狐国侵攻作戦 15
~承前
「陛下。まもなく道がなくなります」
斥候に出ていた軽装騎兵の報告から、ドリーは山への進入路が無くなる事を報告した。ただ、道がそこで終わる理由はなく、また、なぜそこまで道があるのか?の理由を考えれば、どうしたっておかしい事だった。
「うむ。周辺を探索せよ。必ず何処かに道があるはずだ。些細な事まで見落とさぬよう注意せよ」
カリオンの指示にドリーは『畏まりました』と短く答え、隊列を離れて行くが、その間にもル・ガル国軍は着々と北上を続けていた。いざとなれば全員を横一線に並べ、そのまま山を登らせても良い。
道が無いはずが無い。気が付かないだけだったり、或いは巧妙に偽装されているだけかも知れない。そして、可能性の一つとして魔法による偽装が行われてる可能性もある。
――キツネだからな……
カリオンは改めてキツネの狡猾さと周到さに舌を巻いていた。彼らは全ての面において用心深く、執念深く、疑り深い。故に、『己の足跡を消して歩く』などと言われる程、キツネは全てを信用せずに振る舞う。
そして、これもそうなのだろう。あのウォルドと名乗った九尾を目指すキツネは特に用心深いのかも知れない。
――まぁ……
――気持ちは分からぬ訳でも無い
カリオンは改めてあのイナリが言った言葉を整理して反芻していた。九尾を目指す者達は、体内に特別なモノを蓄え、イナリに自分自身を差し出す日を待つのだという。
いったいそれは何だ?と問うたカリオンに対し、イナリはそれを『人黄』と表現した。人の心臓の辺りにある、特別な力の詰まった臓器が九尾には有ると言う。そしてイナリは、九尾のその人黄を喰らうのだと言う。
それを喰らい、神の力を漲らせ、世界に豊穣と繁栄をもたらす。凄まじい力を発揮する魔力を体内に錬成し、それらを蓄えて自在に操るのだという。カリオンは更に問うた。
――人黄とは命その物か?
と。
イナリは首を振り、人王は命では無い。命を構成する根本で有り、魂を構成する素材で有り、その人格を形作る中身だと応えた。そして、この世界において対応する言葉が無いとも言った。
つまり、もっともっと遙かに高位の存在であり、また、数十次元の存在である者で無ければ扱えない代物なのかも知れない。もっと言えば、それはモノでは無く形の無い何かかも知れない。
言葉では表現出来ないモノ。
言葉にした瞬間に形を失ってしまうモノ。
カリオン自身がその人生経験の中で幾度も感じてきた、それら形の無い概念上の存在――例えば忠誠と呼ばれるモノ――と同じく、その九尾達が蓄えた異世界への望郷の念だとか、或いは野心的な願望が固まって出来た醜悪なモノかも知れない。
――まぁいずれにせよ……だな
一つ息を吐いたカリオンは、馬上にあってその山並みを見上げた。深山幽谷の彼方にあのキツネの庵があるのかも知れない。何としてもそれを探し出し、暴き立ててリリスを解放せねばならない。その為に……
「待ち遠しいですな……」
カリオンのすぐ近くで腕を組んでいるオオカミ王のオクルカは、この日もあの黒太刀を腰に佩ていた。斬った相手の魂その物を吸い込んでしまうと言うフレミナの魔具。それを持ってきたオクルカは、何が何でもあのキツネを斬ってやると意気込んでいた。
「まったくです。世界の頭痛の種を取り除かねば」
出来るモノなら九尾など皆殺しにしてしまいたい……と、そんな事を思ったカリオン。だが、それと同時に『ん?』と自分自身への違和感を覚えた。
――それをして何になる?
そうだ。皆殺しなど何も生み出さない。
ネコの都市を焼き払ったトゥリ帝の一手でイヌとネコは未だに啀み合っている。いや、その前からもずっと続いてきた事かも知れない。だが、少なくともネコもイヌも恨み骨髄の精神が残っているのだ。
…………思考を操作される
かつてリベラのいった言葉をカリオンは思いだした。思考を制御され、彼らが望む形の結果になるように人を操り動かす。その凶悪な効果の一端をカリオンは感じたのだった。
――拙いな……
山の奥へと続く入り口は、隠されているのでは無く気が付かないだけではないだろうか?と。それをどれ程説明しても、その様に思考自体を制御されてしまっては無駄な事なのだろう。
「オクルカ殿。実は――
カリオンは事のあらましをオクルカに説明した。それに気が付かないようにされているのかも知れないと教えたのだ。
ある意味、ル・ガルの中でもフレミナ地方だけは魔術と魔法に関する知見が深いのだから、何か対処法の一端でも……と思ったのだが。
「ならば話は早い。鏡を出しましょう」
オクルカは懐の中から手鏡を出した。ヒトの世界にあるような、ガラスのはまった代物では無い。金属の板を磨いて磨いて磨き抜いて映るようにした鏡だ。
「これは魔鉱と呼ばれる金属です。何でもヒトの世界では特別な呼び名があるそうですが、これを板にしてから磨き続けて作られた代物です。これは相手の正体を映すと言われていまして……」
オクルカはその鏡を自分の胸の前に置き、斜め45度に構えて鏡を上から覗き込んだ。鏡には自分の前の光景が映っているのだが、その光景は深山幽谷ではなく、やせ衰えたはげ山が見えていた。
「このように使うと、真実を暴き出してしまうと言われています……が……これは凄いな……」
オクルカはカリオンにその鏡を渡して『見てみろ』と言わんばかりのジェスチャーで真実を見る事を促した。
「……ほぉ」
同じようにカリオンもその鏡を覗き込むと、やはり見事なはげ山が見えるのだった。そして、そのはげ山の中に続く一本の道が見えた。僅かな踏み跡の残るその小道は山の奥へと伸びている。
「ドリー! どこだ!」
思わずドリーを呼んだカリオン。慌てて走ってきたドリーは、カリオンの行っている様を不思議そうに眺めた。
「ドリー、この正面に魔法で撹乱された道がある」
鞘ごとレイピアを抜いたカリオンは、鏡に映る道を剣先で指し示した。ドリーがそこを見ればただの茂みにしか見えないモノだった。
だが、首を傾げながらもその入り口へ立ったとき、そこには不思議な石の杖が地面に突き刺さっているのが見えた。
「陛下! このようなモノが!」
ドリーの声に顔を上げたカリオン。その視線が来た事を確認したドリーは、その杖を引き抜いた。案外深くまで刺さっていたようだが、ズルッと引き抜いた瞬間、どこからともなく『ギャァァァ!』と悲鳴が響いた。
「なんだ??」
「どうやらアレが魔具のようですね」
眉間を寄せて山並みを見たカリオンとオクルカ。引き抜かれた石杖には、複雑な紋様の魔方陣が描かれているのが見える。それだけでなく、魔方陣と共に描かれているのは異界の文字だ。
ヒトの世界で使われている文字にも見えるそれは、複雑な魔法回路を構成する呪術の作用系統説明のように感じられた。
「おぉ!」
カリオンとオクルカが石杖に気を取られている間、瞬く間に山並みの景色が変わり始めた。青々と茂った森がみるみるやせ衰え、ごく僅かに葉の残る痩せた枯れ木に姿を変えた。
その山並みの真ん中辺り。馬では通れそうに無い細い道が続いていて、どうやら歩いて上がるしか無いようだった。
「参りましょう」
「えぇ。是非とも」
オクルカとカリオンは間髪入れずに山へと足を踏み入れようとした。だが、そんなふたりをヴァルターが押しとどめた。
「危のうございます。手前が露払いを務めますので――」
ヴァルターもまた鞘ごと戦太刀を抜いた。
それをカリオンへと手渡し、笑顔で言った。
「――もし手前が狂を発したときは、ご遠慮なさらずそれで手前をお斬りくださいませ。王の手に掛かって死ぬなら、本望も本望。無上最上の悦びであります」
満面の笑みでそう言ったヴァルターは、マントを畳んで山に入った。それに続きドリーが『私も先陣を切らせて戴きますぞ!』と喜んで分け入った。そして、それに感化されたのが『では、私は太刀持ちを引き受けましょう』とボロージャが進み出て言った。
「……あぁ。行こうか。皆、頼むぞ」
カリオンはその一言で場を締めた。
だが、その言葉は100万の思いを圧縮したモノだと皆は感じていた。