第7次祖国防衛戦争
~承前
――――征服などと無粋な表現はおやめになられた方が宜しい
マサの吐いた言葉を思い出しながら、カリオンはグルグルと巡る思考の底なし沼に陥っていた。何とかバランスを保っている天秤の片方には安定と平和の希求が乗っており、その反対には将来に対する不安の解消が乗っている状態だ。
現状の平和と安定のために対症療法的な政策を続ければ、それは将来へ頭痛の種を持ち越すことに他ならない。だが、その将来の頭痛の種をいま解消するには、現状の平和と安定を破棄して戦乱の日々を送る必要がある。
……征服では無く統一
そう。それこそがカリオンを悩ませる危険ワード。何となく意志の統合が図られたそれは、甘美な響きを持ってカリオンの脳裏にフワフワと漂っている。平和と安定の為の征服活動では無い。将来の為の統一だ。
詭弁と言われればそれまでだし、大富豪などが不倫相手として囲っている女に金を渡す行為を、薄幸な女への支援と言い換える恥知らずな行為その物。だが、総じて大義名分などその程度のものでしかなく、国家の運営には必要な行為でもある。
――清濁併せのむ度量……か……
それは、遠い日にゼルが呟いた言葉だった。
――――あらゆる道徳的な模範や規範となる振る舞いをして
――――勝てるならそれに越した事は無い
――――ただ、遊びでしか無い札遊びであればともかく
――――国家を率いるとなれば話は別だろう
――――勝利の対義語は敗北じゃ無いんだ
脳内に現れた父ゼルは、強かに酔ったような顔をしていた。
だが、それでも三白眼でグッと睨み付け、叩きのめすように言った。
――――滅亡だ
滅亡……
その言葉がカリオンの脳内をグルグルと走り回った。
滅亡……
滅亡……
滅亡……
滅亡……
滅亡……
滅亡……
滅亡……
「亡びると言うのか…… この…… ル・ガルが……」
滅亡を殊更に怯えるのには理由がある。それは、アブドゥラが預けていった聖典の最終章にあたる第6巻の内容だ。俄には信じがたい話ではあるが、イヌを虐げてきたライオンも衰退の危機を何度も迎えていたのだった。
ライオンよりも強い一族による王権の否定。ライオンに対抗しうる強力な種族であるピューマだのチーターだのと言った、そんな生物だかも解らない者達による叛乱と騒乱。
そして、獅子の国特有の問題として、一族の中で最強を誇る者が王に就くと言う掟を堅持している関係で、時には結託して王位簒奪を試みる者が出てくる。何世代前に当たるかは解らぬ事であるが、今上王を暗殺したあとに最有力候補であったその息子から王位継承候補者である権利を取り上げて追放したこともあると言う。
――――獅子の王は王足り得んとするが為に神経をすり減らし続ける一方だった
最終章に書かれた獅子王受難の内容を要約すれば、様々な民族が入り乱れ共存する彼の大陸において、所属の利害関係を調整する為に奔走し続けた獅子王の疲弊であり、王位継承に関わる様々な政治的暗闘での疲労だった。
そう考えれば、ル・ガルの始祖帝ノーリが定めた王位継承のシステムは、実に考え抜かれた物であるし、また、合理的かつ非情の措置を取っているのも理解出来る部分があった……
「……陛下」
どこからか声を掛けられ、カリオンはフッと我に返った。
太陽王執務室の中、カリオンは1人でグルグルと考え込んでいたのだった。
「ウォークか」
既に深夜の時間帯だが、王が起きている以上はウォークも起きて様子を伺っていた。いつなんどきに呼ばれるか解らないからだ。そして、カリオンが好きな北方産のワインを瓶で運んできたウォークは、黙ってワインをサーブした。
「寝た方が良いぞ」
優しい声でそう言うカリオン。よく見ればウォークは随分と草臥れた姿だった。
ただ、そうは言っても王の側近中の側近であり、言うなればカリオン政権において不動の官房長官役なのだ。それ故に激務は続くし終わるはずなどない。
ただ、それでも部下をいたわる姿を見ていたウォークは、遠い日の夜を思いだしていた。
「雪降る厩前を思いだします」
「……レラの死んだ夜か」
小さな声で『えぇ』と応えたウォークは、そっと部屋のドアを閉めた。
差し込む月光がカリオンを神秘的に照らしていて、ウォークは自らの主がまるで神話の世界から出てきた英雄のように見えていた。
「……私がこんな事を言うのは差し出がましいですが――」
静かに前置きしたウォーク。だがカリオンは薄笑いでそれを見ていた。
「――ル・ガルの限界を一気に改善する妙手かも知れません」
ル・ガルの限界。増えすぎた貴族と硬直化した官僚制度。果てしない階級制度に縛られた不効率な政治システム。なにより、貴族という存在が着々と軽薄になってしまい、平民達の統治者足り得なくなりつつあった。
「お前も世界をぶん捕れと言うか?」
ウォークの運んできたワインを舐めながら、カリオンはそう言った。
若干の渋みを残すそれは、まだ若いワインだった。
「ぶん捕らなくても良いでしょう。ですが……」
「……あぁ。解っているよ」
沈思黙考する中で、カリオンは段々と気がつき始めていた。獅子の国も限界なのだと言う事に。その中で一番の決定だとなったのは、間違い無くあのロレンツォの言葉だった。
「獅子の国でも王権の簒奪があったそうだな」
「えぇ。様々な手段で調査を試みましたが……段々と実像が見えて参りました」
それは、あの獅子の国で起きた強力な政権簒奪紛争の詳報だ。何故ここに来て獅子の国がル・ガルにちょっかいを出しているのか?をウォークは死に物狂いで調べていた。その結果、驚く様な情報が集まり始めたのだ。
2代前の王が死んだ時、その息子は王位を巡る決闘で敗れたのだという。だが、その息子を破った男は次の決闘で戦わず相手に恭順を誓ったという。結果、その恭順を誓った男が王位に就き、敗れた先王の息子は筆舌に尽くしがたい辱めの果てに平民ですら無く奴隷にまで社会階級を落とされたという。
だが、その全てを差配したのは、その破れた男の父に当たる先王が追放したライバルだった。つまり、王位を巡るドロドロの権力闘争の果てに、国家と国民の全てを放り出して復讐に走ったのだという。
だが、そこに口を挟んだのはゾウだったとか。ゾウの一族の中で獅子王に意見する立場の者は、巨体を揺らして王宮に入り込むと、その差配をした者と新王の2人を踏み潰して殺したのだとか。
奴隷に落とされた者は掟により敗者復活がならなかったものの、その息子は王位を巡る闘争を勝ち抜き、現王になったと言う。そして、その現王は父を巡るゴタゴタに荷担した貴族や有力諸侯らに途轍もなく厳しい処置をしたのだとか。
「つまり、全て取り上げ我がル・ガルへ攻め入れ……と、そう言う事か」
「御意。己の食い扶持は己で確保せよとのことです」
そう。獅子王が行ったのは、国政を軽んじるだけでなく、有力諸侯らの粛正に近い苛烈な処断だった。領地も権限も全て取り上げ、彼らから見て辺境に当たるル・ガルなどのガルディア大陸へと攻め込ませたのだ。
新たな領地は己の手でもぎ取れ。それが出来ぬなら死ね。新しい領地は切り取り次第で好きなようにやって良い。ただし、税は取るので上手く経営しろ。そんな所ならしい。
「……やはり控え目に言ってル・ガルの危機だな」
「どうをどう判断したら控え目になるのかご教示ください」
そんな掛け合い漫才が出来る程の信頼関係にある2人。
ただ、そうは言ってもル・ガルとて限界だった。
「どうするべきかな」
カリオンは判断材料を求めた。最後の決断は太陽王の責務。そして、個人的な部分での矜持として、獅子の王のような無様は晒したくなかった。だが……
「まずはル・ガル周辺を完全に併呑し、獅子王による冊封体制を終わらせた上で、我がル・ガルに攻め入る獅子全てを撃退してから使者を送りましょう」
ウォークが応えたのは、あくまでル・ガルの諸問題を最終的に解決する為の提案だった。つまりそれは……
「第7次の祖国防衛戦争か」
「御意」
もはや笑う事も忘れたカリオンがそう言った。
そして……
「……余は引退する。キャリに王位を継がせ、余は一兵卒となって戦線を駆けることとする。ウォークはあの子を支える宰相となれ。タリカが一人前になるまでな」
意図しない言葉を言ったウォークに対する嫌がらせのようなカリオンの措置。その言葉にウォークが露骨な嫌悪感を示して眉根を寄せた。
「……どうやったらそんな酷い言葉を吐けるのか教えて欲しい物ですね」
「なんだ。急に遠慮のない言葉になったな」
「私を含めた数人にはそれを許されたんじゃ無かったですか?」
そう。その通り。
カリオンはかつてウォークにそれを許していた。いつでも遠慮無くモノを言って良いとした特別な立場の承認だ。そしてそれこそが、このカリオン政権において不動の側近である肩書きの担保で有り、また、権力の源。周囲から『ウォーク様』と配慮される根本になっていた。
「お前も走りたいか?」
「当たり前です」
腕を組んで不機嫌そうにカリオンを見たウォーク。
カリオンはそんな側近中の側近の姿を楽しげに見ていた。
それこそ、ドリーが嫉妬するような姿だった。