狐国侵攻作戦 05
~承前
ル・ガル国内でも最上級レベルの紙を用意させたカリオンは、艶のある濃い目の青インクで書をしたためた。宛先はキツネの帝で内容はコーニッシュにおける彼らの行為と連行されたイヌの即時解放。及び首謀者の引き渡しだ。
キツネの側が要求を丸呑みするとは思えないが、少なくともイヌの解放が最低条件である事はキッパリと断言してある。そして、要求が呑まれぬ場合には、少しずつ蚕食していくと。そして、占領地域にキツネの生き残りは作らない……と。
ここまで5つの街を焼いたが、これは始まりに過ぎない。我々は同胞救出のためならば世界を焼き払うことも厭わない。如何なる結末に至ろうと、今回の一件に関する全責任はキツネの兵にある。故に、必ず首謀者を引き渡せと言明した。
「さて。彼らはどう出るかな」
太陽王を示すウォータークラウンのマークを入れたカリオンは、その書を事務方に手渡した。街の大半を焼き払ったウライ市街だが、焼け残っているいくつかの巨大な建物を接収していた。
その1つ。恐らくは何かの宗教的な施設と思われる建物の脇。100人からの人間が楽には入れる大きな建物は、真ん中に土が四角く盛り上げられていて、その上には藁で編んだと思しき太い縄を円形に半埋没させたリングがあった。
――何らかの練兵場か?
そう訝しがったカリオンだが、ドリーはそれを『土俵と言うそうです』と説明しただけで無く、キツネの国では力士と呼ばれる力自慢達のレスリングがあると解説した。
――それを一度見て見たいモノだな
上機嫌でそう応えたカリオン。だが、実際には身体中をピリピリと静電気が走るような感触を得ていた。
――見られている……
内心でそう呟いたカリオンは、キツネの何らかの魔法効果による遠視の術を感じ取っていた。そして恐らく、ここでの会話はキツネの側には筒抜けだろうと感じ取った。
ならば話は早い。彼らに伝わるのを前提として話をすれば良い。むしろ使者のやり取りをすること無く話が通じるのなら、ズバズバと話をまとめれば良いのだ。そう考えたカリオンは、遠慮無くそこを本営とした。
程なくして工兵や様々な部門のスタッフがあつまり、あっという間に玉座としての体裁を整えた。そして今、この玉座の周りには公爵5家の当主全てが結集していた。
「王はどのように話を進められるお積もりか?」
ジダーノフを預かるウラジミールがそう問うた。
相変わらず感情を感じさせない無表情な顔に灰色の目だけが光っている。
「そうだな。余の方針をここで明確にしておこう」
カリオンは改めて声音を改め切り出した。
「まず、キツネの国とはしっかり国境を画定し直し、その上で通商を含めた国交の誼を交わしたい。かの国が鎖国状態にあるのは余も承知している。故に自由な通商は望み薄だろう――」
用意された茶を一口飲み、口中で言葉を練り直したカリオン。
公爵家当主達は黙って話の続きを待った。
「――このウライの街と我が国のコーニッシュの間に緩衝地帯を作り、その間のみで通商を完了する形にしたい。開国せよと迫るつもりは無いのだ。ただ、双方が小競り合いを続けるのは不毛だろう。故に、専門窓口を作り、そこに双方の常備軍を置く形が良いと思う」
それは、遠回しにスペンサー家の利権拡大を意味した。そもそものスペンサー家はキツネを含めた東方種族との交易で莫大な利益を上げている。その甲斐もあってか、ル・ガル内部における様々な公共投資の負担を買って出ているのだ。
その結果、ル・ガル内部におけるスペンサー家の利権がドンドン肥大化していて、他家からすれば鼻持ちならない状況になりつつあるのも事実だった。
「そしてな、ここから先が重要だ」
全員の表情が僅かに変わったのを見て取ったカリオンは、紛糾し始める前に話の続きを切りだした。ル・ガルが迎えつつある絶望的な国内状況を一変させ、尚且つ他国との関係を安定させる為の手段だ。
「東方種族国家との関係を安定化させ、これを手本とし、北方種族国家や南方種族国家と誼を交わす。これにより国内の経済を活性化させるだけで無く、資金流動の活性化や交易の積み増しを図るのだ」
つまり、スペンサー家を手本とし、他家にも交易による収益の拡大を認めようと言う話。そしてそれは、農業国家として繁栄するトラの国や、巨大魔法国家として全ての国から一目置かれるウサギの国など、ル・ガルを凌駕する面を持つ国家との安定的な関係を作る事を意味する。
最終的に辿り着くべき目標は、ネコの国との関係の改善と安定化だろう。ル・ガルとネコの国とは過去幾度も泥沼の闘争を繰り広げているのだ。そんな両国の関係が安定するのは、世界の安定その物でもあるのだった。
「ですが……キツネの国が飲みますかね?」
レオンを預かるダニーが若者らしい言葉でそう言った。ある意味で任侠者らしい言い方とも言えるのだが、その脇腹を後方からジョニーがド突いた。
「おめぇ、口の利き方に気をつけろ」
おもわず『へいっ!』と応えたダニー。今度はその頭をジョニーが殴った。
「オメェは……」
「んな事言ったってさぁ……じゃぁ兄ぃが変わってくだせぇよ」
「ざけんなボケッ! おめーがレオンを背負うのはオヤジの遺言だ!」
レオン家の痴話喧嘩をカリオンがクスクスと笑った。
それに釣られ、アントワーヌとルイがクスクスと笑った。
「仲が宜しいですわね」
「あぁ。羨ましいな」
何処か他人事のように言うボルボンのふたりは、青を見合わせて笑い合った。まだ若いふたりが先代ジャンヌの指名を受けて当主に付いている。そんなふたりも強いプレッシャーを浴びているはずだが、それでも必死に優雅に振る舞っていた。
「おめーも少しはルイを見習え!」
「んな事言ったって! ルイの兄貴はボルボンの御曹司っすよ?」
「ばかっ! そういうのはこっそり言え!」
世間知らずで怖い者知らずなダニーの言葉にジョニーが両手を合わせて『すまねぇ!』のポーズで詫びた。だが、そんな気易いやり取りも若い者同士の仲間意識故だった。
「そういえば、ルイとアントワーヌの婚礼はどうするんだ?」
ふと気が付いたカリオンが問うた。このふたりはまったく見ず知らずだった筈なのだ。先代ジャンヌは全部承知でふたりをそんな境遇に持っていった。そこに見え隠れする『大人達の目論見』は、何となくふたりにも飲み込めるモノとなった。
「ある程度落ち着いたら……ですね」
ルイはアントワーヌの手を握ってそう言った。
急に手を握られた彼女は、少し恥ずかしそうにしながらルイを見ていた。
ある意味で正統なボルボンの主が誕生しようとしている。ただそれは、時代の変遷を経た結果としての帰結。ボルボンに男系当主が存在しなかったのは、ボルボン当主=イヌの王ではない事への配慮でもあった。
「そうか。そなたらが立派になってくれるなら何も心配ない。ル・ガルの社会も実力本位で在らねばならないときが来ているようだな」
それがとんでも無い問題発言なのは言うまでも無い。全ての公爵家に太陽王の芽を与えた。いや、公爵家だけで無く、全てのイヌにその芽を与えたに等しいのだ。
「……陛下」
ドリーは抗議がましい目でカリオンを見た。冗談が過ぎると言わんばかりの態度だ。スペンサーの一門にとって、太陽王への忠誠は全てに勝る最優先事項。それを軽々しく扱われては、一家の沽券に関わるのだ。
「ドリー。そなたも、そなたの家も余は良く理解しているつもりぞ。心配は無用」
やや老いたる王を支える若き公爵家達。
そんな構図のなかで、最後に口を開いたのはアブドゥーラだった。
「……して、陛下」
なんだ?と言う代わりに優しい眼差しを向けたカリオン。
アブドゥーラはひとつ息を吐いてから言った。
「キツネの国が和平と通商の誼を拒否した場合は……どうされますか?」
ジダーノフの主がそれを問うたとき、部屋の中の温度がスッと下がったような錯覚を皆が感じた。それもその筈。先ほどまでにこやかにしていたカリオンの表情がスッと曇った。
そして、顎を引き三白眼になったカリオンがアブドゥーラをジッと見た。思わず背筋を伸ばしてその眼差しを受けたのだが、カリオンはそこからグッと凄みのある笑いを見せた。
「その場合は……どうするか……だが」
カリオンは公爵家の若者達をグルリと見てから言った。
「……全て滅んでもらう。和平を蹴ったならキツネを亡ぼす。和平だけを飲み、通商を蹴ったなら、全ての通商を封じて干殺す。彼らがどうなろうと知った事では無いし、構うことも無い。全て干殺すだけだ」
カリオンの言葉が部屋に流れ、室内の温度が更に下がったような気がした。
ただ、それを聞いた各公爵家の若者達は、ニヤニヤと下卑て笑っていた。
「ならば我がアッバースの一門は、最後の1人までお役に立ちましょうぞ」
銃を与えられた歩兵の王は、自信あふれる笑みでそう言った。それと同じように、各家の主達も揉み手を擦るようにして楽しげな顔になった。ただ、この時まだ彼らは知らなかった。
やがてこの措置がまるっと裏返り自分達に降り掛かることになるのだった。そして、イヌを封じ込めるべく各国代表が集まった際、キツネの使者がそれを提案し全員が丸め込まれてイヌが封じ込められ、2000年に渡って苦しむ事になるのだった……