リリスとキャリとカリオンと・・・・
~承前
「しばらく現世に居ない間に知らない顔が増えたわね」
傲岸な冷笑を浮かべるその存在に、ヴァルターはあんぐりと口を開けていた。
ややあって部屋に飛び込んできたドリーは、『まさか……』と言葉を発し押し黙ってしまった。
「あら? 久しぶりね」
「……リリス様ですか?」
「そうよ。モリーは今はドリーって呼ばれてるのよね?」
そんな事を言うリリスは、傲岸な冷笑では無く柔らかに笑った。
ただ、その姿はどう見ても人間では無く、まるで動くガラス細工だった。
「……しばらく見ない間に随分とその……お代わりになられまして……」
何をどう言って良いのか分からず、ドリーは途切れ途切れにそんな言葉を吐いていた。だが、その言葉を聞いた者達は、このガラス人形のような存在がカリオン帝最初の妃であった存在だと知った。
「ほんと久しぶりね 50年ぶりくらい?」
軽い調子でそんな事を言うリリス。だが、ドリーは『ざっくり30年かと……』と漏らすのが精一杯だ。そして、そんなシーンを見ていたキャリは、ポカンと見つめながら言った。
「やっぱり……そうだったんですね」
キャリの言葉に首を傾げた面々は続く言葉を待った。
ただ、その口を突いて出る言葉は、衝撃的なものだった。
「そうよ? やっと実物を見れたから私も満足」
アハハと笑いながらリリスが応えると、キャリは周りを見てから言った。
「死の直前でこっちに引き戻してくれたんです……」
「そうよ。あなたはまだ死んじゃいけないの。まだやる事があるのよ」
そんな事を言ったリリスは、スッと手を伸ばしてキャリの身体を指差した。
何が起きるのか?と全員が固唾を飲んで見まもる中、僅かな詠唱の後に一瞬だけ眩い光が部屋を照らした。そして……
「信じられない……」
「それが魔法よ」
キャリの胸に空いていた傷がスッと癒えた。ただ、そこには大きな傷跡が残っていて、それはまるで神の試練を受けた太陽王の様だった。
「ちょっとズルをしたけど、条件としては厳しい環境だったからおあいこね。ガルディブルクに帰ったら、胸を張って言いなさい。カリオンより厳しい条件で試練を経たってね。ただ、私の事は言っちゃダメよ」
再びアハハと笑ったリリス。
だが、その隣に居たウィルが冷静な声で言った。
「お嬢様。そろそろお戻りになる時間です」
「……そうね。私の魔力でもこの世に居続けるには力不足だわ」
肩をすぼめて残念そうにそう言ったリリス。
それを見ていたリベラが渋い声で言った。
「そんな時ゃぁ…… 精進有るのみですぜ。お嬢」
「リベラの言う通りだわ」
2人のエリートガードを連れたリリスは、文字通りに女王のような貫禄をまとっていた。そして、その光景に目を細めるカリオンは、静かな声で言った。
「まさかこっちまで来るとは思わなかったよ」
「私もよ。まさかこんな事が出来るとは思ってもみなかった」
フフフと妖艶に笑ったリリスは、スッと左手を横へ伸ばし、僅かな詠唱を行う。
すると、リリスの周りにはボンヤリと光る輪が現れ、その中に居た3人がスーッと消えていくのが見えた。
「私は影。私は幻。私は夢の世界の住人。蜃気楼と走馬燈の世界に居てこの世界を見守っているのよ。また会いましょ。もっと精進鍛錬を積み重ねておくから」
その輪の中、ボンヤリと見えてた3人が急速にフォルムを失った。そして、まるで灯っていた炎がフッと消えるが如くに、その姿が闇に消えた。
『……私はまだ愛してる。けど、あなたはサンドラを大事にしないと駄目よ』
部屋の中にリリスの声が流れた。
その声に『あぁ。分かっているとも。ただ、リリスも愛しているぞ』と、カリオンは呟き、ベッドから降りて立ち上がった。
「……陛下」
意を決したような声でドリーがカリオンを呼んだ。
聞きたい事は山ほど有るのだと全員が同じ顔をしていた。
ドリーやヴァルターだけでなく、ボロージャやアブドゥーラまでもがその光景を見ていた。もちろん、ル・ガルを支える多くの面々もだ。
「リリスは余の夢の中に生きていた。余の我が儘で、彼女の魂をこの世界に繋ぎ止めたのだ。だが、それは相当に苦しい事のようだった。故に余は……多くの魔道師の力を借り、彼女を安定して居させる術を編み出したのだ」
嘘では無いが真実でもない。だが、それを知る者はこの席には居ない。
嘘に嘘を重ねる非道を恥じつつ、それでもカリオンはそう説明した。
「そうだったのですか……」
リリスとは直接の面識がないボロージャがそう漏らす。
そして、同じようにリリスを知らなかったアブドゥーラもそう漏らした。
「お美しい方だった……と言ってはいけませんな。お美しい方だ」
魔導に携わる王の事だ。まだまだ驚く様な何かがあるのかも知れない。
誰もがそんな事を思っていたとき、キャリが口を開いた。
「最初、夢の中で誰かに起こされたんです。今すぐ起きなさいって金切り声で叱られて、それでビックリして起きあがったら部屋の隅に細作が居て……」
驚きの表情のまま語るキャリは、鼻の頭をカラカラに乾かした状態だった。
垂れた耳が後に下がり、まだ警戒を崩していない事が見て取れた。
「いきなり襲い掛かってきたので、寝台脇の剣を抜いて逆袈裟に斬ったのですが、あの刃で貫かれて……それで……」
何があったのかを語っているキャリの言葉を全員が聞いていた。
カリオンは『それでどうしたのだ?』と言葉を掛けた。
「あ、やばい、死ぬって思ったんだけど身体がもう動かなくて、で、最初に音が聞こえなくなって、それから世界が暗くなり始めて、ちょっと経ってから暗い中に何か光るモノが見えて、それが花だって気が付いた時、一面の花畑の中にぽつんと立ってたんだけど……その時に――」
キャリは顔を上げて父カリオンを見た。
「――その花畑の向こう側に丘が見えて、その丘の上に立ってたんです」
カリオンはニヤリと笑って言った。
「リリスが……か?」
「はい」
そこで再び『で?』と続きを促したカリオン。
キャリは鮮血の飛び散っているベッドに目を落としてから続けた。
「この人は何処かで見た事がある!って気が付いて、誰だか必死で考えた時に向こうからスッと近寄ってきて、で……まだ死んではいけませんっていきなり言われてビックリして――」
キャリの手が自らの頬に触れた。
何かの感触を思いだすようにさすって、そして思い直したように言葉を続けた。
「――いきなり右の頬をひっぱたかれて、こう、ぐらっと姿勢を崩したときにもの凄く色んな事をいっぺんに言われて、で、その後で今度は左の頬を叩かれて、それで世界がフッと色を失って、いきなり薄暗い所放り出されて、とにかく全身が痛くてどうしようも無くて……けど、気が付いたら父上がいた」
その時点で現実に帰ってきたらしいのだが、カリオンの興味は別にあった。
「リリスに何と言われたのだ?」
「それが……」
困った様な顔になったキャリは、意を決したように言葉を吐いた。
「あなたは次の太陽王なのですって。だから死んではいけないし、この国の行く末を見守らねばならないって。戦は父上が……カリオンは引き受けるだろうから、あなたは戦で荒んだ国を立て直す為に奔走しなさい……と」
訥々と語るキャリの言葉に全員が表情を硬くしている。
だが、カリオンだけは穏やかな表情でそれを聞いていた。
「……なるほどな。お前を祝福しに来たか」
祝福と言うより窮地に駆けつけたと言う方が正確だろう。だが、少なくともこのキャリには恐ろしいガードが付いたと言う事だ。この世界の者が手出しできない所に居て、彼女はこのキャリの守護者となるのだろう。
あのキツネの老婆が何かをしてくるかも知れないが、あのリリスなら対抗出来るかも知れないと誰もがそんな事を思った。そして……
「まぁよい。リリスの言う通り、お前に王位を譲る良い機会かもしれん」
カリオンはいきなりとんでも無い事を言い出した。太陽王の生前退位は記録が無く、また、行った者も1人としていないのだ。
「陛下!」
抗議がましく声を上げたドリー。だが、カリオンは笑いながら言った。
「分かっているとも。そなたらの忠誠と献身は余の誇りとする所だ。故に――」
カリオンはドリーやボロージャの肩を叩きながら言った。
「――余もまた1人の騎兵として、ル・ガルを護る者として戦に立つ必要がある。そして、その場で皆の支援を受けつつも、武運拙く死ぬかもしれん。その為に必要なのだとリリスが言ったのだろう。死ぬつもりは無いが必要な事だ」
何ら悪びれる事無くそう言い切ったカリオン。
そんな王の姿を臣下の者達は眩しそうに見ているのだった……