戦いというものの本質
~承前
――銃の一種だ……
リベラはそれを直感した。
細作稼業の中にあって、銃とやり合った事も何度かある。その経験から導き出された銃対策の根幹は、とにかく撃たれない事だった。
銃から放たれる礫の速度は恐ろしいと感じる間も無いほどで、回避する事も掴む事も無理な相談だ。故に、撃たれないウチに相手を倒すしか無い。しかも、一撃で絶命する手段で……だ。
「……そういやぁ陛下。東方が上手くねぇんですかい」
リベラはまず時間稼ぎを狙った。
つい今し方、ララに時間稼ぎをされたばかりというのに、今度は自分の番だ。
――クソッ……
内心で悪態をついたとて、銃とやり合うには準備が要る。なにより、防御を固めねばならない。しかし、甲冑どころか胸甲一枚無いのだから、撃たれたなら即死は免れない。
「あぁ、そうだ。西方が片付いたらしいんだがな」
何気なく発したカリオンの一言にリベラが驚愕の表情となった。
なぜなら、彼が持っていた紙片は、エゼからの緊急通告だからだ。
「……どうやってそれを?」
上ずり掛ける声を必死で抑え、リベラはその続きを請うた。
正直言えば、驚きの顔を強引に押さえ込んだ自分を褒めたいレベルだった。
「いや、今朝早く、まだ夜明け前に緊急通信が来たんだが――」
夜間の緊急通信は、シウニノンチュなどと結ぶ光通信だ。ガルディブルクから西方のトゥリングラードにも光通信の連絡網が出来上がっている。そこからフィエンまでもつながっているのだから、通信は早く正確だった。
「――レオンを継いだグロリアからおおよその報告が届いた。さすがレオンを継いだ男だよ。まだ15だが将来有望と言って良いだろう」
上機嫌な様子で言うカリオン。しかし、リベラの表情は曇るばかりだ。
彼は裏稼業のネットワークを通じ情報を得ていたのだが、それよりも早かった。
その事実を突きつけられたリベラは、体が萎むような深い溜息を混ぜ漏らした。
「さいでやすか……」
そうだ。これだ。遂に来たのだ。新しい時代の幕開けだ。
過去幾度も行われてきた世代交代の波。リベラはその波を類い希な適応力と研究と観察とで乗り越えてきた。しかし、今回ばかりはそれが叶いそうに無いと直感したのだ。
なぜなら、今回の世代交代は世界の常識や根本が完全に切り替わるのだと、それを突き付けられたのだ。
「……もう細作の出る幕は無さそうでやんすね」
自分自身が時代遅れになる事を突き付けられ喜ぶ者はそういない。優秀な後継ぎを育てての引退ならともかく、新しい時代に対応出来なくての引退だ。ましてや、ガルディアラ中に雷名を轟かした最強の暗殺者リベラトーレにしてみれば、こんな形での引退など歓迎しない事態だった。だが……
「そうでもないぞ。実際、ソティスでは細作対策が相当大変だったらしい」
肩を落としているリベラを見れば、カリオンとて気を使う。ここでリベラを無碍に扱っては、後々になってリリスに恨まれるのも目に見えている。だからこそ、少しくらいのリップサービスは誰も責められない。
「……ってと?」
僅かに表情を変え、その話の中味を聞きたがったリベラ。
カリオンはニヤッと笑って隣に居た砂漠の民を見た。
――――お前の番だ
そんな空気で話を振ったカリオン。
砂漠の民は居住まいを整え、リベラに正対して口を開いた。
「御初にお目にかかる。手前はアブドゥーラ。アッバースの主サルマンはソティス掃討戦にて泉下に斃れました故、アッバースの掟に従い私がアッバースの跡を取る事になりました。アッバースでも無名なサウード一門出身ゆえ面識の無い方も多いはず。故にどうか見知り置かれたい」
砂漠の民に伝わる礼儀作法で挨拶したアブドゥーラ。
リベラもまたネコの礼を尽くした。
「サルマン殿は……戦で?」
「左様に。ソティスにおける掃討戦で、暗闇に潜んでいた暗殺者の毒針を受け、三日三晩の悶絶を経て力尽きた次第」
アブドゥーラの言葉でリベラは毒の種類を勘案した。三日三晩苦しむのなら、その毒はそれほど強いものではないはず。だが、逆に言えば苦しむだけ苦しんで必ず絶命する毒でなければならない。
「そいつぁあ……肝の毒にございやすね?」
肝の毒。それは『死人の左手』と呼ぶ毒キノコから抽出した遅効性の猛毒だ。その効果の陰湿さは群を抜いており、治療魔法の使い手等が戦場から引いた後になって効果を発揮する。
そして、解毒や快復の魔術などでは対処できないレベルで内臓を破壊し尽くすのだが、そのトリガーとなるのは、なんと酒だった。つまり、その毒を受けて戦が終わり、ホッとして酒を飲んだときに地獄の苦しみが始まる。
そのまま、いっそ殺してくれと願う地獄の業火の如き苦しみを味わいながら、死ぬのを待つのだ。
「流石ですね。その通りです。細作を捕らえ責め苦を負わせ吐かせたのですが、治療法が無く、また魔術による治療では手遅れの毒と言うことでした」
アブドゥーラは淡々と語っているが、リベラにしてみればその中身が少々気になるものだった。
「……しかしまぁ、その細作は……風上にも置けねぇはんちく野郎で」
そう。
細作を名乗る者ならば、少々の責め苦どころか命を差し出しても黙っているべき話なのだ。ましてやその仕込みのタネを人に教えるなどあってはならぬ事。果たして、このアッバースの男が何をやったのだろうか?と、リベラはそっちを気にするのだが。
「まぁ……それに付いてはこちらの――」
アブドゥーラは傍らにいる2人のヒトを指差して言った。
「――当家顧問として雇い入れた茅街出身のヒトが尽力してくれた。正直に言うならば、私だってあの責め苦は受けたくないものだ」
困ったような顔になってそう言ったアブドゥーラ。
ただ、そう言われた二人のヒトは、どこか得意げだった。
「当家の歩兵戦力は彼らの協力で飛躍的に実力を増し、瞬く間に賊徒掃討を終えました。それだけでなく、大幅な刷新を果たし、新時代の戦力として太陽王陛下のお役に立てる様になりました」
アブドゥーラに紹介されたのは、緑色の詰襟服を着込み、黒いブーツを履いた2人のヒトの男。ギンとタカだった。
「初めまして。手前は茅街のギン。こちらはタカ。太陽王陛下の思し召しにより存在するヒトの街。茅街にて自治組織を運営しております。今回、中原の掃討戦を行っておられたアッバース一門の方々が存外に苦戦されていると言う事で協力する事になりました」
ギンは茅街を代表するようにそう切り出した。
「我等はアッバース家の方がお見せになった魔術による着火の技を元に、ヒトの世界の技術と混淆させた、全く新しい軍戦術を編み上げました。これによりソティスを始めとする中原各地に散在した賊徒の拠点を殲滅せしめ得たのです」
――――ヒトの世界の……
その言葉はリベラの表情をグッと厳しくさせた。少なくともそれは絶対的に歓迎せざるるものだと直感したのだ。
あの細長い筒は間違いなく銃の一種だろう。ヒトの世界からごく少数が入り込んでいるのだが、この世界では再現せしえぬ技術が使われている。それゆえに稀少性があり、また、予備知識なくば対処出来ない代物なのだ。
知ると知らぬとでは対処に雲泥の差がつく。そんな代物が量産されてしまっては、それこそ商売上がったりだ。
「不調法で申し訳ありやせんが……そいつはあっしの様なもんでも扱える代物でやしょうか?」
リベラが聞きたいのは単純な事実だ。つまり、わずかな訓練で使いこなせる危険な武器かどうか。言い換えるなら、特殊訓練を積まずとも細作に対抗出来るか。
細作と呼ばれる者は、敵との距離を詰めることが最も重要な能力。一撃で絶命せしめるには背後から刺すのが一番早い。しかも、腎臓や肺を貫けば、絶叫すら上がらない。
だが仮に、そこまで接近出来ない、近寄れない様な危険な武器の場合、こっちが反撃で死にかねない。つまり、リベラが願う事は単純だ。
「……仰りたい事は重々承知しておりやす。これは『アブドゥラ。ここで実演して見せよ』
ギンの言葉を遮るようにカリオンが言う。その手短な指示にアブドゥラは『畏まりました』と返した。リベラはそこにカリオンの配慮を感じ、同時に自分の時代の終わりを確信した。
武勇に優れたる者。或いは、人を殺める事に長けた者。それらの存在を簡単に塗りつぶす圧倒的な殺意の簡便化が為ったのだ。
「これは弩弓の弓床に砂鉄で作った鉄筒を乗せた物ですが――」
アブドゥラはそこへ紙で作った細長い物を入れた。
「――この紙筒は前に鉛の礫を。後は蝋蜜で封をしてありまして、その中に玉薬なる火の着く砂が入っています。これをこのように……」
アブドゥラは片膝を付いた姿勢で弩弓を構えるように銃を構えた。
「……この状態で紙筒の中にある玉薬に火を着けます」
「それは……どうやって?」
たまらず聞き返したリベラは確信していた。
この、いまアブドゥラが言っている着火の部分こそが肝なのだと。
ヒトの世界から来た銃の多くがそうであるように、まるで魔法のように筒の中で火を着けることが出来るのだ。もっと言えば、このル・ガルに限らず鍛冶屋であれば比較的簡単に銃の基本構造は模倣できる。
だが、鉄の筒に入った礫を飛ばす仕組みが皆目見当が付かない。玉薬と呼ばれる物も作り出す事は出来るが、筒の尻を叩くと着火する仕組みがどうやっても再現できないのだ。
「魔法だよ、リベラ」
ただ、リベラの問いに答えたのはカリオンだった。驚いて王を見る多くの眼差しにただ笑みを浮かべるばかりのカリオンは、両手を広げながら言った。
「……過去、幾多の祖国戦争で魔導師による大規模な魔法攻撃が行われてきた。このル・ガルも国土を焼かれ幾たびも辛酸を舐めてきた。余はその災禍を鑑み、魔法を我が国軍に取り込む事を考えたのだ」
数歩前へと歩み出たカリオンは、アブドゥラの構える銃をジッと見た。
ガガルボルバの川岸に堆積する川砂には、遙か上流から流れていた大量の砂鉄が混じっていた。その砂鉄を集め鉧から薄金を作り、筒状に形成して弓床へ乗せる。
僅かそれだけの事だが、それを為し得たのはヒトの世界の知識と知恵。そしてル・ガルの国力が生み出す生産力と技術力だ。
「しかし、余の手下にある魔術師達のような魔術魔法を習得することは難しい。才無き者がそれに挑めば、その生涯を掛け習得を目指す物になる。これでは軍では使えぬ。そうだろう?」
カリオンの言葉にリベラが『御意』を返す。
魔法魔術の桁外れな威力は誰だって知っている。そして、その威力が戦場を一変させることは誰だって容易に想像が付いた。しかし、魔法魔術の得意なネコやキツネですら、大規模な戦場における魔術の行使には失敗してきた。
威力がありすぎれば味方を巻き込み、威力が小さければ戦闘では使えない。その絶妙なさじ加減が行えるよう上級者の場合、今度は戦その物を避ける。
つまり、国家間戦闘のような規模で魔法魔術を行使することは、実際にはかなり難しいと言う結論が世界の常識だ。一対一や少数同士での会戦であらば使えるだろうが、万単位での激突では巻き添え被害の方が大きいのだった。
「だが、このヒトの世界にある銃を模した武具は、火炎魔法の簡便化による着火魔法の応用を行ったのだ。つまりは……」
カリオンがアブドゥラに眼を送ると、彼はコクリと頷き狙いを定めた。
王の中庭の片隅に立つ春桃の実に狙いを定めたのだ。
「放ちます」
「あぁ。やれ」
弓床に頬を就けたアブドゥラは小声で呟いた。釜戸の中や焚き木や多くの火を扱う現場で普通に使われるようになった生活魔法のひとつ。着火の詠唱だ。
「フッチ」
刹那、瞬間的な破裂音が響いた。過去何度もリベラが聞いている銃の射撃音だ。パンッ!と鋭い音が響き、鼻を突く刺激臭がこぼれた。そして、凡そ30歩向こうにあった春桃の実が砕け散った。
「……これはどれくらい飛ぶもんでやしょうか?」
若干声を震わせリベラはそう問うた。もう細作の時代じゃ無い。手技や体術で相手を屠る時代じゃ無い。間違い無いと直感したのだ。
ある程度の距離を取り、敵を近づけること無く一方的に鏖殺する。その圧倒的な殺戮時代が幕を開けようとしているのだ……と。
「僭越ながらその問いは私が」
タカはおもむろにそう切り出すと、リベラに正対して言った。
「いまアブドゥーラ閣下のご使用された物は、有効射程が凡そ500歩になり、一撃で絶命せしめたる威力を望むなら100歩が限度かと思われます。これは内部に入れた玉薬の量にも寄りますが――」
一瞬の間が開き、タカは勿体ぶる様に言った。
「――これよりも大きな大筒であらば、300歩でも十分な威力を発揮し得る事を実験で確認しております。先のソティス掃討戦におきましては、銃列を編成して各歩兵による一斉射撃を敢行し、突進してきた敵兵を200ないし250歩の距離で完全殲滅せしめました。また、馬上にあって襲歩となった者を馬ごと絶命せしめましたので、期待されるべき威力を発揮出来る事は疑いないかと存じます」
タカの顔には『どうだ!』と自慢するような覇があった。その覇に当てられたのか、リベラは萎むような溜息をこぼし、小さな声で呟いた。
「こりゃぁ……めぃりやしたねぇ……もうあっしらの時代じゃございやせん」
事実上の敗北宣言。その言葉をリベラが漏らした。
だが、それを否定するようにタカは言った。
「いや、私達が生まれ育った世界では、多くのスパイ……工作員が銃を使うようになってますが、これはもうとにかく厄介で厄介で往生しました。音も無く接近し、心理的な死角に入り込み、音でバレ無いような状況で確実に敵を始末する。つまりは……『リベラ。余に同行し、銃の戦闘を観察せよ。そして対策を練るのだ』
タカの言葉を遮ってそう言ったカリオン。それこそが王の心配りだとリベラは気が付いた。そして同時にこれは、自分自身が銃を使えるようになるための訓練。高度な暗殺術を持つリベラが銃を使いこなすなら、これはもう鬼に金棒な事だった。
「東方戦線においてドリーの軍がキツネ相手に苦戦している。余はこの戦に介入しするだけでなく、キツネの軍勢に一泡吹かせる心算ぞ。ル・ガルを舐めるなと、その横っ面を引っ叩きに行くのだ。どうだ? 面白いだろ?」
どこまでも悪い笑みを浮かべたカリオン。
そのカリオンを見つめながら、リベラもまた極めツケに悪い笑みを浮かべた。
新しい時代の戦闘が幕を開けようとする中だが、結局は人と人が戦うのだとリベラは再確認するのだった。