トラとネコとイヌと食料
~承前
「トラ……だと?」
「はい」
年の瀬が押し迫った頃、国境を警備するセクションが報告が上がってきた。
大量の女児をつれたヒト買いの商人がトラの国へ向かっているとの事だ。
先に通達の出たカリオンの方針に従い、国軍の国境警備所は国内を通過する商人達のチェックを一段厳しくしていた。その網に引っかかった商人がいたらしい。
「で、お前の見立てはどうなんだ? ウォーク」
プライベートルームの中で寛ぐカリオンの元へ来ていたウォークは、報告書のページをめくりながら思案して答えた。至極単純な結論ながら、少なくとも間違いないなと思うものだった。
「どこかに大量の秘薬を溜めている組織があるか、若しくは純粋にヒトの授産施設を作り金儲けしようとしているかの……どちらか」
ヒトが金になるのをもはや否定することなど出来ない。その大半が茅町等を中心とするヒトの集落の存在だった。いまやこの世界の各所に着々とヒトの集落が出来上がりつつあるのだ。
様々な種族国家の中で、それぞれにヒトの街が出来上がりつつあり、そこにはヒトの世界の知識と経験が集まりつつある。恐らくそれはル・ガルの見せた圧倒的な戦闘能力を垣間見た結果だろう。
ル・ガルと同じことを、ル・ガルと同じ規模でやる。その結果、対抗措置が生まれてくるかもしれないのだ。いや、もしかしたらより一層の『なにか』を産み出すかもしれない。
そんな甘い期待と願望が、各国に思わぬヒト需要を産み出していた……
「まぁル・ガルと同じことをしようとしている可能性は十分にあるが……それよりも……なんだ。その商人は何処にいるんだ?」
カリオンの問いにウォークが資料をめくって答える。その商人はネコとの国境を12月初頭に通過し、恐らく今月終わりにトラの国へと出国するだろう……と。通過旅券はトラの国が発行したもので、身分保証はトラの国の豪商らしい。
「捕らえますか?」
ウォークはカリオンに決断を求めた。仮に『やれ』の指示が出れば、国軍はすぐにでも動いて、当該の商人を捕縛するだろう。だが、明確な犯罪では無いので、大義名分が必要なのだ。
「さすがにいきなりは無理だろうな……」
カリオンも頭を捻るが妙案は出てこない。
報告書に寄れば、その商人の馬車には女児が合計で22人乗っているとの事。
「えぇ…… それに、いくら何でも頭数が……」
さすがのウォークも及び腰になる理由。
それは、連れて歩いているヒトの女児の問題だ。
仮に逮捕ともなれば、その商品は没収される事になる。
だが、嗜好品でも食料品でも無く、動産としての存在なのだ。
「迂闊な事は出来んな」
それこそ、後を付けて歩いて、子供達がどうなるかを見届けるしか無い。
ただ、そんな時にふと、サンドラが口を開いた。
「トラ……ねぇ……」
「何か知ってるのか?」
その呟きに反応したカリオンが問うた。
サンドラはしばらく思案した後で言った。
「城の魔導師の中にトラが居たでしょ。協力を仰げないかしら」
普段は城の地下にある研究セクションに居る存在。
まだまだ修行中ながら、見所のある奴だと評価されているルフだ。
「そういえばそうだな。ルフはトラだった」
完全に頭から抜け落ちていたとカリオンは己を恥じた。
トラの国から来たルフは、黄色と黒の縞模様な体毛の立派なトラだ。
ただ、ルフに何をさせるんだ?と、そんな目でサンドラを見たカリオン。
サンドラは僅かに考えてから切り出した。至極真面目な声音だった。
「彼に接触を依頼したらどうかしら」
接触を依頼する……だと?
首を傾げたカリオン。
その様子を見て取ったサンドラは、驚く様な提案を行った。
「城からお金を出して、その女児全員を買い取るの」
「買い取る? 同じトラだからか?」
「えぇ」
サンドラは酷く真面目な顔になって言った。
少なくともそれは、伊達や酔狂じゃない言葉だった。
「商人なんだから利に聡いはず。ル・ガルに売る事が利となれば、ほっといても女児は集まるはずよ」
サンドラの視点はそこらしい。ただ、悪くない提案だった。
ル・ガルにドンドンヒトを集めれば良いのだ。やがて必ず当たるはず。
少々意表を突く作戦ながら、筋は良い。
「よし、早速動こう。ウォーク。ルフを呼んでくれ」
「畏まりました」
執務室を出て行ったウォークを見送り、手持ち無沙汰になったカリオンは書類を読む事にした。今日の報告では農事関係の調査報告が多かった。
「そうか…… 来年は小麦が豊作になりそうか……」
世界最大の工業力を持つル・ガルだが、実際にはまだまだ農業大国だ。
莫大な量の食料を生産し、様々な形で世界にバラ撒いていた。
1つ溜息をこぼしたカリオンは、その報告書を読み進めた。
小麦を含めた穀物類の作付けはかなり順調だったようだ。
その他にも根菜類などが今期は良く育ったという。
「女児と食料とを交換とかも良いわね」
半ば冗談のように言ったサンドラだが、考えてみれば満更でも無い話だ。提案する価値はあるだろうな……と、そんな事をカリオンは思う。ただ、地下からやって来たルフがそれに遠慮無く駄目出しし、話は振り出しに戻るのだった。
「陛下…… そもそもトラの国は農業大国ですぜ」
……そうだった
それを思いだしたカリオンは、少々ガックリ気味だ。地球最大の農業大国はロシアだが、それに比肩する国家といえば、アメリカかカナダか中国かと言った、面積の広い国が並んでくる。
だが、国家の基幹産業として農業を押し進める国家はフランスやオランダと言った西欧諸国の中にも散見されるくらいだ。そして、アフリカ諸国や中央アジア諸国だけで無く東南アジアや南米地域にも、農業を基幹産業とする国家はある。
窒素固定法のないこの世界において、食糧の安定供給を行える国家は、その全てが農業大国と言って良い。そしてその中でも、ル・ガルについで食料を世界に供給してるのは、実はトラの国だった。
「兵糧攻めは無理か」
ぼやくようにそんな言葉を吐いたカリオン。だが、ルフは畳み掛けるように続けた。改善案と言うにはいささか物騒ではあるが……
「それこそ、トラの国に攻め込んで、穀倉地帯を焼き払うくらいの事をすれば話は別でやしょうけど…… それこそどっちかが亡びるまでの戦になりますぜ」
概ねトラはプライドが高い連中だ。気位などと言ったモノでは無く、どちらかと言えば『他人は他人。自分は自分』を貫く、ロックな生き方と言って良い。そんなトラが武力で横っ面を叩かれたなら、勝ち負けは関係無く戦に及ぶだろう。
勝つつもりなど無いが、自分の納得する形で戦って死ぬ事には最大限努力する。そんな気風がトラの中にはある。それは、ルフを見ていれば分かる事だった。
「むしろネコの国に食糧供給すれば?」
ルフと共にやって来たウォークはそんな提案をした。カリオンの目が『続けろ』とウォークを見つめ、僅かに思案してから言葉を続けた。
「ネコの国にル・ガルの食糧供給公社の出張所を設け、そこでネコと交易する形にし、そこでヒトの女児を連れてきたら市場価格の3倍くらいで穀類などと交換してしまうように」
ある意味ではヒトの価値を最大限に高める方策かも知れない。いまだ食糧供給に不安のあるネコの国でそれをやれば、凄まじい勢いで広まるだろう。ただ、そう簡単には問屋が卸さないのも解っている。
そも、イヌとネコは不倶戴天の敵を通り越しているのだ。
「ネコが飲めば良いんだけど……」
サンドラがボソリとそんな言葉を漏らす。
ただ、救いの神とは行かなくとも、思わぬ援軍はこんな時に現れるのだった。
――――陛下!
――――おくつろぎの所を失礼いたします!
部屋の外でヴァルターが声を上げた。
カリオンは一瞬だけ間を置いて『どうした?』と返した。
その声を聞いたヴァルターは背筋を伸ばしたままカリオンのリビングへと入ってきた。城内というのに帯剣したままだ。
「ただいま城下にネコの使者が参りまして――」
その切り出しに、カリオンは思わず『ほぉ』と返していた。
興味深そうだなと思ったヴァルターは、音吐朗々に報告を続けた。
「――近日、ネコの国の特使としてエゼキエーレ氏が来訪されるそうです」
それを聞いた全員が『チャンスだ!』と、そんな顔をした。
カリオンも同じように表情を変え、『解った』と首肯するのだった。