ウサギの告白
~承前
厳しい表情で報告書を読んでいるカリオンは、小さくため息をこぼしながら頭を掻いた。その表情には苦悶の色が混じり、いまにも室内で暴れ出しそうなほどに苛立っていた。
「何とも…… 面妖ですね」
そんな言葉で切り出したウォークだが、正直言えば過去に見た事が無いほどの怒りように戸惑っているのだ。それこそ、下手な事を言えば即座に剣で斬られかねない程の状態にカリオンはあった。
そして、リリスが存在し続ける為の代償・対価として城へ籠もった結果、彼女の力を共有しているような状態にいまのカリオンはなっていた。リリスのその膨大な魔力をどうにかして御しているに過ぎず、油断すれば暴発しかねない。
「本当に…… 世界は複雑怪奇よの……」
吐き捨てる様に言ったカリオンだが、その報告書はアレックスがまとめたウサギの国のレポートだった。キャリが襲われた晩、リリスの夢の会議にて、アレックスとジョニーはありのままに報告を上げた。そして、タリカが言ったフレミナの真実についてもだ。
その場に居たオクルカも『恥ずかしながら事実です』と認めたフレミナの恥部。だがカリオンは首を振りながら言った。『それに近しい事は、いまでもル・ガルの中に確実に存在しうる……』と。
現実にカリオンは失脚しかけ、ギリギリの所で踏み留まった。それを持って産まれた運の良さで片付けるには、余りにも手前味噌過ぎる判断だろう。それに、そもそもカリオンの出自がそれを物語っている。
父ゼルと母エイラの経験した数々の暗殺危機は、ル・ガル内部の壮絶な権力闘争そのもの。いまにして思えば、その多くの件において共通するのは、アージン主家に対する横槍なのだろう。
……主家の世継ぎがいなければチャンスがある
それと同じ事がル・ガルにもフレミナにもあるに過ぎない。そしてカリオンは思った。それと同じ事の規模だけが大きくなったに過ぎないのだ……と。
「ウサギの目標は…… なんでしょうかね……」
辛そうな声で漏らしたサンドラは、悲痛な表情でそう言った。他国の後継ぎまで狙って暗躍するのだから、生半な事では済まない理由がある筈だし、むしろそれが無ければ狙われる側とて納得出来ないのだ。
「そうだな……」
さすがのカリオンも、これにはいささか参っている。息子を狙われて喜ぶ母親などいないのは当たり前だが、サンドラの落ち込みぶりは痛々しいを通り越していたのだ。
「陛下。ウサギの事ならウサギに聞くのが一番では?」
なにかに気がついたウォークは、努めて明るい声でそう提案した。そう、この城の中にはウサギのなかでも指折りの存在がいるのだ。餅は餅屋と言うように、ウサギのことはウサギに聞くのが一番なのは自明の理だった。
「そうだな。ハクトを呼べ」
カリオンの号令一下、城の中にある指揮命令系統はすべてが連動して動き出す。そして、許可された者以外は自然に足が遠退くエリアにいたハクトの元へ、参内せよとの指示が届いた。
「よろしくね」
リリスは笑顔でハクトを送り出した。正直言えば、この状況で王の元へは行きたくないのがハクトの本音だ。ただ、このル・ガルにおいて王のお召しとあっては、断るわけにもいかない。
――――やれやれ……
ついにこの日が来たとハクトはカリオンの元へとやって来た。
そう。希代の時間術使いは、この日が来るのを知っていたのだ……
「お呼びでありますかな?」
いつもの燕尾服にシルクハット姿のハクトは、懐中時計を気忙しげに触れながらカリオンの元へとやって来た。ウサギだけあって長い耳を持つハクトには、このシルクハットが大切なのだった。
「うむ。すまぬがウサギの国について教えてくれ」
「……この日が来るのを恐れておりましたが……致し方ありませんな」
ハクトの表情にグッと気合いが入った。数多の者との出会いと別れを経験してきたカリオンにしてみれば、ハクトが表情を変えた理由はすぐにわかった。
「あぁ、その前に」
カリオンは振り替えってウォークを呼んだ。常に手元にあるレイピアを預けるためだ。細身で刺突を前提とする細身の剣故に豪華な装飾の施された王の剣。だが、シュサ帝肝いりで拵えたこれは、カリオンの護り刀だ。
そして、この剣を前提に剣術を研鑽したカリオンの手ならば、刺突せずに相手を切り裂くことも可能だった。魔力感応物質であるミスリル銀――オリハルコン――で出来たこのレイピアは、魔力持ちにはめっぽう強いのだ。
「……ご配慮、痛み入ります、さすれば、ウサギの真実を開陳いたしましょう」
ハクトが静かに切り出したウサギの真実は、その種族としての根幹とも言うべき生存本能・生存原則に至るまでの、長い長い道のりだった。
「ウサギは同衾を厭いませんし、男女の境無くそれを喜びまする……」
それは、ウサギのなかに残る性への禁忌意識の低さ。異常さを示すものだった。他の種族から見れば脆弱で常に滅びの危機にあるウサギにとって、種族としての存続は最優先で実行されるべき根本原則なのだった。
故に、乱交など何ら禁忌とするところではなく、遺伝子プールの側面から見て避けるべき近親交配ですら、非常時の生け贄を作る……いや、作っておくための行為として、むしろ歓迎されている有り様だった。
「戦って勝てる相手ではございません。故にウサギは穴を掘り、その奥深くで嵐のような災難が去るのを待つのです。1年でも2年でも待つのです。木根をかじり、草の芽をついばみ、異形に産まれた同胞を喰らってでも生き延びるのです」
カリオンを含めたすべての者が息を飲んだ。それは、イヌにしてみれば全く理解できない思想であり、勝てないまでも戦って死ぬことを最上の誉れとして来た思想とは全く相容れないものだった。
だがそれは、10戦ったとして2つか3つ、あるいはもう少々の勝ちを納められるイヌだから出来ることでもあるのだと理解もしている。それ故にイヌは組織的な戦闘を徹底して行う事に賭けていた。
戦術を磨き、戦略を練り、一つ一つ、敗けの理由を削っていく。決死隊を募り、彼らの奮戦を的に一斉攻撃を仕掛ける。肉弾戦闘で負けるのであれば、組織的戦術で勝てば良い。全員が死ぬこと無く、勇気ある犠牲を称えれば良い。
しかし、それはイヌやオオカミだからこそ出来ることだとも理解している。トラやクマ相手にウサギでは話になら無いし勝負にすらならないのだ。その絶対的な能力の差の果てに、ウサギは種族を上げて狂っていった。
「ウサギの寿命は100年に満たないのです。言い換えれば世代交代が早い。そして、若くして子をなす者も多い。その結果、ウサギのなかにある思想が生まれました。それはつまり……異常な存在を産み出してでも種族として生き残ること」
話を聞いていたサンドラが表情をこわばらせた。それは、フレミナの中に伝わる重なりを産み出す秘術の存在理由だからだ。近親交配の中でウサギは気が付いた。一定の確率で、ざっくり80~100人に一人程度の確率で異常者が生まれる。
遺伝障害による肉体的・精神的な異常者ではない。常人の10倍20倍は魔力を持つ存在がひょっこり現れる。彼等は大概が精神にも異常を抱え、幼くして性的な乱れを発現し、子孫を残そうと房事に狂う。
そして、そんな者の大半が女だが、まれに男も生まれてくる。そんな男女の間に生まれる者は、『凄まじい』としか表現できない存在になるのだと言う……
「ウサギの国は、自らをアトシャーマと呼んでおります。古い言葉で月を意味します。上古より口伝にのみ伝わる話として、月ではウサギが餅を衝いているとも言います。ただ――」
ハクトはこれ以上無くため息をこぼし、まるで小さくなったような印象を回りに与えた。ウサギの恥部であり最悪の黒歴史でもある部分がついに出てきた。
「――アトシャーマの始祖である女王カグヤは、月を指差しアトシャマと発したそうです。私はウサギの為に月からやって来たのだ……と、完全に精神異常な存在だったと言います。だが、その凄まじい魔力でウサギの城を作りました。地下からしか行けないウサギの城です」
ウサギの王家とも言うべきアリアンロッド一門がいるムーンストーン城。それはウサギにとっての象徴であり、また、最後の避難先とも言える存在だ。何より特徴的なのは、この城に大手門は一ヶ所しかなく、その門の外ではなく内側に跳ね上げ式の橋が掛かっていること。
ウサギたちは地下に張り巡らされた通路をつかって城へと逃げ込み、徹底的に籠城するのだ。その間、ウサギの魔術師達はありとあらゆる魔術で攻撃を開始する。その攻撃は大雨や突風。異常低温をともなう猛烈な吹雪。
攻め立てる側が疲弊するまで続けられ、彼等は大自然の猛威に殺されるか、諦めて帰るしかないのだった。その攻撃を行う者こそがカグヤの末裔であり、アリアンロッド家として存続する女系と、イナバ家として存続する男系の子孫達だった。
「カグヤの遺したその言葉が国の名になりました。カグヤは異常者同士の男女を掛け合わせ、複数の世代に渡ってそれを繰り返した結果産まれたと言います。12の魂をもち108の命を内包した化け物。その直径子孫が……私です」
そもそも、そこらに居る者たちが持つ魔力を1とするなら、このハクトは軽く1万を越える異常魔力だ。訓練された兵士でも、良くて5か6が関の山。軽く10万を越えるリリスと魔力を共有するカリオンらが異常なのだ。
「我がイナバ家とアリアンロッド家の女との間に生まれる者はカグヤの再来となりましょう。いや、もしかしたらすでに生まれているのかもしれません。何せ私はすでにイナバ家を出てしまった身です。ウサギの内情は……」
最後に漏らしたその一言でカリオンの表情がスッと変わった。
「いま……なんと言った?」
ハクトは間違いなく『家を出た』と言った。血縁主義で一族全体をひとつの家族と見るウサギなのに、それ自体があり得ない事。
――ありえん……
カリオンは無意識に警戒の度合いをひとつ上げざるを得なかった。
なぜなら、キツネの都――キョウ――に現れた者こそハクトだったのだから。




