野戦築城陣地にて
~承前
広大な草原の中、カリオンは腕を組んで眼下を眺めていた。
どこから運び込まれたのか、太い丸太を組み合わせた櫓が拵えられていて、その上に立ったカリオンは眼下の光景に感嘆していた。
「野戦築城理論はビッグストンで教育されたが、こんな時にも役に立つものなのだとは知らなかったよ」
それは、キツネの精兵を迎え撃つべくアッバース歩兵が作り上げた、平原における騎兵の誘導障害だった。地形的な起伏の殆ど無い地域故か、全ての歩兵がスコップを片手に地表を掘り返して堀を作り、その掘った土で土塁を築いていた。
「こんだけ作りゃあ……相当な騎兵でも太刀打ち出来ねぇだろうよ」
カリオンと共にその光景を眺めていたジョニーがそう漏らす。
ただ、カリオンとジョニーの気易い会話に割って入ったドリーは、何とも辛そうな表情だった。
「……もはや騎兵は主力足り得ぬ時代ですな」
ため息混じりにそう零したドリー。その硬い表情は内心の表れだろう。そも、キツネの騎兵相手に敗走しただけでも斬首ものの失態なのだが、それ以上に問題だったのは歩兵による支援を受けた事だ。
騎兵とは最強の兵科であり戦場の主役である。ル・ガル国軍の誰もがそう信じて疑わないのだが、そんな中にあって敗走したドリーは無能な敗軍の将として誹謗中傷を受けつつあった。
「バカを言うな。如何なる時代においても無用の戦力は存在せん。全ての戦力を上手く使いこなしてこそ百選無敗の常勝将軍となるのだぞ?」
どこか冗談めいた物言いでドリーを諫めたカリオン。
だが、その眼下に広がる光景を見れば、ドリーは背筋が寒くなる思いだった。
――――こんなもの……
――――戦とは呼べんだろう……
それは茅街からやって来たヒトが指揮指導する中で作り上げられた、恐るべき仕組みだった。大きくえぐられた堀も、その入り口は僅かな段差でしか無い。
だが、速度に乗った騎兵は旋回運動一つとるにしても慎重な足運びを求められ、後続に踏みつぶされないよう大きく旋回するしか無い。しかし、それに気付き旋回を試みた時には馬の足では越えられない段差の深い堀に化けている。
そしてそれは、どん詰まりの行き止まりで絶望的な段差の土塁に進路を阻まれ、乗り越える事が出来ない仕組みになっていた。そこに矢を射掛けられたら、どんな騎兵と言えども、ひとたまりも無く鏖殺される……
「脱出を試みても不可能で、後退するには後続の騎兵が邪魔をする訳か…… 何とも手強い仕組みだが、これこそが必殺の戦術なのだそうだぞ」
カリオンは愉悦を溢れさせつつ、それを眺めていた。
その眼差しの先、陣頭指揮に当たっているタカは大きな声を張り上げながら作業の指示を出していた。
――――頭1つでも高く土塁を積むんだ!
――――その僅かな差が生死の境となる!
凄まじい速度で構築されていく対騎兵向け障害は、着々とその牙を磨いていた。
「……銃ですか」
ドリーの零したその言葉に、櫓に登っていた全員が表情を硬くした。
アッバース歩兵が持つ銃の数は、ソティス職人の献身的努力もあって2000を越えたらしい。今日明日中に500丁が追加される見通しとあってか、歩兵の表情は明るかった。
そして、それ以上に恐ろしいものが野戦築城された砦の内側にあった。総勢100門を越える大口径火縄銃――野砲――の姿だ。彼らは時折その砲をぶっ放し、射程についての正確な距離を求めていた。
「……戦いは数って言いやすが……平気なんでやしょうかね?」
本来なら闇に紛れる細作でしか無いリベラは、それでも戦の真実を理解している部分がある。どんな作業でも最終的には頭数で結果が左右される事を知っているのだから、絶対数の足らない兵器に信頼は置けないのだ。
「まぁ、始めてみるしかあるまい。如何なる結果になろうとも、まずはやってみる事だ。その上で臨機応変に対処する事が望ましい」
カリオンは自信あふれる笑みを浮かべつつ、もう一度眼下を眺めてから櫓を降りていった。向かった先は草原の中に立てられた広いテントだ。
そこはこの野戦築城された草原の前線本部になっていて、戦況卓の上には野戦測量部の応急測量した地形図が広げられていた。
「キツネの騎兵はどこからやってくる?」
威力偵察を専門に行うライトキャバルリー達の持ち帰った情報に寄れば、現在キツネの国内では大規模な侵攻軍が編成されているらしい。その大軍はコーニッシュを通らず、この草原のなかの一本道を前進せざるを得ないと踏んでいた。
馬匹輸送を主とする輜重部隊だけで無く、騎兵の跨がる馬は水と草を欲する。それゆえ、整備の行き届いた街道を行く場合には、その道中に草原が必要だ。
馬の求める草を食ませ、水を飲ませ、気力体力を充実させねば騎兵はその働きを鈍らせるもの。案外知られていないのだが、キツネの騎兵はある意味イヌの騎兵を上回る戦上手を見せる手練れの集まりなのだ。
「迂回しやせんでしょうか?」
リベラはそれを気にしていた。17万もの大軍が押し寄せてきたなら、分割せねばならないのだ。肉声を情報伝達の主とするのだから、指揮官の周辺が最も統制の取れた動きとなるのはやむを得ない。
この場合、幾人かの将に軍団を分割して与え、それぞれの裁量で戦略的目標を達成させるのが常道となるし、少なくともイヌの国では、ル・ガルではそう言う仕組みになっている。
シュサ帝が戦死した戦は、凡そ22万もの大軍を1人で指揮しようとした結果、指揮命令系統が崩壊し連係が崩れたのだと戦術戦略研究班は結論付けていた。
「それは……どうだろうな。蓋を開けてみるまでは解らない」
カリオンも明言を避けたその疑念。いや、懸念と言って良いだろう。ただ、この時ル・ガルの首脳は誰1人としてキツネの騎兵の本当の強さを知らなかった。なぜイヌを上回る戦上手なのかの秘密。それは魔法科学がイヌの数倍発達したキツネだからこその理由だ。
符術と呼ばれる魔法装置を使った遠隔意思疎通の技術。紙に書かれた魔方陣を使った、一種のトランシーバーがキツネの騎兵を支えている。そしてそれは、キツネの魔法科学の結晶とも言うべき魔法の戦況図と連動し、まるで鳥が空から指示を出すように全軍団を連動せしめていた。
つまり、銃が無いだけでキツネの騎兵はヒトの世界のそれと同じように、広大な戦場で縦横無尽に情報のやり取りを行い、他の種族ではあり得ない動きで騎兵を連動させているのだった。
「では、その懸念を我がスペンサー家が解消いたしましょう」
ドリーは唐突にそんな事を切り出した。
カリオンだけで無くジョニーやリベラが驚いてドリーを見た。
「我等スペンサーの弱兵が囮となり、彼らをここへ導きます。必死で逃げる我等スペンサー騎兵を彼らは面白がって追跡する事でしょう」
かつてビッグストンの中でゼルのフリをしていた五輪男は、釣り野伏の戦術を説いた事がある。だが、実際問題として囮戦法はごく普通の戦術だった。問題はその野伏りとなる伏兵がどれ程強力かと言う事だ。
関ヶ原の合戦で島津勢が見せた恐るべき戦術――島津の退き口――では、迫り出しと呼ばれる鉄砲の前進射撃と捨て我慢なる抵抗戦術が知られている。だが、本当に強力なのはそんな戦術といった枝葉末節では無い。
島津の剣士がみせたのは、命を惜しまず奮戦し続ける頑強な抵抗戦術だ。それ故に釣り野伏のような囮戦術が後世まで語られ続ける事となり、僅か1000騎足らずだった島津一門が、ごく僅かとは言え薩摩の地まで帰還した結果と相成った。
つまり、強力な伏兵がそこに居るなら、囮となる部隊はそれ以上に命知らずな活動を求められる。そしてそんな働きをスペンサー家が受け持つと言っているのだ。
「……なるほどな。さすがドリーだ」
カリオンは感嘆したようにそう言った。その勇気と度胸と自己犠牲の精神は称賛されるべきものだ。だが、その後に続いたカリオンの言葉は、ドリーだけでなく全員の予想の斜め上だった。
「余も走るか。たまには馬上運動せねば騎兵足り得ぬだろうしな」
――――は?
誰もが一瞬黙った。そんな中カリオンは『余の馬を支度せよ』と命じた。
レラから続くお召し馬の系譜は、9匹目となるシンサンに受け継がれていた。
それはレラの血統ではなく、レオン家の献上した快速の駿馬だった。
「……陛下。冗談はおよしなせぇ」
手を振りながらリベラは笑ってそう言った。
その後を受け、ジョニーが言う。
「そうだぜエディ。冗談にしたってもうちょっと笑えるのにしてくれ」
2人ともカリオンの言葉を真に受けているとが言いがたい空気だ。だが、当のカリオンは背なのマントを短めに調整し、腰に佩た愛刀の柄を磨いていた。
「ん? ふたりとも余を疑っておるな?」
そう。誰1人としてカリオンの言葉を真に受けていなかった。だが、それを見て取ったカリオンは、薄笑いのまま言った。西方戦線で何が起きたのか?と顛末だ。
「ル・ガル西方草原地帯では、ネコの国の騎兵相手にグロリア・レオンが囮となって駆けたという。計算深く疑り深いネコの騎兵もそれにはさすがに釣られたそうだ」
その説明に誰もが深く首肯を返した。何よりも損得勘定に目聡いネコならば、戦果と釣果を秤に掛けて考えるはず。
――――ここで公爵家の跡取りが討ち取れるなら安いもの……
そんな思惑に踊らざるを得なかったネコの騎兵は、そこでの失敗から総崩れとなっていった。結果的に奪回した地域の全てを失い、多くの兵も失った。その結果、ネコは国力を大きく疲弊させ、少々では回復できない深手を負った。
「キツネの軍勢はその多くが魔術に関する心得を深くしていると聞く。ならばドリーの献身的かつ英雄的な囮活動をも見破るかも知れない。その上で更に手強い罠をしかけてくるかも知れない。そうじゃないか?」
カリオンは一切の迷いを挟まずにそう言いきった。つまり、自分も走るのは既定路線であり、もっと言えば最初から囮は自分の役だと踏んでいる節がある。その姿を見ていたジョニーは、あの城の地下に居るリリスがそれを手引きしたのだと思った。
少なくともキツネの魔法科学はイヌよりも数段優れている。その事実を認めざるを得ないのだから、それに対する明確で強力な対処法が必要だった。そしてそれは間違い無く、太陽王が直接囮になるだけの理由足り得るものだった。
「しかし……王よ……それは余りにも……危険すぎます」
ドリーは絞り出すような声でそう反論した。
バカを言うなと怒るような、そんな声音にも聞こえるものだった。
「私が死んでも代わりはいくらでも居ます。我がスペンサー家は盤石であると胸を張って言い切れます。ですが……せめてララウリ殿下が独り立ちされるまでは」
ドリーは次なる王ララウリの名を挙げてカリオンを止めに掛かった。だが、それに口を挟んだのは意外な事にジョニーだった。何処か呆れた様な空気を纏いつつ、ドリーを指差して言った。
「おいおい、こいつを誰だと思ってるんだ?」」
太陽王をコイツ呼ばわり出来るのはジョニーだけ。
誰もがそれを知っているが、だからと言って敬愛する王をコイツ呼ばわりされても平気だと言う事は無い。事実、その一言でドリーは大きく顔色を変えた。だが、そんな程度で怯むようなジョニーでは無い事も知っているのだ。
「このル・ガルで一番運が良い男。それが太陽王だぞ? それが囮になるって言ってるんだ。絶対大丈夫だって思わなきゃ失礼ってもんだぜ」
……だよな
ジョニーの言葉に一瞬だけドリーは納得しかけた。しかし、首肯しそうになってから慌ててそれを止め、あきれ顔でジョニーに言った。
「運が良いからと言って戦死しないって事じゃ無いだろ? それに、運の話をするなら何故シュサ帝は遠行された。ノダ帝とて同じだ。我が王とて、同じように遠行されかねぬ。それは……到底受け入れられぬ」
まるで獰猛なままに噛み付くような勢いでドリーはそう言った。猛闘種の気風溢れるその姿に、誰もが心強い思いを感じた。だが、だからといって引き下がるようなジョニーじゃない事も皆知っている。
西方草原地帯の主として歴史を積み重ねてきたレオン家の跡取りとして、彼は様々な局面で面倒を背負い込む事を厭わぬように育てられてきた。最大限好意的に解釈するなら、兄貴肌で親分肌。そして、頼むと言われて頭を下げられたなら、どんな無理筋でも嫌とは言えない性分になっている。
つまり、頑固で不器用な位に一本筋の通った生き方を根本としているのだ。そんなジョニーなのだから、誰かに何かを言われたとて、素直に『はいそうですか』と返事が出来ないのだった。
「じゃぁ何か? このル・ガルにゃぁ太陽王が戦場を駆けようってのに、護衛の騎兵がいねぇとでも言うのか? それとも護衛がびびってるとかじゃねぇだろうな」
どこか喧嘩腰にものを言うジョニー。その姿はガルディブルクの歓楽街を肩で風を切って歩いた無頼のジョニーそのもだった。
「おいおい、ここで喧嘩はやめてくれ。兵達が見てるじゃないか」
その場を収めるべくカリオンはそんな事を言った。ジョニーとドリーは辺りを見回してから、小さく『あぁ……』と応えた。
「余はキツネの騎兵を引きつけるエサの役だ。しっかり守ってくれよドリー。それと、ジョニーも一緒に行くか?」
ジョニーが断る事などあり得ないと知りつつ、それでもカリオンはそう嗾けた。
売り言葉に買い言葉で『あたりめぇだろ!』と応えたジョニーはただ笑った。
「そう言う事だからドリー。しっかりやってくれ」
カリオンは信頼溢れる眼差しでドリーを見ながらそう言った。その視線の先に居たドリーは一瞬虚を突かれた様に固まった後、『この一命に代えまして!』と返答した。
事態が上手く回り始めた……と、カリオンはそう思っていた。そしてそれ以上に思ったのは、自分がどれ程に恵まれた存在なのかという部分だった。ただ、その事について思案を巡らせようとした時、カリオンの目の前にヒトが現れた。
アッバースの主であるアブドゥーラと共に現れたタカは、胸を張り敬礼しつつ音吐朗々に言った。
「報告いたします。敵キツネ騎兵を迎撃殲滅せんとする野戦築城の構築を終え、戦力の配置を完了いたしました。手前共の予測では、最大交戦比250:1が可能であると考えております。なお、糧秣及び弾薬の備蓄は充分ながら飲料水の補給に若干の不安があります。何らかの形で補給補充の要を認むるものであります」
表情らしい表情を浮かべる事無く、タカはそんな覚悟ある姿を見せた。
だが、その言葉の端端に『やってやるぞ……』と意気込みを滲ませていた。
「宜しい。飲料水についてはボルボン家に命じよう。全軍に戦闘待機を命ずる」
太陽王の勅命が下り、全てのイヌが一斉に動き始めた。そんなシーンに目を細めつつ、『さて、久しぶりに楽しもうぜ』と軽い調子でジョニーは言った。そんな言葉に『あぁ、そうだな』と返答しつつ、カリオンもまた馬で駆けるのを楽しみにしているのだった。