カリオンの白鯨狩り
――――二時間後
ビッグストン王立兵学校の大ホールはガルディブルク建築技術の華と呼ばれている。
ノーリの指揮の下。王都の壮麗な建築物を幾つも建設した時代が在った。
その時代、この学校の施設は重要な技術的建築実験の対象施設だったのだ。
そしてこのホールは、候補生一千五百人をすっぽり飲み込む広大な空間だ。
その中には天井を支える柱が一本も無く、明り取りの窓は無数に開けられている。
横に広く天井も高いここは、王立歌劇場が完成するまで劇場としても使われていた。
また、数多の貴族たちによる舞踏会や夜会会場としても使われたそうだ。
そんな予備知識を持って大ホールへとやって来たカリオン。
右にはジョン。左にはアレックスが立っていた。
大ホールの中心部は広く開けられていて、左の壁際には正装した士官候補生達が。
右の壁際には美しく着飾りメイクアップした娘達が並んでいた。
良家の貴顕だけでなく大商人や平民の娘達も混じっている。
あわよくば貴族の家に娘を嫁がせたい。そんな親の願望も入っている。
「おー さすがだぜ 綺麗どころが揃っていやがる」
どこか肉食獣のような殺意のこもった笑いをジョンが浮かべた。
反対側のアレックスも笑いつつ、獲物を品定めして舌なめずりしている。
「俺好みが揃ってんな。こりゃ参ったぜ。目の毒だ」
左右をチラリと見てからカリオンは小さく溜息をついた。
カリオンと目を合わせた女の子から、明確な蔑みの眼差しが送られれ来るのだ。
「エディ。白鯨狩りって知ってっか?」
小声で話しかけたジョニー。
カリオンも小声で答えた。
「知らねー」
チラリとカリオンを見たジョンが肘で小突く。
「街のホールで夜会やる時はよ、女百人に男が三百人って具合なんだよ。でな、男は良い女目掛けて一気に集まるだろ? そうすっと女は腰が引けんのさ。んで、片っ端から断るんだよ。曰く、かっこ良く無いとか、顔が気に入らないとか」
そのジョニーの言葉に思わずカリオンは首まで振ってジョニーを見た。
幸いにして、指導教官にも誰にも見つからなかったらしい。
自分の迂闊さを呪いたくなったカリオンだが、ぎりぎりセーフだったので幸運に感謝するのも忘れなかった。
「じゃ、どうすんだ?」
「そうなるとよ、ふられた男はまずった回数を自慢すんのさ。連続八回ダメとか」
「あぁ」
「その内、女のほうにも売れ残りが出る。ふられ続けた男は、その女に挑戦さ」
「しかし、なんで白鯨?」
「だいたいがそんな女は白耀とか白輝とか北方系のでっけぇ女さ」
「で、白い鯨か」
「そういうこった」
夜会はまず、スティーブン連隊長と女学校の学生会長がワルツを踊る事から始まる。
国軍の軍楽隊がやってきていて、ホールには優雅な演奏が流れていた。
小声で話し込んでいたカリオンとジョン。
だが、その二人の後ろに立ったギャラック隊長が小声で呟いた。
「いまスティーブンと踊ってる彼女は東方遠征軍団長ヴィルヘルム・ヘーグランド上級大将閣下のご令嬢だ。去年まではこっそりここへ入って踊ってたんだが、今年は胸を張って堂々と入れたのさ。向こうもスティーブンにぞっこんで、たぶん夫婦になるだろう。そんな意味じゃスティーブンはお前たち三人に頭が上がらないくらいな筈だぞ」
楽しそうに説明したギャラック隊長は何処かに消えていった。
おそらく、目星をつけているか、さもなくば顔なじみを探しているのだろう。
「彼女達と顔見知りな先輩たちってどんな縁だろうな?」
「そりゃおめー、彼女達が出歩けるのはミタラスの中だけだ。そこへ遊びに行けば嫌でも顔見知りになんだろぅよ」
「あそっか」
ジョニーの肘がカリオンをもう一度小突く。
「んで、あっちもポーシリは学校から一歩も出られねぇ。ポシフコになってやっと週末だけミタラスの中をうろつけるってレベルだ。当然だが、そこへ通う奴はスゲー多いって寸法さ。良家のお嬢さんと結婚してぇってな。だけど、向こうはある意味選り取りみどりで少々のお家柄じゃ口もきいて貰えねぇってな。毎週末ミタラスで遊んでたけど、とにかく平民にゃ高嶺の花だし、向こうにしたって平民女じゃ最低でも伯爵家以上じゃ無いと手も握らせねぇ」
チラリとジョニーを見たカリオン。
ジョニーはニヤリと笑う。
「で、白鯨か」
「そうだ。白鯨だ」
「やれやれ。俺は一番不利だな」
「だけど今回は外れなしだ。最後は口説き落とせ」
「口説く?」
「なんせおめーにゃ切札があんだろうが」
クククと笑ったジョン。
困った顔になったカリオン。
そのコントラストをアレックスが見ていた。
「お家自慢するなら、この学校の中じゃエディが最強だぜ?」
「だけどよぉ。平民出のお嬢様に夢を見させるのはどうかと思うんだ」
「だから良家のお嬢様に粉掛けろ。フルネーム名乗ってやれば……」
アレックスの言い掛けた言葉をジョンが継いだ。
「少々良家のお嬢様だって、お股おっぴろげて『抱いて』って来るぜ?」
「だけど俺、まだ童貞だからなぁ」
ボソッと言ったカリオン。その左右から同時に『マジかよ』とツッコミが来た。
「そう言う事ならエディ。今夜は抜かるんじゃねぇぜ」
「そうだエディ。今夜は好みの女と一戦交える覚悟でだな……」
ジョンとアレックスの言葉が終る前に、会場が拍手に包まれた。
スティーブンと上級大将閣下のご令嬢が手を取り合って立っていた。
やがて軍楽隊は静かに前奏曲を奏で始めた。
一夜のパートナーを見つけなさいと言う合図だ。
連隊長は士官候補生達を呼び寄せ、候補生はサーベルを抑え壁際へ走った。
目星をつけていた女の下へ向かってガチャガチャを賑やかな音を立てて。
だが、予想通り女達は腰が引けている。
大柄でガッシリとした体格の大男がサーベルを押さえて走ってくるのだ。
余程気心知れた仲の二人でなければ、女達にとっては怖いのだろう。
「こういう時はよぉ 先に動いた方が負けなのさ。向こうだってじっくり相手を選びてぇってもんだ。だから、ちょっと待つ。ちょっと待ってお高くとまってやがる女を目指してゆっくり行くのさ。じっくり狙いを定めて……
ジョンの言葉が続いているのだが、ホールの中に小さなどよめきが起こった。
カリオンの目がホールを睨め回す。
すると、壁の華となっている女学生達の一角。人集りのしている場所が有った。
何人も候補生が集まり、手を差し出し誘っている一人の少女。
カリオンからちょうど影になって見えないのだが、隠している背中は誰だか解る。
国軍騎兵師団第一連隊の長。ミハエル・ホス少将の一人息子アーラウ・ホスだ。
その少女は騎兵師団長になるであろう男の誘いを袖にした。
「おい、ジョン。アレックス。俺達も行こうぜ」
「マジかよ。まぁ、エディの白鯨狩りにはもってこいだぜ?」
「ただよ、頼むからエディは最後に名乗ってくれ」
ジョンもアレックスも苦笑いでカリオンに付いて行く。
居並ぶ士官候補生達の影を使って音も無く接近して行く。
接敵前進するなら静かに行かねばならない。
すり足で近寄っていく三人組だが、何処からか声が掛かった。
「あなた、ジョンじゃないの?」
女の方から声が掛かったジョン。
チラリとそっちを見たカリオンは、美しく着飾った少女を見つけた。
「誰かと思えばグラーヴ家のご令嬢と来たか」
「久しぶりじゃない!」
知り合いか?
そんな眼差しを向けたカリオン。
ジョンは困った顔になっている。
「踊ってあげましょうか?」
「宛があるんでふられたらな」
「つれないわねぇ」
女の誘いを袖にしたジョン。
その姿は盛り場で遊び慣れたチャラい男のそれだった。
「わりーな。今は相棒のお供でよ」
「ふーん……」
グラーヴ家のご令嬢と呼ばれた少女は詰まらなそうにカリオンを見た。
足下から頭の天辺までジロリと睨んで、フンッ!と鼻を鳴らして目を背けた。
そんな態度を示した少女へ指を向けジョンは渋い声音で言った。
「後で泣くなよ?」
流し目と含み笑いを残してジョンは再び歩き出す。
カリオンはキチンと足を揃え挨拶を送った。
だが、ぞんざいな返礼が返ってきたのみで、少女の興味は既に余所へ行っていた。
「悪く思うなよ。あの娘は……」
「あんなモンだよ。学校の中だって最初はこうだったしな」
「……だな」
そのまま更に接近していくと、再びどよめきが起きた。
例の少女がまたとんでもない人間を袖にしたのだ。
その背中を忘れるはずがない。カリオン達の一つ上。
二年生として在籍する猛闘種の若者。マイク・スペンサー。
カリオンと同級のブル・スペンサーの兄だ。
そして彼は、太陽王の近衛騎士団に所属する侯爵オーランド・スペンサー卿の跡取り。
公爵家スペンサーの衛星貴族である侯爵家の人間で、いずれ近衛騎士団へ入り王を警護する事になるであろう人物なのだ。
「なんだ。随分小柄な娘だな」
カリオンより頭一つ高いジョンは、その少女が見えるらしい。
決して小柄では無いが、これだけ大男の揃う士官学校では小さいカリオンだ。
まだ人の背中しか見えていない。
「しかし、こりゃスゲ―上玉だぜ。驚くな」
「まじで?」
「あぁ。こんな娘、ガルディブルクに居たんだな。知らなかった」
新鮮な驚きを見せるジョン。
その直後にアレックスも唸った。
「いやいや。こりゃ本当に驚きだ」
「だろ?」
「ダメ元で挑戦するしかねーな」
人混みの中に紛れていくジョンとアレックス。
その二人を露払いに接近するカリオン。
もう少しで見えそうだという所で、カリオンの腕を誰かが引っ張った。
あれ?っと思う前に人混みから引っ張り出されてしまったカリオン。
そこには女学校の最上級生が立っていたのだった。




