毒にも薬にもなるもの
~承前
メチータ殲滅戦から早くも4週間が経過した頃、事後処理と復興をジョニーに任せたカリオンは、久しぶりに城へと帰ってきた。そもそもレオン家の所領なのだから、その領主であるダニーの頭越しにカリオンが口を出せるはずも無い。
だが、カリオンはダニーの膝を抱えるようにして、懇々と言って聞かせた。ヴェテランの差配を見て何かを学べ……と。そこにある『見習い』の精神を出来る限り噛み砕き、『見て学べる者で無ければ成長は無いのだ』と説いていた。
だれも意見できない立場となった時、誰かの様を見て自ら学び、それを己の一部とするようにしなければならないと言う事を……
「ふぅ……」
軽く息を吐きながら、カリオンは久しぶりに玉座では無く、プライベートエリアで寛ぎ得た。思えばキツネの国とのイザコザから4ヶ月近くが経過し、ガルディブルクは盛夏の頃に入っていた。
――やはり我が家は落ち着くな……
そんな言葉を漏らし、精神の疲弊を外にこぼしている。だが、その暑さを前に王がへばるわけにも行かない問題が、今のル・ガルには山積み状態だ。
キツネの国とは今だ交戦状態だし、北方はフレミナ陣営が北方種族と争っていて結果が出ていない。そして、何より問題なのは南方種族の侵攻を許したル・ガル西方エリアの復興と事後処理だった。
「……ですから、彼らは一切の落ち度無しと」
冷や汗に近い脂汗を流しながら、ネコの国へ派遣された官僚は報告を述べた。ライオンなどを中心とする南方種族によるガルディアラ侵攻は、ネコの預かり知る所では無い……と、彼らは真顔でそう言い切った。
南方種族はネコの国を通り過ぎてル・ガルへと侵入してきたようだ。と言う事は、事実上ネコの陣営が嗾けてイヌにぶつけてきた可能性がある……と言う事をカリオン陣営は問題視していた。
そして、帰還を前に太陽王は城へと指示を出し、ネコの国の王府を詰問せよと命じてあったのだ。だが……
「……まぁ確かに……彼らにしてみれば、逃れ得ぬ災厄のようなモノでしょうな」
久しぶりに顔を合わしたウォークがそんな事を漏らす。そもそもネコの陣営が述べたのは、勝手に押し寄せてきて暴風のように通過していった……だ。ネコの国の国内も疲弊が酷く、各方面より食料をかき集めて細々と喰い繋いでいるらしい。
そんなネコの国にあって、南方より取り寄せた食料を納品する集団は、ネコの国経由でイヌの国――ル・ガル――の存在を知っていた。そしてその国は、南方種族らの作る国家群とは次元の違う規模と繁栄をしてると聞いていた。
そこに興味を持ったのだろう。或いは、ちょっかいを出してみよう。そんな気になっただけなのかも知れない。そしてそこに、そんな一時の気の迷い的な発想を導き出したのは、あのキツネの男が何らかの形で手引きをしたのかも……
であれば、ネコにとっても災厄と言えるだろう。いわばル・ガル侵攻のとばっちりでとんでも無い連中がやって来たのだろう。だが、ネコの国を訪れた使節団は見たのだ。実際問題としてネコの国には被害らしい被害が出ていない……
イヌの陣営がそれに気が付いたとき、誰とも無く『ネコの国を完全に管理下に置くべきだ』という声が出始めた。古来より兵法に曰く、国の疲弊を防ぐ為ならば戦は遠くでやれと言う。
つまり、ネコの国を事実上吸収して、南方種族への防塁とするべきと言う言葉なのだが……
「まぁ、彼らには彼らなりの理由があろうが――」
事務机に積み上げられた報告書に目を通しながら、カリオンはため息混じりにそう言った。実際、ネコにしてみれば災厄が通過する課程で可能な限りに便宜をはかったのかも知れない。
水や食料と言ったモノを提供し、穏便に通過して行って貰う事を望んだのかも知れない。先の戦闘で垣間見た彼らの種族的特性は、どちらかと言えばトラなどに近いモノだ。
仁義を弁え義理を守る任侠な部分があり、また、議定を交わしたなら、基本的にそれは遵守する心意気を持っているようだ。メチータに至る課程でレオン陣営と交わした約定では、市街に火を放たない事と女子供をその手に掛けないと言う事。
ある意味で甘っちょろい幻想的な約定だが、ライオンもヒョウもそれを律儀にまもり、人的被害はごく僅かだった。それを思えば、ネコがあの集団の通過に当たり何をしたのかは容易に想像が付く。
戦闘能力として遙かに上位の存在が自国を通過していく。それについて声を荒げて抗議するなどなかなか出来るモノでは無いのだから、あとは穏便に通過して行ってくれれば、もうそれ以上は望まないのだろう。しかし……
「――看過は出来んな」
そう。ネコの国がどうなろうと、正直ル・ガルには関係無い。
むしろ、そう手引きしただろ?と勘ぐりたくもなる話だった。
実際の話、レオン家所領となるル・ガル西方地域では、略奪や破壊活動など目に余る暴虐の限りを尽くし、各所で食料庫を襲っては食い尽くしていく事を繰り返していた。
結果、穀物備蓄だけで無く、家畜の類いに至るまで市民の財産が大きく失われている。そしてそれは、王府への不信となって積み重なるものだろう。
――――太陽王は何をしているんだ!
そんな声なき声が市民の中に渦巻いている。カリオンも一度は玉座を追われ掛けたのだ。そんな声に応え結果を出す必要に迫られていた。レオン陣営の所領で行われた行為が全土に広まれば、ヒトの世界にあったという革命の危険があった。
「……思えば、ル・ガルは大きくなりすぎたのかもしれんな」
カリオンは唐突にそんな事を漏らした。
このガルディアラ大陸の覇権を握り、他の大陸地域種族から興味を持たれる。
国の繁栄の象徴的な出来事だが、逆に言えば歓迎せざるる事態だ。
「野辺に咲く花のようにノホホンと日の光を浴びて育てるなら、それ以上は望まないって状態が恋しいですね」
ウォークまでもがそんな言葉を吐いた。次から次へと難問が降り掛かってくる現状では、そんな愚痴の1つも吐きたくなるモノだ。
「……やはり世界を平定してしまいましょう」
何を思ったか、ドリーは唐突にそんな事を言い出した。
「バカを言うな……国が持たん」
カリオンの言葉には心底疲れた空気があった。もはや国家財政は傾きつつある。銃砲火薬の生産に全力を傾けた結果、各所で予算編成が破綻しつつあるのだ。
事務机に並べられた報告書の大半は、農事から離れる国民の現状を記したモノ。
ル・ガルの戦を勝利させる為に、鍛冶屋や工場といった類いに大量投資を行った結果、その賃金ベースが大幅に上昇し農場で働くよりも工場で働くことを選択した国民が増えつつあるのだ。
そしてそれだけで無く、銃砲火薬の材料となるモノや、木炭石炭の類いを生産掘り出しにあたり、多くの地域で森林資源の乱獲と無秩序な鉱山開発が進んでいると報告書は警告していた。
その全てが国家破綻への一本道である事は、カリオン政権の全員が何となく納得していた。だが
「いえ、私は真面目に言っています。キツネもネコもウサギもクマをも平定し、トラやカモシカの国までも飲み込んでしまいましょう。さすればこの大陸全てはル・ガルの支配下に置かれることになります。その状態で総合的な経済開発に乗り出すのが賢明かと」
ドリーは真面目な顔でそう言い切った。猛闘種の気風を色濃く残す彼は、カリオン政権最強のウォーモンガーかもしれない。
だが、この世界にある多くの国家は農事を国家財政の基本としている。ハーバーボッシュ法の無い世界では、窒素の固定化という側面を持つ化学肥料の大量生産が行えないのだ。
故に、その戦の基本は『他国の国土を舞台とせよ』となる。つまり、その為にル・ガルは苦労していると言って良いのだ。戦の勝ち負けも重要だが、その戦の中でどれ程田畑を荒らしておけるか。
その多寡によって国力の疲弊具合が大きく変わるし、次の戦へ向けた戦略を他国が真剣に考えるようになる。ならば最初から他国に侵攻した方が話は早い。他国に侵攻し、国家を支える柱その物をへし折ってしまう戦略だ。
「……国土は荒廃しておる。ル・ガルはそれに耐えられるのか?」
現実問題として、もはやル・ガルの農事は限界に近い。リリスの為に国土中のジンとマナを集めた結果、全土で大地その物が疲弊していた。
「ならばその懊悩。我等が解決いたしましょう」
黙って話を聞いていたマサは、好々爺の笑みを浮かべそう言った。ただ、その笑みに含まれている物が劇薬である事に気が付かぬ者など居ない。ヒトの世界の余りに先進的な技術は、この世界の者には魔法と見分けが付かないのだ。
「拝聴いたしました案件を察すれば、要するに農事の石高を上げることが重要かと思われますが、大意で相違はございませんかな?」
農務長官を勤めるボルボン家の官僚が首肯を返すと、カリオンは『それが可能なのか?』と言葉を発した。それに対し、マサは好々爺では無く野心を持った野戦参謀の笑みを浮かべ『えぇ。容易いです』と答えた。
「ヒトの世界でも同じ悩みを多くの国家が抱えておりました。農奴を酷使し、人間の体力限界まで酷使してなお、収穫高の向上は難事でありました。だが――」
その話に喰い付いてきた多くの官僚を見つつ、マサは声のトーンを上げて話を続けた。間違い無く全員の興味を引いたと思ったのだ。
「――科学の発展により……あぁ、科学とはつまり、世界の理を詳らかにする学問の総称ですが、その技術により、ヒトは同じ面積での収穫量を飛躍的に向上させる事を実現しました」
それがどんな技術なのか誰も理解出来ないだろうとマサは確信していた。
平時には肥料を作り、有事には火薬を作る魔法のような技術がそこにあるのだ。
「……恐らく、この世界にはまったく魔法のような技術でしょう。ですが、我々はその答えを知っている世界から来たのです。そして、更に発展した技術を私の後の世代は知っている。それで……この世界を盗ってしまいましょう」
マサの言った言葉それ自体に毒が混じってるとカリオンは感じた。だが、その毒が既に自分自身をも毒し始め、既に手遅れで有ることもまた理解していた……