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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~征服王リュカオンの誕生
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頂上決戦 02

~承前






 タカとエツジが最初に行ったのは、偽の情報をイヌの国に流す事だった。


 ――――キツネの国との決戦に太陽王が挑むらしい

 ――――でも頭数で負けているから……どうもやばいぞ?


 その情報はカリオン達が陣取る前線本部のコーニッシュから、ガルディブルク城留守居役のウォークに伝わった。そもそもル・ガルにスパイが入り込んでいるとするなら、その居場所はガルディブルク城が一番濃厚だからだ。


 情報を征するものは戦を征する。


 極々当たり前の話だが、それでもイヌはそんな部分が弱い事をアレックスは突き付けられ、同時に内心で驚きつつも狼狽えていた。タカと共に活動するエツジが見せるのは、諜報戦という立派な戦だからだ。


 ――――途中の中継箇所は幾つですか?


 エツジはそこから質問を積み重ねた。そして、アリョーシャが計算した12カ所という答えから何かを計算しだした。


 ――それは?


 決して算術が不得意な訳では無いが、エツジが黒板に書いた計算式はイヌの誰もが全く理解出来なかった。


 ――――これはリスク評価計算式と言いまして……

 ――――なんて言えば良いかな……

 ――――まぁ簡単に言えばどれくらいの危険があるのか

 ――――それらを数値化する為のものです


 俗に『微かに分かる/分かった積もり』などと呼ばれる微分や積分と言った高等数学は、こう言った不確定計算式の現場で思考整理の道具にも使われるものだ。


 そして、エツジは静かにニヤリと笑った後で言った。それは、ル・ガルの諜報網を支えるアレックスにとって、看過出来ない言葉だった。


 ――――やはり城が一番危険だと考えます

 ――――ですから城側に対策が必要でしょう


 だが、その言葉にアレックスは頭を振った。

 その必要は全く無い事など解りきっているからだ。


 ――心配しなくて良い

 ――城の諜報体制は完璧だ

 ――あの城には選りすぐりの魔術師が揃っている

 ――彼らが真贋を見抜くだろう


 リリスの件は伏せてあるが、少なくとも嘘は言ってない。そして、何を危惧しているのかも、まだ口には出してない。決してヒトの諜報術を甘く見ている訳では無い。


 だが、結果的に値踏みをしているように見られたとしても、一切言い訳は出来ないだろう。ただ、そんなアレックスの思惑を飛び越える言葉をエツジは吐いた。それこそ、ル・ガルの諜報網管理者の思惑などお見通しだ……と言いたげに。


 ――――城の魔術師の目を乗っ取られたら終わりですね

 ――――それが可能かどうかは分かりませんが

 ――――魔法でやり取りする以上は外部から魔法で覗かれます


 それの意味する所をアレックスは嫌と言うほど分かっていた。

 リリスが招いた夢の中の会議室がキツネのあの男に筒抜けの可能性がある。


 ――さすがだ……


 その一言でエツジもアレックス達がそれを危惧していた事を知った。

 ただ、じゃぁどう対処するか?の部分は全く異なるものだった。


 ――――簡単です

 ――――複数の手段で全く異なる情報を流します


 エツジはニンマリと笑いながら言った。

 その笑みは人の心の弱い部分を見透かすものだった……


 ――――人間の頭は自分の信じたいものから信じるように出来ています

 ――――それと異なる複数の情報に触れた時には最初の情報を最も信用します

 ――――ですからそれを逆手に取るのです


 そんなの解っているよ……


 アレックスの表情が不本意だと言いたげに変わった。

 しかし、エツジの説明した緊急通達の中身を読んでいくウチに、その表情は不本意から緊張に変わった。


 ――――楽しそうだと……思いませんか?


 それは、諜報戦に携わるイヌ全ての印象だろう。この時エツジの浮かべた笑みは、悪魔のそれだと100人が100人、口を揃えるものだった。人の心の弱さを抉るような、そんな言葉だ。



 『太陽王は決戦を欲せられた。この砌、撫で斬りにすべし』



 第一報がガルディブルクへと飛んだのは、カリオンが決戦を覚悟した晩だった。

 そして、その直後に緊急訂正が城へと飛んだ。それこそが情報戦の始まりだ。



 『キツネの国の17万騎と決戦に及ぶには戦力が足らない。至急召集せよ』



 これがキツネの国へこぼれれば、なまじの戦力では戦えない事が解るだろう。

 プライドの高い彼らはメンツに賭けて戦力の召集に当たるはず。

 ただ、それが出来ねば手持ち戦力で奇襲に及びかねない。


 だからこそ、釘を刺すように付け加えられた。

 逡巡こそ最もやってはいけない事で、兵は拙速を尊ぶもの。

 だが、それでも人は考える事を止めてしまう時がある。

 それは、希望と絶望が背中合わせになっていて、その希望側が見えている時だ。



『緊急修正第2報。太陽王は最低でも15万無いし20万の戦力を欲せられた。召集までに1週間の猶予を与えるとの事。騎兵を中心に精兵を揃えよ。規律を求む』



 最初の晩に飛んだ光通信はこれだけだ。だが、案の定、何処かで枝が付いた。それを確信したのは、コーニッシュ郊外をパトロールしていたスペンサー騎兵がキツネの騎兵と遭遇した事だった。


 スペンサー騎兵は弓を使ってキツネを止めようと努力した。だが、そのキツネの騎兵は抜群に上手い馬術と体術で全ての弓を躱し、一気に速度に乗って逃げおおせてしまった。


 情報偵察を旨とする軽装騎兵の威力偵察。だが、キツネの国でそれを行う事はめったに無い。つまり、キツネの国はそれだけ情報に飢えていると言う事だ。どうしても知りたい事があるのだと、そう叫んでいるようなものだった。


 ――――釣れましたよ……

 ――――ここからです


 夕暮れ時、コーニッシュから城へ緊急通達が出された。


『緊急修正第3報。コーニッシュでは軍馬の飼料が不足している。馬は全力で駆けられない。大至急飼料を送れ。なお、キツネ騎兵の横槍に注意せよ。救援は送れないので注意を要す』


 これは序の口だった。それから2時間と経たぬうちに再び緊急修正が城へと送られた。キツネの国が魔法でのぞき見しているかも知れない。いや、していない方がおかしいのだから、対処せねばならない。


 それを見越してアレックスはそれを黙って行った。ウォークとリリスならばそれを見抜くだろうし、サンドラは絶対に訝しがるだろう。だからこそ最後に付け加えた文言が効いてくる筈だ。


『緊急修正第4報。騎兵軍馬に病気発生の可能性あり。機動力を失いつつある。キツネ騎兵の襲撃に備え護衛の要あり。ただし、キツネ側の動き緩慢にして警戒の要は薄し。護衛より荷駄を増やせ』


 ここまですれば、疑心暗鬼になったキツネの側がアクションを起こすはず。だからこそ、この夜はそれ以上の光通信を送らなかった。現場がてんてこ舞いになれば通信どころの騒ぎでは無い。


 キツネの側がそう感じ取ったなら、この勝負はル・ガル側の勝ちだった。

 つまり、博打に出たと言う事なのだが……


 ――平気なのか?


 アレックスの問いにエツジは平然と答えた。


 ――――明日になれば答えが出ます


 と……


 だが、その翌日に答えは向こうからやって来た。再びキツネの軽装騎兵が姿を現したのだ。彼らは驚く程の軽装で姿を現した。防御力よりも速力を取った選択なのだろうと全員が思う姿でだ。


 エツジはソレを確認し『深追い厳禁。ワザと逃がします』と騎兵に伝えた。それを聞いた騎兵は憤慨していたが、結果論としてはキツネの騎兵を逃がしていた。一戦に及ぼうと重装備で出た関係で、速度差によりぶっちぎられたのだ。


 ――――彼らは彼らが欲しい情報を持ち帰りました

 ――――結果論として彼らは勝手な思い込みの呪縛にはまります

 ――――ククク……


 そう。キツネの騎兵は速度によりイヌの騎兵を振り切った。

 だが、彼らは事前に『馬が不調らしい』という可能性を聞いていた筈だ。


 ル・ガル騎兵を振り切った事で、装備差や重量差を考慮せず、事前情報の再確認を行ったと報告をあげるだろう。馬が不調で速度が乗らない事や、結果としてル・ガル騎兵を振り切った事を淡々と説明する。


 それを聞いた作戦本部はこう考える。情報部が入手した馬の不調は真実だ。と言う事は、彼らは決戦に及ぶべく戦力を整えつつある。だが、その完遂までにまだ5日ある……と。


 そして、先に得ていた情報がここで効いてくる。軍馬向けの飼料が足らない。つまり、馬は餓えと病気で苦しんでいる。となれば……


 ――――どれほどキツネ騎兵が強くとも彼らは考えます

 ――――最大効率で勝つ為にはどうすれば良いか?をです

 ――――つまり彼らはここで罠に落ちます

 ――――荷駄隊を狙うでしょう


 カリオンとアレックスを前にエツジはそう報告した。そして、次の一手を考えますので……と、その場を辞した。コーニッシュに作られた臨時の大本営内部にあって、カリオンとアレックスの二人は腕を組んで思案に暮れた。


「リリスとやり取りするのは危険だな」

「あぁ。あのキツネに筒抜けの可能性がある」


 ふたりして視線を交わしつつも押し黙っている。

 だが、実際にはギリギリ相手に聞こえる小さな声で論議を重ねていた。


「あのヒトの男の手腕は大したもんだ」

「アレックスもそう思うか?」

「あぁ…… 正直、ここまでやるとは思わなかった」


 ヒトの世界における諜報戦は、心理学や統計学を駆使した神経戦そのものだ。

 まさかそこまでしまい……と思う線がスタートラインと言える。そしてそれは、踏み越えるか越えないかギリギリの所で嘘と真実を混ぜた情報を流すのだ。


 カリオンもアレックスもキツネの手腕に些かの疑いも無い。敵ながら天晴れなやり口で完璧にのぞき見をするだろうし、情報は漏れるだろうと思われた。だが、逆に言えばそれが弱点になる事をエツジが行動で示した。


 なまじ相手の情報が手に取るように解るだけに、自分の見たものを真実だと信じ込んでしまうのだ。そして、その逆の情報に触れた時、それを検証せず嘘だと考えてしまう。嘘かも知れないと疑心暗鬼になる。嘘だった場合の対処を考える。


 逡巡 或いは 疑心暗鬼


 その二つと戦いながら、一軍の将は軍を指揮する。

 情報の取捨択一に掛かるセンスは、それをどれ程行って来たかでしか磨かれないし、その対処のセンスもまた経験を積み重ねるしか無い。


「……そろそろ着いたかな」


 ボソリと零したアレックス。

 その言葉をカリオンは手で制した。


「おいおい」

「あぁ、すまない。これも聞かれているかもしれないな」


 クククと笑った二人は小さな小箱の形を手で作った。

 何処かから魔法の遠見術で見られている可能性を考慮したアドリブだ。


「サンドラに届けば良いんだがなぁ」

「彼女、欲しがってたもんな。コーニッシュから入ってくるキツネの国の曲玉」


 女性はどんな世界でも時代でも装身具に興味を示す。自分自身を飾り立てる為のものには出費もする。そしてそれは、男の側から行うプレゼントの判断材料にもなり得る。


 カリオンはコーニッシュの街で入手した耳飾りをガルディブルクへ戻る定期便に託していた。そして、『余の妻への心付けだ。出来れば急いでくれ。あれでいて中々に嫉妬する可愛い女だからな』と付け加えた。


 実際はそんな事も無いのだが、カリオンの漏らしたその言葉を近衛騎兵は良くも悪くも忖度する。そして、定期便の荷駄とは別に、早馬が仕立てられガルディブルクまで夜を徹し駆けるのだった。


 カリオンとアレックスが書いた事細かな指示のメモを挟んだ、小箱を持って。


「さて、明日にはキツネの騎兵が動きだすだろうな」


 動きの悪いル・ガル騎兵の為に大量の糧秣がかき集められ送られてくる。

 直接対決で戦果重畳を狙うなら、まず馬から射よと言う事だ。


「しかしどうする? ここで動けば……」


 ウソがばれる……

 アレックスはそれを危惧した。

 ここまで積み上げてきた実績が一瞬で崩れるのだ。


「良いんじゃ無いか? それはそれで……」


 ル・ガル騎兵が不調という情報を持っているキツネの諜報は、ル・ガル騎兵が動かないと踏んでいるはずだ。仮に魔法力でこちら側が覗かれているとしたら、今度はこの会話が命取りになってキツネの騎兵は動かないだろう。


 ただし、それはキツネの側にしてみれば、このスパイ行為がばれている可能性を感じさせるものだ。ネコですら手玉に取るペテンの手練れなキツネだが、そんな彼らが今あいてにしているのは、イヌでは無くヒトなのだ。


 有史数千年の中でひたすら啀み合い、騙し合い、殺し合い、恨み辛みの中で対人不信を募らせてきたヒトの持つ、底の知れない悪意と敵意。そんな蠱毒壷のなかで錬成されてきた諜報技術の華をキツネは見る事になる……


「……わかった」


 アレックスは手短に応えカリオンの部屋を出て行った。

 コーニッシュの中に残っていた小さな宿の一番広い部屋が現在の玉座だ。


 ――彼らは当然の様にここを使うと思うだろうな……


 キツネは全部承知でそうした可能性が高い。だからこそ綺麗に片付け、花まで飾ってカリオンが入るように仕向けた。ならば当然の様に魔法による作用点となる何かが仕掛けられていると考えて良い。


 ――逆手に取る……か……


 エツジの漏らしたその言葉の奥深さにカリオンは唸るばかりだった。

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