死の女王の来訪
~承前
――……ん?
完全に眠っていたカリオンは、何かの気配に気が付いて目を覚ました。
あのデュ・バリーが弄り倒した悪趣味なソティスの城は装いを改め、今は古都らしい姿を取り戻して居る。
だが、その城中に蟠る臭いは、あの成金風情の悪趣味な香りを残していた。そしてそれは、ややもすれば鼻を突くような臭い……安い娼館の中で焚かれる香の臭いにも似た物だった。
「……ふう」
一つ息を吐いたカリオンは、部屋の隅に灯る明かりで照らされた天井を見た。
そして……目が合った。そこに居たのはヘビの男だった。
「太陽王の首、もらい受けに参りました」
音も無くフワッと床に降りたヘビの男は、妙に手足の伸びた不思議なシルエットだった。
「……誰の差し金だ?」
何ら慌てる風もなく、カリオンは穏やかな声でそう問うた。
寝てる間に乱れた枕を整え、薄掛けの縁を整えながら。
「死に行く者は知らなくとも良い事だ」
まったく無表情なヘビは、低い声でそう応えた。
その手に見える鋭剣は、刃を黒く染めた細作特有の設えだった。
「そうだな……それが正しい」
枕を整えていたカリオンは、その枕の下に入っていた短筒を取りだしてヘビに向けた。マジカルファイヤ方式の20匁筒を短くしてある拳銃だった。
「残念だったな」
「なっ――
なんだそれは?とでも言おうとしたのか、ヘビの男の目がクワッと見開かれた。
かつてカリオンはリベラから聞いた事がある。細作に必要な知識の一つに、世界中のありとあらゆる武器の知識と対処法を覚える必要があるのだ……と。
ただ、その名も知らぬヘビの細作が言葉を吐ききる前、カリオンは小さく『フッチ』と詠唱し短筒を放った。パンッ!と小気味良い音が響き、音速の弾丸がヘビの頭蓋を貫通した。
「陛下!」
その音に反応したのか、寝室の外で警備に当たっていたヴァルターが飛び込んできた。眠そうにしょぼつく目をしているのは、自ら不寝番を買って出たからの様だった。
「ヴァルター。不寝番をしてくれるのはありがたいが、これでは困るぞ? それと休むのも仕事のウチだ」
冗談交じりにカリオンはそう言う。
だが、当のヴァルターは頭を垂れ、自らの不始末に恥じ入っていた。
「面目次第もございません」
「よいよい。余はこのル・ガルで一番に運が良い男なのだ――」
カリオンは珍しくそんな軽口を叩いた。だが、その直後にカリオンの表情がグワッと変化し、短筒に早合様の実包を詰めながら部屋を飛び出した。
「――キャリ!」
長い廊下のどん詰まりにあるカリオンの寝室から数室離れた所。重厚な扉に隔てられた別室でキャリは寝ていた。その部屋の扉を蹴り破ってカリオンが部屋に飛び込んだとき、そこにはヘビの男が壁にもたれて立っていた。
――しまった!
カリオンは最初に気が付くべきだった。銃声に驚いて部屋に入ってきたヴァルターはともかく、それ意外ななぜ来なかったのか?をだ。そしてその理由は室内にあった。ベッドの上にはキャリが居た。どう見ても生きているとは言いがたい姿で……だ。
「エリクサー!」
カリオンは力一杯に叫んだ。ベッドの上にいたキャリの胸には短剣が突き刺さっていた。そして、その右手には愛用していた長剣があった。恐らくは、咄嗟に相手を斬ったのだと判る姿だった。
そして、斬られた細作は自らの死を覚悟したのか、壁にもたれ掛かって立ったまま絶命していた。大きく切り裂かれた腹からは腸がこぼれているが、死の直前までキャリの姿を見ていたのだろう。
確実に殺したと確信するまで、恐らくは意地を張っていたのかも知れないが……
「陛下!」
室内に飛び込んできたヴァルターがエリクサーを手渡す。僅かに痙攣しているキャリの口へエリクサーを流し込んだカリオンは、勢いよく短剣を抜き取った。
「さぁ、これがお前の試練ぞ! 負けるな!」
不可抗力に訪れた神の試練。太陽の光に恵まれない闇の底ながら、キャリはここで自らの運の良さを示さねばならない。だが……
「ケポッ……」
小さな音を立て、キャリの口から僅かな量のエリクサーが吐き出された。カリオンは咄嗟に口を押さえ、その腹をドンッ!と叩いた。だが、今度は短剣に貫かれた胸からエリクサーがこぼれ始めた。
凡そ細作という者は的を確実に殺す事を旨として仕事に当たる。そしてこの場合は、しくじってエリクサーを飲まれても胃の腑に落ちないように食道を断ち切ってしまう事が重要だった。
神の試練はあくまで心臓を貫くのが本義で、食道を断ち切る事はしない。つまりは、エリクサーの効果が発揮できない事に……
「ならばこうだ!」
カリオンはキャリの上半身を起こし、穴の空いた胸にエリクサーの小瓶を突っ込んで食道から直接胃の腑へと流し込んだ。その瞬間、キャリの身体がガクガクと震えだし、大きく痙攣を始めた。
「お前は次の王だぞ! しっかりしろ!」
カリオンの叫び越えが室内に響く。だが、キャリは痙攣するばかりで何の反応もしないでいた。さすがのカリオンも焦ったのか、辺りを見る余裕がなかった。そして、そこに決定的な隙が生まれた。
「いただき!」
部屋の隅、の暗闇から長い手がヌッと伸びてきた。その手には短剣が握られていて、真っ直ぐにカリオンの喉を狙っていた。
そのシーンを見ていたカリオンとキャリとを囲む全員が『あっ!』と叫んだ。実際には、もはや何の対処も出来ず、叫ぶしかなかったのだった。
だが、細作のその刃がカリオンの喉に当たる瞬間、キャリの手がその刃に翳された。そして、その刃が手を貫通したが、若く力の溢れるその手が完全に刃を止めていた。
「キャリ!」
自らの死を覚悟したカリオンですらもそう叫んだのだが、キャリはクワッと目を開いて言った。
「まだ父には死んで貰っては困ります」
キャリの手がグッと力を増し、細作の手を握り潰した。小さく『ギャッ!』と声を発した細作は、暗闇の中から姿を現した。やはり、以上に手足の長いヘビの男だった。
「……くそっ しくじったんか」
南の地で使われる訛りでそう言ったヘビは、残った手でもうひとつの短剣を抜こうとした。だが、そのとき細作はビクッと身体を震わせて後ろを振り返った。何も無いはずの暗闇を凝視したヘビは、カタカタと震えていた。
「なっ…… なんだ…… なんだこりゃ……」
痛みでは無く、何かに怯える風に全身をガタガタと震わせるヘビ。それは痛みでも苦しさでも辛さでもないもの。圧倒的な存在を前に身体が動かなくなる現象。
一定の実力を持つ者ならば感じ取れる、圧倒的な実力差と生き永らえる事への絶望であり、対処不能な事態に直面して全てを諦めた者の見せるふるまいだった。
。
「……貴様。我が王に何をする」
闇の底から響くような魔性を秘めた呪いの声。全員がそんな事を思うような、凄まじいまでの怒りと憎しみの籠もった声が部屋に流れた。
そして、その声の後に若い女の声が響いた。ともすれば可愛い声とも聞こえる様な、そんな声だった。ただ、その女声もまた冷たく凍てつく様な空気を孕んでいるのが分かった。
「ル・ガルに栄光あれ。光りあれ。永遠に栄えよ。空に輝く太陽のように」
暗闇の奥。その漆黒の中に更なる暗闇が溢れた。そして、その中から何かが飛び出してきた。細く鋭く長い刃は、真っ直ぐにヘビの男の胸を突き刺した。
「ばかな……」
まったく動けずにその刃を受けてしまったヘビは、カタカタと震えていた。
「この程度も躱せねぇたぁ…… 世間の細作も芸の質が落ちやしたねぇ……」
その声に聞き覚えのあったカリオンは『どうやって?』と漏らした。
ただ、その前にヘビの細作がビクッと震えてから動かなくなり、そのまま床に崩れて落ちた。そんな現実を容赦無く突き付けたのは、暗闇の奥底から姿を現した者達だった。
「リベラ。なんとか間に合ったようね」
「へぃ。お嬢の術のおかげにござんす」
「次はもう少し早く術を展開できると宜しいですな」
キャリの寝室に姿を現した3人。それは人形のように無表情なリベラとウィルを従える、透明な身体に薄衣をまとった死の女王――リリス――だった。