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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
大侵攻~征服王リュカオンの誕生
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ネコの国


 ネコの国。


 それは、この大陸に暮らす者の大半が『扇型の大地』と呼ぶ大陸、ガルディアの西部に存在するネコを中心とした国家。そして、かつてはこの大陸中央部の広大な草原地帯で他の種族と混淆し暮らしていた彼らが吹き溜まった隔離国家だ。


 そもそも、ネコという種族は他の種族と比べ、決定的に異なる特性がひとつ存在する。そしてそれは、ネコ以外の種族。例えばイヌなどにとっては決定的に相容れない特性だ。


 即金主義。或いは、強烈な拝金主義。


 そもそもネコは極度の面倒臭がりであり、コツコツやることは時間の無駄で、地道な努力を決定的に嫌うと言う事だ。また、全てにおいて『楽に』と『簡単に』が求められ、一攫千金の為ならばどんな労をも惜しまないと言う享楽的な生き方だった。


 結果、彼らネコは農耕や生産に類する産業の一切に興味を示さず、純粋に商才のみを追い求める商人に特化していった。生産者から物を買い、需用者にそれを売る事で財を成す。


 口で言う程簡単では無いその経営において、ネコは完全な適性を見せていた。その果てに辿り着いたのは、物では無く金を金で買い、その金を売る仕事。つまり、金融業だった。


 ヒトの世界の近代史を知る者ならば、即座にそれを『全てから恨まれるユダヤ商人』と喝破するだろう。


 困り果てる者に暴利で金を貸し、返済に困った病人の布団を剥いで返済に当て、挙げ句の果てには葬送の席にやって来て、泣いている縁故者を嘲笑いながら香典を鷲づかみに持って悠々平然と帰ってゆく。


 そう。彼らは血も涙も無いユダヤ商人達と同じ事をやり、結果、このガルディアにおいて全ての種族から疎まれた挙げ句、イヌによる強力な追放運動を受けて西方へと追いやられていった。


 ただ、その追いやられた所が問題だった。


 そもそも、扇型の大陸と言う言葉自体、何の根拠も無いのだ。誰もこの大地を空から見た事など無いし、翼を持つ鳥類の一族とて人工衛星のように宇宙からこの亜大陸を見た事など無い。


 実際、ガルディアの西にはガルディアよりも遙かに巨大な大陸が有り、そこにはライオンやタイガーと言ったネコよりも遙かに巨大な体躯を持つ、強靱な種族が暮らす大地がある。地球の地上を知る者ならば、それをインド亜大陸とアフリカの関係と表現するだろう。


 ガルディア北部の万年雪を被る高山地帯を水源とする川は、幾つもの奔流となって紅珊瑚海を目指し流れてゆく。その大河のひとつがガガルボルバであり、ル・ガル西部でかつてネコの国との国境となった川をコノクォロと言う。


 そのコノクォロによって削られた丘陵地帯はまさに地球の通りで、悠久の大河チグリスとユーフラテスで隔てられた双方の大陸から区分される小さなエリアだ。


 ガルディア大陸の覇権をイヌに奪われたネコは、その向こうにあるより強力な種族の地に足を踏み入れることも出来ず、この僅かな地にその根を下ろして糊口を凌いでいた。


 しかし、ふたつの大陸を結ぶ重要な交易路に陣取る事となったネコは、そこでも類い希な商才を発揮し、交易の中間マージンで国家を支え育む事となった。そもそもネコの国土は国家を支える穀倉地帯と言ったものがまるで存在しないし、泥にまみれ土を耕し、国土を開発する事など全く興味が無い。


 ただ、荒涼とした地に押し込められたネコにしてみれば、時間の掛かる耕作よりも手っ取り早い交易に活路を見いだざるを得なかった。種を蒔いてから刈り取るまでの間に一族が死に絶えかねない所に押し込められた結果なのだ。


 そんなネコたちは、一族の血統優位性や貴族と言った仕組みの根本を変えざるを得なかった。全てを実力主義に切り替え、僅かでも才あるものを取り立て、知識と知恵と知謀とを武器に、世界と戦うしか無かった。


 だからこそ、大陸西部のごく僅かな地に押し込められて尚、ネコは世界の革新機関足り得た。世界中の様々な国と交易し、金の力で金を生み出す投資を行い、金儲けこそ国家存亡の柱にと特化してきた。


 そう。豊かな地からあふれ出したネコは流亡を繰り返し、辿り着いた所で商売を始めるしか無かった。文字通り地球近代史における、ユダヤ人のポジションに収まったのだ


 その結果、ネコは世界中の様々な文化や先進性を取り込み、能力ある者を見いだし、それ自体を取り込む事に抵抗が無くなっていた。この世界にとって異質の極地たるヒトの知恵や知識を取り込む事に、何の抵抗も無かったのだ。その結果がこの100年ほどの間におけるネコの躍進で有り、また輝かしい実績その物となった。


 あまつさえ、旧態依然としたイヌの国軍を打ち破り、太陽王一族の全てを滅し亡ぼす事さえやりかけた。それが叶わなかったとならば更にヒトを集め、知識を集積し、研究を重ねて強化を図った。その結果、ネコはイヌの国の混乱に乗じてイヌの国土を蚕食することに成功したのだ。


 ――――勝てる……


 その望みがネコを熱狂させた。そして、次々とル・ガルへ。イヌの領土への進出を開始した。可能な限り多くを手に入れて、後退する時は小出しにする。商人にとっては余りにも常識的な方策でネコは版図の拡大を図った。

 ただ、一点だけネコにとって致命的レベルでの失敗と判断ミスがそこにあった。ネコにとっての常識はイヌにとって我慢の臨界点だったのだ。そしてネコは知る事になる。


 イヌは本気になってネコを亡ぼそうとしているのだ……と。











 ――――――――帝國歴393年 3月28日

           ル・ガル南西 国軍占領地帯 ブルテシュリンゲン郊外











「なかなか良いようですな。若」


 フィエンゲンツェルブッハから南西へ50リーグ。

 コノクォロから枝分かれする支流のひとつ、エノクォロの畔にある高台には、レオン家一党の首脳部が結集していた。太陽王カリオンの定めた戦闘開始から2ヶ月と2週間。この間にレオン家が舐めた辛酸は言葉に出来ない物だった。


「……あぁ。そうだな。しかし――」


 若くしてレオン家を預かることとなったポール・グロリア・レオンは、腕を組んだまま馬上にあって遠くを眺めていた。その傍らに居るロスことロス・パロス・エスコは任侠者の貌を引っ込め、今は公爵家の相談役に化けていた。


「――うん……こうも上手く行くと、後が怖いな」


 ボソリと漏らしたグロリア……グローの懊悩は、誰もが理解出来るものだ。

 古来より言う様に「狎れ、油断、侮り、怠り、増長、傲慢、不遜、矜」の八戒こそ、本人が預かり知らぬままに己自身を蝕む毒となるもの。その最も手強い敵を己自身が気をつけねば、身を滅ぼす事になる。


 だからこそ、ロスはグローにそれを教えてきた。己の経験における失敗だけで無く、ロスが知る限りに手痛い失敗を喫した男達の話を絡めて。そして、リカバリの出来ない失敗の果てに何を招いてしまったのかこそが重要だった。


「まぁ、アレですよ。若――」


 ロスは眼下に見える砂塵を指差し言った。

 その砂塵は戦場を横切る検非違使が走った結果のものだった。


「――あそこに見えるトウリ閣下だって……それはそれは、言葉に出来ないほどの失敗をしてやすぜ。太陽王は煮え湯を飲むが如くにその失敗を飲み干されやした。けど、時間が経てば経つほど『そうだよな』


 ロスの言葉を切るように相槌を打ったグローは、彼方に見えるその光景に表情を強張らせていた。


 トウリ率いる検非違使の一団は、凄まじい戦闘力を発揮しネコの軍団を粉砕していた。ネコの側にも覚醒者の姿が見えるのだが、それは本能のままに暴れるだけの迷惑な存在だった。とてもじゃないが検非違使の様な統制の取れた戦闘など出来そうに無い姿だ。


 ――あれじゃ……

 ――本当にバケモノの集団じゃ無いか……


 グローは腹の底でそう唸っていた。カリオン王肝入りで拵えた検非違使向けの甲冑と棍棒は、強烈な一撃を実現しつつ堅い守りを見せていた。


 ネコの側の覚醒者が力一杯殴ったところで、分厚い鉄板を曲げて作った甲冑に拳を砕いてしまうのだ。そして、その痛みに呻く覚醒者の頭を検非違使の持つ巨大な棍棒――トウリはこれを大錘と呼んでいた――が粉砕し、一撃で絶命せしめた。


 ――敵は災難だな

 ――同情くらいはしてやっても良いか


 内心で溜息をこぼすグローは、不意に空を見上げて目を細めた。

 蒼天に眩く輝く太陽は、今日も青白く眩く輝いて地上を照らしている。


「勝ちは揺るがない……と、そう思って良さそうだな」


 グローはロスに同意を求めた。そろそろカリオン王に戦勝報告を届けたいのだ。

 他の戦線がどうなってるのかは見当が付かないが、これだけ苦戦しているのは自分の所だけだろうとグローは考えた。そして、他ならぬ太陽王カリオンから直々に『お前は無能か?』と叱責させるのを怖れていた。


 ……そもそも、事の始まりはレオン家本領の西部地域へ進出したレオン家率いる第11師団と第12師団の遭遇したネコの国軍の猛烈な戦闘力だった。


 ネコの国軍は騎兵では無く覚醒者を先頭に立て、その威力を補完するべく騎兵を走らせ、それに続く歩兵で敵を屠って前進する連係戦闘を行っていた。しかし、真に驚くべきは覚醒者の制御だ。


 ネコの軍団は魔術師を引き連れ、暴れるだけしか出来ないはずの覚醒者を制御していた。騎兵歩兵弓兵の連係に魔道師と覚醒者を組み合わせ、弓兵による先制攻撃の中、覚醒者を突入させ、四散したイヌの騎兵をネコの騎兵が後方から掃討し、それに続き歩兵が侵攻してくる新しい戦術を見せたのだ。


 その結果、初めて接触した1月10日の午後から3週間。1月いっぱいはネコの側に良いように蹂躙され続けたのだ。レオン家必死の抵抗も虚しく、強烈な突破力を持つ覚醒者を先頭に立てたネコの軍団は、まるで鉄砲水のように突進した。レオン家の騎兵はそれに全く対処出来ず、グイグイと押され続けた結果広大な所領への侵入を許してしまったのだ。


 ――――点で接触してはいけません

 ――――かならず面で受けるのです


 慌てふためくグローを前に、支援に付いたウラジミールはそう言った。そして、そのウラジミールの背後に居た灰色の眼を持つヒトの男が細かな説明を始めた。


 ――――これは縦深突破戦術と言われる物です

 ――――別の表現をすれば電撃戦です

 ――――雷光が空を切り裂くようにやってくるのです


 そこから始まった説明は、ネコの側の戦術を端的に言い表す物だった。頑強な抵抗拠点を潰す事はせず、弱い面を探し出してそこを徹底的に叩くのだ。そして、防衛線を突破したなら、まるで敗れた堤から水が流れ込むが如くに一挙侵略に打って出るのだ。


 それを止める事はかなり難しい。点接触をしても、流れ込む水がまわりを囲んで水没せしめるように攻められるのだ。対処法はひとつしかない。点では無く面で戦線を受け、面で後退し、その面を絶対に切らない事しかない。


 ただ、グローが初めて見る覚醒者の戦闘力は、冗談が冗談では済まないレベルだった。手にしていた棍棒は騎兵5人を軽くなぎ払った。至近距離で突き立てんとした槍は筋肉を貫けず、矢は刺さる事無く、騎兵の剣はへし折られた。


 ――――まるで岩だ……


 そう表現したグローは、ウラジミールに知恵を求めた。

 ただ、それに回答したのは、ジダーノフ家の囲っていたヒトの男だった。


 ――――叩き潰す事が難しくば後退するのみです

 ――――戦線を引き延ばすしか有りません

 ――――躍進限界まで躍進させるのです

 ――――そして後方との連絡を絶ち孤立せしめます

 ――――どれ程強い者だとしても飢えと渇きには勝てません


 そう。それはまさに電撃戦で叩かれたソヴィエト赤軍の戦術だ。そして、自分達が行ったバグラチオン作戦などで最も警戒した事だった。補給と戦線を一本化せねばどんなに強力なユニットも戦闘力を失っていく。


 その果てにあるのは孤立化した使えないユニットの減耗であり、軍の最強戦力を無為にすり潰す歓迎せざるる事態だ。そうならない為に後続の輜重部隊が頑張るのだが、そもそも、ネコの国はその補給力が弱点だった。そして……


 ――――こっちも反撃と行きましょうか


 そのヒトの男が行ったのは、平時ではとても口に出来ない、口にする事すら許されないような、徹底した抵抗戦術だ。


 ――――ネコの進軍速度を上回る速度で後退します

 ――――但し、後退する我々とネコの戦線との間にある物一切を焼き払います

 ――――井戸には毒を入れ飲み水すら奪います

 ――――彼らは最も手強い敵と戦う事になるでしょう

 ――――つまり飢えと渇きです


 ヒトの男は眉ひとつ動かさず、冷徹な表情で続けた。それを聞いていたレオン家の男達が『汚い……』と絶句する中、褒め言葉に気をよくした道化のように。


 ――――彼らの進軍進路から直角方向へも後退します

 ――――その後に彼らの後続部隊を叩きます

 ――――輜重団列が続くはずですからね

 ――――彼らは嫌でも進軍を止めざるを得なくなります


 グローはヒトの男が見せた徹底して勝ちに拘る完全非情な戦術に舌を巻いた。

 少なくともそれは何よりも手強い敵となるのだ。つまり、飢えと渇きに焼かれた敗残兵を大量生産する行為で有り、戦闘力どころか生きる気力を失わせる冷酷な仕打ちだった。


 ――――あらゆる道徳を遵守し勇敢に戦うならそれも一興ですが……


 何かを言おうとしたヒトの男の言葉をグローは手で止めた。今さら改めて口にされなくとも、言いたい事は解っているのだ。あのバケモノと直接対峙すれば、間違い無く手痛い被害を被り、半日と持たずに全滅する事になる。


 つまり、勇猛果敢な英雄のように戦って死ぬか、人倫を無視して非道を尽くした末に勝利を勝ち取るか。そこなのだ。


 ――死ぬにしたって……

 ――せめて納得して死にたいな


 グローは力無く笑いながらそう応え首肯した。その時からレオン家は完全に非道の鬼と化した。結果、ネコの軍勢は3日目で進軍を停止し、5日目には戦場に残っていた死体までも貪り始めた。覚醒した状態のかさなり達は、飢えと渇きで暴走を起こし始めたのだ……


「太陽王陛下には色よい報告を奏上いたしましょう。きっと褒めて下さいます」


 グローの懊悩を理解しているからこそ、ロスは優しい言葉でそう言った。

 まだまだ子供と言っていい歳のグローは、その実を理解して力無く笑った。


 ――陛下!

 ――我等の進軍はそのご威光に寄らしむるところ

 ――大なると確信いたしまするぞ……


 内心でそんな事を思っていたグロー。

 その脳裏には1ヶ月ほど前の戦線が思い起こされているのだった……

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