狐国侵攻作戦 04
~承前
蟻地獄は穴の底でジッと待ち受ける……
誰もが知っているその事実をキツネの諸兵らが思いだしたとき、彼らは自らの運命が逃れられぬ形で決している事を知った。どこへ逃げても十字砲火の火線に捕まり、全周囲防御をしない限り背面を撃たれる状況だった。
そして、至れる結末が全滅以外に無いと解ったとき、彼らが見せたのは破れかぶれの吶喊だ。ただ、剣と槍で優雅に戦う時代ならいざ知らず、銃が本格的に登場した今、その吶喊は華々しさなど何も無い、ただの自殺者の集まりでしか無い。
蛮声をあげ行きを揃えて一斉に襲い掛かる凄まじい突進。他の種族ではちょっと考えられない、恐るべき戦術。だが、彼らが向かう先はイヌの戦線では無く老いた魔女のかき混ぜる巨大な鍋の中だ。
自らの血と肉と命を鍋の具にするべく、無駄な突撃が幾度も繰り返され、その都度にウライサクの中に居たキツネの数は減っていった……
「素晴らしい連動ですな」
エリオットが感嘆の言葉を漏らすのも無理は無い。
まだ熾火の燻るウライ市街には入ったカリオンは、そこで何が起きたのかを理解した。一面の焼け野原となった市街の各所に焼死体が転がっている状態だ。
――――少なくとも……彼らは勇敢に戦いました
――――市民の多くが自主的に動き抵抗を試みました
――――彼らは立派なキツネの民でしょう
そう報告したボロージャの言葉に、カリオンは首肯を返した。
他ならぬジダーノフがそう言うのだ。それま間違い無く事実だろう。
――――最後まで乱れぬ統制と戦意
――――彼らはまことに立派な戦士でありました
――――敵ながら天晴れと言うより他ありません
ルイはそんな言葉でキツネを褒めた。逃れられぬ死を前に、彼らは最後の一兵まで勝つ事のみを求めて戦ったらしい。自棄を起こすこと無く、破れかぶれの突進をすること無く、彼らは組織だって戦い続けた。
その姿にルイは心は震える思いだった……
キツネの兵法に自棄の文字は無いのだろう。最後の1人になるまで、誇りを胸に戦い続けることを選ぶのだとルイは知ったのだ。
「どれ位……死んだのだ」
不意にカリオンはそんな問いを発した。
街の規模の全てを把握しているとは言いがたい状況だからだ。
「ざっくり言えば、凡そ8000人ですが――」
アジャンはやや重い口ぶりでそう報告した。この街に火を放ち、隠れていた住人を文字通りに炙り出したスペンサーの報告にあった住民の総数だ。
小規模ながら一通りの商業規模を作り上げていたウライの街は、商人職人だけで無く、様々な階層の人間が暮らしていたらしい……
「――現状、生存者はまだ確認できていません」
そう。この街で行われたのは、壮絶な包囲戦だった。
住民の全てを街に閉じ込めたまま、周辺から一斉に火を放ったのだ。
キツネの住人は方々へ逃げ惑ったが、その全てをル・ガル兵が射殺した。従来の弓矢では届かない距離から、弓矢とは次元の違う一撃を叩き込んだ。
次々に倒れた住民の死体が積み上がり、やがて街を焼く炎で火葬する状態となった。鼻を突く臭いが辺りに立ち込めるなか、断末魔の叫びが街に響き続けた。
そして最後には、街の中から生ける者の気配が消えた……
「かつて……トゥリ帝がネコの街を焼き払ったことがある。あの時はずいぶんと恨みを勝ったようだが、今回は上手く戦後処理したいものだな」
街の中を馬で歩いたカリオンは、各所に残るキツネの死体へ一輪ずつ花を配って歩いた。自らに花壇の花を摘み、ひとつひとつ遺体に花を添える太陽王。そのワンシーンを描いた肖像画が、後の世で唯一のカリオン王ご真影として残った……
「死体……いや、キツネの遺体は如何しましょう?」
カリオンの元にやって来たポールがそう問うた。
今回の苛烈な措置について、そのMVPと呼ぶべき功績は、この若武者だった。
「君はどう思う? ダニー」
ダニエルの略称であるダニーで呼ばれたポールは、何ともこそばゆそうな顔になった後でニヘラと笑い、その笑いを噛み殺してから言った。
「遺体を傷つけるのは人倫に悖る行為ではありますが、右耳だけ切り取って集めては如何でしょうか。その耳をキツネの王に送りつけ、一罰百戒の教えの通りにされるのが良いかと」
辺りをグルリと見回したダニーは、一つ息を吐いてから言葉を続けた。
それは、15才の若武者とは思えない配慮だった。
「遺体は街の郊外へまとめて埋めましょう。慰霊碑を建て、そこにイヌの報復で焼かれたと書いておくべきです。少なくともそれを読んだ次の世代の者達が、イヌに苛烈な処置をするとこうなると言うのを学ぶために」
その意見にカリオンは思わず黙ってしまった。まさかここまでやるのか!とレオン家の御曹司の実力に舌を巻いた。ただ、そうは言ってもまだ15才だ。敵の親玉に耳桶を送りつけろとは、随分な申し出だった。
「まぁ、それも良いな」
否定はせずやんわりと肯定したカリオン。
そんな太陽王の姿にダニーは鼻が高くなる思いだった。
だが……
「陛下! 陛下!」
大声を上げてカリオンを呼びつつ走ってきたのはヴァルターだった。
街の郊外で四散した遺体の回収と整理に当たっていた筈なのだが。
「どうしたヴァルター。街外れで黄金でも見つけたか?」
怪訝な表情になりつつも優しい声音でそんなジョークをカリオンが飛ばす。
何とも珍しいシーンだが、基本的にカリオンは冗談好きの良いオッサンだ。
ただ、そうは言ってもヴァルターの持ってきな内容が問題だった。
それは、余りに唐突なモノだったからだ。
「黄金どころか宝の山ですよ!」
息を切らせて走ってきたヴァルターは、馬を降りてからカリオンに小さな巻き状を手渡した。その巻物には紫の蝋を使って封蝋が行われており、その蝋自体に何らかの魔法が掛けられているらしかった。
「ほほぉ……」
胸中で魔法の呪文を詠唱し始めたカリオン。
巻物の封蝋が少しずつ融け始め、やがて地面にぼとりと落ちた。
「これは誰が持ってきたのだ?」
封蝋を落としたカリオンは、巻物を広げながら問うた。
ヴァルターは胸を張ってその問いに応えた。
「郊外で作業をしておりましたところ、単騎やって来たキツネの兵がおりました。そのキツネはただ一言、『太陽王に申し上ぐる文なり』と言葉を残し、そのまま帰っていきました。恐らくは……『ウタエノか?』
何かを察したカリオンは、戦況図に書き込まれたウタエノという街の名を思いだした。何があるのかは解らないが、これから重要な事がここで起きるんじゃないかと思った街だ。
その街の名を聞いたヴァルターは『御意』の一言だけを返した。やはりこの街には何かがあるのだと確信したカリオンだが、広げた巻物の中身が問題だった。
――まさか!
巻物の最初部分にはキツネの国の花押が描かれている。
つまり、この巻物はかの国の公式文書と言う事だ。
巻物自体に白檀の香りがついていて、相当な香料で香り付けをした事が解る。それだけの量の香料を自在に使えると言えば、それはもう一人しか居ない……
――帝か……
キツネの国の花押に続いて現れたのは、キツネの帝を示す優雅な花押だ。
その雅で整った花押は、全ての国家から一目置かれるキツネの国の実力だ。
息を呑んで巻物を広げたカリオン。
その巻物は典雅な文字で描かれた、見事なまでの書だった。
ただ、その中身は決して優雅では無く、毒の塗られた短剣その物だ。
「……キツネの帝はこれをどうやって知ったのだ?」
街一つ焼き払ったル・ガルの暴挙について、キツネの帝は強い口調でその行為を非難していた。そして、これ以上の犠牲者を生むのは容認しかねるので、襟を開いて話し合いたいと書かれていた。
「キツネの国は和睦を申し出て来たぞ」
カリオンはその巻物をヴァルターに見せた。だが、そのヴァルターは首を捻って巻物を眺め、裏返したり逆さまにしたりして眺めてから、首を傾げて言った。
「陛下? 白紙ですぞ?」
「なんだ……と?」
ヴァルターが見ている巻物には、何の文字も書かれていない白紙だった。
だが、カリオンにはそこに文字が見えるのだ。
「恐るべき魔法技術ですな」
ヴァルターは感嘆の言葉を漏らして巻物を繁々と眺めた。
何度見ても文字一つ書かれていないモノだが、太陽王には見えるらしい。
「して、如何な内容でありましょうか?」
近くに居たアジャンがそう問うた。
つまり、その巻物に書かれている文字は、カリオンにしか見えないらしい。
「素晴らしい技術だな…… この仕組みは帰ってからウィルに聞いてみよう」
フッと笑いながらそう言ったカリオンは、巻物を大きく広げてその文字を目で追った。何度見てもキツネの帝の言葉は自分勝手の極みだった。
「朕の庇護せし街を焼き払い、朕の庇護せし人々を焼き払った暴虐の王に対し、朕は最大級の言葉を持って抗議するモノなり――」
カリオンの読む文章にアチコチから失笑が漏れる。
そんな笑い声を聞きながら、カリオンは続きを読んだ。
「――如何なる罪状があろうと、無垢潔白の民に手を上げるなかれ。彼らは罪人に非ず。咎人に非ず。その窮状を汲み、朕はイヌの国の王と話し合いたいと欲する」
つまりそれは、キツネによる和平交渉と提案であり、帝が直接出馬してくると言う通達だった。あとはカリオンがそれを受けるかどうかだ。
「で、如何されますかな?」
エリオットはやや眉根を寄せてそう言った。太陽王が招聘に応えるか、それともあくまでキツネの国を焼き払うのか。ル・ガルの首脳陣は太陽王の一挙手一投足をジッと見ているのだ。
「まずはこちらの意志を伝えよう。コーニッシュの街が焼き討ちに遭い、イヌの市民が多く死んだ事を伝え彼らの反応を見る」
どうだ?とそんな表情でエリオットを見たカリオン。
エリオットは浅い首肯で肯定の意を示した。
「その後、こちらの主張をはっきり申し伝える。次からは街を焼くなと。そして、住民を虐殺するなと。それを守らない場合は、本気で地上を掃討する……と」
…………なんだ
そんなガッカリ目の表情でエリオットは溜息を吐いた。
深いその溜息は辺りに伝播し、各所でため息が漏れた。
「それで良いのでありますか?」
アジャンが抗議がましい声音で言った。
だが、カリオンはいたって平然として応えた。
「亡ぼすのが目的では無い、奪回と謝罪させることが大事だ」
カリオン自身、これでは甘いと解っていた。だが、これ以上の争いでは全面戦争に突入しかねない。主目的はララの奪回なのだから……
「これで良いのだ
カリオンは平然した声音で、そう応えるのだった。