ガルディア一統の夢
~承前
城の小ホールに集う公爵家の当主達は、そのショッキングな内容に絶句した。
話の発端はアッバース家を預かるアブドゥラの持ち込んだ彼らの聖典だ。
6巻19集114章からなる巨編だが、その内容を端的に表すなら砂漠に生きるイヌ達の苦労が集まった生活の知恵の集合体だった。忌諱すべき内容を掟のように書き殴っているが、そのどれもが一族の繁栄と種の保存の原則に基づいている。
そして何より、彼ら一族が他の種族に対抗するために考え出された『注意を要する案件』への対処法。それこそ、砂漠や高温多湿の環境下では些細なことが命取りとなる。そんなクリティカルな事態を避ける為に、法典の形で存在するのだった。
「……聊か衝撃的ではありますが、ネコとの闘争の理由がこれ以上なく記されておりますね」
ボルボン家を預かるフェリペがそう漏らした。その聖典の最終章に記されていたのは、アッバースを導く存在となった聖人の記録だった。およそまともな生涯とは言い難いほどの艱難辛苦を経た後、その人物はイヌの王を頼りに海を渡るのだ。
絶海となる地にあって彼らを追う勢力はすなわち、獅子の国に属するライオンを頂点とした大型の種族達。伝承にある不浄の側の存在というイヌはすなわち、彼ら一門の奴隷扱いを受けてきた記録だった。
「ライオンやトラとネコの相性の良さはこれではっきりしましたな……」
ジダーノフ家のボロージャがそう呟く。そもそも彼らネコ系統の種族は、まったく同じ存在を祖先とする相当古い一門のようだ。そして、彼らの中で長命ながら小型だった種族がネコの祖先となり、短命でありつつも大型で強靱な体躯を持つ種族がライオンやトラらピューマと言った強力な一門を形成していった。
そう。アッバースがそうであるように、ネコの一門もまた居場所を失って流れてきただけなのだ。いや、もっと正確に言えば逃げ出してきたと言って良い。ライオンが支配する世界の中でイヌは奴隷扱いでも生きる事を選択し、ネコはそれを拒否した。
やがてイヌの中で新天地を求めるムーブメントが発生し、その中でアッバースの者達は奴隷の生活を捨てて北方のイヌを頼り、果てしない距離となる移動を開始したのだった。
「ライオンを頂点とする強力な支配体制……ですか」
ジャンヌのボヤキにフェリペが力無く笑い肩を窄めた。そう。彼らの支配は文字通りに奴隷扱いだったようだ。広大な獅子の国の穀倉地帯を耕し続けたイヌの一門は、水呑百姓よろしく生かさず殺さずの扱いだったらしい。
だが、その全てが逃げ出した結果、現在の獅子の国を耕すのはウシなどの種族であり、また、広大な森林地帯は樹上生活に適応した森の人を意味する未知の種族らによるモノとなっていた。
「トラもネコもライオンによる支配を受けていた……と言う事なんですね。そんでそのライオンも実は縮小傾向ってこって」
ポールは感心したようにそう言った。莫大な量の書物を一心不乱に読みながら、サクサクとメモを書き続けたポールによる分析。それを見れば物事の経過と事象の因果が客観的に把握出来た。
つまり、獅子の国から見て辺境となる地域にトラやネコの国があった。そこにはそもそもイヌが暮らしていた。ライオンの庇護を受けたトラやネコの干渉により、イヌは彼らの下働きとなったようだ。
だが、アッバースの一門と合流した結果、そのイヌの集団は急速に近代化しただけで無く組織を洗練させ国家体制を整えていった。やがてこのガルディアラの中にイヌの国家が誕生していた。
ネコやトラと言った者達が獅子の国の冊封体制に組み込まれ、彼らの国家と言ったモノを実現せしめる前の話だ。故に獅子の国はどうしてもル・ガルを認められないのだろうし、太陽王の権威を認めるわけにも行かない……
「要するに、我々はライオンを相手に独立戦争を行う必要があると言う事ですね」
常に喧嘩っ早いドリーが嬉しそうにそう言った。それこそカリオンが『獅子の国に攻め入れ』と命じれば、尻尾を振りながら喜んで攻め入るだろう。ドリーの念願はそこで結実する。
カリオンの手足となって戦に馳せ参じ、八面六臂の働きをして太陽王から『良くやった!』と褒められる事になるのだ。他の如何なる褒美も、王から直接いただく賞賛の言葉には敵わない。
戦えと言われれば獅子だけで無くゾウにでも勝負を挑むだろうし、余の為に死ねと言われれば間髪入れず『望む所!』と尻尾を振って死ぬだろう。そんなドリーをどうにかしないと、そのうち勝手に攻め入りかねない……
「獅子との戦いは避けられないでしょうが、少なくとも勝てる戦とは思えません。そもそもに生物としての自力がまったく異なりますれば『それは異な事を』
アッバースを預かるアブドゥラが消極的な言葉を吐いた時、それを打ち消しに掛かったのは茅街のマサだった。丸眼鏡の奥にある線を引いたような眼差しがキラリと光っていた。
「勝てますよ。いや、勝たせますよ。我々が」
腕を組んでニヤリと笑ったマサ。この場にオブザーバーとして参加していた茅街の面々は、誰もが同じように笑っていた。
「それは……真か?」
カリオンも訝しがる様に言うのだが、マサは満面の笑みで胸を張りつつ言った。
「ヒトの世界では肌の色の違いで根深い差別がありました。その中で我々の様な肌の黄色いヒトの国は、白人と呼ばれる白い肌の種族から文字通り奴隷扱いされていたのです。この肌の黄色いヒトの一族は、肌が黒い一族と合わせ、肌の白いヒトが発展する為の消耗品でした。労働力であり資産であり財産だった。それに最初に異を唱えたのが……我々の国なのです。太陽王陛下」
マサの目がギンを捉えた。あの203高地攻防を経験したギンは、意地とメンツとプライドだけでまったく無駄な要塞攻城戦を経験したのだ。だがしかし、その結果は余りにも大きかった。
黄色人種が白色人種を撃退し降伏せしめた。その事実は、後の大東亜戦争に繋がり、東南アジア解放への系譜となって発展していく。その課程において数々の不法行為や人道上の犯罪を内包しながら……
「どうやって……勝つというのだ」
カリオンは訝しげに問うた。
だが、マサは何ら迷う事無くスパッと言い放った。
「王陛下の眼前にて我等は一度勝利を収めておりますが……もうお忘れでありましょうや?」
勝ち誇るようにマサは言い、僅かな間を置いてカリオンが『そうだな』と漏らした。西方地域における迎撃戦闘で、マサ率いるヒトの一団は砲兵を率い、完膚無きまでに叩きのめしていたのだ。ただの1人も生き残りを作らず、全て鏖殺せしめた凄まじいまでの威力……
「ライオンが怖い? そんな物は既に過去の話です。ゾウが手強い? 覚醒者なる巨人ですら一撃で屠る武器は既にあります。どうか陛下には是非とも覚えておいていただきたい」
マサ勿体ぶる様に一つ間を置いてから言った。
「戦術と戦略は戦争の両輪でありますが、戦争という荷車を押すのはいつの時代もどんな世界でも軍人であります。そしてその軍人の手へ蛮用に耐えうる武器が宛がわれた時、昨日の強敵も今日ではただの草卒な存在に成り下がります。新しい技術と理論は実験と実戦を食んで発展し、新たな扉を開くのです」
マサは室内のイヌ達をグルリと見回してから堂々とした態度で続けた。
両手を荒鷲のように広げ、獰猛な猛禽類の様に歯を剥いて見せた。
「陛下。我等にお命じください。イヌの敵を打ち倒せと。そして、銃砲を扱える精兵と武器とをお与えください。さすれば我々は我々の持てる最高の戦術と戦略をご覧に入れる事が可能になります。そして――」
広げていた両手を閉じてパチンと音を鳴らしたマサ。
ドリーなどは目を剥いて見ていた。
「――我等は陛下の為の道を拵えてご覧に入れましょう。イヌの王に仇為す愚か者の血と臓腑と亡骸とを持って、肉と骨で設えられた愚者の舗装をご覧に入れます。さすればやがて、イヌに仇為せんと欲する者達が太陽王の御名を聞いた瞬間に、臓腑を吐き出して死ぬ事になるでしょう」
音吐朗々にそう言い切ったマサ。
テンション高くそう言うヒトを前に、カリオンの表情は曇っていた。
「つまり、ヒトも余にこの世界を征服せよと言うのか?」
その言葉には棘があった。やや不機嫌な様子であった。
だが、そんなカリオンを前に、マサはニヤリと笑いながら言った。
「……銃へ弾を込めるのは兵が行います。射撃砲撃の指示運用は我等が行います。行軍の支援は市民が手伝うでしょう。世界の全てを併呑せんと進軍する者はすなわち、このル・ガル国軍に他なりません。ですが、それを命じるのは……陛下です」
マサは何ら悪びれること無く言い切った。
カリオンの意志が。カリオンの野望が。カリオンの努力こそが正体なのだ。
「余の意志……か」
「御意。そして征服などと無粋な表現はおやめになられた方が宜しい」
マサがそう返事した時、カリオンは腕を組んで沈思黙考の時間に入った。この時にはお喋りなポールですらも押し黙って言葉を待った。目を閉じたカリオンは真剣に考えている状態だ。
だが、その沈黙をドリーが破った。張りのある声でグッと身を乗り出し、鋭い視線をカリオンに浴びせて言った。ドリーの…… モーガン・ドレイク・スペンサーの奥深くから滲み出てくる願望その物だった。
「陛下。まずはこの大陸をイヌが統一しましょう。そう。統一です。そして東方種族をイヌの支配下とし、獅子の国へ打って出ましょう。我等イヌが再び奴隷に身を落とすのか。未来の子等に胸を張って誇りある歴史を伝えていくのか。その決断の時です」
ドリーが言う通り、この100年を鑑みればイヌは戦争ばかりしてきた。だが、カリオンの治世になってからはオオカミと和議を結び、キツネとは一定の協定関係になっている。
すなわち、ネコやクマやトラと言った種族との決着を付ける環境が整いつつあるのだ。そしてそれらは、イヌに取って喫緊の課題その物だった。
「……さすがに即答は出来ない。一晩考えさせてくれ」
さしものカリオンとて即答は避けた。ただ、ここまで逃げ続けてきた周辺諸国との関係を確定させると言う事が遂に突き付けられたのだった……