ターニングポイント
~承前
――――――――場面は4時間ほど遡る
コーニッシュ郊外の荒れ地では、生き残ったル・ガル騎兵およそ5万が結集していた。全員がハァハァと荒い息を吐く中、カリオンは涼しい顔で居並ぶ諸兵をグルリと見回した。実際には相当息苦しいのだが、余裕ぶっているのだ。
「生き残りはこれで全部か?」
カリオンの問いにドリーは『まだ多少は居るかも知れませんが……』と歯切れ悪い回答を出すので精一杯だった。正直、これ程に実力差があるとは思ってなかったのだ。
総勢15万の軍を三つの集団に分け、それぞれが連動しつつも力比べの合戦に及んだ。その中でル・ガル騎兵は過去に経験の無い戦闘を行ったのだ。そもそも自力が全く違う上に、キツネの兵は総じて敏捷性に富み、しぶとく粘り強い。
だが、それ以上に問題だったのは、キツネの兵がみせた振る舞い方だった。
彼等は本当に強い。手強いのでは無く強いのだ。ただ、その根元がその精神に、もっと言えば死生感にあることを全てのイヌが感じた。もはやこれ迄となった時、キツネ達はジタバタと暴れたり命乞いをすることが一切なかった。
ただ黙って相手を見つめ、己の死を静かに受け入れる。それこそ、とどめを入れようと槍を構え太刀を振りかざした時、彼等は泰然とした表情で全てを受け入れるのだ。
相手の目をジッと見て、大騒ぎする事も命乞いする事も無く、泰然自若とした空気をまとって自分が殺されるのを待つ。それは全てのイヌにとって、百戦錬磨のル・ガル騎兵にとって、はじめての経験だった。
「このまま砦まで後退する。蛮勇は無用。生き残ることのみを考えよ。余がしんがりとなる故、全員全速力で砦まで走れ」
カリオンがそう発した時、ジョニーが顔色を変えてその胸を叩いた。太陽王の胸を臣下が叩いたとあって、一瞬だけ周囲の空気が変わった。だが、そんな空気を読むほどジョニーは人が良い訳じゃ無い。
声音を変えて迫力を増して、辺りを圧するほどの威を持って言った。あのビッグストンでカリオンに比肩する男と評された無頼は、全ての肩書きを失ってからその実力を遺憾なく発揮し始めたのだった。
「バカ言ってんじゃねぇ! 寝言も休み休み言え!」
ある意味で誰も言えない言葉だろう。無礼だとか不敬だとか、そんな次元では済まされない事。場合によっては親衛隊がひと思いに首を刎ねかねない。しかし、ジョニーの首を刎ねられるだけの剛の者は親衛隊には居ない。
そして、カリオンと共にビッグストンで育った男だからこそ許される言葉。友人であり同級生であり、なによりカリオンに従う最古にして最強の親衛隊なのだ。それ故か、ドリーも顔色を変えるが、それ以上の反応は無かった。
それに続くジョニーの言葉がその表情を変えたのだった。
「しんがりはオレとドリーの役目だろ! 解ったかこのアホ! オレやドリーにも見せ場作らせろってんだ! てめぇだけ格好付けんじゃねぇ!!」
あり得ない罵詈雑言を遠慮無く吐くのだが、カリオンはまったく動じずに聞いている。それは絶対不変な盤石の信頼関係から来るモノだった。何より、見せ場を作らせろ!と凄んだ部分で、ドリーはジョニーを止める事をやめた。
そしてむしろ、ジョニーを応援する側に回った。なぜならそれは、スペンサー家に産まれた者全ての悲願であり、一族に脈々と受け継がれる猛闘種の誇りの部分。つまりは、王の為に戦い、王の代わりに死ぬ事を本願とする狂信集団の根幹思想その物だからだ。
「おめーは生き残りを率いて砦に走れ! そんで迎撃態勢作れ! おめーの仕事はおめーしか出来ねーんだよ!」
凡そ15万の騎兵が5万にまで減らされた。実数で言えば5万を切っているように感じるのだ。キツネの兵はざっくり言えば10万に欠ける数だろう。だが、その実態は百戦錬磨の英雄クラスな騎兵がおよそ10万居るのだ。
「おいおいジョニー。作戦を忘れたのか?」
怪訝な顔でカリオンが言うも、ジョニーは顔色を変えて言い返した。
より一層に迫力を増し、真剣な声音で言うのだった。
「作戦は状況に応じて変更されるもんだ。ついでに言えば不敗の魔術師だったゼル様はもう居ねぇんだよ! まず勝つ事が大事だろうが、今はそうじゃねぇ!」
一方的に沸騰しながら言葉を続けるジョニー。もはやその沸騰は誰も止められないレベルになってきた。だが、そこに意外な乱入者が割り込んできた。全員が一瞬言葉を飲んでそっちを見た。そこに居たのは本当に意外な存在だった。
「父上!」
そこに居たのはキャリーだった。国内が騒然とし始めた時、カリオンは密かにキャリーをオオカミの国へ逃がしていた。オクルカを頼り息子を預けたのだった。
ただそれは、複雑な意味を持つ事でもある。太陽王が息子をオオカミに預けた。これはイヌがオオカミを信用している証左であると同時、オオカミを裏切らないとする人質の意味もある。
究極的に言うならば、万が一にもクーデターが成功してしまった場合、息子を旗印にオオカミの国がイヌの国を席巻する事を容認していたと言う部分もある。つまり、太陽王はオオカミを同胞だと認めた形だった。
「無事だったんですね……」
キャリは何処か涙目になっていた。ある意味、心配の極地でやって来たのだろうし、道中で様々な話を聞いただろう。オクルカは実子の様にキャリに接し、キャリはオクルカに親近感を抱いていた。
そして、オクルカはキャリ以上にカリオンへの親近感を持っていたのだった。
「カリオン王! よくぞ無事で!」
キャリと共にやって来たオクルカは、完全武装した姿だった。オオカミ5部族それぞれの一騎当千な者達を集めたそれは、息を呑む程に目をギラギラとさせた精兵中の精兵3万だった。
「もう一戦しましょう。今度は我等オオカミが加勢いたしまするぞ!」
誰よりもやる気を漲らせているオクルカは、宝刀の黒太刀を持ってやって来た。
その姿を見たカリオンは、もはや何かを言う気を削がれていた。
「いや、一戦するより後退戦の方が良いと思う。余がしんがりになると言ってるんだが、どうも心配性の奴が多くてな……」
笑いながらジョニーを見つつ、カリオンはそう言った。
ただ、その視線を受けたジョニーは、苦笑いでは済まない表情だ。
「なら話は早い。手前もしんがりを引き受けましょう」
オクルカはスパッとそう言い切った。オオカミ5氏族全てを預かるオオカミの王もまたしんがり役を引き受けると言いだしたのだ。それに対しジョニーやドリーは怪訝な顔をしているのだが、カリオンは笑顔だった。
「ほぉ! それは良いな! イヌの王とオオカミの王がしんがりとは実に豪華だ」
ふたりして軽快に笑う中、軽装偵察騎兵が走り込んできた。肩口と腰辺りに矢を受けているが、母衣を背負っていたので助かったらしい。
全力疾走してきた結果だろうか、肩で息をしながらも強引に息を整えて声を張り上げた。その報告はその場を凍り付かせるものだった。
「報告! キツネの兵は2リーグ東にて再編中! 凡そ5つの集団となって騎乗し移動を開始。こちらにやって来ます! 総兵力は凡そ8万と見受けられますが、接近能わず詳細は不明!」
全員が一斉に報告を行った騎兵を見る中、ワンテンポ遅れてから首を回したカリオン。それはかつて、あの小さな宿場町のなかで父ゼルが見せた振る舞いその物だった。
「……そうか。ご苦労だった。およそ8万か……そうか……そうか……」
しばらく押し黙っていたカリオンはニヤリと笑ってビーンを見た。
ビッグストンの教育長まで上り詰めた子爵は、その場に戦況卓を広げ状況を検証し始めた。
「8万とは素敵だな。ビーン。面白くなってきたな」
カリオンの吐いた言葉は余りにも他人事だった。ただ、状居を客観的に見つめると言う部分は、カリオンの父ゼルが実戦していた事でもあるし、ビッグストンの中にその意識を残して行った面もある。
太陽王ですら国家にとっては一つの駒に過ぎず、必要なのはイヌという種族の安寧と発展である。その点についてカリオンは愚直なまでに真っ直ぐだ。なにより、余は国家なり……を深く深く理解しているのだった。
「……えぇ。まったく持ってその通りです。楽しくなってきました」
戦術戦略担当のビーン子爵が広げた戦況卓へと歩み寄ったカリオンは、父ゼルがそうしていたように口を右手で隠し、『うーん』と唸りながら戦況卓の周りをグルグルと歩いた。
「まだ何か楽しい話は無いか?」
カリオンの問いにビーンが伝令兵をジロリと見る。
伝令でやって来た兵は一歩後ずさってから首を捻り、ハッと顔を上げた。
「キツネ側の兵力について構成は解りませんが、少なくとも全てが馬に乗っています。歩兵は伴走している様に見えません」
それは、ある意味で今後を左右する重要な報告だった。
「そうか……そうか……2リーグか……戦力が足らんな……彼らの残存兵力が見えんが……いや……あ、そうか……機動戦術なら負けんが……力比べに及ぶと不利か……ル・ガル騎兵に弱点があるとは思わなかったが……うーん……やはり後退しか無いか――
ブツブツと独り言を漏らすその姿は、何人たりとも口を挟めない孤高の姿と言えるものだった。ただ、時間的な制約が迫ってきていて、ここで決断せねば先が続かないのも事実だ。
「父上。まずは砦に後退し、戦況を整理しては如何でしょう。先ほど大まかな説明を受けましたが、ここは合戦に及ぶより戦力の再確認と再戦へ向けた下準備が肝要です」
迷う事無くそう言ったキャリーは。王宮騎士を示す赤い腰帯を緩め、そこに佩いていた太刀を抜いて持ち替えた。一戦も辞さない覚悟だが、その前にやるべき事をやろうと言っている状態だ。
「そうだな。それが良い。ジョニー! ドリー! 残存兵力の再編を進めろ! 全騎兵団は全力を持って野戦砦へと移動せよ! オオカミの騎兵団がしんがりに付くが、余もまたしんがりを勤める。敗軍の将はしんがりがよく似合うからな!」
アハハと遠慮無く笑ったカリオンは、オクルカをチラリと見てから続けた。
その眼差しには無償の信頼があり、オクルカは背筋にブルッと震えを感じた。
「キャリ! 残った騎兵を率いて砦に向かえ! お前は次の太陽王だ! 何があっても死なないようにな! 先に死ぬのは余の役目ぞ! ただ、大人しく死ぬつもりは無い!」
アハハと笑いながら歩き出したカリオンは、戦況卓の真正面に立った。戦況図にプロットされた合戦図を見れば、実際には互角の戦いをしていた事が見て取れた。つまり、最期の最期でイヌは手を拱いたのだ。
最期の一撃を入れんとした時、キツネの見せるその姿に手を拱き、その間に別のキツネにやられた。迷わずに手を下せば良いのだが、それが出来ぬ故に隙が生まれてしまう。そしてそこを突かれる。
結果としてイヌは大損害を出していた。だからこそ、もはや迷わず手を下すしかないのだが……
「腕に覚えのある者は余の両翼に付け! 戦友のために最期まで義務を果たせ! 余が見届ける! 迷わずキツネの首を刎ねよ! まず勝たねばならないのだから」
そのまま自らの馬に跨がったカリオン。
見上げていた者達はその向こうの輝く太陽を見た。
「さぁ動くぞ! 時間は敵にも味方にもなるのだ」
その声に弾かれ、ル・ガル騎兵が一斉に動き出した。
ただ、そこから迎える事になる結末は、誰にも想像が出来ないものだった……