諸問題に関する最終的解決法
~承前
――どれ程掛かる?
その問いを発したカリオンの顔には興味以上の色があった。
まざまざとそれを見て取ったマサは、簡潔な言葉で答えた。
――――投資の大きさと人的資源投入の量にもよります
それが即効性の毒である事など全員が気付いていた。
全てをかなぐり捨ててそれに投資しろ……と、そう囁いているのだ。
異なる世界からやって来た天使のような悪魔が。
――では望む投資の規模を言え
カリオンの発したその一言は、この世界の根本を変えてしまう物だった。
俗に『水と石炭からパンと空気を作る方法』と呼ばれるそれは、植物生育に必要不可欠な窒素化合物を生成し、土地にバラ撒くことによって農作物の収穫量を飛躍的に向上させる手段だった。
ただ、その製法自体がまったく別の面を持っている事を、カリオン達イヌの首脳陣はまだ知らなかった。平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作る悪魔の法はヒトの世界をガラリと変えたのだ。
そしてその威力は、第1次大戦で消費されたドイツ側の火薬全てを賄って余りあるものだった。従来の天然資源である硝石を消費すること無く、自由に大量の火薬を造り出す技術。その一端をマサは造ろうとしていた。
「ココまで来たなタカ君」
マサは満足げな顔でガルディブルク郊外に建設されつつある建物を見ていた。茅街にいるヒトの知恵を総動員し、そこに作られつつあるのは、近代的な化学工場その物だった。
「そうですね……」
タカは不思議な感慨に包まれていた。
あの、イヌの役に立つ事でヒトの立場を作る……と言っていた、ナオの言葉の通りになったのだ。
「かつて茅街に同じ事を夢見た者が居ました。価値観の衝突を何度も繰り返しましたが、結局、至れる結末は一緒なんだと、今になって気が付かされました」
その言葉にマサが幾度も首肯を返す。
それは場数を踏み経験を積み重ねた者のみがみせる振る舞いだった。
「細工は流々だ。仕上げをご覧じろ。手段方法の選択で……私は何度も衝突した。その結果、随分と冷飯を食わされたよ」
マサの言葉に滲み出る悔しさの発露は、至れる結末を防ぎきれなかった忸怩たる思いの発露かも知れない。まるで坂道を転げ落ちていくように悪化していった様々な事柄も、あとになって振り替えれば『あぁ……』と気が付くもの。
何て馬鹿なことをしたのだろう?と気が付き、もっとうまくやる手段を思い付く。きっとそれが後悔と言うものの本質だろう。
「今度は勝ちましょう。草葉の陰に斃れた者達のためにも」
万感の思いを込めてタカはそう言った。
マサもまた、同じように言った。
「その通りだ。死者の無念に応えねばならぬ」
工兵だけで無く王都の職人達までも動員されたその建設は、従来のル・ガルでは考えられない規模と偉容を誇っている。そして、それを物珍しげに見ているのは、城の中に居た魔導師達だった。
「カガクという技術体系……なんだってね」
何とも悔しげな言葉を吐いたセンリは、城の空中庭園からそれを見下ろしながらそんな言葉を吐いた。
体系としての技術は魔導に携わる者も意義を理解している。魔術や魔法は何も神の御業の再現では無い。どうすればそうなるのか?を、こうすればこうなると経験則の中で導き出し、それが師から弟子へと引き継がれながら時間を掛けて洗練されたものだ。
そして、魔導師達は既に知っていた。世界は一定の法則で成り立っている事だけでなく、突き詰めればその根幹は数える程でしか存在しないことを。熱は熱い所から冷たい所へ流れ、その課程で湿りも乾きもする。
ただ、熱を与えるには物を燃やさなければならない。そして、燃やす量によって熱の総量は決まってしまう。だから高熱を求めるなら燃やす素材を吟味しなければならない。
そう。彼らは経験則の中で熱力学の法則や物理学における諸法則を体得していたのだ。その中で、自然則では実現出来ぬ効果を顕現させる為に、良き隣人と呼ばれる精霊やその類いの力を借りる。
それが出来ない者は、己の魔力その物を媒介として、その効果を造り出す術を導き出していた。冷えた物から熱い物へ熱を運ぶ方法は、川下から川上へ手で水をすくって運ぶような物。
熱力学の法則を魔術で曲げるのでは無く、法則のなかでそれを飛び越えることをしているに過ぎない……
「これだけ広範囲に大量の魔力を供給する事など、土台不可能だからな」
ハクトの言ったそれは、彼らが聞いた『植物に活力を与える肥料の効率的な生産法』という説明への反応だった。この世界にも肥料を作る手法は沢山あった。ただしそれは、ヒトの世界で言う所の前時代的な、ともすれば牧歌的な手法だ。
「で、王様はどうするんだって?」
ヴェタラの言葉には軽い侮蔑の空気があった。その優柔不断さを謗るような、そんな物言いだ。ただ、そんなヴェタラを含めた城の魔導師達が求めるのは、世界に火を放つかのようなものだった。
世界を平定してしまおう……と、物騒な相談を始めたカリオン政権の面々が言う事に、彼ら魔導師は全面的に賛成しているのだった。そして、なんとならその最前線に立ってやろうと。世界を焼き払うなら、その片棒を担いでやる……と、そう言いきったのだ。
「まぁ、やるだろうな。あの王は本物の善人だ。だから世間が許せないのさ」
センリの言った言葉は、カリオン本人の内側の問題だった。
「殺し犯し盗み妬み欺き騙し謀り、そしてまた殺す。それが人というものの本質であり、真実だ。そこから目を背ける者は多いがな」
ハクトもまた、そんな虚無的な言葉を吐いて首を降った。ともすればカリオンは善人過ぎると魔道師達は感じていた。どんな人間の心にも存在する暗部を嫌うほどにだ。
そして、あのビッグストンで学んだ男故に身に付けてしまった正義の精神。それは現実の世界では嫌がられる部分だといって良い。四面四角過ぎて融通の効かないくそ真面目な部分。それこそがカリオンの弱点であり、世界はこうあるべきだ!から逃れられないのだった。
「で、あの娘か」
センリはため息と共にそう言った。
ララがどうなったのかは、彼等だけが知っていた。
まだカリオンには教えていない事。いや、教えられない事だ。事と次第によってはカリオンがぶちキレかねない。そしてそれは、間違いなくル・ガルの崩壊に繋がるだろう。
狂ったキツネたちのしでかす人倫を越えた邪法の果てに何が起きるのか。それを知れば、あの善良な人間の上澄みだけを固めたようなカリオンは、きっと怒り狂って後先を考えない大侵攻に発展しかねない。
だが……
「キツネの奴等に一泡吹かせたいな」
揉み手をしながらハクトがそんな事をもらす。つまりそれは、すべての魔導師が夢見ること。つまり、キツネに対するコンプレックスの克服だ。
「その機会は必ずやって来るさ。せいぜい、魔力を練っておくことだ」
ハクトの本音にセンリがそう応える。ただ、そのすべてが何者かの掌中にあることなど、誰も気が付かないのだった……
「ところで王は……?」
ハクトがそれを言ったとき、『余はここぞ』と声が聞こえてきた。
全員が振り返ったとき、そこには想像を絶する存在がいた。
「あら、なにか変かしら?」
からからと鈴を転がすような声で言ったのはリリスだった。まだ日が出ている時間だというのに、半透明のガラス細工な姿を太陽に光にさらしていた。
「あんた……いつのまに……」
唖然とするセンリやヴェタラを前に、リリスは明るい声で言った。
「いつまでも穴蔵暮らしだとね、カビが生えるでしょ?」
あっけらかんと笑ったリリスだが、その後には随分と若返った姿のウィルが立っていた。そして、その隣には漆黒の衣装に身を包んだネコの細作が居た。
「……余は決めたぞ」
カリオンは手短にそう言って、リリスを見た。ともすれば透けて見える薄衣をまとい、その手には白銀のワンドを持っているリリス。だが、その内側に存在する者は、もはや人智を越えた存在になりつつあった。
「ララは女の子になっちゃったみたいね。男の部分を剥ぎ取られて、あのキツネの養分にされたみたいよ? けど、知ってたんでしょ? あなた達は」
涼しい顔でそう言い切ったリリス。
ただ、その返答如何ではこの場でねじり殺されかねない事など明らかだ。
純粋な魔力の総量として、どうやってもリリスには敵わない。それを知っているからこそ、センリもヴェタラも。もちろんハクトも慎重な空気をまとわせた。
「そなたらを責めているのでは無い。ただ、己の見識の狭さを恥じ入っていたのだよ。そしてな、サンドラが憔悴仕切っている。故に――」
カリオンはニヤリと笑ってから、一息吐いて言った。
「――余はまずキツネを滅ぼすことにした。1人たりとも生かしておかぬ所存ぞ」