新しい戦術
ビッグストン王立兵学校の校庭にあるル・ガル帝國の国旗が半旗の朝。
第三大講堂には昇年を控えたポーシリが集められ、戦術講師であるエリオット・ビーン子爵によるポーシリ最後の大講義が行われていた。
内容は、先の太陽王シュサが戦死した戦闘についてだ。
ただ、それを聞く学生の四分の一は、眠そうな目を必死に開けている状態だったが。
黒板の戦術機動を書き写しながら、カリオンは大きく欠伸をした。
チョークで事細かに書かれた平面図は、書き写すだけで一苦労だった。
その間も次々と欠伸が襲いかかってくる。しかし、講師に見られると色々拙い。
必死に噛み殺しながら、にじんだ涙を指で拭って、ポケット内側で拭いた。
教師講師への侮辱行為は問答無用で懲罰だからだ。
「ねみぃな」
「あぁ。ついでに今日は太陽が黄色い」
「おいおい……」
ダルそうなカリオンとジョン。
その向こうに居るアレックスは目を開けて寝ていた。
「何回?」
「三回目からは数えてねぇ」
「そりゃご苦労さん、彼女もきっと眠いぜ」
「いや、リリスはよく寝てた」
「おまえは?」
「リリスに腕枕貸したんだが」
「痺れて寝れなかったんだろ」
「当たり」
「みんな一回はやるよ」
朝五時にリリスを送り、お別れのキスをしてから急いで帰ってきたカリオン。
愛馬レラを馬房へ入れて飼い葉桶と水を与え、それから馬の背を流ししっかりと手入れして部屋へ帰った。疲労困憊で眠さもピークだったのだが、自己責任で遊んだ以上は寝ることなど出来る訳がないし、今日一日頑張るしかない。
今日は一日酷いことになると覚悟を決めての支度を整えたのだが、朝の体力錬成が過去記憶にないほどきつかった。時間を切られたマラソンではギリギリのタイムだった。これではマズイと苦笑いしたのだが、問題はその後の授業だ。
とにかく目を開けてるだけで拷問に等しい。意識レベルが一気に低下し、目を開けたまま眠りかねない状況だ。だが、戦術講義の後には必ず小論文作成が待っている。講義に出た実戦の考察を行い、問題の指摘とより良い勝ち方を考えねばならない。
つまり、講義中に寝ることも不可能に近い。
小論文を白紙で出そうものなら、審議委員会に呼び出され査問を受ける事になる。
付き添いでやってくる歴戦のヴェテランですらもドアを開けるのを躊躇うと言う。
戦線に単騎取り残された時より緊張したと言う者が続出するところだ。
カリオンだって出来れば御免被りたい。
「しかし、厄介な事しやがるな」
自分の指先を犬歯で噛み付いて目を覚ましたカリオンは、隣のジョンに同意を求めた。
だが、そのジョンは涎を垂らし、アレックスと同じく目を開けたまま寝ていた。
「おぃジョン。リディアがもう一回だってよ」
「無理無理。もう粉も出ない。タマが痛ぇ」
「アホか。とりあえず起きろ」
意識レベルが覚醒したジョンは、黒板を睨み付け驚いた。
見事な挟み撃ちなのだが、その挟み方がえげつない程だった。
「なんだこりゃ」
「だろ?」
部隊を三つに分け全く違う機動を行いつつ、有利な地形な条件の場所に誘い込み、左右から矢を射掛けて騎兵が突入してくる。シュサ帝の得意とした鶴翼や魚鱗と言った陣形を見事に崩し、それだけでなく潰走したように見せかけ追跡させるしたたかさだ。
釣られて本陣が突出した所を徹底して叩くのだろう。
寡兵を持って大軍と戦うなら、実に理にかなったやり方だ。
「シュサ帝なら追跡するわな」
「うん。じぃちゃんだけじゃなく、士官学校で戦術を学んだなら、好機逃すまじって突撃しちゃうよ」
思考回路のパターン化と言う問題はずいぶん古くから指摘されてきた事だ。
だが、笛やラッパ、そして太鼓と言った以外に多くの兵士へ一斉に命令を伝達する手段が無い以上、矢を射掛けられ多大な犠牲を出す事と引き替えに密集陣形をとって戦う以外、臨機応変に戦術を変えるというのは不可能に近い。
伝令を走らせ方針の変更を伝える事は出来でも、場面場面でどう戦うか?は各指揮官に委ねられる。この場合、乱戦になって同士討ちや友軍同士で矢を放ち合う失態を避けるには、ある程度戦術知識の共通化を計るしかない。
つまり、全く新しい戦術を経験したしきはアドリブで対応しつつ、士官学校の講師ならどうするか?を考えながら戦う事になる。
そうでなければ、新しい戦術に翻弄される友軍に叩かれる事になりかねない上に、敵側がそれを前提とした作戦を取ってきた場合、対応が全て後手に周り致命的な敗北を喫する事になるのだ。
魔法を使った意思疎通はまだまだ未熟な机上の空論に過ぎず、気心知れた将軍同士で『あいつならこうするはず』を信じながら手探りで戦うしかない。
「エディならどうする?」
寝ていた筈のアレックスがエディに質問した。
ジョンもカリオンを見ていた。
「コッチを誘い出したいなら待つしかない。ただ、待ちに入ったら矢が厄介だ」
ジョンは黒板を凝視している。
冷静になってみると、敵側の動きは単純だった。
つまり、陽動と実働しかなく、攻められる側、つまり、イヌ側が何処へ噛みついても陽動と実働をすぐに入れ替え出来るようになっている。
「これよぉ ネコのヤツら、相当演習してんじゃね?」
ジョンの漏らした言葉をビーン子爵が聞いたらしい。
「君! 所見を述べたまえ」
講師に指差されたジョンは立ち上がった。
黒板を前に戦術所見を素早く考えまとめた。
「敵側戦力の機動目的は流動的に入れ替わっているように見られる。陽動と実働の二種類しか戦術目的はなく、しかも味方側の対応により実働班は素早く陽動に。陽動班は流動的に実働班へ変わり、機に応じ痛撃を加えつつ、一点に留まらぬ動きを見せつけ、味方側の追跡を誘う罠を展開。指揮官に誤断を生じさせ、戦線を崩し、飛び出した所を三方より叩かれる悪循環に陥らしめる戦術かと」
ジョンは一度息をついてから、再び胸を張った。
立派な貴族士官の姿をしているとカリオンは思った。
「これは敵側にもかなりの戦術訓練を要するものと思われ、様々な戦局に応じ適切な対応の階層化を計っているものと思われます。つまり、ネコ側は相当以前より戦略を立て綿密に検証し、新しい戦術を行う上で問題点を洗い出し、尚且つ、それを実行する集団での演習を繰り返す事によって意思疎通の齟齬が無いよう、徹底的な打ち合わせを繰り返したものと所見します。以上、報告終わり」
立て板に水で述べたジョンの言葉にビーン子爵は満足げな笑みを浮かべた。。
「寝ているばかりかと思ったが、キチンと講義を聞いていたようだ。たいへんよろしい」
居眠りがバレてヤバいと青くなったジョン。
だが、講師も満足行く所見を述べた事で名誉を挽回したようだ。
「さて、そろそろ昼だ。諸君らの眠さも限界だろう」
ニヤリと笑ったビーン子爵は講堂の中をぐるりと一周睨め回した。
半分程度がだらしなく口を開けて眠り掛けていた。
「私の所見を述べるので記録するなり聞き流すなりすきにしたまえ。その後で昼食だ」
ビーン子爵は黒板へ黄色と赤のチョークで書き込みを加えた。
「当初戦術はありきたりな横列包囲線に穿孔突撃を行うものだった。だが、中央付近で一点突破を計った敵側は、我が軍の第一防衛線を突破した時点で反転。我が軍はその追跡を始めてしまった。この時点で既に致命的な失敗を犯したのだ……
ビーン子爵は淡々と所見を重ねていった。
酷い眠さに船をこぎ掛けたカリオンは、突然何かを思い出し黒板を見た。
「釣り野伏せだ」
「ツリノブセ?」
「あぁ。父上が教えてくれたヒトの世界の戦術だ」
「簡単に言えば?」
「まんまこれ」
カリオンは自分のノートにあれこれと書き始めた。
過日。ゼルと共にシウニノンチュを駆け回って覚えたヒトの世界の戦術。
馬に乗って走りながらゼルはエイダに動き方の基礎を教えた。
剣術でも戦術でも基本は変わらない。それは実際の戦闘でも政治的な戦闘も一緒。
――――偶然の勝ちはあっても偶然の負けはない
――――幸運な勝ちはあっても不運の負けはない
――――勝つのは時の運だが負けは自分の不注意だ
カリオンの描いた基本戦術は三種類だった。
「これが全ての基本。勝つ為には三対一で掛かる事。マンチェスターだかウィンチェスターだかの法則……だっけな?そんな名前だった。そして二つの線が螺旋を描きながら絡み合う様に動く。つまり、止まっちゃいけない。動き続ける事。兵は拙速を尊ぶ。常に先手を取る事。だけど、後の先はもっと効く。そして最後はこれ。柔よく剛を制す。陣を固めすぎない。思考を固めすぎない。戦術を固めすぎない。勝利に固執しない。ヤバイと思ったら後退する勇気」
しっかりと書ききったカリオンのノート。
それを覗き込むジョンとアレックスは、書き込まれた内容に驚く。
ゼルが教えた事は基本中の基本だ。だけど、改めてそう書かれると驚く。
回り込んで挟み撃ち。左右から挟み撃ち。三方から挟み撃ち。
数的有利を作り、一気にたたみ掛けて回復の時間を与えず、勝ちきる事を狙う。
戦争の基本は結局これなんだと再確認するのだが。
「ほう。面白いものを書いているね」
半分程度しか書かなかったカリオンだがビーン子爵も興味深そうに見た。
「後でじっくり読ませてもらおう」
「お恥ずかしい限りです」
ビーン子爵はじっくりとカリオンを見た。
ふと、何かに気がついた様にニヤリと笑う。
「君はル・ガルの戦術そのものを変えてしまうかもしれないね」
「そうですか?」
「今回の敗北でもっとも致命的だったことはなんだと考える?」
もう一度黒板を見たカリオンは少しだけ考えた。
だが、案外簡単に結論を出した。
あれこれ面倒を考えずシンプルに考えれば良いのだ。
「先入観念と思考の硬直化でしょうか」
「うん。正解だ。と言うより、私と同じ結論だ」
「やはり」
ビーン子爵は満足げにうなづいて部屋を出て行った。
基本、軍人ではなく研究者でしかも相当な学者肌である子爵は敬礼を嫌う。
故に、授業の始まりも終わりも、いつもこうやって曖昧だった。
「さて、飯にしようぜ」
「そうだな」
椅子から立ち上がったカリオンとジョン。
「おぃ! デブ! 起きろ!」
「もう無理だって……」
にやけ面でムニャムニャしているアレックス。
そんな姿をカリオンは笑ってみていた。
――――昼食時
まもなく昇級となる故か、最近は上級生による追求の手がすっかり弱くなっていた。
そしてカリオンが正体をばらした結果、上級生は何処か腰が引け、遠慮していた。
しかし、第一中隊のギャレット隊長だけは遠慮も容赦も無い。
それがなぜ必要か?を良く理解しているだけに、カリオンの追求を止める事はない。
「今日の献立は?」
「生野菜。牛肉のサラム。芋と小麦のナンチャ。牛乳の野菜スープです」
「摂食手順は?」
「野菜とナンチャを同時に食べるのが望ましいかと。サラムは野菜スープで」
給仕担当に質問をしていたギャレット隊長は、そのままカリオンを見た。
「サラムの製法は知ってるか?」
「勿論であります。牛肉を燻製にし、脂質を落として乾燥。さらに燻製を複数回繰り返して、保存食とする方法です。高湿潤環境でなければ一ヶ月は持つはずです」
「ナンチャについて所見」
「粉体加工した澱粉質なので焼く事によって乾燥度を上げ、同じく保存食として有用ですが、味が薄いので何らかの調味料が必須です。経口水分を追加しない場合、体水分の不足が予想されるので、注意が必要かと」
「宜しい」
ギャレットもカリオンの立場は良く理解している。
いずれ帝王になる男だ。だからこそここで学んでいる。
一軍を率いるだけでなく、国家を率いる立場になる。
つまり、幅広く全ての分野について一定以上の知識を持ってないといけない。
軍事的知識だけでは帝王は務まらない。
国民や兵士達が何を食べるのか?までを考慮しなければいけないのだ。
だからこそこうやって、健康で健全な食生活を送り、滋養と強壮の関係を学ぶ。
医食同源とは、どんな時代でもどんな場所でも、不変の定理だ。全ての生物が何かを食べて生きている以上、それはどんな者でも変わらない。どこまで行っても、最後は喰うことが重要なのだ。食事を必要とせず魔法で動く人間が生まれてくれば、話は変わるのだろうが。
淡々と食事をしながら、カリオンは上級生の話に耳を傾けた。
今すぐにでも馬に乗って戦線へ行きたいと言う者が多い。役に立つか立たないかは関係ない。自分が何か行動したいのだ。
この学校で暮らす間に、純粋無垢な若者たちは『友軍の為なら』と、命を差し出す事も厭わぬように育てられる。そして、何処へ出しても恥ずかしくない、強い責任感と使命感を持った人間になるのだ。その青年達が、国家存亡の危機にあると感じてしまった。
軍人という職業柄、訓練や演習ですら命を失う危険がある。そして、戦線へ行けば問答無用で戦死の危険が待ち受けている。それでも彼らは、義務と誇りと国の為に身体を張ることも、命を危険に晒す事をも厭わないだろう。
まもなく四年生になろうとしている上級生達は、自己犠牲の精神が国家救済の可能性を持つと本気で信じている。帝國荒廃の危機を乗り越える為に、戦線へ駆けつける事が当然だと信じている。
およそ士官学校と言う所は、両親や親族や教師が望んだ程度で簡単に卒業出来る所ではない。入るのですらも難しいが進級するのはそれより数段難しく、更に、無事卒業するとなったなら、士官候補生本人の強い意思と自助努力と、なにより『覚悟』が必要なのだ。
そうでなければ将来の指揮官になるための厳しい試練を乗り越える事など出来やしないし、部下統率をする上で途轍もなく厳しい自己管理と自己抑制を学べない。
そして『出来ません』や『わかりません』の一言が許されない四年を過ごした後、何処かの師団や連隊へ配属された彼らは『世の中は自分が率い切り開く。社会悪は自分が正す。その為に生まれて来たのだ』と言う思考回路が骨の髄まで染みついた、一般社会では実に扱い難い堅物に育ってしまうのだ。
カリオンは最近になって叔父カウリが何故自分をここへ送り込んだのか?を、だんだんと理解しつつあった。
――――お前はこの人間達を束ねるのだ
ここまで純粋無垢に働こうとする男達をどう御するのか。
たとえそれが他意や悪意や後ろめたい企みだとしても、命令された以上は完全完璧にやり遂げて当然だと思っている男たちなのだ。
「カリオン……殿下は『それはやめてください』
カリオンは真面目な顔で上級生を見た。
「ここで学ぶ以上はポーシリです。今はただの一年生です。自分はまだまだ学ばねばいけません。ですから」
「わかった」
ギャレット隊長の副官として振る舞う二年生アサドは、カリオンの言いたい事を理解した。カリオンどころか緋耀種の名家レオンの跡取であるジョンよりも手足の長い砂漠育ちのアサドは、常識はずれに暑くて、しかも水が少なく乾燥した気象条件に適応した白剛種と言う一族。
遠い遠い昔。砂漠の向こうに住む獅子の一族と激闘を繰り広げた黒耀種と違う意味での戦闘血統だった。
「カリオンはどう思う? 戦線に行くべきだと思うか?」
例の騎馬戦以来、カリオンの戦術眼と戦略的思考には二年生も一目置くようになった。
そのカリオンは僅かに考え、簡潔な答えを出した。
「現状では念入りに分析するべきです。少なくとも偶然の負けでは無いと思われます」
全く逡巡せずそう言い切ったカリオン。
ギャレット隊長も首肯して答えた。
「俺もそう考える。戦闘機動教官のバルクホルン男爵によれば、少なく見積もっても三年や四年の演習が必要だと結論付けられた。つまり、先の祖国防衛戦争が終結した後、我がル・ガルも荒廃したがネコの国家も相当荒廃した筈だ。だが、そんな中で全く益のない演習を徹底的に行えると言う事は、それなりに復興を遂げたと考えて良いはず。つまり」
ギャレット隊長はチョコレートミルクで口を湿らせてから再び論説を述べる。
「ネコも国家として相当に制度を整え、しかも、足腰強く復興を遂げただけでなく、無駄な予算になってしまう部分をキッチリ仕上げてきたと言う事だ。故に、過去の戦役と紐解き、無難な勝ちかたを求めるのは難しいだろう。かつてのように国力差と戦力差をもって鎧袖一触に粉砕するのは難しい。相当研究した筈だ。そうでなければ……」
ギャレット隊長の目がカリオンを捕らえた。
厳しい事を言おうとしている。そんな様子がカリオンにもわかった。
「今回、ネコの国軍はシュサ帝を討ち取るのを前提に戦略を積み上げたのだろう。そしてその目的を果たした。向こう側から見れば、シュサ帝は生かしておけない恨み骨髄な存在そのものだろうさ。だから、カリオンが言うとおりネコの国軍の戦術と戦略をこっちも良く研究するべきだ。その上で対策を練り、確実に勝つ事だけを目標とし、そして一気に畳み掛ける。次にネコとやりあう時は相手を滅ぼすつもりで行かないとな」
ギャレットの言葉に第一中隊のテーブルが静まり返った。
だが、カリオンはその沈黙が心地よかった。
睡眠不足で頭痛を感じていたのだ。
少しだけホッとする。
「全員食事を終えたな。午後の授業まで約三十分ある。見なかった事にするから全員一休みしろ。午後の授業を乗り切るだけ休息するんだ」
どんなに張り詰めてもそれ以上は進めない。
ならば、タイミングを計って休息をとるべきだ。
ギャレットはそう判断し、自らの中隊にそれを命じた。
良い指揮官はこうやって育って行くのかとカリオンは驚きつつも感心していた。
本日分より隔日公開となります。




