二年生へ
暑い夏が終わり涼しい風が吹き始める頃だった。
夏の従軍体験を終えビッグストンへ戻ってきたカリオンは、寮の窓からボーっと校庭を眺めていた。
まだ新学期のカリキュラムが始まる前は室内検閲も緩く、日中に特にやる事がなければ、寝ていようと学校の外へ遊びに行こうと自由だった。
もっとも、この学校に居る士官候補生に限って言えば、そんな時間こそ有意義に使うよう躾けられている部分が大きく、カリオンとてこの時は夏休み中の体験をレポートに纏めている最中だった。
約三ヶ月設定されている士官候補生の夏休みは、最低二ヵ月を何処かの駐屯地で実際に任務へ就くよう義務付けられていた。まもなく『部下』が出来るポーシリ最後の夏。各一年生は偉そうな態度が身に付く前に、各基地へ行って徹底的にこき使われる一般兵卒の日常を体験する事になる。
カリオンが配属されたのは、伯父カウリの管轄下にある騎兵連隊の駐屯地だった。カリオンはこの基地で一般兵卒と同じラックを指定され、朝五時半から夜十時までの任務に就いた。
馬の世話に始まり、連帯士官付き下士官として一日中基地の中を走り回り、午後からは一般騎兵に混じって戦術機動訓練を行い、夜にはヴェテラン騎兵達から実際の戦闘時における体験談を聞いていた。
尤も、カリオン自身十六歳でしかないにも関わらず、十年近い騎兵経験を持っているので、逆に騎兵の側が驚いたりもしたのだが、伯父カウリの根回しによりマダライジメや冷たい扱いにやり込められる事は滅多になかった。
そんな二ヵ月を過ごした後、カリオンはシウニノンチュへ帰らず、王宮の中で筆頭王子セダの付き人をしていた。故郷シウニノンチュへ帰るなら、片道二週間近く掛かってしまうからだ。つまり、残り一ヶ月しかない夏休みを旅の空で過ごすことになる。家に居られるのは一日か二日。それではあまり意味がない。
ならばと叔父カウリを頼ってセダの元へとやって来たカリオン。セダは笑って歓迎してくれたのだった。そしてその間、カリオンは恐ろしい現実を見てしまった。
国家と国民の為、事実を伏せ事態の収拾を計り、その為に苦しみもがく太陽王の真実だ。誰も見ていない所でセダは泣いていた。誰にも迷惑を掛けずに済むところでだ。
「よぉ! エディ!」
「おぉ、ジョニー。実家帰ったか?」
「帰るわけねーだろ。近づきたくもねぇ」
「近いのになぁ。俺なんか帰りたくても遠すぎて断念したよ」
「……だよな。帰りは川下りの船にしたって、行きは馬だもんな」
顔を見合わせて深い溜息を吐いたジョニーとエディ。
そんな二人はホテル寮の窓から校庭を眺めていた。
今期から入学する候補生候補の、最後のシゴキが続いていた。
一年前に同じ事をやっていたと思い出し、顔を見合わせ吹き出した。
「俺達二年生だよ」
「良く進級できたと思うぜ」
「まったくだな」
ジョンの指がカリオンを指した。
「最初に見た時は、なんでここにマダラが居るんだって思ったよ」
「だろうな。なんせ、周りの視線が痛かったよ」
「それにしたって、エディは大したモンだと思うぜ。なんせ、おめーにゃ誰も勝てねー。馬や剣技だけでなく座学も勝てねーときたもんだ」
「そうは言っても、何だかんだでジョニーだって成績良いほうだろ?」
「そーでもねぇな」
苦笑いを浮かべるジョニー。
実際問題としてそれほど勉強の得意ではないジョンだ。
この夏休みはどうしていたのだろうかと、カリオンは心配だった。
「何やってた? 夏のあいだは」
「リディアを捕まえてよ あいつの家に転がり込んでずっと勉強してた」
「……マジで?」
「あぁ。公孫の親衛隊だと大見得切った以上、俺は首席で卒業しなきゃならねぇ」
真面目な顔で言い切ったジョニー。
カリオンはジッとジョンを見ていた。
「どうしたんだよ」
カリオンは僅かに首を傾げた。
どこか哀しそうな目でジョニーを見ていた。
「なぁジョニー。俺は…… 俺はそこまで価値がある人間か? ジョニーの人生を振り回すほどの存在か?」
カリオンは混じりっ気の無い純粋な瞳でジョンをみつめていた。
その姿にジョンは悟った。自分では立ち入り出来ないような場所で、カリオンは恐ろしいものを見てきたのだと。
「今更になってなに寝言いってやがる!」
ジョンの手がカリオンの背を叩いた。
「こりゃよぉ 俺の欲って奴だ。親父はウダ王子の側近だ。だけど俺は違う。俺は王の側近になる。そして親父を見返すのさ。親父より出世してやんだよ。これ以上登れねぇってル・ガル貴族のてっぺん目指してよ!」
ジョンの手がカリオンへ向けられた。
「おぃエディ! おめぇは必ず太陽王になれ。俺の為に。俺は太陽王最強の側近として。最強の丞相になってお前を支える。この命が果てる時まで、絶対のお前を裏切らねぇ。お前が俺の為に生きてる限り、俺はお前の為に死ぬ」
カリオンは拳を突き出した。
その拳へジョンが拳を当てた。
「わかった。俺は太陽王になる。お前の為に」
「おっと、大事な事を言い忘れたぜ。俺はお前にとっちゃ二番目だ」
「なんで?」
ジョンの手がカリオンの肩を叩く。
「一番目は彼女の居場所だろ? 女を泣かすなよ」
「……だな」
「一回ぐらいは彼女の家に行ったんだろ?」
「いや、ぜんぜん行けなかった。そもそも、リリスの実家はカウリ叔父さんの家だ」
「……あー なるほど。行きたくても行けねぇわな」
「だろ?」
ジョンの目が下世話な世間話モードになった。
単なる知的好奇心で満たされたらしい。
「じゃぁ、何やってた?」
「実はさ」
カリオンは全部正直に話をした。セダの付き人として政治を学んできたと。
そして、その途中でカリオンは信じられない話を耳にしたのだと。
「……ウダ王子」
ジョンは立ち尽くした。
驚きに震え二の句をつけ損ねた。
「シュサじぃが亡くなったあと、残存戦力七個師団を再編したウダ公は雁行の陣を敷いてネコの軍勢に襲い掛かったそうだ。手順は簡単だ。敵を深追いせず真っ直ぐに走りきれ。所定のところまで走りきったら、反転して再侵攻する。陽動と実働を繰り返すネコの軍勢に対する即興で最も効果的な対処法だったらしい。実際ネコの側は二個師団程度だったらしく、その大半を討ち取ったそうだが……」
溜息をこぼしたカリオン。
ジョンも沈痛な表情だった。
「ウダ公が行方不明って、どっかで討たれたか?」
「いや、それなら遺体を収容する筈だ。だけどそれがない」
「ネコに喰われたか?」
「どうだろうな。軍使を立ててネコの奴らに聞いたらしいが、向こうも混乱してて確認していないと言いきったらしい。見つけた場合は騎士道の精神を持って丁重に葬り、遺骸は必ず引き渡すと約束したそうだ」
ジョンの目が恐ろしく怪訝な色を含んでいた。
眉根を寄せ、ジッとカリオンを見ている。
「続きが……あるんだよな? エディ」
「あぁ」
カリオンは部屋の中を一巡り見て誰も居ない事を確認し、ついでに廊下まで見に行ったあと、ドアを閉め、窓も閉め、最後には緞帳を下ろしてしまった。薄暗い部屋の中で男二人が見詰め合っているのだが……
「ネコの国と行き来する行商人の話だが、ネコの国の辺境部。都とは違う辺りらしいんだけど、そこでル・ガルの高級将校の軍服を着た遺体が街の広場に放り投げられていて、街の住人が石を投げたり棒で殴ったりしているらしい。その行商人は遠めにしか見られなかったらしく、近くへ寄っていこうとしたら、街の警護をする剣士に止められたそうだ」
ジョンの手がギュッと握り締められた。
筋肉が軋み骨が鳴るのだけど、ジョンは気にしていない。
「夜中、こっそりとそこへ行こうとしたその行商人は、真っ暗闇の中でその高級将校の遺体を確かめたらしい。その時、襟章を引き剥がして持ってきたそうだが、生憎ネコの騎兵に見つかってしまい、荒野の中を相当追跡されたそうだ。最終的にイヌの国軍に保護されたらしいが、その時に渡された襟章には剣を握った双頭の鷲が陽刻されていたそうだ」
カリオンはもう一度耳を澄まして辺りの音を確かめ、まずは廊下を開け、次に窓を開けた。部屋の中で立ち尽くしているジョンはうな垂れて震えていた。
剣を握った双頭の鷲。それはウダ軍団に共通する軍旗にもなった紋章だった。
つまり、ウダ本人かそれに近い高級官僚の誰かだ。
「そんな馬鹿な」
「ル・ガルとしても公式に抗議するわけにも行かないし」
「そりゃ…… おかしいだろ!」
激しく憤るジョン。
だが、カリオンは沈痛な表情だった。
「仮にその遺骸が偽者だった場合、ル・ガルはどうする?」
「……そりゃ」
「もしそれが罠だとした場合。ル・ガルは勝手に因縁つけたと笑われることになる」
「そりゃそうだけど」
カリオンも深く溜息を吐いた。
厳しい所でギリギリの判断をする政治的な駆け引き。
馬に跨り剣を振っているほうがナンボか楽だとカリオンは感じた。
「もしその遺骸が本物なら、俺達は堂々と侵攻する大義名分になる。だが、それを誘うネコの側の罠だったら、俺達を共通の敵とする他種族連合軍の再結成に大義を与えることになる。俺達がやりたいのはネコの息の根を止めるんじゃなくて絶対安定圏を手に入れることなんだ……」
深い深い溜息を一つ吐いて、カリオンはちょっと斜の構えでジョンを見た。
その立ち姿にはなんとも言えない哀愁があった。
「政治の世界は難しすぎた。正直、ちんぷんかんぷんだ。行くとこ行って精一杯殴ったほうが早いと思うんだ。だけど、そればっかりでも世の中が回るもんじゃないってわかったんだ。なんだか、自分がここにいるのがすごく疑問に感じてしまって」
それきり言葉を失ったカリオン。その向かいに座っていたジョンも黙ってしまった。
だが、唐突に部屋へ言葉が響く。いつの間にかギャレット隊長が部屋に居たのだった。
「カリオン。軍人心得を思い出せ」
「…………」
一瞬何のことだか思い出せなかったカリオン。
だが、ギャレットは大声で暗誦を命ずる。
「軍務心得!」
その言葉にカリオンとジョンはそろって背筋を伸ばした。
「軍務にある者は忠節を尽くし、礼儀を正し、武勇を尊び、信義を重んじ、質素倹約を旨とすべし。これ、天地の大道なり。軍務にある者はこれを信奉し、誠心誠意を持って国家の安寧に尽くし、国民に奉仕せよ。さすればこそ国民悉く軍務を理解しその働きを援け、諸君らの働きに感謝せり。百年兵を養うは、ただ一日の用に充てる為である。我欲を捨て他利に生きよ。これ、ル・ガル軍人の根本なり」
士官学校で徹底して教えられるシビリアンコントロールの意識。
その暗誦を行いながらカリオンは気がついた。
「わかっただろ?」
「はい」
「セダ公だって戦争なんかしたくないんだ。戦争となれば俺たちはもちろん喜んで戦場へ行く事になる。それについて一切不平不満はない。だが」
「そうですね。残された者が辛いはずです」
「その通りだ。だからこそ、できる限り戦は回避する。それが政治だ」
ギャレットは拳を作ってカリオンの胸をたたいた。
割と遠慮のない強さだと驚いたカリオン。
しかし、ギャレットはまっすぐにカリオンを見ていた。
「俺は。俺やジョンや多くの者はその軍人になる。国民を守る為に。だけど、お前は、ここに居る士官候補生の中でお前だけは違うんだ。国民を守る俺たちを、いつの日かお前の為に喜んで死んでいく俺たちを守る存在になるんだ。だからこそ……」
カリオンは胸を張って敬礼した。
「また一つ、教えていただきました。ありがとうございます」
ギャレットはわずかに首肯し、カリオンの敬礼に応えた。
そのわずかな動きをジョンが黙って見ていた。
一人の王を育てようとしている大きな思惑を、ジョンもギャレットも気がついていた。
「さぁ、そろそろお前たちの番だ。新しい一年生が入ってくる。面倒は多く、教えることも多い。だが、士官学校を無事卒業出来るかどうかは最初の三カ月に掛かっている。ここの流儀をアイツらに教え込め。ルガル軍人精神を教育するんだ。たった一日。決戦を勝つ為に」
ギャレットの言葉を聞いたカリオンとジョンは背筋を伸ばし敬礼で応えた。
同じタイミングで校庭から候補生候補の『ありがとうございました!』の声が聞こえた。
チラリと見れば見覚えのある背中が先頭に立っていた。新連隊長のスティーブンだ。
候補生候補を率い、午前中はひたすら動き続けたようだ。まだ童顔の残る候補生候補が大きな口を開けてヘバっていた。
「先ずはアイツらに飯を喰わせよう。話しはそれからだ。行くぞ」
ギャレットはカリオンとジョンを率い部屋を出て行った。徹底してストレスを掛け続け、士官として適正が無い者を振り落とす四年間が始まろうとしている。
一年前の日を思い出しながら、カリオンは廊下を歩いて行った、
なく子も黙る上級生の威圧感をいつの間にかまとっていたのだった。
――――半年後
学生指導室の中。
カリオンは叔父カウリと二人だけで話し込んでいた。
ロイエンタール伯の姿はない。完全にプライベートな身内の話しだった。
「カウリ叔父さん。僕だけこの戦争で楽をするわけにはいきません。僕もアージンの男です。義務を果たします」
「だか、今回は危険があまりに大きいのだ。そんな場所へだな」
「大丈夫ですよ、心配いりません。だってほら」
カリオンは、いつの間にか逞しくなった胸板を見せた。
太陽神と契約した傷跡がそこにあった。
「僕は太陽王になる男です。僕には太陽神の加護がある」
笑顔で言い切ったカリオンを叔父カウリは眩しそうに見ていた。