頂上決戦 05
~承前
キツネの国には総戦力にして17万もの騎兵戦力があるらしい。
それを聞いたタカはニヤリと笑い、『全くもって不足無い相手であります。この1500丁に及ぶ火力で全て鏖殺してご覧にいれましょう』と、自信溢れる笑みでそう言った。
その言葉を聞いていたアッバース一門の各族長も、普段のどこか卑屈そうな笑みではなく、自信と気迫溢れる笑みで首肯した。ただ、銃の総数は1500なのだから、いいとこ15000程度の鏖殺が限度の筈。多くの騎兵大佐達はそう考えた。
だが、そんな彼等にタカが投げ掛けたのは、ある意味で屈辱的な言葉だ。
『この野戦築城した陣地で迎え撃ちます。危険ですからこの砦前の殺し間に迂闊に足を踏み入れない様ご注意下さい。味方を避け敵だけを撃つのは相当難しくあります。ですから、騎兵科の方々は是非とも最後の駆逐掃討をお願い致します』
つまり、お前らはもう主力ではない……と、タカは言外に通告したに等しい。そして、落穂拾いをする小作農の様に、主力である我々の邪魔をすることなく、お零れでも啄んでろ……と啖呵を切った様なものだ。
その言葉にスペンサー騎兵だけで無く、ル・ガル全土から集まった多くの騎士や騎兵が顔色を変える事態となった。しかしながら、当の本人だけが深刻に同士撃ちを警戒しているのだった。
「キツネの国は17万もの騎兵が居るそうですね」
エツジはボソリと零し、眼下の野戦築城された砦を見ていた。
各所で大きく積み上げられた大きな畝と土塀が見えた。
「藤原秀衡が組織した奥州17万騎の話は、鎌倉殿を大きく圧したそうだよ」
九朗判官義経をどう始末しようかと頭を悩ませた鎌倉将軍源頼朝も、17万もの大軍をどうするべきかと頭を捻った事だろう。銃も野砲も戦略爆撃も無い時代の戦争では、頭数自体が抑止力だったのだ。
「まぁ、奥州17万騎ならぬ狐国17万騎を相手に戦をするんです。後々の世まで語りぐさになるでしょうよ」
エツジは軽い言葉でそう言った。すでにスペンサー家の軽装偵察騎兵が持ち帰った情報では、キツネの国の奥深くより集められた騎兵は総勢10万を軽く越えるという。
「勝てるかな?」
タカは苦笑を浮かべながらエツジに問うた。だが、その問いに対しエツジは皮肉めいた笑みを浮かべつつ、沈黙を持ってその回答としたのだった。
「……だよな」
再び腕を組んで眼下を眺めたタカ。その眼差しの先では、アッバース騎兵だけで無く、多くの市民が勤労奉仕に汗を流していた。
――――いいかっ!
――――積み上げた泥の数が!
――――すくい上げた土の数が味方の命だ!
タカの訓示を聞いたアッバースの中隊長達は、そんな言葉を発していた。だが、その言葉に最も疑問を感じたのがヒトだという皮肉を、タカ自身が失笑しつつも飲み込まざるを得なかった。
「私は間違ってるだろうか?」
空を見上げタカはそう零した。
だが、エツジは間髪入れずにそう応えた。
「それは結果が出るまで解りません。正義が勝つなんてあり得ません。しかし、勝った側はいつだって正義なんです。そして、結果的に勝つ事で戦略的勝利が得られます」
突き放すようにそう言ったエツジ。
だが、その横顔には苦み走った苦悩の色が色濃く浮かんでいた。
「勝利とは何だろうな」
タカは哲学的な問いをエツジに投げかけた。
それは、彼ら陸軍士官学校経験者特有のものだった。
戦略的勝利は戦術的勝利にはなり得ない。だが、戦略的敗北は戦術的勝利を幾ら積み重ねても挽回できない。そんな禅問答を突き付けられつつ、正解の無い問いに対し回答し続けた彼らだ。
全てが終わった時、祖国が滅亡する事無く存続していれば、それは戦術的な敗北を幾ら積み重ねたとしても戦略的には勝利していると言えるのだ。何故なら戦略的な敗北から来る結果は滅亡なのだ。
勝てぬ戦を突き付けられ、その中で一直線の事実を直角に曲げて答えを出す参謀陣の諸君は、その答えの無い禅問答の中で悟りを開く。
――――勝利とは敗北である
――――だが敗北とは勝利では無いのだ……
と。
そして彼らは最終的にこう考えるようになる。
勝たずして敗北を避ける事こそ無上の勝利なり……
その大いなる矛盾を前に、タカは思考の袋小路に入っていた。
――――これで良いのか?
――――これで勝てるのか?
――――これで滅亡を避けられるのか?
今、タカに突き付けられている必要な勝利とは、茅街の存続である。ヒトがこの世界で安定して生きる為の担保を確保し続ける事。だが、その為には……
「イヌを撃つと……あとで面倒だな」
ボソッとそう言ったタカは、空を見上げたままため息をこぼした。頼むから殺し間に入ってくれるな。もっと言えば、邪魔をしてくれるな。心根からそう思っているのだ。
だが、戦場における手柄争いが出世に条件であるル・ガル騎兵にとって、それはチャンスを得る為の試練でしか無い。貴族が増えすぎた結果、過当競争に陥ってしまた挙げ句に淘汰されつつある。
そんなル・ガルの実態を聞いていたタカは、結果的にヒトが恨まれる未来を危惧しているのだった。
「……勝ちましょう。エツジさん」
「えぇ。勿論です。勝つ事でしか我々はイヌの国に貢献できない」
エツジは深い溜息を吐きながらそう言った。ただ、その翌朝に起きた事を2人はそれぞれにメモにとどめた。それは、ふたりをして予想の遙かに上の事態なのだった。
――――翌朝5時
伝令の慌ただしい足音にタカは飛び起きた。野戦向けに作られたテントの中、タカは毛布にくるまって朝を待っていた。彼の祖父はシベリアに出兵し、ツンドラの空の下で眠ったと言う。
その苦労を聞いて育ったタカは、自らの境遇を恵まれていると感じるほどにマインドコントロールされている事に気付いてないのだが……
――――キツネ騎兵・着々と西方地域に集結中・推定12万騎程なり
――――キツネ以外の種族も見ゆ・正体不明なり・総勢20万を越ゆれり
――――迎撃には大軍を要すかと
手短な伝令文章を読んだタカは『ハハハ……』と乾いた笑いを零した。総勢20万とは豪勢だな……と、笑うしかなかった。それこそ、その大軍が一斉に押し寄せてきたなら、対処不能も良い所だ。
「……第二戦線を作りましょう。野砲と騎兵で迎え撃ち、敵の数を減らすしかありません。覚醒者を片付けた後で騎兵同士の合戦に及び、数を減らしてここで迎え撃つんです。もうそれしかありません」
エツジはそう提案し、タカもそれに乗った。
「カリオン王に奏上しよう。そこで……」
タカとエツジは顔を見合わせて押し黙った。かみ合わせが悪いままに耳障りなノイズを立てて回っていた歯車からブンブンというノイズが消えた。そして、音も無く一気に回転速度を上げたと思った。
そう。全ての作戦が見事に噛み合ったのだ。それぞれ各々の条件の中で個別に動いていた案件が全て見事に噛み合わさる。そんな経験は誰だって多少なりともある筈だ。
「早速奏上しましょう」
手早く毛布を始末したふたりは、夜明けの風を切ってカリオンの寝起きする御室へと向かった。途中で親衛隊の誰何を受けるも、ふたりは共に太陽王謁見を随時行える鑑札札を下賜されている。
それを見せればどの親衛隊も『どうぞ』と気持ちよく通してくれた。そして、コーニッシュの市街地中心部にある建屋に辿り着いた時、タカとエツジはそこで信じられないモノを見た。
「違う。そうじゃない」
それはララに剣の稽古を付けるカリオンとヴァルターの姿だった。その隣にはジョニーが居て、少人数で剣の稽古をしているシーンだった。
「剣先に意識を置くな。意識するべきは柄と刃の連結点だ」
見事な設えの剣を持ったまま、カリオンはジョニーやヴァルターと剣を打ち合っている。だが、その実はジョニーやヴァルターを圧倒するカリオンの超絶な剣技をララが見ている状態だった。
「……凄いな」
「アレは真似出来ません」
タカの言葉にエツジが返す。少なくとも銃剣術や剣術を学ぶタカにしてみれば、まったく別次元の技術がそこにあった。そして、その技の極地は究極の自己防衛術そのものだ。
「ん? ふたりともどうした。朝からご苦労だな」
タカ達に気付いたカリオンは、太陽王の紋章が入った剣を鞘に収めた。その惚れ惚れとするような居ずまいに、タカは魂を抜かれたようになっていた。
「凄まじい剣術にございますね。恐れ入りました」
「なに、こんなモノは命のやり取りの回数だ。型だの手順だのに何の意味もない。無我夢中で斬り合って、生き残った者が強いだけだ」
ハハハと笑うカリオンは、汗を拭きながら水差しの水を飲んでいた。
近くに居たララは束ねていた長い髪を解き、同じく水分を取っている。
――――美しいな……
掛け値無しにそう思ったタカは、ララの持つ豊かな胸の膨らみを一瞬凝視し、己の意志の弱さを恥じてから顔を上げた。
「で、どうした?」
「それが……」
カリオンの言葉にタカが事態の説明を行った。
キツネの国から派遣されてくる総勢は20万が予想されているのだ……と。
「いや、20では無い。余の元には22万ないし23万と報告が来ている。まぁ、この数ではいくら何でも銃の数が足りまい。どうする?」
そう説明を求められ、タカはどう言ったモノかと思案に暮れた。だが、そこに助け船を出したのはエツジだった。理路整然と立て板に水の説明を始めたエツジは、真顔でカリオンに迫った。
「全てを一会戦で終わらす事など土台不可能な事態です。そもそも弾薬がそこまでありません。故に、敵戦力を漸減し引き込む事を提案いたします」
黙ってその言葉を聞いていたカリオンは『ほぉ……』と続きを促した。少なくともそれは、実現の目が出てきたのだとジョニー達が感じるモノだった。
「具体的に言いますと……
エツジの提案は単純だ。凡そ10リーグほど東の平原で会戦に及ぶ。騎兵を中心とした機動戦術を駆使し力比べを挑む。勿論この時にはカリオン王が戦線に立たれる事が重要だ……と付け加えた。
次に、総戦力として劣っているのだから負ける事になるが、その後退戦は素速くやるのでは無く、順次後退し敵を引き込む事が重要だと提案した。キツネの国から見れば、王の首を取れると期待する様な戦い方が望ましい……
だが、それに噛み付いたのは親衛隊長ヴァルターだった。
「……王を囮とするのか?」
それは、少なくとも親衛隊にしてみれば聞き捨てならない言葉だった。王を危険に曝すのが前提の暴挙と言える行為だ。仮にそれで王が負傷すれば、それは間違い無く禍根を残す。
なにより『親衛隊は何をやっていたんだ!』と、猛烈な批判に晒されるだろう。そしてそれ以上に自分自身で自分を責めるだろう。責任感に篤い男故に、ヴァルターは絶対に賛成できない案件だった。だが……
「いや、それは面白いな。余の首を取りに来いと啖呵を切ってやろう」
クククと笑ったカリオンは楽しげな表情で続けた。
「フレミナ一門とやり合った時にもやったのだ。ドリーに言えば是非とも自分にやらせろと言うだろうさ」
『なにをですか?』と柔らかい言葉でララが尋ねる。その問いにカリオンは笑いながら言った。それは、あの芝居がかった煽りだった。
「かつてフレミナに啖呵を切った事があるのだ。剣を一本くれてやるからこの首を取りに来いってな。遠慮無くやって良いぞ?と煽ったんだよ。そしたら見事に釣れてな……で、今があると言う事だ」
既にノリノリモードになったカリオンは、上着の袖を通した後でニヤニヤと笑いながら手順を思案した。それを見ていたヴァルターは『なりませんぞ!』と口を挟むのだが、そんなヴァルターをジョニーが抑えた。
「無駄だって。だいたいエディだって騎兵なんだ。銃で撃ち合うより馬で駆けて斬り合う方が性に合ってる。それに、これでル・ガルの懸案事項も随分改善するかも知れねぇぞ?」
その一言にヴァルターの表情がガラリと変わった。そしてそれは、カリオンも同じだった。ジョニーの発したその一言に、カリオンの顔がスッと切り替わった。戦に逸るひとりの騎兵から、老獪な政治家へと変貌したのだ。
「……さすがジョニーだ。大事な事を思いだしたよ」
ククク……と含み笑いしたカリオンは、ウーンと伸びをした後で肩を回しながら言った。ル・ガルが抱える絶望的な現実を改善する為の政策だ。
「余の前で武功をあげたい騎兵は我が元へ集え。ガルディアラ最強の座を賭けた一戦故に、多くの騎兵の参加を余は期待する。余の元でル・ガルの光りとなれ」
その檄を読めば、燻ってる騎兵や貴族は我先にと集まってくるだろう。そして、カリオンの前で武功を立て、国家に貢献し、現状の苦境を救ってくれと願い出るだろう。
そう。増えすぎた貴族を淘汰する為の奇策、いや鬼手をカリオンは思い付いたのだ。諸刃の剣ではあるが、これをやるならカリオンが直接出張る戦の方が効果が高いのは、言うまでも無い事だった……