魔法使いvs細作
~承前
「また貴様か!」
カリオンは掌中に魔力を集め右手をスッと伸ばした。
それは火を灯す為の着火魔法では無く、家畜などの動きをコントロールする為の電撃の魔法だった。
「イヒヒヒ……少しは技量を磨いたようじゃない……けど、妾には効かぬぞ」
そこに姿を現したのは袴姿をした若い女だった。その姿に見覚えのあったカリオンはハッと気が付いた。あのピシッとスーツを着こなすキツネの正体は老婆だ。だがここに居るのはあの老婆の面影がある若い女。
つまり、あの老婆姿すら本物では無く、この若い女の姿こそが本来の姿と言うべきもの。ウォルドと名乗っていたあのキツネは、霜月の首に手を掛け、傲岸な笑みを浮かべて立っていた。
「余計な事を言うんじゃないよ坊や。お前の首など簡単に引きちぎれるんだよ」
余裕をカマしているキツネの女は、赤い瞳をグリグリと動かしながら辺りを見まわした。それは、何かを探しているようにも見えて、それでいて隙間を見つけんとしているようにも見える。
「圭聖院……お主の企みを葛葉様は見抜いておられるぞ……」
苦しげな声を絞り出した霜月の顔から血が滲み始めた。
古傷でも開いたのか、ピタリポタリと血が垂れ始めた。
だが……
「何が葛葉様よ……あのションベン臭い小娘に何がで――
圭聖院と呼ばれた老婆の言葉がそこで止まった。
そして、不意に上を向いたとき、そこにはもうひとつに闇があった。
――え? うそ!」
その暗闇の中からヌッと突き出てきたのは、黒く染められた大型ナイフだった。
カリオンはそのナイフに見覚えがあった。世界最強と呼ばれた細作の懐にあった最凶の呪物がこの世に顕現したのだ。
「へぇ……さすがにござんすねぇ……業は衰えてないようで」
音も無くフワリと幕屋の敷物に降り立ったのはリベラだった。600年を生きるネコの生涯にあって、全盛期を感じさせる200歳前後の引き締まってしなやかな身体をした姿だった。
「面識があるのか? リベラは」
まったく動じる事無くカリオンはそう問うた。
その問いに『へぇ。色々と因縁は深いんでござんすよ。陛下』と応えたリベラ。
「ここで会ったが……500年目だ。あの頃のあっしたぁ訳が違いやすぜ。仲間の仇、ここで取らして頂ますぜ」
懐に突っ込んだ左手をフワッと払ったリベラ。その手に合ったのは髪の毛程の太さでしか無い針状の刃だ。その針が凄まじい速度で圭聖院に襲い掛かると、女はたまらずセンスを広げてガードを固めた。
霜月の首を押さえていた手が離れた瞬間、『ゲハッ!』と声を発して霜月は床に転げた。ただ、その目がリベラを捉えた瞬間に飛び起きて戦闘態勢になった。
「おやおや、こっちにはまた懐かしい顔がいらっしゃる……ですが、お宅さんとやり合うのはまた今度にしてくだせぇ……あっしぁあのバケモノとやり合ってござんすよ」
リベラの針を防ぎきったらしい圭聖院は、素速く印を結んで何かの魔法を使おうとしたらしい。だが、その前にリベラが一気に距離を詰めて、拳をそのミゾオチへと叩き込んだ。
「魔法使いとやり合うなら、口を封じるのが定石にござんす」
リベラの拳がめり込んだのか、圭聖院の身体がくの字に折れて浮き上がった。どれ程に体術足術の長けた者であっても、宙に浮いてしまってはどうにもならない。
「あんた……死んだはずじゃ……」
絞り出すように言ったその声は、呪怨に塗れた様な声音だった。それこそ、心の弱い者が聞けばそれだけで恐慌状態に陥る様なもの。だが、リベラは次々に拳を叩き込みながら言った。
「えぇ。死にやしたぜ。したっけ、死んでも死にきれねぇ程の後悔を抱えてやしたらね、あっしの主がこの世にあっしを繋ぎ止めてくれやした。恨みを晴らすまでは死なないようにね。いや、苦しかったですぜ?」
いつの間にそれをしたのだろうか。リベラの両の拳にはナックルガードが装備されていた。その拳の先端には鋭いスパイクが着いていて、その拳が圭聖院にめり込む都度に、僅かずつ血が流れていた。
「おのれっ!」
一瞬の隙を突いたのか、若さに任せた身体の動きでリベラの間合いを脱した圭聖院は、詠唱を省略した魔術でリベラに一撃を加えた。瞬間的な衝撃波を起こすその魔法は、リベラを突き飛ばし後退させるのに充分だった。
「貴様、余の娘に何をしたと言うのだ!」
カリオンは怒声を発しながら剣を抜こうとした。
だが、その前に圭聖院の手が動いていた。
「見りゃ解るでしょうよ! それにあんたの娘じゃ無いじゃないか! あんたの娘にゃ要らない物を引き剥がしてやったんだ! 感謝しな!」
カリオンに向かって衝撃波の魔法を使おうとしたのか、圭聖院の手がブンと音を立って突き出された。ただ、そんな一撃が決まろうとしたその刹那、幕屋の中に眩い光がパンと弾けた。
「どうやら……間に合ったようですな……」
カリオンと圭聖院の間に姿を現したのはウィルだった。キツネの国の高階層貴族が着るような衣装に身を包んだウィルは、匂う様な若々しい姿を見せて圭聖院の前に立った。
「久しぶりですね、圭聖院殿。その後は如何ですかな?」
顎を引きグッと相手を睨み付ける姿となったウィル。そんなウィルを指差して口をパクパクとさせた圭聖院は絞り出すように呟いた。
「如月卿……なんで……なんであなたが……」
まるで元彼とばったり遭遇したかのような姿の圭聖院は、内股になってモジモジとするように立っていた。若い女の身空なのだから、色々とエピソードもあったのかも知れない。
「いえいえ、私の名はウィルケアルヴェルティ。私の母体である九尾は……あなたと同じように次元の狭間で時を待ってますよ。私はあの存在がこの世に居た証であり残滓であり、そして――」
ウィルの手がスッと圭聖院をさした。
「――あなたを処分する為にあの方は残されたのでしょうな」
ウィルの表情がガラリと変わった。まるで獰猛な肉食獣のように笑い、全身に魔力を漲らせて左手を肩の高さまで持ち上げた。
「あっ……アタシと術比べしようってのかい?」
圭聖院は懐に手を突っ込むと、その中から小さな畳紙を取り出して幕屋の中にバラ撒くように広げた。それを見て取ったリベラが『へぇ……』と呟き、指にリングを嵌めて分銅綱を回し始めた。
「こいつを待っていたんでやんすよ。あっしの仲間ぁ……みーんなこいつにやられやした。これと戦う方法を300年考えて磨いてきやした。さて通用しやすか見ものでござんす」
圭聖院の広げた畳紙は、圭聖院が畳んだセンスを手に当ててパンッと音を立てた瞬間に起きあがった。式神と呼ばれる疑似生命の使い魔は、術者の技量に左右されると言うが、それ以上に重要なのは術者の魔力総量だ。
「ふんっ!」
若い女が出す声とは思えぬ気合いの入った呻きを響かせ、圭聖院はセンスをリベラの方に向けた。その瞬間、畳紙から式神となった大量の存在が一斉に襲い掛かっていった。
だが、その畳紙の式神をリベラの分銅綱が次々とたたき落とし始めた。恐ろしい速度で回転するその分銅綱は、本来こうやって使う為の物のようだ。そして、時には横から襲い掛かる式神に対し、リベラは回転する分銅の綱に手を挟み、その軌道を急変化させて凌いだ。
「ヘヘヘ。読み通りにござんすねぇ……式神は面倒でやんすがその一体一体は所詮ただの紙ってこって……」
そんな事を言ったリベラだが、予想外の角度から式神が襲い掛かった。足下辺りに倒れた式神は分銅をやり過ごし、ウチに入った瞬間に真下からリベラの顔を狙って飛び上がった。
「あっ!」
見ていた誰もがそう叫んだ。式神はリベラの右目辺りを切り裂いて飛び上がったのだ。ただの紙でしか無いと思った畳紙の式神は、その身体それ自体が鋭利なカミソリの様な状態だった。
だが、そんな状態でなお分銅を回すリベラは、頭の上辺りにあった式神を分銅で直接叩いて床に落とし、足で踏みつけた。グッと力を入れた瞬間、圭聖院の身体が沈んだように見えた。
「いやぁ……随分とやりやすなぁ……この身体でなかったら危なかったでやんす」
そう。
式神が切り裂いた筈のリベラだが、一滴の血も漏れる事が無かった。それどころか、胸や襟口の衣装は切り裂かれても、その顔には筋ひとつ付いていない状態だった。
「お前は……」
圭聖院も驚く丈夫さを見せたリベラ。
その顔の表面は、まるで鉄で出来ているかのようだった。
「へぇ……やるじゃ無いか……木偶の身体に魂を縛り付けてんのかい……じゃぁ、さぞかし苦しかろう。アタシが楽にしてやろうじゃ無いか」
圭聖院の声がそう響いたとき、『出来るかしら?』と声が響いた。
そして、その直後に幕屋の中の空気が凍り付く様に冷え込んだのだった。