ネコの使者
~承前
「いやいや、長生きはするものだな」
なんとも上機嫌でガルディブルクへとやって来たエゼキエーレは、ウォークの案内で城へと入った。と言っても、年末年始のバタバタが続いている関係で、プライベートエリアへは、未だ入れないのだが。
「あぁ、遠いところまでよく来たな」
城の中にある客人を待たせる一室。瑪瑙の間に通されたエゼキエーレをカリオンが待っていた。通常であれば客人を待たせ、あとから王が来るもの。だが、カリオンはエゼキエーレの到着を待っていた。
「おやおや。なんて事だ。太陽王を待たせてしまうとは罪深いな」
エゼキエーレは上機嫌のまま部屋に入った。
王都で暮らす者でも中々立ち入れないエリアへと入ってきたのだから。
「ふ……気にすることはない。で、いきなりどうしたと言うのだ」
なんの用があってわざわざガルディブルクまでやって来たのか。
カリオンはそこから入った。
「道のりは長いが……半分はお役目だからな」
エゼキエーレはウィンクしながらそう言うと、手近な椅子に腰かけた。
テーブルを挟みカリオンと差し向かいになったエゼキエーレは、時宜の挨拶も抜きに本題へ切り込もうとしていた。
「お役目?」
「あぁ、実は……まぁ、イヌには何ら関係ない話だが……ネコの国が限界なんだ」
エゼキエーレの切り出した言葉には如何様にも解釈できるあそびがあった。その言葉を額面通りに受けとることはできないので、カリオンもまた黙って事態の推移を見守る事にした。
「実は……まぁ、これは話をしても仕方がないことだが、唐突にシシの国より使者が来て、ネコの国に捕らわれている輩を返せとエライ剣幕で捲し立てられた」
……は?
必死で表情を変えずに頑張ったカリオンだが、それでも僅かな変化を見せてしまっていた。それほどに唐突な話だった。
「ライオンが……か?」
シシの国。ネコの国ではライオンの国家をそう呼んでいるらしい。カリオンは僅かな会話からそう解釈したのだが、その内容は相当重い話になるのが間違い無いのだと覚悟を決めた。
「あぁ、そうなんだ」
エゼキエーレは恰幅良いその姿を縮めるようにしてため息をこぼした。常識的に考えて、ネコがライオンを捕らえることなど出来ないだろう。そもそもに身の丈が全く違う上に、その力も牙の鋭さも全く違う。
そして、何より大事なのは、ネコにそれをする理由が思い当たらないのだ。幾らネコが享楽的な生き方をしていると言っても、ライオンの子を誘拐してどうにかするなんてリスクを取るとは思えない。
「しかし、なんでまたそんな話を?」
分からない話だらけで混乱しているカリオンだが、エゼキエーレはそれを歯牙にも掛けず話を続けた。ただ、そこにあるのは全面的な信用と信頼だ。相手を侮ったり甘く見たりしているからでは無い。
「それが……だね……」
ひとつ息をはいたエゼキエーレの口から、とんでもない言葉が漏れた。
「シシの使者が言うには、ネコの国に捕らわれている子供を返せと言うんだ」
……子供
カリオンの顔から表情がストンと落ちた。
何を考えたのかは言うまでもない。あの圭聖院が一枚噛んでいる可能性だ。
「エゼキエーレ。単刀直入に聞く。そのライオンが探していた子供。それはヒトとの重なりか? しかも、男と女、両方の性を持つ存在」
カリオンの表情がグッと厳しくなった。それを見てとったエゼキエーレの表情もまたスッと鋭利さを帯び始めた。まるで線を引いたように細い目をクワッと開き、ジッとカリオンを見てる。
ただの坊八な娼館の亭主ではなく、もうひとつの顔を表に出したネコの世界のマフィアがそこにいた。幾多の困難を乗り越えてきた、ネコの国のインテリジェンスを受け持つエージェントだ。
「その通り。さすがだ」
エゼキエーレは素直にそれを認めた。そして、その続きを言おうかどうしようか迷う素振りすら見せず、遠慮無くネコの国の真実を吐き出した。
「最初、シシはネコの国の中の豪商や有力貴族をシラミ潰しに当たってね。我が家にもやって来て館の中を洗い浚い改めていった。店の中がしっちゃかめっちゃかでね、後片付けが終わるまでに2週間も掛かったよ。だがね――」
ちょうどウォークによってお茶がサーブされ、遠慮無くそれに手を付けたエゼキエーレは、意図的に間を作っているのだとカリオンにも解る態度で人払いを待ったらしい。
ややあってウォークがポットを可搬テーブルに戻すべく離れると、静かに続きを切り出していた。
「――彼らはもう血眼になって探し回って、最後は王宮にまで土足で踏み入り、我等が女王に要求を突き付けた。隠しているならすぐに出せ。隠していないなら、探し出すのを手伝え。それも出来ないなら我等を支援しろ……とね」
ネコにだってそれ相応のプライドがあるのは言うまでも無い。
おそらく女王は全てを拒否する腹だったのだろう。だが、最後に付け添えられた支援の話を飲む事で、交渉はギリギリの成立を見たのかも知れない。
「で、支援の内容は?」
「……さすがだな」
エゼキエーレはカリオンの成長を感じ入り、満足そうに笑みを浮かべた。
ただ、その笑みがスッと陰り、カリオンは奥歯をグッと噛んだ。
「シシは食料を要求した。このままイヌの国まで探しに行くので飯を喰わせろ。そして、形態糧秣を用意しろと。だがね、彼らは本当に肉を喰らうんだよ。それも半端ない量でね。おかげでネコの国の家畜は食い尽くされそうだった」
ハハハと笑い声を混ぜながらエゼキエーレは言った。だが、それが冗談や酔狂の類いで無い事などカリオンには全部解っていた。
ル・ガルへと侵入したライオンの軍勢に相当手間取ったレオン家を見れば、彼らがネコの国でどんな腹拵えをしたのかよく解る。とにかく飯を喰らい、気力体力共に充実した状態でやって来た彼らは、撃退に大いに手間取った。
「……さぞ、困窮してる事だろうな」
「あぁ。だからこそ、私がここに派遣されたのだよ」
この辺りでカリオンも全体像を掴んだ。ネコの国は食糧などを支援して欲しいのだ。だが、イヌの国に頭を下げるのは絶対に嫌で、出来るモノならやりたくない。しかし、現実に国民は飢えている……
こうなった時、ネコの王権内部でどんな判断が行われたのかはだいたい察しが付くと言うモノだ。頭を下げて恵んでもらうのでは無く、交易という形でイヌの国から買い取るシステムにするのだろう。
――使えるな……
カリオンは内心でニヤリと笑った。だが、その直後にハッと気が付いた。キツネほどでは無いが、ネコだって相当な魔術を行使する存在が居る筈だ。ル・ガル内部で行われている事を感じ取り、逆にそうちょっかいを出して来た可能性があるのだと思い至った。
――あり得るな……
一瞬の間に様々な事を考えたカリオン。
その姿をエゼキエーレが黙って見ていた。
「……続けて良いか?」
「あぁ、すまぬ。ちょっと自分の思慮に沈んでいた」
相談のイニシアチブを僅かな隙で奪われたカリオンだが、逆に言えば幾らでも喋らせる事が出来るポジションに来た。
「構わず続けてくれ。何が目的なのだ?」
そう問うたカリオンはジッとエゼキエーレを見た。
ここが勝負所だと直感し、相手を打ち据える体勢になったのだ。
「ル・ガルの余剰食糧を売って欲しい。まともに商売して欲しいのだよ。ネコの国内では新年を祝うワインですら事欠いている有様だ。その代わり、ル・ガルが求めるモノについては、ネコの国内にあるものならば、何でも提供する用意がある」
エゼキエーレは交渉事における条件闘争の一切をすっ飛ばして、ネコが出来る最大限の譲歩を最初から提示してきた。それ自体がエゼキエーレとカリオンの信頼関係の証でもある。
ただ、逆に言えば再交渉の余地が無い、一発勝負でもあるのだ。つまり、慎重に条件をすり合わせ、こちらの要求を呑ませる都合がある……
「ならば…… うん、そうだな。こうしよう」
カリオンは予てよりル・ガル内部で揉んで来たネコとの交易条件についてを提示した。ネコの国の中央に領事館を作り、そこを窓口に食料の供給公社的なシステムを構築。そこで現金と引き替えに食料を売り渡すのだ。
「……ただし、実は我々もある者を探している」
エゼキエーレの見せた信頼に乗る形で、カリオンは勝負に出た。
その姿を見ていたエゼキエーレは『なんだろうね?』と身を乗り出した。
「実は……余の父の忘れ形見を探している」
その言葉にエゼキエーレはニヤリと笑った。
「ヒトの子かね? それならおやすい御用だ。実はいま、私自身がヒトの売買に手を染めているのだがね、実体はヒトの子の保護だ。どんな者だか教えてくれれば、十全を尽くして保護しよう。大丈夫だ任せてくれ」
エゼキエーレは恰幅良い笑顔でそう言うのだった。