感情論ほど厄介なモノは無い
~承前
メチータ郊外での殲滅戦から2週間。
ル・ガルに侵攻してきたライオンやヒョウの類いは、その殆どが殲滅された。
ごく僅かに残った生き残りは、逆にル・ガルの中に閉じ込められ、巨大な包囲の輪によってジワジワと干殺しにされつつある。
――――彼らも初めて銃の威力を知った事でしょう
マサは軽い調子でそんな事を言うが、実際には莫大な死者をその目で見た結果でしかない。そも、ヒトの世界の戦とて、機関銃の威力を人類が学んだのは、凄まじい数で死者が発生した結果でしか無いのだ。
騎士や剣士が剣と槍で優雅に戦った時代の戦ならば、死者の数とて多くとも100人だった。大規模な合戦が起きたとしても、激突する両軍の死者が一万に達するなど滅多に無い事だった筈。
だが、19世紀後半の小競り合いから始まった人類動乱の時代を締めくくるその最初の巨大イベント。第1次世界大戦においてその数は極端に跳ね上がった。機関銃と化学兵器と、そして、野砲の時代がやって来た。
それは、相対的な話として、人の命が絶賛デフレに突入した時代でも在った。
1万の死者の代わりに100メートル程の前進を行う。そうやって塹壕戦を敵側に押し上げていって、とにかく一ミリでも自軍陣地を広げ得ていく。結果、その戦は敵の本拠へと到達し、それで戦は終わり。
新しい時代の戦と古い時代のソレとが混淆し、奇妙なコントラストを見せていた時代。その頃、人類は新しいドクトリンを発見した、莫大な……それこそ8桁に及ぶ死者の山を気付いた結果として……だ。
――――戦う者が居なくなれば戦は終わりです
――――敵の城へと攻め上った挙げ句に首を取る
――――そんな戦はもう終わりでしょう
マサは淡々とした調子でヒトの世界の現代戦をレクチャーしていた。
要するに、戦争が継続できなくなったならば、その国は終わりだ……と。
「で、これからどうしようというのだ?」
包囲の輪の中へ淡々とした砲撃が行われ、大地を揺るがす地響きと同時にいくつかの爆煙が立ち上っていた。ただ、その煙には真っ赤な血飛沫が混ざり、立ち上る煙がヴァルハラへと続く階段の役割を果たしていた。
「何かをしようと……それに言葉を与えるならば……そうですね――」
僅かに思案に暮れたマサは、顎に手をやり、言葉を選んだ。
そして、やや間を置いて導き出された言葉は、少々意外だった。
「――教育とでも表現するべきものでしょう」
教育?
カリオンが陣取る幕屋の中。首を傾げた戦務幕僚達を前にマサは淡々と言葉を捻っていた。
「銃兵の包囲により脱出能わず、騎兵の躍動により補給は届かず、砲兵の活動により絶対的な死からは逃れられぬ状態。その状態で彼らはどんな言葉を本国へと送るでしょうか?」
マサの言葉に鋭利な刃が見え隠れしている。
それは間違い無くこの世界には無かったドクトリンだった。
「敵の攻勢を受け、それに屈せず持ちこたえ、敵を撃退しつつもその継戦能力を奪う。それこそがこれからの時代における勝ち負けの尺度となるでしょう。つまり、あの国に手を出せば自国が亡びるかも知れない。そう思わせるだけの経験を相手に与える事で戦闘意欲を奪うのです。結果、戦は無くなり平和となるでしょう」
その言葉をマサが吐いていたとき、一際大きな爆発音が辺りに響いた。今まで轟いていた100匁の大筒ではあり得ないその音に、全員が怪訝な顔をしていた。
「マサ殿。進言頂いた製法により拵えた300匁の大筒。ありがたい事に、どうやら成功のようですな」
アブドゥーラの言った300匁の大筒。それは従来の100匁大筒とはまったく異なる製造過程を経て作られた、より近代的な構造だった。何より、尾栓構造を採用したアームストロング砲の技術は、そもそも砲兵士官だったマサの本領発揮だ。
「大変結構ですね。慌てなくとも良いですから、じっくり作りたい所です」
そう。その構造は単純な鍛冶屋レベルの技術力しか無いソティス工房にとって、文字通りオーパーツ的な代物と言える拵えだった。マサが示したのは、切削加工で作れないならば大まかなパーツを鍛造で作り上げ、熱間にて鍛接させる技法だ。
熱間鍛造ならば刀鍛冶でも散々やってるのだから、目で見て温度を判断するのは容易いのだろう。それを見て取ったマサは、複雑な構造の尾栓を鋳物と熱間鍛接で拵える事を思い付いた。
その結果、従来とは一線を画す長砲身かつ大口径な野砲が誕生したのだった。
「この塹壕戦闘における神の名は野砲と言うのです。辺りに轟く砲声は神の声であり、着弾の土煙と地響きは神の愛の顕現化です。そう、それはまさに神が砲声を通じて帝國に勝利あれかしと祝福を授けているのですよ」
――このヒトの男は……たらしだな
カリオンはそんな印象を持って話を聞いていた。
だが、それを聞いていた多くの者は、全く違う印象を得ていた。
――――太陽王の御代は安泰だ……
――――神よ我が王を守り給え……と
「さて、残りはどうだ?」
ネコの国との国境まではまだまだ距離が有る。だが、ル・ガル内部に侵入したライオンやヒョウなどの類いはほぼ一掃された。
「恐らく一両日中にカタが付くでしょう。西方地域の動乱もこれで終わりです」
戦務幕僚の言葉に首肯を返し、カリオンはジョニーを見た。
「ジョニー。ダニーの支援を頼む」
「あぁ、分かってるさ。アイツを一人前にしなきゃならねぇしな」
腕を組んで話をする2人の周囲には見えざる壁があった。ビッグストンの同期と言う事もあるが、それ以上に言えるのは大きなイベントを共に乗り越えてきたという連帯感だった。
「……ところでネコの国はどうする?」
何かに気が付いたらしいジョニーは、首を傾げてカリオンに問うた。
ライオンやヒョウと言った種族の後方支援をしたのは、間違い無くネコだから。
「このままって訳には……行かないよな」
カリオンもそんな事を言って相槌を打つ。
だが、口で言う程生易しい問題でもない事は解っているのだ。
そも、キツネの国とのイザコザはまったく終わっていない。
しかし、西方地域に侵入された敵軍の討伐は重要だった……
「どいつもこいつもル・ガルばかり目の仇にしやがって」
そう吐き捨てたジョニー。やや離れた所でそれを聞いていたマサは、『ならばどうでしょう?』と切り出した。
「なにか良い案でもあるか?」
そう問うたカリオンに対し、マサは満面の笑みで言った。
「世界を平定してしまえば良いのです。この国が他国から攻められるのであれば、その攻める他国が無くなれば宜しい。私も茅街にてこのル・ガルという国家の諸問題を教えられました。国家成立前を望む者が居るならば、それを叶えてやりましょうぞ」
マサの浮かべる笑みには恐ろしい程の影があった。
――――国家成立前の姿
その一言が戦務幕僚や参謀達の脳裏に深く刻まれた。ただ、それが恐ろしい程の劇薬である事は言うまでも無い。要するに、世界を征服せよ……と、マサはそう言っているのだ。
そして、この世界をイヌが管理する。かつて、世界の奴隷だったイヌが世界を支配する王になる。その時、世界は大きくうねるだろう。かつてを知っている者ならば、誇りや自尊心と言ったものを糧に抵抗するはず。
その全てを刈り取ってしまえば良い。打ち砕いてしまえば良い。世界を征服し、全てを管理下に置く。その時、全てのイヌが美徳とする『法の支配する社会』が誕生するのだろう。
だが……
「現実問題として、それは不可能でしょう」
戦務幕僚の筆頭としてココまでついて来たアジャンがそう言った。数々の動乱やイザコザを経験してきた男は、人の心がそう簡単に割り切れない事を知っていた。なにより、『ならば戦争だ』に至る感情論の面倒さは骨身に染みている。
今は表面的に友好関係にあるフレミナとて、ル・ガルが弱まったときにどうなるかは蓋を開けてみるまでは解らない。圧倒的な実力を持つイヌの国家に組みしだかれ、腹を見せて恭順しただけなのだ。
「えぇ、そうでしょうね。不可能ですよ、そんなもの。ですが、ココでも物の見方を変えましょう。そう。何も世界をイヌが支配しなくとも良いのです。世界が法に支配される国家になれば良いのです。そして、国家間の約定により安定を求める世界ですよ」
マサの言葉に妙な艶っぽさが混じった。
それは、全てのイヌが求める究極理想――安定――と言う言葉だった。
心配なく、災禍無く、日々を落ち着いて暮らしたい。
その願いだけでイヌはココまで来たのだ。
「……可能であれば、それは理想だな」
カリオンもそう呟いたイヌの理想。
だが、その対価がどれ程大きいモノになるのかは、正直誰も想像が付かない。
そして、それ以上に言えるのは、その理想とて永遠では無いと言う事。
――――こんなモノは嫌だ!
誰かがそう言ったとき、全てが崩れる砂上の楼閣で有る事を、気が付かない者などこの場には1人としていないのだった……