獅子の国を知る
~承前
……城下の遙か彼方で誰かが自分を捜し回っている
日々の研鑽による結果、カリオンの魔法走査能力はガルディブルク全域をカバーするほどになっている。リリスが行うように大陸の全てをカバーするほどでは無いが、僅かな地脈の乱れをも感じ取れるのだ。
そして、そんなカリオンには城下で繰り広げられているシーンが、まるで走馬燈のように脳内に浮かんでいた。石畳を走りながら王を探す者の立てる足音が聞こえるようだ。
カリオンはそれが吉報であると確信した。足音にすら人の感情は漏れるのだと経験しているからだ。そして、大切に抱えている何かの書類には、今後に関する重要な情報が収められている。
――早く来ないかな……
外連味無くそう思ったカリオンは、思わずニヤリと笑っていた。王を探し回っているかの者は満面の笑みを浮かべているのだ。その感情だけが伝播してきているらしく、カリオンは自然と笑顔になっていた。
――随分と楽しそうだな……
パタパタと走るその足音が聞こえるのは、きっとカリオンだけだろう。ガルディブルク城の小ホールに机を並べた簡易教室の中で、カリオンはその足音が迫ってくるのを心待にした。ビッグストン以来の退屈な授業中だった。
「……陛下?」
進講の為に登城してきた講師は、不思議そうな顔でカリオンを見ていた。
遠く獅子の国を旅して帰ってきたと言うその男は、西部出身の商人だった。
ル・ガル国内では貴重な香辛料を求めて南方を旅したと言う彼は、獅子の国の王府に請われ講義したのだとか。獅子の国が知りたがったのは、彼らにとって未知の国であるル・ガルの実情だ。
「あぁ、すまん。足音が気になったものでな――」
あっけらかんと言ったカリオンの言葉に、講師役であるロレンツォは一瞬だけ表情を曇らせた。自分の講義が王の興味を維持出来ていないのだと思ったのだ。まさかこの王が遠くの情景を感知するほどの魔導家だとは思わぬのだろう……
「――退屈なわけではないぞ? ただ、足音が楽しげに聞こえたものでな」
それが王の心配りであることなど気が付かぬわけではない。
ここまで話をしてきた内容を思えば、少々説明的すぎるとも言える。
時には考えさせ、思考の積み重ねにとって気が付くこともあるのだ。
「……申し訳ありません。続けます」
ロレンツォは自身が持つプライドを煮詰め上げたような表情でそう言った。諸国漫遊と陰口を叩かれたとて、己の見聞を広め世界を股に掛ける事こそが彼の人生の全てだった。
商人に必要なものは、幅広い見識と知識。そして経験。だが、それらを生かすも殺すも本人の才覚次第と言える。その才覚と呼ばれるものの本質は、機転と表現されるもの。言い方を変えれば、頭の回転の良さこそが最も重要な商人の資質だ。
「あぁ。そうしてくれ」
カリオンは努めて明るく楽しげな様子でそう言った。そんな姿に僅かながらも気を取り直したロレンツォは、獅子の国の内情を切り出した。彼の国は多種族からなる共同統治・協調社会を実現する複合国家だと言う。
そもそもに獅子は強靭な体躯と膂力を持つ戦闘種の頂点に近い。だが、そんな彼らの統べる国には、獅子など歯牙にも掛けぬ程に強靭な体躯を持ち、遥かに長命の種族がいくつも居るのだそうだ。
「サイだのカバだのと言った大型種だけで無く、ゴリラ……と言ったか、サルの大型種も闊歩してりまして、彼らは獅子も手を焼く程の存在であります。ですが、何より強力な存在はゾウでしょう。私が見る限りですが……あの覚醒者と呼ばれる存在ですら、ゾウには手こずるかと」
ロレンツォの言葉にカリオンの表情が変わった。
興味と言うより喜色が沸き起こったのだ。
「ほぉ……ならばそのゾウとやら。一度目にしたいものだな」
獅子は百獣の王を公称しているらしいのだが、その王権の担保は獅子の国にある他の種族からの承認だとか。その承認を最初に下ろすのは、彼の国内で最大の種であるゾウだ。
「およそ1000年の寿命を持ち、高い理性と慧眼を備え、情に篤く義理深く、何より温厚で善良です。しかし、それゆえに不正と卑怯を嫌い、自分勝手や身勝手な者には容赦の無い仕打ちを行います」
話を聞いていたカリオンは、その性格ならばイヌとゾウは仲良くやっていけるのではないかと考えた。話に聞く限り、ゾウの中にあるマインドはイヌのそれと非常に近く、ネコなどとは真逆なのだった。
「イヌに近いな」
「はい。私もそう思います。ですが、決定的に一つ異なる点がございます」
カリオンが首を捻る仕草を見せた。それは『遠慮無く言え』のサインだ。
ロレンツォはわずかに首肯しスパッと言いきった。
「ゾウが重視するのは、公平かつ公正であることです。独占的なものや不公平であることを嫌います。つまり……」
その言葉に今度はカリオンは黙って首肯した。イヌが支配するイヌの国家の中で、圧倒的な権力と財力とを持つ太陽王とは完全に異なる思想なのだろう。ゾウの思想を鑑みれば、太陽王に権力が集まっている体制は許されない事かもしれない。
「およそ獅子は種族間闘争の調停や調整に奔走し、その中で他の種族との折り合いを付けています。言うなればゾウが考える社会正義の実現を図るために働く存在です。遠い昔、獅子の祖先がゾウとそう約束したのだと聞きました」
ロレンツォの言葉が続く中、足音は階段を駆け上がってくる。どんな報告が来るのか?と内心で考えつつも、今はまずロレンツォの言葉を聞くべきだと考えたカリオンは、何度か頷きながら聞いていた。
「ならばなにか? 獅子……ライオンとはゾウの走狗なのか?」
カリオンの問いは尤もだろう。
話しに聞く限り、獅子王はゾウによって承認されたに等しい権力だ。
「いえ、決してそんな事はありません。話だけならば走狗となるのでしょうが、実際にはゾウを含め全ての種族から等しく奉戴された玉座。それこそが百獣の王を僭称する獅子王なのです」
ロレンツォの言葉にカリオンはもう一度深く首肯した。それはカリオンが理想とした姿だと思ったのだ。太陽王はル・ガルを形作る諸侯らによって支えられているが、逆の見方をすれば諸侯らの承認の上に存在していると言える。
獅子の王は太陽王と同じように諸侯らの承認を得ているのだ。ただし、太陽王はイヌとオオカミの承認だが、獅子の王は彼の地に暮らす多くの種族の承認を集めているだけでなく、尊敬を集めているのだろう。
「……世界は広いな」
率直な印象として、カリオンはそんな言葉を吐いた。凡そ100年を生きてきたカリオンが考える理想型は、既に獅子王が実現していたのだ。
――まこともって素晴らしい……
このガルディブルクに暮らすイヌ以外の種族だけで無く、ガルディブルクに隣接する諸国王らからも承認される存在になりたい。そんな風に考えていたカリオン故に、今は獅子王の存在が純粋に羨ましくもあった。
「良い話を聞かせてくれたな。あとで謝礼をはずもう。余はこのガルディアラだけで無く西域を越え、獅子の国に至までを含めた世界を俯瞰するが如くに治めたいと願っている。いずれまた話を聞く機会もあろう。その時はまた頼む」
カリオンの言葉に深々と頭を下げたロレンツォは『お招き頂きありがとうございました』と手短に謝意を述べた。その頭が上がると同時、小ホールにまだ若い男がやって来た。
3等事務官の衣装に身を包んだその男は『陛下にご報告であります!』と元気な声で切り出した。
「どうした? まず1つ深呼吸してからだ」
カリオンの穏やかな声が流れ、その若者はひとつ大きく息をしてから笑顔になって言った。
「先ほど到着しました早馬による伝令に寄りますと、西方地域へ侵入したトラなどを中心とする侵略軍の全てを撃退したとの事であります! なお、キャリ様が運ばれた戦車の戦闘能力は覚醒者を一撃で屠るとの事です」
――そうか……
ネコの国から戻ってきたキャリとタリカは寝食を忘れて戦車の開発に没頭した。その結果として造り出されたのは、彼らがそれまで造っていた代物とは一線を画すとんでも無い物だった。
かつてゼルはカリオンに語った事がある。ヒトの世界で古くから言われていた事だが、まったく新しい何かを造る時には、最初に大爆笑されるかまったく評価されない物こそ世界を変えるのだ……と。
「で、あの二人はどうした?」
キャリとタリカの二人がどうなったか。
カリオンの興味はそっちに移った。
「はっ! キャリ様はタリカ様と共に王都へ向かっておられます。1週間ほどで到着の見込みとの事です」
一言『そうか』と呟いたカリオンは、ニヤリと笑って首肯した。
数日前の報告では、東方地域ではドリーが国境を厳重に封鎖しているというし、北方のクマ対策はボルボン家による支援の結果として順調に戦線を押し上げているという。
――とりあえずは順調か……
一時は未曾有の国難とまで覚悟した状態だったが、現状では問題無いレベルにまで回復している。やはりル・ガルの打たれ強さは本物だと再確認しているが、ソレと同時に難しい問題が来ているのも感じた。
――戦車……か……
それは、敵方の覚醒者を一気に屠れる代物となるだろう。つまり、ル・ガルが先鞭を付け世界に広めた覚醒者が一気に陳腐化したのだ。ただ、その先を考えねばならない事をカリオンは覚悟した。そして、これは永遠に終わらない事だとも……