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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~征服王リュカオンの誕生
346/665

気合と度胸と根性と

~承前






 レオン家の本拠地メチータから西方へ凡そ130リーグ。


 コノクォロに注ぐ小さな支流シットサノォ川の削った河岸段丘の上で、グローは苦虫を噛み潰したような表情になっていた。3月になったばかりの丘の上は寒く、肌を刺すような寒気が居座っている。


 だが、眼下に広がる光景は、まだ若いグローをして生涯忘れ得ぬ屈辱に満ちた光景だと思っていた。悔いと恥と憤りで暑さを覚える程になっていた……


 ――クソッ!


 ギリギリと音が聞こえる程に奥歯を噛みしめ、グローはその光景を目に焼き付けた。それは、焼き払われた収穫目前の麦畑であり、また、営々と築き上げてきた街並みが破壊されつくした光景だ。


 そしてそれだけで無く、着の身着のままに街を出て東方を目指す住人達が列を成していた。まるで蟻の行列の様な光景に、グローは全身がガタガタと震えるほどの屈辱感を覚えていた。


 レオンの一門は地域の住民達を護り、その見返りとして税を取る仕組みを長年続けてきた。地域の住民達は皆一様にレオンを信用し、侠者の(まつりごと)に一定の評価と感謝を示してきた。


 そんな、双方共に尊敬し合えるような環境だったレオンの支配地域において、レオンの一党が保護すべき住民たちの財産を破壊し、灰燼に帰す事をしている。


 ――なんてこった……


 グローは天を仰ぎ悔しさに震えた。

 きっと父グラハムは嘆くだろう。遠行したセオドア卿も、きっと草場の影で頭を抱えている事だろう。レオンの一門にとって、これは決して看過出来る事では無いのだと、そう震えるのだった。だが……


「若旦那。しんぺーいりやせんぜ!」


 グローが見つめていた小さな集落。ヨフラの街の顔役は、笑みを満面に浮かべながらそう言った。そこには匙の先ほどの後悔や恨み辛みの色は無く、ただただ、喜んで協力するという姿だけがあった。


「そうっすわ。なんせお家とお国の一大事だ!」


 街の顔役に付き従う若い衆達も、住民達の避難を支援し、早急な移動を促していた。彼ら多くの住民は文字通り着の身着のままで移動を開始し、その避難を騎兵達が支援していた。


 折しも川の向こうにはネコの軍勢が結集している。彼らは渡渉に向け川の瀬踏みを繰り返している。安全な渡渉ルートを確保したなら、そのまま街へと侵攻してくるだろう。


 ――奴らも焦っているな……


 そう。ここまでも徹底した焦土作戦を行って来たのだ。もはやネコの軍勢は今日食べる物にも事欠いているはず。干殺しにするこの作戦は、ある意味で諸刃の剣な部分がある。


 侵攻する側の補給力や輜重能力の限界を待ち、そこを叩いて進行を止めさせる方針だが、それをするには住民の財産に手を掛けねばならない。住民達がそれに協力してくれるなら良いだろう。だが、こちらを見限って敵の側に付く可能性もゼロでは無いのだ。


「……すまぬ。私にはまだまだ経験が足りない」


 グローは素直に頭を下げた。そうするしか無かったのだ。


 まだ齢15の子供が公爵家の重責を背負っている。その姿に顔役や多くの若い衆達がその苦労を思った。嫌でも背負わざるを得なかった責任は、油断すれば押し潰しに掛かるような物だろう。


 だが、幼当主はその責から逃げず、騒がず、ジッと耐えて果たそうとしている。義理と人情とを思考の根本とするレオン家一門にしてみれば、それは百万の言葉よりも雄弁に語るものなのだ。


「なに言ってんやんすか!」

「若はこれからなんすよ!」


 街を預かる任侠者の男達が遠慮無くそう言う。

 そして、小さな街を預かる顔役は笑みを浮かべて言った。


「面倒な役は年寄りに押し付けなせぇ!」


 下世話な事を言うならば、小さな街の小さな一家にしてみれば、親筋も親筋の最上部に当たる公爵家の当主に貸しを作る良い機会だ。


 義理には義理で応えるもの。今回の一件は、ただの義理では済まないレベルの事で、先々を思えば莫大な特権を得る為の布石と言える。だが、そんな思惑を飛び越えたところで、彼らはグローを支援していた。


 そう言った生臭いやり方を押し付けるにはグローが余りに幼く、どちらかと言えば可愛い孫の成長を見守る好好爺の顔になっているのだ。


「だいたい、太陽王など8歳で初陣ですよ。若は歳が倍もあるんだ。胸を張って堂々としてなせぇ!」


 どう見たって堅気には見えない任侠の男達は、自分達の愛する街を率先して壊していた。それにより国を護ると言う大義を理解していたのだ。


「さぁ! 正念場でやんすよ!」


 街の顔役に促され、グローは気合いをいれた顔で槍をとった。

 これから始めるのは、グローにとっての華々しい戦働きだ。


 ただし、命懸けの働きが求められるそれは、一言でいえば囮だ

 進軍してくるネコの眼前に立ち、敵を引き付け逃げを打つ。


 ネコの一団が追い首をしたくなるような、そんな絶妙の距離で逃げ続けなければならない。公爵家の旗を立て、敵の一団が追い付きたくなる猫じゃらしの役をするのだ。


「あぁ。しっかり引き付けるから、その間に罠を張ってくれ。頼むぞ」


 ジダーノフ家の提案したこの作戦は、ある意味でレオン家への意趣返しかもしれない。しかし、話を聞けば聞くほど、それしかないと納得せざるを得なかった。


 後続としてやってくる検非違使の一団を迂回させ、敵の戦端部をやり過ごし、後方から襲いかかる。卑怯な!と謗られようと、覚醒者に対して騎兵は無力だ。


 覚醒者は覚醒者で叩くしかない。その現実を前に、ジダーノフの一門は関係の悪化を恐れずそれを言ったのだ。


 ――さて……


 グローは頭上で槍を二回まわした。行動開始のサインだ。

 レオン家の差配する東方軍団の第11師団と第12師団から選出された部隊が一斉に鬨の声を上げた。馬に自信があり、また、自らが強運の持ち主であると確信している騎兵ばかりを集めた囮部隊だった。


「気炎万丈たる西方諸国騎兵団諸君!」


 そう。レオン家に従う騎兵は西方地域都市国家の騎士ばかりだ。国家による叙勲を受ける事無く、その街の中で住民達の祝福により騎士に列せられた名誉職と言える部分がある。

 レオン家の預かる西方軍団はその伝統を色濃く残していて、それぞれの騎士がそれぞれの出身都市の意向により動いている。レオン家はそのとりまとめ役であり、また、西方都市国家のなれの果てとも言えるル・ガル各都市それぞれの思惑を太陽王に奏上する役目を負っていた。


「我等が領土を蚕食せし賊徒を撃滅せんと王は欲せられた! 我等はその威光を賊徒に知らしむる義務を負う! これより敵の息の根を止めるべく駆けるぞ!」


 どうしようも無い負け戦が続き、各々の騎士も義務感だけで付き従っている部分が有る。だが、ここに来て遂にレオン家の若当主が表に出てきた。それも、今だ元服すらしていない幼さでだ。


 ――――やらいでか……


 多くの騎士の目つきが変わった。

 主家たるレオン家が遂に背水の陣を敷いたのだ。


 その戦術的な目標は理解し得ぬ。だが、不倶戴天の敵であったネコの軍勢に負け続けるわけにも行かない。なにより、ジダーノフ家との連動による大規模な撃退戦だと聞いている。


「若ッ! 地の果てまでお供しやすぜ!」


 相の手を入れたのはロニーだった。

 ジョニーの差し金でここへやって来たロニーは、既に大佐の待遇を得ていた。


「あぁ! 共に征くぞ! いざ参らん! 二川白道な修羅の道ぞ!」


 グローの指示で公爵家の軍旗が掲げられた。それは、公爵家当主はここに在りを示す物であり、いわば最上級のエサだった。少なくともネコの側にしてみれば、太陽王に連なるアージン一門の次に重要なビッグネームだろう。

 ル・ガルを差配する五公爵家の当主を討ち取ったとあれば、それはル・ガルと敵対する諸国に向けた最高の手柄自慢なのだ。


「我に続け!」


 グローは最初に馬の腹を蹴った。

 河岸段丘の最上段から勢いを付け、そのまま街を通り過ぎて行った。


「若ッ! 矢に注意しなせぇ!」


 すぐ近くを走っていた派手な胸甲の騎兵が叫んだ。

 言われるまでも無く、ネコの側の牽制投射だ。


「あぁ! 解っている!」


 大声でそう応えたグローだが、腹の底でポツリと呟いた。


 ――それが狙いさ……


 案の定、川向こうより矢が届き始めた。まだまだ遙か前方にだが、濃密な矢の雨が降り始めている。つまり、ネコの側が『こっちに来るな!』の意思表示をしている状態だ。


「総勢! 右旋回!」


 槍を右手側へと振り上げ、グローは騎兵の列を折り曲げた。場数と経験に勝るル・ガル騎兵は、それに従って河原に出てから進路をかえ、上流側へと駆け出した。


 ――どうだ!


 チラリと目をやったグローは成功を確信した。必死の形相で矢を放っていたネコの一団が、矢を矢筒へと戻して走り始めているのが見えたのだ。

 他ならぬ公爵家の旗を見れば、そこに若当主が居るのは彼らだって理解するだろう。何より、身支度の調った上級騎士が沢山集まった集団なのだ。


 ――――現金が馬に乗って走っている……


 利に聡いネコにしてみれば、アレを討ち取って死ぬまで左うちわの夢を見る。それだけじゃ無く、恩賞と俸給を担保に大きく投資を行って不労所得を集める。後は長い生涯を遊んで暮らすのだ……


 ――――まっ! 待て! 待つにゃ!


 遠くからそんな声が聞こえたような気がした。

 グローは一度山側に進路を取り、それから真っ直ぐ川に突っ込む進路を取った。


「渡渉! 掛かるぞ!」


 この辺りは地理も川の情勢も明るい者ばかり。何処で川を渡り何処で合戦に及ぶかは説明の要すら無い。そして、そんな彼らを慌てて追跡するのは、完全に異邦人であるネコの集団だ。


 ――飛んで火に入る……


 内心でボソリと呟いたグローは頭上で槍を一回転させ、ネコへ向けて振り下ろして見せた。次の瞬間、騎兵の一団から突撃を告げるラッパが鳴り響いた。そして、鬨の声を響かせ騎兵は襲歩体制に入った。


「日輪に照覧せしめよ! 我等太陽の王国に敗北の二文字は無いのだ!」


 グローの言葉が川面を流れていった。その声に叩かれたように、続く騎兵たちが一斉に抜刀した。太陽の光が白銀に煌めき、その刃がネコに無言の圧力を加えた。ただ、そのネコの側に幾人かの覚醒者が居る事を、グローは忘れていなかった。


「諸肌を見せるヒトの姿の男に注意!」


 その言葉の通り、ネコの側の軍勢に諸肌の男が幾人が立ってるのが見える。そのどれもが虚ろで正体の消え去ったような表情と眼差しだ。それは、暴走し始めると手が付けられなくなる覚醒者を制御する為に編み出されたネコ独特の方法だった。


 ――ん?


 集団の先頭を走るグローの鼻が何かを捉えた。

 僅かに刺激臭を感じる嫌な臭いだった。


 ――あれかっ!


 グローは遂にネコの一団が覚醒者を制御する手段を見つけた。ネコとヒトとのかさなりとして産まれて来た覚醒者を制御しているのは、マタタビを焼いた臭いだ。臭気により正体が消えるまで酔わされた覚醒者は、外からの指示をよく聞くようになるらしい……


「若!」


 ロニーはグッと馬を進めてグローの左手に入った。騎兵の弱点は左面と背面なのだから、そこに馬が入ると言う事は、逃げる意志の発露その物に見えるだろう。

 事実、ネコの側は明確な狼狽を見せた。一度は逃げて見せ、それから渡渉を試みて迫りつつも、そこから更に逃げを打つかのように見せる。それを見れば、利と益とをもっとも重視するネコを慌てさせるのに充分だ。


 ――よしっ!


 完全に喰い付いたとグローは確信した。

 ネコの側は左右を見る事無く突進を始めた。その最先頭に居るのは、あのマタタビの臭いに酔っている覚醒者だ。


「来い! さぁ来い!」


 グローは溢れる笑みを噛み殺し、一気に速度に乗って河原を走った。その背後にネコの軍勢が迫っているのを、ゾクゾクとした背筋の寒気に感じながらの逃げだった。だが、その逃げにはもう一つの目的がある事を、まだネコは気が付いていないらしい。


 ――成功だ!


 ジダーノフ家の主が描いて見せた完勝の手順は、全てこの瞬間に掛かっていた。ネコの側が後ろも見ないで走り出す事。それこそが最も重要なファクターだ。

 そして、もう一つ重要なのは、グローの胆力。ネコの側に淡い期待を持たせるような、そんな剛胆な一手を打てるかどうかに掛かっている。


「速度を落とせ!」


 グローは襲歩からやや速度を降ろし速歩へと足を緩めた。こうなると後続の騎兵は前後が詰まって機動力を大きく削がれてしまう。ただ、平面での戦闘となれば後続の集団は前方の見通しをウンと悪くする。

 ましてや追跡する側のネコにしてみれば、イヌの騎兵の先頭で何かが起きて速度が落ちたと思うのだろうし、また、彼らは何事も都合良く解釈する傾向がある。


「若っ! こっ! 後続が!」


 その声に振り返ったグローは、後方で吹き飛んでいる騎兵を見つけた。どうやら覚醒者に追いつかれたらしい。巨躯で敏捷性の高い覚醒者は、ネコの一団を置き去りにして追いついたのだ。


「狙い通りだ! 全力で走るぞ!」


 グローが叫ぶと同時。遙か後方に居たネコの一団から断末魔の絶叫が響いた。先頭を走るレオン家の者達や覚醒者を制御する者達の耳には届かない距離。だが、それは確実に河原へ響いた。死と滅亡とが肩を組んで踊る、敗北のリズムを鳴り響かせて。

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