陸全土を監視対象とする程に力を付けたリリスのそれだ。
顔が映るほどに磨き上げられた階段を降りていくカリオンは、冷え切った空気の中に白い息を混ぜながら城の基部へと侵入していく。しばらく来ない間に壁には画が増えていて、かのクーデター騒ぎが描かれてるのだった。
――リリス……
それは、彼女の持つ悔しさや歯痒さの発露だろう。自分が地上にいればもっと何かの役に立ったはずなのに……と思っているに違いない。それ位に健気な女であると同時に、文字通りの相方として育ってきたリリスの可愛さでもある。
だが、それらを全部承知しているからこそ、カリオンは誰にも聞こえないように小さくため息をこぼしていた。サンドラと一緒にエルムとララがやって来た。そして、ウォークとジョニーのふたりもだ。
――リリスの元へ行くのが……
――恐ろしいとはな……
何を言われるのか……と、カリオンは身の竦む思いだった。相当に辛口で文句を言われる事に成るのは察しが付いていた。他ならぬエルムの口からも『いきなり王にされそうで怖い』と言葉が漏れているのだ。
ひとつひとつ手順と場数を踏んで、そして王になるべきだ。冷静に考えればカリオンだってそうだった。士官学校時代からノダの手配により様々な経験を積んでいたはず。
――急ぎすぎ……か
階段を降りきったカリオンは、一端足を止めて振り返った。深い群青のワンピースに深紅の腰帯を締めたララは帯剣せずにやって来た。重なっていた男の部分を失ってはいるが、剣の腕と天性の戦術眼までは消えていない。
ヴァルター相手の剣術稽古でも、三度に一度は完全にその首を刎ねる様な勝ち方をしていた。そんな女流剣士であるララが剣を持っていないのだから、それ自体がリリスへの信頼の証のようなモノだった。
「さて、この先だ」
城の基部にある大広間には太い柱が林立していた。巨大な城を支える基部にこんな空洞がある事自体、ララもキャリも初めて知ったのだ。
「凄い……」
「……うん」
ララよりも頭半分大きな身体のキャリは、立太子の衣装を纏って地下にやって来ていた。かつてボルボン家の本拠であるソティスで遭遇していたのだが、ガルディブルクで顔を合わせるのは初めてだった。
「エルムは一度会ってるのよね」
「うん……綺麗な人だった。けど、怖い人だ」
兄弟の隠し事を作らない会話にカリオンが薄く笑う。そんな状態で地下の広間を進んでいくと、そこには燭台に明かりを灯したテーブルが置いてあった。そのテーブルはカリオンら一行の進路を阻むように、横向きの設置だ。
そして、そのテーブルを挟んだ反対側には、リリスら地下の受任が居並んでカリオン達を待っていたのだった。
「待ってたわ。やっとここで会えた。30年掛かったわね」
リリスはスッと立ち上がるとカリオン達に近づいた。その動きのどこにも違和感が無いが、その姿は息を呑むモノだった。完全な透明に近いガラス状の身体へシルク製の見事な設えなドレスを纏っているのだ。
「ララは私を見るのは初めてね」
「はい。初めまして。リリス叔母様」
ララは己のことをよく飲み込んでいる。リリスはトウリの異母妹に当たり、父だけが一緒。そんなトウリの娘なのだから叔母にあたる存在だった。
「そうね。初めましてだわ」
ニコリと笑ったリリスは、ララをギュッと抱き締めた。優しくて暖かみのあるその抱擁に、ララは驚きを隠せなかった。ガラスのように透明なのに、弾力を感じるのだ。母サンドラほどでは無い胸の膨らみも、女性らしい弾力に溢れていた。
「柔らかくてビックリした?」
「……はい」
ララの困惑を見抜いたようにリリスがそう言う。
そして、遠慮無くララの胸の膨らみをぎゅっと握りもう一度ケラケラと笑った。
「サンドラ譲りのおっぱいが悔しいわね。女なら嫉妬に燃え上がるようだわ。もっとも、私はとっくに人間なんか辞めちゃったけど」
アハハと笑ったリリスは、サンドラが見ている前だというのにカリオンへと抱きついた。そんな姿を見ていたララは、母サンドラの荒れる内心を思った。だが、実際には優しい眼差しでリリスを見ているだけで、至って平穏だ。
――――なんで……
女の感情を理解出来るだけに、ララは少々困惑した。ただ、その時ふと気付いたのは、弟キャリの存在だった。幼い頃から夫婦のように育ったふたりだが、その血を受け継ぐ子を産んだのはサンドラなのだ。
その事実はリリスとサンドラの間に絶対埋められない差を作っていた。どれ程の言葉を並べようと、子を産むのは女しか出来ないことだ。そして、カリオンにとってただ1人の正統な世継ぎとなる存在を産んだのだ。
――――勝ち負けで言えば勝ち……
その心の余裕がサンドラをして『これ位のことは大目に見よう』という余裕を生み出しているのだと思った。だが……
「やっぱり私よりリリスの方が似合ってる。悔しいけど」
サンドラはあっけらかんとした様子でそう言った。そこにどんな感情が隠されているのか……を、ララは嫌と言うほど理解した。自分自身の胤となった存在が別に在り、母サンドラは今もそれを想っているのだと確信したのだ。
「ごめんね。私がこんなだから」
リリスは心底申し訳なさそうに言う。正妻としてのプライドや女の意地を越えた何かがそこにポツンと佇んでいた。なにより……
――――母さまと叔母さまは……同志……
そう。このふたりの女は太陽王を支える重要な柱であり、母サンドラが日向の側の柱だとするなら、リリスは影の側。いや、闇の側にあってより太く強く王を支える存在なのだ。
――――すごいな……
何がどう凄いと思ったのか。それを言葉で表現する事など出来やしない。ただ、ララ・アージンという名前の存在は、そこに余人には理解出来ぬ途轍もないモノを感じ取っていた。
個人の意志や思想や理想と言ったモノなど木っ端微塵に粉砕してしまう巨大な何かがそこにある。そしてそれは、莫大な数で存在する市民の生命や財産や生活を守る為に滅私を求められる貴族の義務の上位互換と言うべきモノだった。
つまりそれは、王族に求められるもの。国家という国民を鎧うものの維持の為に、己を犠牲にしてなお保たれなければならない、巨大なシステムに組み込まれた人間の見せる意地と気概だった。
「……で、リリスも俺がおかしいと思うか?」
ララの新鮮な驚きを余所に、カリオンは単刀直入な質問をぶつけた。サンドラがそれを言い、カリオンが己自身を疑った異常な行動。思えばララもここしばらくは違和感を持つことが多かった。
「そうね。変と言うより謀られてるわね」
リリスはまったく遠慮する素振りすら見せずにそう言った。そして、それと同時に自分自身を抱き締めるカリオンの背中へ手を回し、そこに直接触れた上で印字を切って魔方陣を描いた。
「さぁ、力比べといきましょうか」
リリスはニヤリと笑ってカリオンの背中に自分の魔力を送り込んだ。その瞬間、カリオンは鈍くうめき声を上げ、ガタガタと震えながらも奥歯をグッと噛んで耐えていた。
「お前の悪巧みなど全部叩き潰してやる! 私の一番大事な人を返して貰うわよ」
リリスの言葉に鋭い棘が混じった。そして、その言葉が終わると同時、リリスはカリオンの胸にも印字を切り、グッと力を込めてドンと叩いた。それはグッと魔力を流し込む術らしく、カリオンはビクッと震えてから何かを吐き出した。
「……腕を上げたな。小娘」
カリオンの吐き出した何かはウネウネと動きながら小さな人の形を取った。長いマズルにピンと立った耳。そして、太い尻尾。キツネの特徴をよく表すその存在は間違い無くアイツだとララは思った。
「聖院さま……」
ララが小さくそう漏らした。しかし、そんなララの目の前で、その使い魔と言うべきヒトガタは、リリスの術によって捕らえられていた。
「消えて無くなれ!」
リリスはグッと腕を突き出し、そのヒトガタへ何かの術を放った。高度な魔術による戦闘は、傍目には実に地味なモノだった。だが……
「ギャァ!」
鈍い悲鳴を放ち、ヒトガタはまるで乾いた泥の様に崩れた。そこから立ち上る紫色の煙がスーッと消えて無くなり、地下宮殿の中に解けて消えた……