意外な訪問者
~承前
カリオンがそのバルコニーに姿を現したとき、広場を埋め尽くす民衆や公爵家の騎士達から割れるような歓声と拍手が上がった。そして自然発生的に誰もが王を讃える国家を歌い始めた。
ル・ガルの結束は万全磐石で有ると世界に示すその光景は、様々な地域から入り込んでいる諜報員達の目に脅威と映るのだった。そして、その歌声が一際大きくなったとき、そこにキャリが姿を現した。
次期太陽王として、初のお披露目と言うべき節目のイベント。その場に姿を見せたキャリは、国民の声の大きさや眼差しの強さに気圧されていた。
「キャリ…… 笑っていろよ」
カリオンは静かに笑みをたたえた表情になってキャリに言った。
数多の視線が集まるこの場では、王の余裕を示す事が何よりも大事なのだった。
「けど…… 凄いね…… 父上」
「次はお前の番だ。俺もやっと少し楽が出来そうだな」
フフフと笑ったカリオンが城下に手を振ると、凄まじい歓声が広場から沸き起こった。そんな時、サンドラが見事なドレス姿ですっとバルコニーに姿を現した。そしてその隣には、美しく着飾ったララの姿があった。
――――姫?
一瞬だけ歓声の声が小さくなった。だが、サンドラ譲りの豊かな胸と美しい黒髪が穏やかな風になびいている姿を見て、それがララだと気が付いた。と、同時に更なる歓声が沸き起こった。
後継者問題はこれ以上なくシンプルな形で解決されるだろう。カリオン王の後を受けるのはマダラではないキャリ太子で、ララ姫はどこかの名家に臣籍降下される事になる。
思えば始祖帝ノーリやその息子トゥリの時代には各公爵家だけでなく、武功華々しい騎士男爵の元へ嫁ぎ、太陽王の親衛隊となった者が数多くいた。彼等は実力優先主義を取り、一代貴族ながらも特別な配慮を得て戦場を駆け回っていた。
――――俺にもチャンスがある!
城下に集った多くの騎兵や騎士だけでなく歩兵達ですらもそれを思った。太陽王の覚え目出度き勇敢な男は、太陽王の娘を娶って戦場の花となる。ただ、他ならぬララ姫の扱いは相当難しい事も彼等は解っていた。
多くの貴族同士が婚姻によって縁戚関係を結び共存共栄を図るのは、貴族の社会では至極当然のこととして多くの者に受け入れられていた。だが、臣籍降下となる姫はひとりしか居ないのだ。
太陽王が行きずりの女に胤を付けたなんて話は全くもって流れた事が無いし、王の庭の中に後宮が出来ている話も漏れ伝わってこない。つまり、太陽王がカードとして使える姫はララ1人きりであり、また、そのララの父はサウリクル卿と言われている。
――――公爵家の跡取りでもなきゃ無理だろ……
そうは言っても可能性は無限大だ。不可能では無いのだから期待したって罰は当らない。もっとも、それを見越してかどうかは解らぬが、レオン家の一党はとにかく目立つ格好でやって来ていた……
「ララ。ここへ来てみろ」
カリオンが声を掛けると、ララは優雅な仕草でスッとカリオンに近寄った。その僅かな仕草にも優雅な降るまいにも、市民はそこにいるララがかつて城下で話題となったレストランの美人給仕である事を思い出していた。
「みな、お前を狙ってるぞ?」
「……そうでしょうね」
ウフフと小悪魔的な笑みを浮かべれば、城下の広場には溜息にも似た鈍い声が広がった。だが、それらを全部承知の上でカリオンは問うた。
「ララ。お前の希望する嫁ぎ先は有るか?」
「え?」
いきなり切り出されたその問いに、ララはさすがに面食らった。あまり覚えのない姉サラが嫁いだ先は、やがてレオン家の総騎兵長となるであろう男のところだと聞いている。
将来性があって実力と人望があって、尚且つ国家と国民の為に戦える存在。そんな男のところへ送り込まれるのだろうと、ララ自身が漫然と思っていた。
「特には無いですけど…… でも……」
何か言葉を練っている。それが解るからこそ、カリオンは黙って待った。ララの人生に関する事なのだから、叶わぬまでも本人の意思を確かめておきたいのだ。
「出来るなら、余り戦に関わらない人の所に」
そこにどんな意志があるのかは聞くまでもない。戦場に向かった男の帰りを、無事な帰りを女は祈るしかないのだ。怪我や負傷で傷ついたとて、生きて帰ってきて欲しいと女たちは神に祈るしかない。
キツネとの戦の最中でララ自身が様々なモノを見聞きしたのだろう。あの、圭聖院なる存在のところで妙な事を吹き込まれたのかも知れないし、或いは思考そのものを矯正されたか、外部からコントロールされているかも知れない。
――――確かに……手元に置いとく方が安全だな……
サンドラの慧眼をカリオンはやっと理解した。
「そうか。解った。ただ、意中の存在があるなら、それは素直に言ってくれて良いぞ。お前の人生だ。お前が納得するのが一番重要だ」
女は道具……
貴族の家に生まれた者ならば、それはもう否定出来ない事実として丸呑みする以外に手は無い。だが、それでも叶わぬ恋に身を焼くくらいの自由はあるし、有力貴族家の当主夫人が意中の男を様々な形で囲うのは良くある話だった。
「大丈夫。それに、父上の役に立たないと罰が当るし、それに――」
キツネとの戦でどれ程の犠牲が出たのかは考えたくもない事だ。だが、確実に今ル・ガルのどこかの家庭では、一家を支える存在の無い、寂しい新年を迎えている筈なのだ。
「――今回の戦役で死んでしまった人々の為にも、次の犠牲を生まないためにも、私が嫁ぐ事で少しでもその可能性を減らせるなら意味がある事だって納得できる」
ララの口から出た言葉は、カリオンの心のうちにある何かを強く叩いていた。
「解った」
それ以上の言葉はなく、カリオンは再び城下へと視線を送り、手を上げて国民の歓声に応えた。それこそが王の役目であり、王の義務なのだった……
――――――その晩
公爵家当主との宴は夜まで続くのが慣例だ。
城から一歩も出ないカリオンに国内情勢を説明し、それに付いて闊達に意見を言い合う事で各々の腹の中を見せ合う宴。多分に政治の臭いがするものだが、それでも重要なイベントであった。
ただ、今はもう関係ないことで、去年一年を振り返り次はどうするべきかを自由に言い合い考え方のすり合わせを行なうためのイベントとなっている。ただ、そんな宴の場に今年は思わぬ存在が姿を現した。
「宴も酣の場に失礼いたす!」
音吐浪々にそう宣言し城の大食堂へと入って来たのは、筋骨隆々とした堂々たる体躯を持つオオカミの一団だった。その先頭に立っていた存在に最初の反応を示したのは、意外なことにウォークだった。
「ほぉ! ロシじゃないか!」
そこに居たのはオクルカの息子ロシリカだ。現在は王都駐屯のフレミナ騎兵団を預かる前線将校として赴任していて、先のキツネとの戦では数少ない王都防衛の任を帯び、ミタラスの中でアージン評議会の残党一派によるクーデター警戒に当たっていた。
「なんだ。ウォークは旧知か」
「いえ、城下の警備で随分と骨を折ってくれましたのでね」
ウォークの言葉にニンマリと笑ったロシリカは、宴の会場をグルリと見回してから言った。
「我が父たるオクルカより新年を寿ぐ宴席にて、名代として挨拶してまいれとの指示を受け、弾正職の代理としてまいりました。全くの推参な不躾でございますがどうぞご容赦ください」
胸に手を当てて頭を下げたロシリカ。
その堂々たる振る舞いには、次期フレミナ王の風格が滲み出ていた。
「さて、本日こちらにお伺いした件で御座いますが、おかげさまをもちまして手前の末弟であるオクルカの五男坊タリカがビッグストンを卒業し、この春にはル・ガル総合大学を卒業する見込みとなりました。ご覧の通りな有様で軍務には縁遠いかと存じますが、それでもオオカミの気風を受け継ぐフレミナ一門の存在にございます。どうか御見知りいただけますよう、お願い申し上げまする」
再び頭を下げたロシリカの後ろ。フレミナの正装姿をしている黒毛に甘いマスクのオオカミがゆっくりと頭を上げた。タリカと言えば、フレミナ一門の中ではありふれた名前なのだという。
だが、そこに立っていたタリカは何処か神秘的な風貌をしていた。深い知性を感じさせる眼差しと、強い意志を思わせる真一文字の口。ロシリカと比べてれば細身で華奢にも見えるのだが、よく見ればそこには隠しきれない筋肉がある。
しなやかで長い手足を持つ肢体にピッタリとフィットするフレミナの衣装を身に纏ったタリカは、穏やかながらも鋭さを秘めた眼差しで室内を見回した。
「兄ロシリカよりご紹介に与りましたタリカにございます。ご覧の通りの若輩故、まだまだ修行の日々を送る所存にございます。どうかご指導ご鞭撻頂けますようお願いすると共に、御見知りいただけますと恐縮にございます」
落ち着いた挨拶を行ったタリカは再び深々と頭を下げた。
そして、その頭を持ち上げるとき、不意にタリカがララを見た。
言葉では説明の付かない感情がわき起こり、ララはそれだけで恋に落ちていた。




