狐国侵攻作戦 10
~承前
ガルディブルク城最上階。
王の暮らすプライベートエリアの中でサンドラは報告書を読んでいた。コーニッシュの街を中継地点とし、続々と送られてくる報告書は膨大な量だ。
そんな報告書を再整理し、読みやすくまとめられたモノなので、サンドラでも充分に読み解ける内容と言える。だが、それを読んだとて、母親の懊悩が消えるわけでは無かった……
「鷹揚と構えなさい……と言っても、やっぱり無理よね」
落ち着かない日々を送っているサンドラに声を掛けたのは、久しぶりに城へと上がってきたエイラだった。
「お義母さま……」
サンドラはこの数週間でずいぶんと痩せていた。
実の子が誘拐されたとなれば、心配しない親は居ないだろう。
「母親の仕事は子供が独り立ちするまでよ」
母親の経験は母親にしか理解出来ないモノなのだろう。
何かを言いたげなサンドラだが、その言葉を飲み込んでしまった。
「……あの子が心配で」
「大丈夫。親は無くとも子は育つわよ」
「でも……」
息子ガルムに秘められた特殊性はエイラだって理解している。最初に切り出されたときこそ腰を抜かすほど驚いたモノだ。だが、今は女性として振る舞っていたエルムの内側に、エイラは黒耀種の男が持つ尚武の色を見つけていた。
強く逞しく生きる精神を常に内包している黒耀種は、ある意味ではどんな境遇にも適応できるのだろう。困難が人を鍛えると言うが、自らの息子エイダがそうだったように、ガルムもまた育つはずだ。
何の根拠も無いが、エイラはそんな事を思っていた。
「……昔、聞いた事があるのです」
サンドラは不意に切り出した。それは、フレミナの地に伝わるキツネの話だ。
エイラは『どんな話?』と返すが、穏やかな表情の裏では警戒心のレベルをひとつ上げていた。
「キツネの中には、ごく稀に……本当に極々稀ながらに、超常の力を持って産まれてくる子が居るのだそうです。そんな者達は最初から特別な養育を受け、その将来を渇望される存在になるのだとか……」
サンドラの切りだした話は、エイラにとっても驚天動地の内容だった。
それは、あの九尾と呼ばれる存在の秘密。キツネの中で特別扱いを受けるバケモノの成長の話だった。
「九尾に至る課程の中で特別に重視されるモノがありまして、九尾を目指すキツネはそれを探す事に血眼になります」
そこに出てくるのは、神仙の境地に達した者達の起こす狂気の宴だった。あり得ない存在になる為にあり得ない存在を探し、そのあり得ないと呼ばれる歪みを体内に取り込んで再変換する。
ガルムを狙っている七尾のキツネが狙っているのは、ガルムの『男』だった。
「……そんな事が出来るの?」
「私も詳しくは知りませんし、全てが伝え聞いた話です」
それは、ガルムにまつわる性の多重化問題を解決する画期的な方法かも知れないが、少なくとも親にしてみれば歓迎せざるる話でもあった。凡そ外科的な方法とは言いがたい手段を持って、魂のレベルから男の側を剥ぎ取るのだろう。
世間で俗に言われる所の『処女喰い』だったり『童貞喰い』だったりする部分だが、こと九尾を目指すキツネの場合には想像の付かないモノを集める必要があるのだった。
「いずれにしろ……あの子が上手くやるのを見まもるしか無いわね」
エイラはため息混じりにそうこぼした。
だが、その相手は海千山千の策士であり、百戦錬磨の寝業師だ。
「どんな形でも帰ってきて欲しいですが……」
サンドラの漏らす言葉には沈痛な色が混じった。
凡そ戦の現場に於いて、女は役に立たないからすっこんでろと邪険に扱われる事は多い。だが、それで納得出来るほど女だって単純に出来ているわけじゃ無い。
「あの子のケツを叩くしかないようね」
少しだけ笑ったエイラは、手近にあった紙にペンを走らせた。
そこに綴られる文字を見ていたサンドラは、みるみるウチに涙を溜めた。
「……もうしわけありません」
「あなたが謝る事じゃないわ」
「ですけど……」
そこに書き記された文字は、リリスと同じ目に遭わすなと言う母の警告だった。ただ、エイラは知らないのだ。この城の奥深くにリリスが生きている事を。生きているとは言いがたくとも、存在している事を。
「あの子はとにかく鍛えられたから大丈夫。ただ、それでも覚悟は必要よ」
ニコリと笑ったエイラは涼しげな笑みでサンドラを見ていた。稀代の武帝と呼ばれたシュサ帝の一人娘として生まれ、壮絶な人生を送ってきた女性である事はサンドラも承知している。
生涯に渡り夫を二回亡くした存在。その両方の夫から愛され、子を成し、それでいてある意味では本妻に成れなかった悲運の星とも言うべき存在。しかしながらも彼女は強く生きていた。
エイラの存在はサンドラにとってユーラやレイラよりも大きな存在になりつつあった……
「けど、あの子はどうするのかしらね」
ボソリとこぼしたエイラは、報告書を読みながら渋い顔だ。そこに書き記されている内容は、言明こそしてないものの非情の措置を取る事が示唆されていた。つまり、キツネ全てを鏖殺しきるのだ……
「まるく……収まれば良いのですが……」
サンドラは手にしていた報告書をエイラに見せた。
それを読んだエイラの顔がみるみると翳っていった。
「なんてこと……」
その内容は、場数と経験に勝るエイラをも絶句させるものだった……
――――同じ頃
前線本部となっている丘の上でカリオンは頭を抱えていた。
「誰がそこまでやれと命じたのだ?」
静かな声だが、だからこそ怒りが全員に伝わっていた。
咎められたドリーやダニーの顔色は見る影も無かった。
「もう一度聞くぞ。誰がそこまでやれと命じたのだ」
カリオンの問いにダニーは震える声で答えた。
「城内突入を図りましたが、もはや軍の制御統制能わず……」
鼻の先までカラカラに乾かし、ダニーは震えていた。カリオンの発する猛烈な怒気に当てられ、わずか15歳の少年は直立不動であった。ただ、レオン家当主の肩書きだけが彼を支え、失神せずに済んでいる状況だった。
「……俺が付いていながら……面目ねぇ」
ジョニーは項垂れたダニーの頭に手を乗せ、親の代わりに謝る仕草だ。だが、謝って済む問題では無い事をレオン家がやっていた。いや、正確に言うならば、レオン家『も』やっていたと言うべきだろう。
「陛下。どうか罰は我らにも同じように」
毅然とした声で言ったボロージャの言葉にダニーが驚いた顔になった。項垂れていた頭をあげ、ボロージャを見たのだが、その向こうにいたルイとアントワーヌもまた同じように言った。
「諸兵らの感じていた劣等感や敗北感の裏返しなのでしょうが……」
「それらを止められなんだ指揮官らの不始末は、全て私達にありましょう」
二人が言ったその内容。それは、あのチャクラの街中で起きた出来事だった。アッバース砲兵による先制砲撃が始まった夜明けの頃、チャクラの街は大混乱に陥った。各部で砲弾が炸裂し続け、覚醒者たちは変身前に爆死していた。そんな状態ともなれば街中の兵達は脱出路を作ろうと一斉に打って出たのだ。
だが、それを待ち構えていた各家の銃列がそれを捕らえ、猛烈な一斉射撃の果てにキツネの軍団全てを鏖殺していた。そう。ここまでは順調だったのだ。だが……
「キツネ諸兵らを鏖殺した時点で射撃中止を命ずるべきでした」
まるで罪人の様に跪いた姿でアブドゥーラがそう言った。その下知も無く砲撃し続けた砲兵によって、今度は街の住人が押し出されていた。街中では焼き殺されるとパニックに陥った住人の総数は、逃げ込むように流れてきた者を含め20万に及ぶ。
ル・ガル兵はその全てを一斉射撃で殺し続けたのだ。逃げ出す者は女子供ですら容赦なく、マジカルファイヤ方式の火縄銃で撃ち続けた。阿鼻叫喚の地獄図が展開され、怨嗟の声が空に融けた。
「勝利のみを求める兵の本能でしょうな」
エリオットの漏らした言葉。その言葉でカリオンはどこか少し落ち着いていた。そして、コーニッシュに押し入ったキツネたちが行なった行為の本質を少し理解していた。
街から押し出されてくる住人が止まった時、多くの騎兵が銃ではなく槍を持ち、チャクラの街へ突入して行ったのだ。そしてそれからは、ただひたすらに虐殺が続いたのだった。