油断と慢心
~承前
「なかなかの結果ですな」
キツネの返り血をベットリと浴びているオクルカは上機嫌でそう言った。
砦まであと1リーグ程となった辺りで、カリオンは反転攻勢に出ていた。
キツネの軍勢は騎馬上にて戦うことなど滅多にない。彼等は基本的に戦線をつくり、そこで下馬して戦うのだ。
彼等はイヌとは違い下馬して足場を固めると、もうとにかくバキバキに強い。少々の突撃衝力では粉砕することなど土台無理で、距離があれば矢を射られ、接近すれば甲冑ごと太刀で斬られた。
正直に言えば打つ手なしなのだが、増援にやって来たオオカミは本当に強力で、カリオンは内心で唸っていた。率直な事を言えば、こんな連中とやりあったとは思えないのだ。
「いやいや、オオカミの手勢が強すぎるのだよ」
カリオンの吐いた言葉にオクルカは表情を崩す。
太陽王の素直な感嘆はオオカミ達の自尊心を多いに暖めた。だが……
「陛下。これは陛下の勝利ですぞ」
ドリーはすかさず言葉を挟む。嫉妬や羨望ではなく、率直な意見だ。なぜなら、すぐ目の前におよそ七万ものキツネ斃れているのだ。砦に控えていたアッバース銃兵の一斉射撃は、7万ほど生き残っていたと思しきキツネの兵を、文字通りに鏖殺した。
「そうだな。ありがたい事に、余はまた勝利を手に出来たよ。多くの犠牲を払ったがな……」
つらそうな声音でそう漏らしたカリオン。その言葉と雰囲気にドリーもまた沈痛な表情を浮かべた。ただ、そうは言ってもカリオンの表情には余裕があった。空元気や余裕を見せる部分では無い。
腹の底で思っていた算段が上手く行った安堵であり、国内で余っていた諸勢力の余分な戦力を大幅に整理出来たのだ。
――上手く行っていると思って良いな……
そもそも、国内に貴族が多すぎる事から始まった、人員整理の算段。だが、廃嫡や貴族家の取り潰しを行えば反発は大きい。故にこんな手段を執らざるを得ない。なにより、貴族家の予備群を大幅に圧縮できた事は慶祝の至りと言えた。
「キツネの残存戦力はどうだ?」
カリオンの問いにジョニーが険しい表情で言った。
「まぁざっくり言やぁ……ざっと500くらいか」
「なるほど。まあ、程よい数字と言っておこうか」
オオカミの支援を受けたル・ガル側戦力は8万弱。これに対しキツネの側は10万弱の戦力を擁していたらしい。だが、この後退戦でカリオンが見せた戦術は、キツネの不利を誘うものだった。
まずは一目散に逃げる。キツネは馬を下りているので矢を放つが、とっくに射程外に出てしまう。あわてて乗馬し追跡してくるキツネの兵に対し、カリオンはさっと馬を返して真正面から切り込んだ。
訓練を積み重ねたであろうキツネの兵だが、さすがにこの時は一瞬の逡巡を見せた。馬から下りるには時間がなく、また、後続の一団に踏み潰される危険性があるのだ。
結果、キツネの兵とル・ガル騎兵は正面衝突した。この時、先に襲い掛かったのは速度に勝るル・ガル兵だ。キツネの一団とすれ違いつつ切りあったあと、キツネが馬を返した時にオオカミの騎兵団が後方から襲い掛かった。
流石のキツネもこれには面食らったらしく、統制が乱れ戦域は混交した。ル・ガル騎兵はそこへさらに突入したのだ。オオカミの騎兵とすれ違いながら、キツネの兵を徹底的に斬り捨てた。
そして、問題はここからだった。
カリオンはそのまま一気に速度の乗り、砦目指して馬で駆けた。混乱に陥ったキツネの兵は、兵士の本能として敵方の最上級を目指し追跡を始めたのだ。彼らの後方にオオカミの一団がいる事を承知で。
そして、カリオンが砦最奥まで達した時、キツネは挟み討ちにされている事を思い出した。前後から徹底して混交する戦場となった場所で、一方的な殺し間が出来たのだ。
だが、その場所へオオカミは駆け込んでこなかった。一瞬、何が起きたのかをキツネは理解できなかった。ただただ、目の前にいる太陽王を叩こうと、彼等は馬を下りて太刀を抜いた。
それで全てが終ったのだった。
――――放てっ!
多くのキツネの兵はその声を聞いた。その直後、耳を劈く凄まじい数の破裂音を聞いた。そして、ややあって鼻を突くような刺激臭が風に乗って流れてきた。
ただ、その臭いの前にやって来たのは、彼らの目で捉える事の出来ない速度の物体だった。おそらくは鉛で作られたと思われる超高速の礫。その礫が一斉にキツネに襲い掛かり、一瞬にして数千の兵士が息絶えた。
彼等はこの時、本当に恐ろしい物がこの世界に放たれた事をまだ知らなかった。そして、不幸にも生き残ってしまった者は、死者を羨む事もあるのだと知った。激しい臭いと死に切れず呻く者達の向こうから聞こえたのは、大きな号令だった。
――――射列交代! 放て!
再び凄まじい破裂音が聞こえた。先ほどと同じ破裂音が響いた。辺りにいたキツネたちが一斉にバタバタと死に始め、彼等はパニックに陥った。そして、馬を捨てて逃げ出そうとしたとき、彼等が見たのはオオカミの騎兵だった。
……終った
彼等はそれを悟った。そして、静かに自分の死を受け入れた。そこに襲い掛かったのは100匁の榴弾だった。血と肉と骨の全てを粉砕するように凄まじい数の榴弾が降り注いだ。
その最中にもマジカルファイア方式の火縄銃が火を噴き続け、15分の経過も見ないうちに、全ての射座から砲声が消えた。その砦の前の殺し間には、生き残った者が殆どいなかったのだ……
「生き残りは……逃がすか……」
ボソリと呟いたカリオン。だが、ドリーはすぐさまそれに反応した。
眼下に見えるキツネの死体を見ながら、低い声音で言った。
「いえ。全滅させるべきです。生き残りを作れば将来に禍根を残します」
カリオンの治世においてひとつ言える事は、敵には一切容赦がないと言う事だ。
敵対する者に見せる寛容さなど欠片も見られないのだ。一人残らず全て叩き潰すべしとしているそのやり方は、ある意味でル・ガルに敵対するもの全ての共通認識でもあった。だが……
「いや、少しくれぇは生き残りが要るぜ。あいつらを生かして返して、んで、ル・ガルに楯突くとどうなんのかって思い知らせるべきだ。実際、キツネが無敵の時代は今日で終りだけどよ、そうであってもル・ガルの強さを誰かが伝えねぇと、キツネがまた突っかかってくるぜ?」
ジョニーはドリーの意見に対してそう反論した。
ネコの国や国内の叛乱分子対策でも同じ事をカリオンはしてきたし容認してきた部分がある。それと同じ事をキツネに適応し、彼らの国内にイヌとは争わないと言う空気を作る事も重要だった。
「キャリ。お前はどう思う?」
やや離れたところで事態の推移を見守っていたエルムは、父カリオンに唐突に声をかけられ少々面食らった。ただ、父である前に王のお尋ねなのだから、黙っているわけには行かないのだ。
「……逃がすにしたって因果を言いくるめるべきでは。事と次第によっては、キツネの国を焼き払うぞ?と、しっかり脅しておいて損は無いと思いますけど」
脅す……
その言葉がエルムの口を突いて出てきて、皆は彼の若さを感じつつ、同時に自分達の老獪さ。言い換えるなら歳を感じ取った。言葉を発さずに相手を締め上げる事を考え出すと、もう十分に年寄りなのだろう。
――若いな……
ふとそんな事を思ったカリオン。その脳裏にふとゼルが現れた。
遠い日に見た、自分よりも解る感じる姿のゼル。だが、黒尽くめの姿で立つゼルは戦況卓の周りをグルグル歩きつつ、渋い声で言った。いつもの様に右手を額に当てて考え込む素振りを見せつつ……だ。
――――生き残りは作らない事が望ましい
――――極々少数を生かして帰せば良いのであって
――――再戦意欲に繋がる中途半端な数での生き残りは
――――絶対にさけねばならないし、やってはならない
……父ならどう考えるだろう?
ふとカリオンはそんな事を思った。如何なる事態に陥っても、ゼルは常に最善を希求する男だった。ただ勝つのではなく、次に繋がる勝ち方を考えるのだ。
そして同時に、ふとカリオンの脳裏に何かが浮かんだ。まだ言葉に出来ないが、それはいわゆる第六感的なものだった。なぜなら、それが思い浮かぶ時は、得てして致命的なレベルで何かを見落としている時なのだ。
――――上手くいっている時ほど罠にはまる
――――人間油断した時は驚く程単純な事を見落とすもんだ
――――だから全てに気を払え
ゼルは何を言おうとして出てきたのだろうか……
カリオンは自分の内側の志向に完全に落っこちていた。
「陛下?」
不意にドリーの声が聞こえ、カリオンは自分が思考の穴に落ちていた事に気が付いた。そして、まだ回答を出せない事も……だ。
「あぁ、スマンな。アレコレ考えていたよ――」
柔らかな笑みを浮かべ居並ぶ面々を見たカリオン。
ドリーとジョニーは怪訝な顔で居るのだが、オクルカは今すぐにでも全滅させようと逸っているように見えた。やや遠くにいるエルムは黙って事態の推移を眺めているように見える。
まだまだ学びの必要な年齢だ。この子は大物に育ててやらねばならないとカリオンも思うのだが、その実は中々思い浮かばない。ただ、必要な結果は分かっているし、ブレてないと自信を持っていえる。
ル・ガルが安定する事。それだけがカリオンの願いであり、そんな世にしたいと父ゼルは願っていた筈だ……
「――よし。重傷者は楽にしてやろう。軽傷者には治療を施し、無傷の者と共に武装解除の上で開放する。キツネの国にル・ガルの強さを喧伝してもらう。その上で今後だが――
その続きをカリオンが言おうとした時、血相を変えた伝令が走りこんできた。泡を吹いた馬は今にも死にそうな息をしていて、最優先で走ってきたらしい。
「注進! 注進! 街が! 街が! コーニッシュの街が奇襲を受け炎上中!」
全員が一斉に『なんだと!』と叫ぶ中、馬から落ちた伝令は、背中の矢を抜く事無く言った。
「現在親衛隊を中心に抵抗活動中! 敵総戦力はおよそ1万と思われ――
ゴホッと吐血し、虫の息になった伝令は、ヒューヒューと喉を鳴らしながら息をした。ドリーが振り返り『応急救護!』と叫ぶも、その前に伝令は痙攣を始めた。これが出ると長くないのは騎兵ならば誰でも知っている事だ。
カリオンは懐に手を突っ込み、エリクサーを探して飲まそうとした。だが、伝令はその前に『市内各所で撤退戦を行っております。なお、ララ殿とリベラ殿は行方不明です』と言葉を吐いた直後、血の塊を吐き出して絶命した。
「陛下!」
ドリーが血相を変えている。ただ、それ以上に纏う空気を変えていたのはジョニーだった。今にも飛び出して行きそうな雰囲気となり、横目ながらも鋭い視線をカリオンへと当てていた。
「エディ……行こうぜ!」
カリオンは何も言わずに首肯し、息絶えた伝令兵の瞼を閉じさせると、立ち上がって大声で言った。
「アッバース兵諸君! 君らの力が必要だ! 市街で白兵戦に及ぶ事になる!」
それは騎兵では無く銃兵を使うという王の意思表示だった。
ドリーやジョニーが気色ばんでカリオンを見るが、そのカリオンがそれ以上に明確な怒気を全身に漲らせていた。それこそ、今話しかければその手で手討ちにされるんじゃ無いかと思うほどに……だ。
「全騎兵は街から逃げ出すキツネを鏖殺せよ! ひとりも生かして帰すな!」
――――これで良いんだ
――――間違ってない……
そう自分に言い聞かせるようにしてカリオンは立ち上がった。
だが、事態がより一層複雑に絡み合っていると知るまで、そう時間は掛からなかった。ル・ガル騎兵とオオカミ騎兵。更にはアッバース銃兵を連れてコーニッシュの街へ到着した時、街は既に大半が焼けた後だった。
「バカな……」
そんな事を呟いたカリオンは、まず最優先でララを探した。全員に『とにかく生き残りを探せ』と命じ、カリオン自ら街の中を走り回ったのだ。
街は完全にもぬけの殻で、キツネの行動の痕跡が多少残る程度だった。アチコチにイヌの騎兵や歩兵の死体があるのだが、キツネの騎兵は死体一つ残って無い状態だった。
そして……
「王よ!」
街の片隅からカリオンを呼ぶ声が聞こえた。カリオンは血相を変えてその場に急行した。声の発せられた場所へ全力で走り着いてみれば、そこには何人かのヒトの死体があった。
「まさかっ! これはもしや……」
驚いて声を漏らしたカリオン。これを見つけた国軍憲兵隊少佐は、小さな声でカリオンの言葉に応えた。
「どうやらその様ですね」
それは間違い無く覚醒者がヒトに戻って死んだ姿だった。その数、実に3名を数えるのだが、3人目の死体の奥に覚醒者を殺した者がいた……
「リベラ!」
カリオンが走り寄った時、リベラは完全に絶命していた。ただ、薄開きの口の中に何かが入っていて、カリオンは慎重にそれを取りだした。ガルディアラ最強の細作が口の中に武器を残して死ぬはずが無い。
そう確信したからこそ、カリオンはその口の中に押し込まれた紙片を取りだしたのだった。
「エディ……」
その場にやって来たジョニーと共にその紙片を見たカリオン。
そこにはただひと頃『弁明夢中』とだけ走り書きされているのだった。