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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~征服王リュカオンの誕生
348/665

世界変革の胎動

~承前






 ル・ガルの自治領からネコの女王の直轄地となったフィエンゲンツェルブッハ。

 蚕食された国土の奪回を掲げたネコの軍勢は、ル・ガルに併呑された地域の全てを奪い返し、その全てを女王の直接支配下に置く事を選択した。基本的にネコの国は高度な自治が基本であり、それぞれの街が女王への忠誠を誓う形で国家の体を成していると言って良い。


 ただ、直接支配下と言っても、実際には自治を基本とした形態のまま存置されている。それは、ネコと言う種族の微妙な立場を反映したものであり、また、場合によっては国家から切り捨てられる形になったとしても、住民が生き残る為に取った選択の結果だと考えられている。


 つまり、一時的にル・ガルへ併合される事で、住民が被るはずの不利益を回避した。或いは、脈々と築き上げてきた街自体を守った。そんな考え方だ。


 しかし、そのフィエンの街の郊外では、レオンとジダーノフの連合軍が集結していた。ル・ガルへと侵攻したネコの軍勢に横槍を入れた形の連合軍は、補給路を断たれたネコの軍勢を各個撃破しつつ反攻に転じていたのだった。


「そろそろ王へ吉報を届けましょう」


 グローは遠くに見えるネコの拠点を眺め、そう漏らした。シットサノォの河原で戦闘をしてから5日目。彼ら連合軍は破竹の快進撃でネコの軍勢を撃滅していた。


 補給路の全てを立たれたネコの軍団は各所で行動を阻害され、飢えた騎兵が馬を絞めて食べている有様だ。いかに覚醒者が強かろうと、飢えと渇きを斃せるわけでは無い。


 それどころか、覚醒者はその巨躯と戦闘能力を維持する為、兵糧をバカ食いするのだ。騎兵の馬ですらも丸かじりしかねない危険性があり、ネコの軍団は覚醒者を戦闘に使うのを躊躇する状態だった。


「……異論の在ろうはずもない。彼らには全滅してもらおう」


 ボロージャは相変わらずの無表情でそう応えた。

 ネコの軍勢はフィエンの街に入れず郊外で野営を選んでいる。彼らの大半は街への侵入を自治会から拒まれ、女王の手配を待っている状態だった。


「しかし、あのような寂しい事態にはなりたくないものだな」


 グローのボヤキは隣に居たロス達から失笑を得る物だった。それと言うのも、実は街の自治会長を名乗る男から、ル・ガル騎兵に一通の親書が届けられていたのだ。


 ――――街の総意として市街戦を歓迎せぬものなり

 ――――フィエンの自治会はイヌ・ネコ両軍の入城を拒否する


 つまり、『喧嘩は余所でやれ』を街が意思表明したと言う事だ。少なくとも、戦など無い方が良いと考えるネコは余りに多い。厭戦派にしてみれば、戦より商売の方が重要だ。

 それ故、街の自治会は街中で決戦に及ぶ可能性を恐れ、イヌネコ双方の騎兵に街中へ入るのを禁じると通達したのだろう。


「……やはり、あの男の差し金……いや、配慮だろうな」


 ボロージャは新書の末尾を思いだした。

 光沢のある深い黒のインクで書かれたサインには、街を牛耳る各商会の会頭達による共同署名が書き並べられている。筆頭はフィエンの街で最大規模の商会へと成長したクワトログループの会頭、エゼキエーレその人だった。


「聞けば、太陽王陛下の覚えめでたきネコの商人だとか……」


 やや怪訝そうな顔になってグローはそう漏らした。少なくともそれは、イヌにしてみれば不思議な話だ。ある意味、ネコとは不倶戴天の敵であり、最終闘争の相手だ。

 そんなネコに対する過分な配慮を他ならぬ太陽王がしている。それは、ややもすれば全てのイヌに対する裏切りとも言える行為だった。だが……


「手前が聞いた所によれば、この街はカリオン王の父君ゼル公の差配によって復興がなされた街だとか。ならば王にとっては、尊父の残り香そのものなのでは」


 ボロージャは相変わらずな無表情でそう言った。ただ、そんな事はグローだって知っているし、今さら言われるまでもない。問題はその王の真意なのだ。


「……親父か」


 なんとなくだが、グローはその全体像を掴んだ。太陽王の特別な配慮を得ている街は驚くほど栄えている。つまり、ゼル公はここでネコの懐柔を試みたのかもしれない。

 そして、カリオン王はその意図を知るか気付くかして、同じ様に試しているのかもしれない。誰だって苦労して手に入れたものは大切にするものだ。その全てを灰にしかねないのだから、街の自治会は嫌でも慎重になる。


 そして、この街を取りまとめる男もまたそれを怖れ全てを拒否した。太陽王との個人的なパイプを持つと言う存在は、角を立てることなくネコを不利に仕向け、イヌを助けている。その結果として、ネコは水一滴補給する事なく郊外に結集した。

 飢えと乾きに苦しみながら、イヌとの決戦に備えていた。土台勝てるなどとは思ってないだろう。だが、抵抗し抵抗し抵抗する事が、現時点での本義だった。


「まぁ因果はどうでも良い。彼等はここで全て息絶えるのだから」


 ボロージャは僅かに表情を変えた。

 この数日来、行動を共にしているグローはその変化にやる気スイッチの投入を知った。そしてそれは、祖国奪回では無く、その先に控えている物の前哨戦であるのだと思った。


 ――終わりの始まり……か……


 ネコはこの世界から一掃される。少なくともそれは既定路線なのだろう。

 このフィエンを含め、太陽王カリオン陛下の特別なご高配を賜った街だけが生き残る事を許される。但しそれは、その街が堅持する方針。つまりはル・ガルとの安定的友好関係に水を掛けない事を誓った者だけが街に住む事を許される仕組み。


 死んでも良いから抵抗する者は、文字通り死んでもらうだけ。


 ボロージャの考えている事は、突き詰めればそこなのかも知れない。そして、ジダーノフの一門はひとつの目標に対し徹底的に突き進む事のみを美徳とする。協調と自己犠牲と連帯を旨とする一門の精神は、ル・ガル国民の基本だ。


「では……行きましょうか」


 馬を返したグローは、頭上に槍を掲げ幾度か振り回した。前進を指示したその動きに、レオン騎兵は隊列を整え横一線で前進を始めた。すぐさまその後方に幾重にもなる騎馬段列が形成され、地平を埋め尽くすような横幅となって前進し始めた。


「我らも征くぞ。前衛にレオン家騎兵を配する。我等は牙突となり、強硬な抵抗拠点を急襲する。犠牲を省みるな。結果だけを求めよ」


 ボロージャの指示でジダーノフの北方騎兵が編成を始めた。コサック騎兵を源流に持つ彼らは、そもそも全ての勢力から独立を標榜した束縛を嫌う者達だ。口伝でのみ残る言葉はそれらをして『自由の人々(カザーク)』と呼ぶのだ。


「ボバ……これでは……」


 ドミトリーは僅かに表情を曇らせ呟く。ジダーノフ一門の中に残る太陽王への抵抗感。それは簡単に拭いきれる物では無いのだ。


「……解っている。皆まで言うな。これは一門の戦いでもあるのだ」


 力による服従の強制は、反発と軋轢を生む。そしてそれは、純粋な憎悪へと成長してゆく。それらが辿り着く先は、飢餓で果てるまで続く終わりなき抵抗であり、また、実態の無い純粋な嫌悪だ。


「……我等の意志として」


 それでも喰い下がったドミトリーは、振り絞るようにそう言った。誰かにヤレと命令されたわけでは無い。指示を受けたわけでも無い。純粋なジダーノフ一門の意志として、ル・ガルに貢献する事を選んだのだ……


「あぁ……その通りだ」


 ボロージャの槍が前方へと振り抜かれた。

 それに合わせ、ジダーノフの北方騎兵団が動き出した。


 ――これは我等の意志だ……


 ボロージャの強い眼差しが前方を見据えた。そこに見えるのは、抵抗力を無くし死を待つばかりとなったネコの騎兵たちだった。






 ――――――――翌朝






「……陛下は何処でござんすか?」


 ガルディブルク城の奥深くを歩くリベラは、折りたたまれた紙片を握っていた。

 その状態ですらも足音を殺して歩く細作の男は、城の中でララと鉢合わせた。


「王は中庭の筈です。今ちょうど向かうところでした」

「さようでやんしたか…… では、同行いたしやしょう」


 キュッとウェストを締めた動きやすいワンピースの群青は驚く程に深かった。そんな腰へ王宮騎士を示す赤い腰帯を巻いたララ。そもそも腰の細い彼女の場合は、その腰帯がまるでコルセットにも見える姿だ。


 ただ、その姿を扇情的と捉える者はそう居ないだろう。なぜなら彼女は、王宮内部と言うのにも拘らず帯剣しているのだ。その腰に佩いた剣は恐ろしく細身で、相当な技量なくば使いこなせない代物のはず。


「……また上達しやしたね?」


 ニヤリと笑ったリベラは、溢れる愉悦を隠す事無くララを見ていた。彼女の腰にあるその剣には、見事なまでのウォータークラウンマークが入っている。つまり、太陽王下賜の剣であり、また、王宮内で帯剣して歩けると言う事は、親衛隊待遇を得ていると言う事を意味した。


 城内で帯剣を許されるのは、親衛隊のみの特権と言える。そんな数少ない者たちの中の1人。今のララは太陽王のエリートガードの1人になっていた。そして、腰巻に入る細い金糸の飾りは、王のプライベートエリアである後宮ですらも自由に立ち入りして良しを示すものだった。


「吉報ですか?」


 ララは自信を含んだ笑みを浮かべつつ、軽い調子でそう聞いた。

 ただ、その眼差しは鋭く、黒曜種の獰猛な雰囲気を色濃くまとっていた。


「お嬢……そういう不細工な殺気は……仕舞い込みなせぇ 大切なのは、開いた戸から入って来る風の様に、誰にも気がつかれる事無く相手に接近する能力ですぜ」


 苦笑いしながらリベラはララを窘めた。

 実際、彼女の剣技は親衛隊長ヴァルターだけでなく、このリベラにも稽古を付けてもらう事でめきめきと上達していた。

 ただ、当のリベラにしてみれば、相手に気付かれる事無く接近し、音も無く相手を殺すのが最も美しい戦い方。そんな細作からみて、今のララは殺気というサイレンを鳴らしながら歩くようなものだった。


「どうやったら仕舞えるか、今度はそれを教えて下さい」


 全く悪びれない態度のララに『……へぇ』と応えたリベラ。

 二の句を付ける事すら出来ず、ただただ苦笑いするばかりだ。


 思えばこの子は幼いときから、強い芯の持ち主だった。相手がなんであれ、自分を強く持ち事に当たるのだ。男か女かはともかくとして、今のララは自信の塊が服を着て歩いているようなものだ。


「……若も育ちやしたねぇ」


 リベラは細い目をことさらに細めて言った。

 その言葉を聞いたララは、獰猛さを塗り潰すかのような淑女の笑みを浮かべた。


「色々経験しましたから」


 何ともキッチュな飾りの付いた袖口から見える手首は、年齢相応の女の子な様子が垣間見えていた。しかし、今のララは親衛隊の中でも指折りの実力者だ。ごく短期で一気に技量を向上させた彼女は天賦の才の持ち主だ。


 そんな彼女が王の元へ行く。それは、王の寝室にまで自由な出入りが許される最強のエリートガードが妙な胸騒ぎを覚えたとしても責められる話では無いだろう。


「……所でお嬢。あなたは一体どんな御用で?」


 リベラの眼だけで無く全身が仕事モードに切り替わった。その身に纏う空気や雰囲気や、もっと言えば気配その物が空気に溶けていくような錯覚をララは覚えた。


 ――凄い……


 ただ、驚いてばかりもいられない。リベラは戦闘モードに切り替わったのだ。

 ならばこちらは、それを上手く受け流す事が必要だ。


「……私ですか?」


 迷う事無く『私』の言葉を吐いたララ。

 その声音はまさにお嬢様の様相だった。


「へい。左様でやんす」

「実は――」


 玉座の間へと続く角を曲がり、小さな階段を上がって途中を折れる。その先は王のプライベートエリアに続いていて、特別な許可を持たぬ者は入れぬ中庭へと繋がっていた。


 その行程で時間を稼ぎつつ体勢を立て直さねばならない。この至近距離でリベラに襲い掛かられたら、剣を抜く暇すら無いだろう。ましてやここは玉座の間に続く細い通路だ。長剣を抜き放って斬り合うとするなら、絶望レベルで相手が悪い。


 なぜなら、リベラの場合だとこの距離なら投げナイフかミニマムダガーを武器にするはず。狭い場所で斬り合うなら、長剣は邪魔なだけだ。


「――東方派遣軍に加勢するべく後詰めが編成されているそうですが……」


 東方派遣軍と言えば、ル・ガルを支える猛闘種スペンサー一門の責任範囲だ。その方面軍へ増援が送り込まれるとあっては、リベラも表情を硬くせざるを得ない。


「なにやら上手くねぇって話を小耳に挟んでおりやすが……」


 リベラとて怪訝な顔にならざるを得ない東方戦線は、スペンサー家の騎兵たちが文字通り血みどろの闘争をくり広げているとの話だ。後方へ送致される負傷兵は重傷者が多く、大半は白木の箱に収められ無言の帰還を果たしていると言う。


 総勢8個師団を数える東方派遣軍団の減耗率は3割を越え、戦闘能力の限界を噂され始めていた。しかし、それでもスペンサーを預かるドレイクは戦闘を続行しており、猛闘種の意地だけで戦線が維持されていた。


「実は、今次紛争における画期的な戦術の転換点が近いといわれていまして、私も後学のため東方へ向かい学ぼうかと考えておりましたが、運良く王自ら出陣されると言う事なので……」


 歩きながら説明するララは、その身のこなしも典雅な言葉の使い方も、すっかり女性になっているらしい。しかし、そんなララの内側に潜む獰猛な気配は、リベラをして苦笑いせしめるものだ。

 そして、同じように苦笑いする存在が中庭に待っていた。漆黒の戦闘衣装で身を包み、螺旋を描いて落ちる木漏れ日をシンボライズした太刀を腰に佩く存在。太陽王カリオンは中庭にあって参謀陣から報告を得ていた。


 だが、苦笑いを浮かべていたリベラの表情がスッと曇った。何故なら、王の中庭には見知らぬ男が幾人が居並んでいたのだ。それの大半はリベラと全く面識の無い存在で、どうやら砂漠の民らしいのだが……


「おぉ、リベラか。待っていたよ。頼みがあるんだが」


 カリオンは軽い調子でそう切り出した。だが、リベラの眼は引かれた線のように細くなっていた。何故なら、そこには見覚えの無いヒトの男が幾人か混ざっていたのだ。


「なに、警戒する事はない。彼らは次の時代の主役になる者達だ」


 カリオンはそう言って居並ぶ男達を紹介した。

 全身をカーキ色の衣服に包んだ彼らは、細長い筒を持っていた。

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