穀雨の接触
~承前
暖かい春が訪れた後、王都ガルディブルクには雨のシーズンがやって来る。
王都の南にある紅珊瑚海は暖かな暖流がやって来る天然のヒーター。だが、まだ冬の冷気が北方山岳地帯に残っているこの時期は、海からの湿った空気をその冷気が冷やし、大量の雨となって大陸中央部の内陸深くにまで及ぶのだった。
「今日も雨か。三日連続だな」
うんざり気味のカリオンは城のバルコニーを忌々しげに眺めた。バシャバシャと振り続ける雨は憂鬱な気分を加速させる。だが、その雨こそが大陸中央部の広大な穀倉地帯を潤す需要な役割を担うのだ。
そして、その収穫こそがル・ガルの財政基盤そのものであり、世界最大の農業国家として機能している根幹になっている。それゆえに、この次期の雨を穀雨とも呼ぶのだった。
「天象士の見立てでは、明日の午後まで雨ですね」
執務室に新しい茶を用意させたウォークは、カリオンのカップにそれを注ぎながら答えた。気象を観察し予測をたてる天象士は代々にわたって同じ一族が勤めている。
彼らは先祖より膨大な記録を受け継ぎ、なおかつその時々の様々な観測によって過去との類似を探しだして気象を予測するのを仕事としていた。
「で、ララは今日も大学の図書室か」
「そのようですね」
クククと笑いながらお茶をすすったカリオン。
雨だと言うのに目一杯めかし込んでララは出掛けていった。
「で、タリカの様子はどうなんだ?」
クルリと首を回して情報を求めたカリオン。
執務室の片隅にいたのは、ル・ガル諜報機関の中で頭角を表し始めたアレックスだった。
「ここしばらくは城下のアパートで平穏なようだ。時々は兄ロシリカに捕まって食事だなんだと出掛けるようだが、それ以外はおとなしい。また、何者かと接触している兆候は見られないな」
高度に暗号化された符丁により城下の様々なものから報告が上がってくる。その報告を元に分析を行う彼らは、今や世界中に協力者を作りつつあった。ただ、そうは言っても他の種族国家にイヌが入り込めばすぐにばれてしまう。
その為、彼らはヒトを使い各国に情報網を築きつつあった。もっとも、その指導に当たっているのはヒトの世界でも参謀であったと言うマサなのだが……
「他に何かあるか?」
ウォークの注いだ茶を飲みつつ、カリオンは情報を欲した。
正直言えば退屈なのだ。
「そうだな。例のヒトの男が拵えている工場とか言う施設。あらかた完成したんだが中身の製作がまったく進まないらしい」
それは、マサが大見得を切って宣言し作り始めた、ハーバーボッシュ法による肥料工場の建設だ。建屋の完成は見たモノの、高度な科学技術の結晶である作業設備に関しては一向に進まないのだ。
そも、高温高圧になる炉を拵えるにしても、この世界の鍛冶屋技術では完全なオーバーテクノロジーその物。それ故に、まずはそれらを生産する設備から作らねばならないのが現状だった。
「……まぁ、ヒトの世界の代物がこの世界で簡単に作られても困りますよ」
ウォークは遠回しに懸念を示して見せた。そも、その仕組みや因果をまったく理解しないまま、ヒトの世界の技術だけが一人歩きしている様な状態だ。正直言えば歓迎しないだけで無く、消し去った方が良いとウォークは考えていた。
「なんだ。随分な物言いだな」
カリオンは腕を組んで考える素振りを見せながらウォークに続きを促した。一体どんな了見でそんな言葉が出たのか。それを知りたいと思ったし、知っておくべきだとも考えたのだ。
「いえ、何も全部否定しようって事じゃ無いんです。ただね――」
ウォークはカリオンの事務机にあった神の上にペンを走らせた。
そこに描き出されたのは、この世界における鉄器の進化だった。
「――始まりはただの砂鉄だったはずですが、時間を掛けてひとつひとつ学んだ結果、いまは高度な製鉄技術が我等の手の中にあります。もっともっと古い時代は石を割って刃物にしたと言う口伝もあります。我々の世界でも技術は進歩してきましたし、研究し改良しようとする者は沢山居ます」
ウォークの描き出したイラストには、簡単な石斧が青銅器を経て鉄器に進化し、更に発展して剣となり、それが形を変え盾や鎧や胸甲に変わる姿を示した。
「ただ、この先にいくつかの技術的な障害があって、それを乗り越えてきっとのこの世界でもヒトの世界と同じようなモノを造り出すでしょう。ヒトの口から出る言葉を聞いていれば、およそ彼らの世界の水準に比べ1000年の差があるように思えるんです」
この時点でカリオンは『あぁ……』と話の中身を察していた。
ウォークが思っているのは、要するにミッシングリンクだ。
「つまりあれだな。技術の系譜を飛び越えて、この世界の技術者が知りたいと思った理屈では無く結果だけを示されていると」
ウォークがその言葉に首肯を返した時、アレックスは基礎的な頭の回転の良さ。良く言われる『地頭の良さ』を感じていた。未知の物に対して考察を積み重ね事態を把握し改善を図る。
そんな仕事を幾つもこなしてきたウォークは、いつの間にかそんな能力を手に入れていたのだった。ただ、それを本人が把握していないと言う面も、実際にはあるのだが……
「結果として我々は物事のもっとも深い部分の因果を理解する事無く、結果だけを知る事になる。つまり、畑に種を蒔かず水もやらず、その果実だけを食べている。つまりは『ヒトに依存するようになってしまう』その通りです」
途中から口を挟んだカリオンだが、ウォークは迷う事無くそれを飲み込んだ。言い換えれば、ヒトがこの世界の表舞台にグイグイと食い込んでくる結果となるだけで無く、最終的にはヒトの主導で全てが決められてしまう危険性がある。
ヒトの技術や知識や、もっと言えば、失敗の経験を元に世界をより良くする事は出来る。だが、ヒトに支配される世界は御免だ。そんな意識がウォークの中から滲み出ている。そしてそれは、恐らくは世界の総意かも知れない。
「……ヒトとは奴隷である。そんな常識とは異なる面での問題意識だな」
ウォークの言葉にアレックスがそんな感想を述べた。
ただ、少なくともそれは、ある意味では世界の真実でもあった。
「何らかの手立てを考えておいた方が良いかも知れません」
ウォークは至って真面目な顔になってそう言った。
ヒトと関わる仕事に就く者は、誰でも一度は経験するのだという。
聖導教会の教義書に出てくる神の世界の話。それは、多くの神々が暮らす世界があり、神は鳥よりも早く空を飛ぶ馬車に乗り世界を駆け回るのだという。神の世界の膨大な魔力は神の手によって生み出されるもので、その魔力を使って夜を昼のように照らし、木々を遙かに超え雲に至る高い塔を築くと言う。
また、神はその奇跡の御手を以て、多くの生き物をより良い姿に変えられたと教義書は教えている。土塊からパンを生み出し、大地を割って川を作り、そこで無限に魚を増やしただけで無く、新しい魚を造り出したのだとか。
日曜教会でその話を聞いた者は、ヒトの口から出てくる言葉を聞きながら不思議な感覚に陥るという。雷の正体は電気というモノで、空気が摩擦して生まれるのだとか。ソレと同じモノを産みだし、溜めておく技術をヒトは持っていると言う。
その電気なる物を使えば夜でも本が読めるし、暗がりを明るく照らすことも出来る。そして、遠い国に居る者ともまるで隣同士に居るように話をすることが出来るだけでなく、その姿を映し出して見せる事も出来るんだとか。
つまり、神とはヒトでは無いのか?と思うのだ。そしてそれは、彼らの中にある『ヒトとは奴隷だ』という言葉によって混乱と葛藤を産みだし、やがてはヒトとは関わらない方が良いと判断するようになって行く。
ヒトは危険だと認識してしまうのだ。
「まぁ、言いたい事は解るが、封印してしまうのもまた困った事態だ。我がル・ガルはこの世界において余りに大きくなりすぎたのかも知れん。余の父はコレを覇権国家という言葉で表現した。それが――」
カリオンは空になったティーカップを皿に降ろし、一つ息を吐いた。
「――もしその覇権国家が破れる事態が来るとしたら、それはきっと他国の者達がイヌに対抗せんとヒトの知識を使って襲い掛かってくる時だろう。事実、ネコの国に一度は痛い目を見せられた」
シュサ帝の戦死はまさにそれだ。ヒトの世界からもたらされた新しいドクトリンは、旧態依然としたル・ガルの急所を確実に突いてくれた。それでもル・ガルが揺るがなかったのは、国家として相当に出来上がっているからだろう。
他国の国家基盤が弱い国では、こうはいかなかったはずだ。国家の主が戦死したなら、まるで砂上の楼閣が崩れていくようにバラバラと崩壊してしまい、その国民は路頭に迷ったことだろう……
「やはり、毒と解っていて飲まねばならぬと言うことですね」
ウォークは甚だ面白く無いと言わんばかりの態度でそう言った。
そして、それを茶化すようにカリオンが言い返した。
「いやいや、毒などでは無い。素直に学べば良いのだ。我々だってそうだろう。先人の失敗を体験するのでは無く学んでいるだけのことの方が多い。そうやって、学びによって知識を得て、後はそれを使って思考するだけだ。だからこそ、ヒトは上手く使わねばならん」
カリオンの見せた俯瞰的な物の見方にウォークがニヤリと笑った。
「さすがですね。その通りです」
ハハハと笑ったカリオンとウォーク。
だが、そんな穏やかな談笑は事務方の報告によって掻き消された。
「報告いたします。タリカとキャリ様が総合大学で接触した模様です。ララ様が手引きをされたようで、初体面ながら楽しげに会話しているとの事。取り立てて問題はなさそうですが、今後に注意を要するべきとの報告でした」
それを聞いたカリオンは、満足そうにニヤリと笑ってウォークを見た。
ウォークもまたニンマリと笑っていて『上手くいきそうですな』と呟いた。