狐国侵攻作戦 17
~承前
「……なんだ?」
驚いたオクルカがそういうのも無理は無い。鞘の先端が吐き出したのは、銀杏の様な粒だった。そしてそれは、戦場で命のやり取りをした男ならば、稀に見る機会があるモノだった。
「睾丸……だな」
頭を振りながら立ち上がったヴァルターは、その粒を見るなりそう言った。鞘の先端からポフッ!ポフッ!と音を立ててこぼれ落ちるのは、幾つもの小さな睾丸だった。
まるで天日に干して乾ききった青梅のような、その小さな小さな粒。だが、全員がその粒では無くキツネの男を見た時、驚きの声を漏らした。
「貴様……女だったのか……」
ドリーの声が怒気に満ちていた。
男だと思っていたそのキツネは、萎びた乳房を露わにしたキツネの老女だった。
「見たな……」
キツネの老婆は凍り付く様な殺気を孕んでそう漏らした。
同時にその姿の周囲が大きく歪み始めた。
「見たな…… 妾の正体を見たな! もう生かしてはおかん!」
袈裟懸けに斬られた筈なのに、その老婆は両手を天に突き上げ凄まじい声を発した。生ける者全てを呪い殺すかのような凄まじい恨みの籠もった声で叫ぶのは、間違い無く何かの詠唱だった。
ただ、その凄まじい威力を持つであろう魔術の詠唱は、残念ながら完成を見なかった。一般的に威力のある魔術の詠唱は長く複雑でやり直しが利かないモノだ。そしてその詠唱に失敗すれば、その威力は自分に返ってくる。
それ故に魔法使いを含め魔導に携わる者達は極限の集中力と精神力とを必要としつつ、タイミングを見計らって一気に詠唱するセンスをも必要とするのだった。そして、魔法使いと戦うならば詠唱を乱すのは常套手段。
そしてその時、その詠唱を乱したのは、まったく新しい魔法の使い方だった。
「撃てッ!」
アブドゥーラの叫び越えと同時、凄まじい数の鉛玉がキツネの老婆に襲い掛かった。音速を遙かに超える速度で襲い掛かった鋭い鉛の矢尻は、その身体を次々と引き裂き、肉を絶ち骨を砕き、その命その物を削っていった。
「2列目! 撃てッ!」
スッと入れ代わった打ち手が素速く射撃を行った。作りかけていた強力な魔導のフィールド全てが反転し、その老婆に襲い掛かっていった。ただ、その凄まじい痛みにも苦しみにも老婆が反応する事は無かった。
傍目に見ていてまともな部分が残って無いと思わせるほどに、音速の鉛玉が貫いていたのだ。顔も頭も喉も身体の全ても、ことごとくボロ雑巾のように砕かれ引き裂かれ押し潰された。
それはもはや、芯材となる骨組みに挽肉を貼り付けただけのような姿だった。鮮血をダバダバと零しながら、その老婆だった何かは地面に崩れて落ちた。
「3列目! 構え!」
射手がスッと入れ代わり、その間に早合の業を見せたアッバースの銃兵1列目が待機体制となっていた。徹底的に訓練された射手の早合は、僅か5秒~10秒で再装填を完了しているのだった。
「待てアブドゥーラ!」
頭を振りながら立ち上がったカリオンは、そのキツネの老婆を遠目に見ていた。震える手を持ち上げ、何かをしようとして居るのが分かった。
「貴様…… 余の吾子をどこに隠した」
カリオンは低く轟く声でそう言った。だが、キツネの老婆がそれに応える前に、その身体がフワッと光った。そして全員が『あっ!』と叫んだ瞬間、その身体の全てがまるで裏返った様に消えて無くなった。
「……バカな」
オクルカは目を剥いて驚いていた。彼の経験的にあり得ない事が起きたのだ。
通常、吸魂の太刀で斬られた者は急速に老化した後で灰のように消えて無くなる筈だ。だが、キツネの老婆は斬られて撃たれてズタボロになって、それでも逃げおおせた……
「通常では理解出来ぬ事が起きた……のだろうな」
重い声でカリオンがそう呟く。その直後、どこからともなく声が響いた。
まるで幼児が喋るような、そんな若い声で……だ。
「あぬしら……覚えておれ……この恨みと借りは必ず返してしんぜようぞ……妾は神になる存在じゃ……あぬしら如き虫けらに関わっている暇など無いのじゃ……」
カリオンは無意識にオクルカを見た。だが、そのオクルカは、黙って吸魂の太刀を抜いた。何か嫌な感触でも感じたのか、抜き放った太刀を繁々と眺めた。
「……これは何だと言うのだ……」
ボソリと呟いたオクルカは、太刀の刃に付いた液体を手に取った。ヌメリを感じる粘性の高い液体は、白濁して妙な臭いを放っていた。
「精液?」
風下にいたドリーがそう問うと、オクルカは無言で頷いた。
それが何を意味するのかは全く理解できない。だが、少なくとも通常では考えられない……理解出来ないことが起きていたのだ。
「まさかとは思いますが……」
低い声で切り出したオクルカは、皮袋の水で太刀の刃を洗うと、すさまじい速度でフンッ!と素振りした。バッと散った水飛沫に乗り、精液染みたモノが地面に飛び散る。その色も臭いもまさに……そのものだった。
「オクルカ殿。率直に言っていただきたい。これは……」
ドリーが言葉を促すと、オクルカは険しい表情になって言った。
単なる可能性の話ではあるが、今さら何が起きても驚かない。
「あのキツネは……男と女の重なりだったのではないかと……両方の性的特徴をもった……ふたなりではない両性の存在……つまりは、あり得ない存在……」
オクルカは震える声で己の考えをのべた。
俄には理解できない事だが、ある意味ではストンと腑に落ちる話でもあった。
ただ、そのあり得ない存在が何故ララウリを拐ったのか。
そこが全く理解できないのだが……
「陛下」
ドリーは険しい表情でカリオンを見た。
その眼差しに含まれていた意味は良く解るものだった。
「そうか……そうだな……そろそろ話しておかねば……なるまい」
同じように厳しい表情となったカリオンは、グッと気を入れて溜息を吐いた。
深い深い懊悩の果てに導き出された事ではあるが、いつまでも隠して置いて良い事では無いのもまた理解している。
「それは……ララとララウリ殿下が同一人物と言う事ですか?」
全てを承知していると言わんばかりの軽い調子でヴァルターがそう言った。
それを聞いた者達が『あぁ……そういえば……』と言わんばかりになっていた。
「いや、他の種族ならばともかく、イヌの鼻は誤魔化せませんよ」
ハハハと笑ったヴァルターは、目を細めながら言った。
それに同調擦るように、オクルカが言う。
「いつになったら公にするのだろうか?と、そればかりか考えてきましたよ」
ハハハハと陽気に笑いながら言うのだが、事前に知っていた者と、なんとなかそう思ってきた者では受け取りかたが全く異なる物言い。そんなオクルカの腹芸を見てとったカリオンは、上手く合わせる義務をいきなり背負わされていた。
少なくとも、王が臣下の者達に隠し事をしていたという失態は上手く誤魔化さねばならない。だが……
「……なんだ、もうバレていたか」
カリオンは直球勝負を選択した。そして、素直な物言いを続けた。下手な取り繕いは、かえって傷を広げるだけだろう。ならば全て詳らかにしてしまうべきかも知れない……
「……王の后たる者ならば男を産めねばな……」
カリオンが切り出したのはサンドラへの配慮だった。彼女の最初の子は女の子だった。問題はその次だ。二人続けて女を産めば、何かと波風が立ってしまうのはやむを得ない。
世間が嘱望するのは、世嗣ぎとなる男の子だ。カリオンの後を受けてル・ガルの王となる存在を産めねば、サンドラの存在価値がなくなる。そして彼女は、サンドラは嫌でもリリスと比べられる運命なのだ。
ここで彼女を庇えねば、王の王たる資格はないのだとカリオンは言った。
「まぁ……実際はその通りでしょうよ。だからシュサ帝だってトゥリ帝だって側室を山ほど抱えてた。アレもある意味では后に対する配慮ですよ」
ドリーは遠回しにもっと側室を集めろと突っ込んだ。
ただそれは、王に側室を紹介する手柄争いの種でもあった……
「まぁいい。それより……」
カリオンが辺りを見回すと、全員が既に下山の準備を整えていた。
訓練の行き届いた臣下達を見つつ『降りるか……』とカリオンは切り出す。
だが、ドリーの統率により素速く山を下りた辺りで、遠くから伝令となる早馬が掛けてくるのを全員が見ていた。そして、このタイミングかつこの状況で伝令が来る以上、碌な事じゃ無いと腹を括った。
「伝令! 伝令! 王陛下に急報なり!」
まともに息も出来ないような状況に有りつつ、伝令は城からの緊急伝達書類を差し出した。その文章を読んだカリオンは、思わず天を仰ぐのだった……