狐国侵攻作戦 01
~承前
帝國歴393年5月13日早朝。
コーニッシュ中心から東へ5リーグと離れてない辺り。小さな水路に掛かる橋の上に居たキツネの衛兵が弓に倒れた。夜明けまであと1刻ほどとなった頃だ。
「見張り無し。魔術障壁無し。魔導監視無し」
アッバースの魔導兵がソレを確認すると同時、スペンサー家の騎兵を率いる男は頭の上で手を二回ほど回した。その指示を見ていた騎兵は一言の言葉を発することも無く前進開始した。
コーニッシュと接するキツネの街、テスガ。ここはコーニッシュと同じく商業都市で有り、また、様々な物資の集積地でもある。そして、軍勢を維持するだけの兵站を用意出来る街でもあった。
――――接敵前進始め
粛々と両国を隔てる小さな橋を騎兵が渡って行く。板敷きの橋に蹄の音が響く。
目指すはテスガ東部にあるキツネの軍の基地だ。彼らはこれを遁所と呼んでいるのだとか。この街はキツネにとっても要衝で、様々な流通系統がここへ収斂している状態だった。
「各連隊の移動が始まりました」
街の片隅で馬上にあったカリオンの元へ伝令がやって来た。中央軍集団として前進するスペンサー家の騎兵団は、5個師団が国境を越えた。
そして同時刻、コーニッシュから北へ15リーグでは国境となる川に掛けられた橋の前では、ジダーノフ家の騎兵5個師団が待機していた。
「ハジャーイン。コーニッシュより光通信です」
馬上にあって銃を弄っていたウラジミールの元へ伝令がやって来た。
まだ夜明け前と言う事で、光通信はギリギリ目視可能な状態だった。
「作戦開始か?」
渋い声でそう言ったウラジミールは伝令の顔をジッと見ていた。その双眸には感情らしきモノが一切無く、ただただ相手を威する圧だけが湛えられていた。
「まっ! 間違いありません!」
その威に当てられたのか、裏返った声で伝令は応えた。その初々しい反応に気をよくしたのか、ウラジミールは破顔一笑の顔になって言った。
「我等北限のイヌにも草原は駆けられるのだ。それを証明するぞ。我等の同胞を手に掛けた者どもを撫で斬りにせよ。情は無用なり」
ウラジミールは馬の腹を蹴ると一気に橋を渡った。それに続きジダーノフ一門の手勢がまるで流れる水のようにキツネの国へと吸い込まれていく。スペンサー家に比肩する打たれ強さのジダーノフの一門は、騎兵の本領である機動力が強みだ。
「ハジャーイン! 間も無くハタガの街です!」
ジダーノフが進軍する裏街道には、旗香、狛山、園田と三つの小さな街がある。それぞれ人口200から300程度の小さな街で、裏街道の宿場として機能している目立たない街だった。
「当初の作戦通りだ。例外は無い」
大地に響く蹄の音がハタガの街に届き始めた。何事だ??と驚いて飛び起きたキツネの住人が家から飛び出した時、もう目の前にジダーノフの騎兵が迫っていた。
「掛かれ!」
ウラジミールの声が響く。それと同時、断末魔の絶叫を揚げる間も無くキツネの首が飛んだ。振り抜かれた槍の穂先から血が滴り、ベットリと付いた脂を払ってから次の得物を突き刺した。
甲冑も胸当ても無く、ただただ衣越しに骨と肉を切る感触だけが伝わってくる。その手応えに分厚い筋肉の歯ごたえは無く、まるで熟れた果物を切りようにスッと刃が沈んでいくだけだった。
――――嫌な感触だ……
驚いた表情のまま息絶えたキツネの男。その家から次々と家族が飛び出して来るのだが、女子供を一切問わずその刃に掛け続けたジダーノフ騎兵。彼ら全てがハタガの街を駆け抜ける頃、街にキツネの生存者は居なかった。
まるでヤスリの刃が肉を削り取るように、ハタガの街から全ての生命が削り取られた。そして、ジダーノフ軍団最後尾の輜重隊が街に入る頃には、累々たる死体が全ての通りに無造作に置かれているだけだった。
「陛下に伝令を出せ。小石を踏み潰しました……と」
街の外れまで駆け抜けたウラジミールは、そこでやっと馬を止めた。街外れに流れる小さな川の畔だった。馬は水を求め川の水を飲み始めた。騎兵たちも腰の革袋に入った水を飲んでいた。
――――これでよい……
ウラジミールの灰色の目はハタガの向こうに居る後詰めの軍団に注がれた。
見える筈の無い距離だが、何をやっているのかは手に取るように解る。
――――ボルボン17世のルイ君
中々に難しい立場の中で育ったルイは文字通りの苦労人だ。その言葉に出来ないあれやこれやを理解出来るからこそ、ウラジミールはルイを応援していた。
――――君の時代がやってくる
――――さぁ来ると良い
遠くを見ながら内心でそう思ったウラジミール。
そんな彼を遠くから呼ぶ者が居た。ウラジミールの側近であるドミトリーだ。
「ボロージャ! 仕度良し! 行きましょう!」
ボロージャ。それはウラジミールのニックネーム。そして、親しみを込めて呼ぶ名でもある。ただ、実際の話としてそれでウラジミールを呼べる者はごく少数だ。
「よし。行こうか」
その声に促されウラジミールは再び馬に跨がった。
目指すはここから5リーグほどの所にある小さな街だ。
「次の街は?」
ウラジミールの問いにドミトリーが即答した。
「コマヤマと言うそうです」
「……なるほど」
コマヤマ。狛山の文字が当てられているこの街は、かつてはイヌの街だったらしい。だが、キツネの兵によってイヌが皆殺しになった挙げ句、町裏の山に全て埋められたのだとか。
コマとは古い言葉でイヌを指すと言う。そのコマが埋められた山だからコマヤマというのだそうだが……
「同じく撫で斬りにせよ。征くぞ」
再び走り始めたジダーノフの騎兵たち。
その疾風怒濤な前進は、キツネの非常連絡網を上回る速度だった。
――――――――同じ頃
「そろそろ行くか」
ボルボン家の戦力4個師団を率いるルイ・シャルルは、ジダーノフ家の越境侵入を支援していた。ウラジミールはルイに対し『支援を求める』とだけ伝えてあったのだ。
故にルイは揃いの兵装を整えつつ、越境侵入のタイミングを待っていた。目指すは狐国西部最大の都市である卯来だ。スペンサー家の進行に合わせ、ジダーノフ家とボルボン家は狐国内部深くへいきなり前進する事になっていた。
「ナブラ公。参りましょう!」
ボルボン家累代の家臣達は槍を握り直してそういった。ボルボン家当主であるジャンヌははアントワーヌであり、ルイはボルボン家の暴力装置に過ぎない。
だが、彼はナンプローナの支配者であると先代マリーは認めていた。そしてそれは、ボルボン家差配の代理権限持ちど同じ意味を持っていた。
「うむ。みな頼むぞ。汚辱にまみれた我がボルボン一門の汚名を返上し、名誉を挽回する。そして、我がル・ガルにボルボンありを宣言せねばならない」
ナンプローナの尊称を持つルイは、顎を引いて騎兵兜のベルトを締めた。青く塗られた獅子像を騎兵兜の天辺に飾るその姿は、伝承に残るアンリ公を思い起こさせるものだった。
「来ました! キツネの救援です!」
息を切らせて走り込んできた伝令が、ゼイゼイと荒い息をしながら報告した。
「ジダーノフ一行はハタガを抜けコマヤマに進軍中! キツネららが軍勢は北部のトウケツより来た模様。その数およそ500! 全て騎兵ながら弓持ちです!」
キツネの兵はオールラウンダーが揃っている。
それを知っているからこそ、ジダーノフは後詰めにボルボンのルイを恃んだ。
「よし、解った! 全員装填しろ。ヒトの男の教え通りだ!」
馬上で駆けながら銃を撃つ。それは口で言うほど簡単なことでは無いのだ。
まず持って馬自体が銃声に驚き統制を乱しかねない。そして、統制が取れたとしても、今度は硝煙の臭いを嫌がって走らなくなる。
――――まずは馬が居る所で空撃ちを繰り返してください
――――銃声に慣れたなら、今度は騎乗で撃ってください
――――それに慣れたら、今度は走りながら撃ってください
――――教えるのではありません 慣れさせるのです
そう教えたタカの言葉通り、多くの公爵家がそれを繰り返した。
習うより慣れろとは言うが、その言葉通り馬は鉄砲に慣れ始めた。
時々はパニックを起こして狂乱するが、たてがみを撫でながら落ち着かせる術を全員が心得ていた。騎兵にとって、馬は足であり友であるのだ。
「前進!」
ルイがそう叫ぶとボルボン家の者達が一斉に『おーっ!』と声を上げた。
そして、騎兵段列の先頭に立って走り始めたルイに対し、ボルボン騎兵が口々に叫び始めた。
――――――ヴィブ! ラ! ボルボン!
――――――ヴィブ! ラ! ナンプローナ!」
――――――ヴィブ! ラ! ボルボン!
――――――ヴィブ! ラ! ナンプローナ!」
――――――ヴィブ! ラ! ボルボン!
――――――ヴィブ! ラ! ナンプローナ!」
一気にハタガの街を突き抜けたボルボン騎兵は、その足でキツネの騎兵を捉えていた。多くのキツネの兵がそれに気付き、足を止めて馬を降り、太刀を抜いたり弓を構えたりして待ち構えた。
だが、イヌの軍勢がそれを怖れる状況では無いことを彼らはまだ知らなかった。訓練を積み重ねドラグーンとなったボルボン騎兵は、抜群の統制で三段の列を作っていた。
「1列! 撃て!」
一斉に煙が上がり、マジカルファイヤ方式の銃が火を噴いた。
その弾は弓兵を次々と射殺し、遠距離攻撃手段を奪った。
「2列目前進! 撃て!」
あっという間に2列目3列目が1列目を追い越し、再び一斉射撃に及んだ。凄まじい大音響を響かせた2斉射目は槍を構えるキツネを一瞬にして挽肉に変えてしまった。
超高速で飛翔する鉛のプリチェット弾は恐るべき殺傷力で、命中した瞬間に変形を開始し貫通するのだ。その仮定で肉を引き裂き、骨を砕き折り、当たった者は瞬時に絶命した。
「3列目前進! 残敵を掃討しろ!」
3列目の銃が火を噴く頃には、既に太刀を構えた者すら疎らだった。抜群の統制により3列に別れたボルボン騎兵は、2000近い数の銃を持っていたのだ。
それはまさに殺意の衝撃波と言うべきモノで、命中した瞬間に彼らは絶命し手も足も出ないままに戦闘力が削られていった。イヌを含めた全ての種族が一目置くキツネの兵は、何の威力を発揮せぬままに打ち倒されていた。
そして……
「撃て!」
ルイの言葉と同時、3列の銃弾が生き残っていたキツネを掃討した。たったの3斉射で全滅した救援部隊は、ハタガ郊外で屍をさらすのだった。
「ナブラ公! 我等に損害無し! ジダーノフに追いつきましょう!」
ルイの側近として、また、彼の指導役としてマリーが宛がった側近のひとり。
同じくルイのファーストネームを持つルイ・ニコラ・ダヴー。粗暴かつ野卑な部分があるも、決して卑劣卑怯な人間では無かった。また、不敗の魔術師と呼ばれる程戦略戦術両面に於いて非凡な才能を持つ男だ。
「よし! 解った! 行こう!」
ルイは自らをナブラ公と呼んでくれるダヴーを嫌いでは無かった。なにより、数多くの教えをルイに授けるだけの軍歴と経験とを積んでいた。そして、その才を高く評価するカリオンの父ゼル公から『参謀本部に来ないか?』と誘われていた人物だ。
「総員騎乗! ナブラ公に続け! ヴィブ!ラ! ル・ガル!」
ダヴーの声が響き、ルイは再びジダーノフを追って駆け出した。同じ頃、既にコマヤマを全滅させたウラジミールは、郊外の小川で馬を休ませていた。そして、ボルボン一門の到着を待っていた。
「ボロージャ! 遠方で銃声! 恐らくボルボンだ!」
ドミトリーの言葉に首肯を返したウラジミールは、手にしていた革袋の水を飲みきると、自ら小川の澄んだ水を汲んで腰に下げた。
「ソノダの街はボルボンにやらせよう。汚れ仕事でも平気で出来ねばならん。彼らが見えたらそのまま前進させろ。我等はキツネの後詰めを叩く。全員装填し待機」
ジダーノフの多くが馬を下げ地形に溶けこんで後続を待った。
やがて濛濛と砂塵をあげながらボルボンがやって来て、ドミトリーがあらましを伝えるとルイはそのまま駆け抜けていった。
「若いってのは羨ましいもんだな」
薄笑いでルイを眺めたウラジミール。
だが、その直後に再びいつもの表情になっていた。
「ハジャーイン! 来ました! キツネの騎兵です!」
彼方には背中に指し物をしたキツネの騎兵が見えた。その数はザッと300程度だろうか。ずいぶん少ないと言う印象だが、急な侵攻に対する最初の抵抗ではこれが限度だろう。
「良く引きつけてから撃て! ジダーノフにも出来る事を陛下に見せるのだ!」
全員が銃を構えてキツネの到来を待った。
そのシーンを見ながら、ウラジミールは新しい時代である事を噛みしめていた。