和平の使者
――――注進!注進!
甲高い声を上げながら伝令が走って来るのをカリオン達は見ていた。
キョウの街の郊外で嫌がらせのような攻撃を行っている最中だった。
キョウの街を囲む防壁は東西南北の全てに大手門を設置してある。その門の1つである南側の門は真っ赤に塗られていて、スザクモンと呼ばれているらしい。
――――赤い鳥を意味する言葉のようですな
東方文化に明るいドリーはそういうのだが、カリオンには別の物が見えてた。
……この門はキツネの帝の臆病さを示す物だ
と。
「どうしたというのだ?」
伝令を呼び止めたオクルカは、怪訝な顔でそう言った。スザクモンへの攻勢でその大戸を閉め切ったのだが、その外にはキツネの民衆が大量に残っていた。ル・ガル国軍騎兵は、容赦無くそこへ銃撃を開始した。
夥しい怨嗟と断末魔の声が流れる中、助けを求める声がキョウの街に溢れた。ただ、実際の話としてキツネの側に対抗手段がなく、頼みの綱だった覚醒者の全てもイヌに吸収されている。
一方的に撃たれ続けた結果、明確な虐殺行為がそこに非合理に存在する事になるのだが、それを咎める者など一人も居なかった。
「報告いたします! キツネの官吏凡そ30名! 王への謁見とキツネの帝の親書を携えやって参ります!」
――遂に泣きついてきた……
その報告を聞いたとき、カリオンはそう思った。
だが、カリオン以外はまったく別の感想を持っていた。
――――時間稼ぎをしている……
キョウの街が焼き払われようとしている現状を少しでも遅らせる努力だろうか。キツネの側の工作に巻き込まれぬよう、イヌの側もいっそう慎重に行動せねばならない。
そして重要なのは、そもそもの根幹となった目的を果たすことだ。ララがキツネに捕らわれている。その奪回と報復こそが主目的であり、世論を作っていくこともまた重要なことだった。
――そうか……
カリオンはその重要な事実にふと気がついた。
現状、キツネの民衆は一方的に殺され続けている。その事実を前に、イヌへの憎悪と報復の機運が高まっている。だが、そもそもの目的は異なり、イヌにはイヌの大義があって目的を携えている。
――そうだな……
「ドリー!」
カリオンは腕を組んで戦況図を眺めているドリーを呼んだ。弾正職にあるオクルカは全体を管理する役で、ドリーは軍の行動そのものをコントロールする役だ。そんなドリーを呼んだカリオンは、意外な指示を出した。
「ドリー。イヌの民衆に帝が命乞いしてきたと噂を流せ。そして、イヌの要求である王の娘を探しているとな」
それは、キツネが攻められている理由の説明だった。
ただ、その目的の意味をドリーを含めた面々は理解し得なかった。
唯一首肯を返したのは、意外にもマサ達だ。
「なるほど。心理戦を挑むわけですね。大変結構かと存じます」
マサの言葉に『それはどのような意図ですか?』とルイが尋ねた。ヒトの知恵をイヌが吸収するのは、ある意味でいささか屈辱的と取られかねないことだ。だが、公爵家を預かる立場ともなると、そうも言ってられない場面が増えてくる。
時間的資源は万民に平等なのだからか、ルイも聞いた方が早いと理解したのだろう。それは賢明な処置であり、また、イヌの社会の柔軟性を示すものだった。
「簡単に言えば、民衆と帝の間を裂いてしまう処置です。そして、イヌにはイヌの大義があるとキツネに知らしめる。その結果、惨憺たる現状を改善できない帝は民衆からの支持を失うのです。そしてその先にあるのは帝の敗北でしょう」
そう。要するに帝が無能であると民衆に認識させるのだ。それこそがイヌの主眼であり戦略の根幹である。そして、イヌに対し協力的で友好的な人間をキツネの手で据えさせる。
そうすれば、こんな不毛な行為をいつまでも繰り返さずに済む。何より、双方の交流が活発化し、双方に利益をもたらすだろう。
「……なるほど。解りやすく、また、発展性のある話ですな」
ルイは腕を組んだ姿勢のまま首肯を繰り返した。ただ、正直に言えばそれしか現実的な解決策はない。つまり、どこにいるのか解らない九尾をあぶり出し、そこに捕らわれているララを回収するため手段。
その為に必要なのは、キツネの国を理解し、その地理を把握し、何より、九尾その物を知っている者を使うしかないのだ。そしてそれはどこにいるのか?を考えれば、自ずと結果は見えてくる。
そう。キツネ自身に九尾を探し出させ、尚且つ切り捨てさせるのだった。
――――――――帝國歴393年 10月 22日 午後
キツネの国 キョウ郊外
「来ましたな」
ボロージャは感情を感じさせない表情で静かに言った。
元々が情報将校であり諜報戦のエキスパートであるのだから、こんな席はむしろ本業と言って良いことだった。
「初めてお目に掛かる。手前は朝廷より三位の官職を頂いております少納言、三条卿の翡翠と申す者。太陽王に御目通り叶い感謝いたしまする」
カリオンは始め、それを普通の挨拶だと感じた。
だが、その手にしていた物を見れば、挨拶では無く鞘当てだと理解した。
三位
『さんい』とも『さんみ』とも評されるそれは、要するに上から三番目だ。
キツネの貴族の間でも相当な高階級な者がやって来た。今まではただの官吏だったのだが、キツネの社会をコントロールする階層が直接やって来たのだ。
「……上から三番目の貴族がどんな要件かね?」
ボロージャはまったく感情を読めない表情のままそう言った。
ただ、その灰色の瞳だけが炯々と相手を貫くのだ。
諜報活動の全てを預かる機関において、ボロージャはかなりのエージェントだった過去を持つ。そんな存在である男は相手の足下から観察を始め、頭に載せられた帽子の形や方向きや倒れ具合にまで気を配る。
その本音を読み取る為とあらば、如何なるものからでも情報の切れ端を探すのが仕事なのだ。そこには必ずヒントが隠されていて、無意識レベルで行う行為の中に相手の本音を見つけるのだった。
「……帝は和平を望まれておりまする」
王では無くその手下が口を効いてきた。それが面白く無いのか、翡翠と名乗ったキツネの男は『ボン』と呼ばれるトレー状の台を少々不満げに差し出した。ただ、そこに乗せられた物のはキツネの帝の花押が押されたモノが乗せられていた。それは、魔力を封じた用紙にしたためられた、帝からのメッセージだった。
「帝は都の現状に大変心を痛めておられ、是非とも太陽王閣下との和議を……とお考えで『下らぬ時宜は不要だ』
太陽王『陛下』では無く『閣下』と翡翠は言った。
その言葉にカリオンの表情が変わった。
――――キツネはイヌを下に見ている
そのナチュラルな上から目線にイラッとした誰もが思った。だが、誰もがカリオンの不快感の深さをはかり損ねていた。率直い言えば、カリオンは激怒していた。イヌを下に見た事が問題なのではない。
現状の事態において帝も一位二位にある貴族達も、己の保身を優先した。或いは命乞いをしている。生き残ろうと努力している。その事実に、心底腹が立ったのだ。
「お前達の主は、なぜここまで出向かなかったのだ? ん? 朝廷と言うところは腰抜けばかりが居並ぶ腑抜けの巣窟かね?」
アリオンは遠慮容赦なくきつい言葉を浴びせながら、そのボンに載せられた帝の親書を開き、キツネの貴族達が唖然とするなか、カリオンの目はその文字の上をなぞった。そして……
「ソ レイ ロリ ロ パラ フッチ」
小さな詠唱と共に、その信書は灰に消えた。
「ドリー」
小さな声でドリーを呼んだカリオン。『はっ!』と返事をしつつカリオンのところへやって来たドリーは見た。その表情にも瞳にも狂気があった。
「キョウの包囲の輪を閉じよ。いかなる者も絶対に通すな。空を飛び越えるものは容赦なく射殺せよ。すぐにかかれ」
――王はお怒りだ……
誰もがそう思う、深く低く重い声がその場に響いた……




