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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~信義無き世に咲く花を求めて
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粛正と勅命

~承前






 ジョニーがその部屋に入ったとき、室内は一面の血の海だった。

 足の踏み場もないレベルで、あちこちに死体が転がっているのだ。


 そのどれもが驚いたり慌てたりした表情で事切れている。

 死に際の顔を見れば、そこで何があったのか察しも付くというものだ。

 薄笑いで様子を見ていたオクルカは、腕を組んだまま視線だけ動かしている。


 ここで何かアクションを起こせばカリオンの邪魔になる。

 その為に、まるで彫像の様に固まっているのだった。ただ。


「……おいおい、派手にやったな」


 半ば呆れた口調でジョニーはそう言う。

 だが、その表情には笑みが混ざっていた。


 およそこうなることは折り込み済みだった。

 それ故に、最善のお膳立てを終えてきたのだ。


「まぁ、古今粛清と言えばこうなるのは宿命だ」


 どこか楽しそうに言ったカリオンは、全身に返り血を浴びていた。

 その周囲にはアージン評議会の面々が息絶えていた。


 敵の中枢に直接降臨した太陽王は、自ら反乱分子を粛清していたのだ。

 抜き身の太刀からは、まだ鮮血が滴っていた。


「まぁ、そうだな。ミタラスの外側も全部綺麗にしておいた。心配ない」

「そうか。さすがだ」


 全身に返り血を浴びつつ、穏やかな表情のカリオンはゆっくりと振り返る。

 その眼差しの先にはズザとギザが居て、生き残っているのは僅か数人だった。


「さて、なにか弁明があれば聞いておこうか」


 改めてそう切り出したカリオンは、これ以上ない冷ややかな眼差しだ。

 その視線を受けるギザは体毛を全て逆立たせている。だが、ズザは穏やかだ。


 ワイングラスを手にしたまま、優雅に笑みなど浮かべている。

 それはまるで、事の推移を楽しそうに眺めているようだった。


「やはり……太陽王とは破格の人よの」


 ズザはそれ以上の言葉がなく、ただただカリオンを見ていた。

 古来より肩書きが人を鍛えると言うが、鍛えられるだけの資質も必要なのだ。


 自己研鑽と周囲の錬磨。そのふたつを積み重ね、人は成長する。

 困難が人を鍛え、試練は情を厚くする。その両輪を回せるだけの資質。

 若者を育てるには、鉄は熱いうちに打てと言う通りの努力が必要だ。


 そして、それを積み重ねてきたからこそ、いまのカリオンが居るのだ……


「貴様らが遊んでいるときも、王は国のために働かれていた。くだらぬ私怨で国を惑わせた罪は首を跳ねてもまだ足りぬ。地獄の底で業火に焼かれ苦しみ続けよ」


 王の側近のように振る舞うドリーは、怒りを噛み殺すように言った。

 だが、その冷たい言葉はズザを全く動じさせなかった。


 全て承知している……と、そんな表情のズザ。

 諦めているのとは違う感情が、そこにあった。


「さぁ……斬れ。もう満足だ」


 醜く命乞いをするかと思っていたドリーやジョニーは拍子抜けだ。

 全てを飲み込み、ズザは笑っていた。それは、清々しいほどの笑みだった。


「男一代、野望に身を焦がすなら、終わり方も華々しくありたいものだ」


 ズザが溢したあまりにも身勝手な野望の発露は全員の表情を固くさせた。

 そんな中、ただ一人だけ笑みを浮かべていたカリオンは言った。


「そうだな。ならば、華々しく散ってもらうとしようか」


 太刀を鞘に納め、カリオンはこれ以上ない凶悪な笑みを浮かべた。

 傍目に見ていたジョニーが後退るような、そんな笑みだった。


 そして同時にジョニーは悟った。

 カリオンが何をしようとしているのかを察したのだ。

 抜け止めをしっかりと差し込んだカリオンは、太刀を肩に担いだ。


「さぁ、やれ」


 ズザは小さくそう言った。

 それを聞いたカリオンは、鞘に収まる太刀をフルスイングした。

 濃密な血飛沫が舞い、ズザのとなりにいたギザが一撃で絶命した。


 全身の力を込めた一撃は、ギザの胸を完全に潰していた。

 その衝撃で胸腔内が完全に破裂し、膨大な量の血を吐いたのだ。


 ジョニーは一瞬だけカリオンの腕が膨らんだように見えた。

 あの覚醒した力をこうも使えるのかと驚くより他ない。

 ただ、そんな事はどうでも良く、問題はその威力だ。


「おっと、ちょっと手が滑りましたな。失敬」


 それがわざとである事など説明するまでもない。

 カリオンは全部承知でズザを生かしギザを殺した。


 だが、それを見ていたモサがカリオンを窘めた。

 楽しそうにワインなど舐めつつ、椅子の上で最期の時を待っているらしい。


「のぉカリオン。こういう時はひと思いにやれ。敵を前に遊ぶのは宜しくないぞ」


 モサとて一人の騎兵であった。幾多の戦場で敵を屠ってきたのだ。

 その経験から鑑みれば、敵の命を弄ぶのは騎士道に悖ると言える。


 だが、本当に重要なのは別の所にある。

 一思いに殺さぬ場合、それ自体がリスクになると言うことだった。


「さすが叔父上は……良くご存じですな」


 解ってると言わんばかりにカリオンが強い調子で言った。

 ズザの見せる余裕の正体は、何処かの国家から派遣された軍隊かも知れない。

 国家争乱の火種を招いたのがアージン家の傍流とは、何たる皮肉だろうか。


 しかし、それを思うカリオンを今度はファサが窘めた。

 老齢の男とは思えない、強い口調だった。


「いや、お前さんはまだ解っとらん。ワシを含めたこんな面子など一思いに捻り殺せ。既に国境は突破され、各地に難民が溢れておるのじゃぞ」

「そうじゃ。ややもすれば、すぐそこまでネコの騎兵が迫って居るかもしれん。国難を叩き潰せるのはお主だけじゃぞ。シャンとせんか」


 ファサとモサは容赦無くカリオンを叱りつけた。

 ただ、その言葉に今度はズザが表情を変えた。


 知っていたのか?と怪訝な顔になっているのだ。


「……もしかして、お前さんはワシ等が何も知らぬと思っておったのか?」

「それでは国を差配出来ぬのぉ」


 カッカッカと二人して笑うファサとモサ。

 この時、ズザは初めて表情を変えた。


「知ってて……やっていたのか?」


 震える声で確かめたズザ。

 その問いにファサが応えた。


「おうとも。最も手強い敵は無能な味方だ。お前さんがこの国の、獅子身中の虫であるように、ワシとモサは評議会の中の虫じゃでの」


 だろ?と視線をモサに向けたファサ。

 そのファサもまた遠慮なく言った。


「可愛い甥っ子が国の為に頑張っておるのじゃ。それを支援して何が悪い。だいたいお前さんのごとき無能には国の差配など務まらん。その証拠に見ろ。一時は味方であった王都市民が全部敵じゃ」


 無用な徴発と簒奪を繰り返し、評議会の面々は放蕩の限りを尽くした。

 その結果、王都市民の評議会に対する感情は悪化の一途を辿っているのが現実。


 人頭税の当面延期など懐柔策として施工された案件も全て無駄になった。

 市民の求めるモノはただ1つ。太陽王による安定した時代の再現だった。


「気に入らん!だの面白くない!と、そんな感情論で政治をやるでない。それは亡国の政じゃ。真に優れた政治とは、いやがる子供に苦い薬を飲ませる事じゃ」


 呆れたような口調でファサがそう言う。

 モサもまた呆れたように言葉を続けた。


「人気取りの政策も最初は良いじゃろ。じゃが、後からそれを埋め合わせる算段もなしにやるのはバカの極みじゃ。だからワシらは黙って見ておった。いずれこうなることは解っていたからの」


 ファサとモサの言葉は、ズザの心をへし折ったらしい。

 総毛立ったような顔になり、部屋の床を見ていた。


「裏切られると言うのは……辛いものだな……」


 ボソリと溢したズザの一言は、それを聞いた者達の表情を変えた。

 誰よりも激昂したのは、カリオンに心酔するドリーだった。


「貴様がそれを口にするな!」


 腰に佩た剣を抜き、いまにも斬りかかりそうな勢いだ。

 そんなドリーを他所に、カリオンは涼しい顔で言った。


「何事も経験と言いますが……余も良い経験を積んだと思っておこうか」


 カリオンの軽口は珍しい部類だが、それを聞いたドリーは顔色を変えた。

 それは言外に、裏切りを覚悟していると言ったに等しい。

 誰にだってその可能性があるのだとカリオンに言われた気がしたのだ。


「陛下……」


 赤心の忠誠を見せるドリーは、どこか白けたような気にもなった。

 悪気のある言葉ではなく、いかなる可能性をも含みおけと言う意味。


 しかし、そうは言っても……


「ドリー。心配は不要ぞ。余の側近衆を余は何より信頼しているのだ。むしろ、信用ならぬものは側には置かぬさ」


 だろ?と、そんな表情でジョニーを見たカリオン。

 フォローを入れろと求められたジョニーは困ったような顔で言った。


「まぁ、信用ならねえ野郎は俺が斬るし、その為に公爵家は五つもあるし」


 それがフォローか?とカリオンは笑った。

 これで十分だと言わんばかりのジョニーも笑っている。


 その鉄壁の信頼関係にファサとモサのふたりが表情を柔らかくした。


「何も心配要らんようじゃな」

「あぁ。次の世代に託して良さそうじゃ」


 モサの言葉にファサがそう応え、懐から小さな瓶を取り出した。

 その瓶にはどくろのマークが陽刻されてた。


「これを使う事になるとは思わなんだが……」


 誰が見たってすぐにわかるもの。

 それは間違い無く毒物の入った小瓶だ。


「王の手を患わせるまでも無い」

「そうじゃな。ま、唯一の心残りは……」


 ファサとモサは愉悦を含んだ眼差しでカリオンを見た。

 それは、ガルムの秘密に気付き掛けたふたり故の脅迫だ。


 さすがのカリオンも僅かに表情を曇らせる。

 ただ、老いたふたりの男は、楽しそうに笑みを浮かべるだけだ。


「のぉ……カリオン」


 先に口を開いたのはモサだ。

 その小瓶を一口飲んで、僅かに吐血した様にも見える。

 だが、老いたアージンの男は、精一杯に意地を張って笑った。


「世継ぎはガルムでは無くエルムにせよ」


 震える声音でモサがそう言う。

 それに続きファサが残っていた小瓶の中身を飲み干してから言った。

 一瞬だけ身を震わせたあと、口元から鮮血を垂らしながら。


「ワシらは草葉の陰より国家の行く末を見守ろう。この大地こそがワシの墓だ」


 一瞬ニヤリと笑ったファサは、ケパッと吐血して姿勢を崩した。

 力の入らない手でハンケチを取りだし、口元を拭ってみせる。

 それは、アージンの名を継ぐ者としての矜持だった。


「モサ…… 楽しい人生だったな…… モサ…… モサ……」


 苦しそうな息でモサを呼ぶファサ。だが、すでにモサは息絶えていた。

 それを見て取ったファサは、もう一度ニヤリと笑い小さな声で呟いた。


「これで……良い……」


 ガクリと首を項垂れさせ、ファサも絶命した。

 その口元からは、ダラダラと血が流れていた。


「……立派な最期でしたな」


 ドリーは居住まいを正し、胸に手を当てて頭を下げた。

 立派な貴族としての最期を迎えたふたりは、テーブルを挟んで座ったままだ。


「さて。では少々込み入ってまして、事態を先に進めさせて貰いますよ?」


 カリオンはニコリと笑ってズザを見た。

 その笑みは、ズザにとって死神の笑みだった。


 ただ、何かを言おうとズザがしたとき、カリオンの手が動いた。

 襟元のマフラーでも掻き上げるように振り払われた。

 その時、室外から差し込む光が剣の金肌に反射し、室内に眩い光が飛び交った。

 次の瞬間、視界がグラリと揺れ、世界がごろりと回転し床面を間近に見た。


 再び世界が回転し、見上げる角度でカリオンを見ていた。

 世界から音が消え視界その物が遠くなっていく気がした。

 それは、ズザ・ノエル・フェザーストーンの見た、最期のシーンだった。


「見事な太刀捌きですぞ。陛下」

「この程度で褒めるな。余も1人の騎兵ぞ」


 ドリーの言葉を遮り、カリオンは笑って言った。

 ただ、その表情が舜の間にグッと険しくなった。


「ドリー。ジョニー。城へ向かう。国境をなんとかせねば。オクルカ殿にも協力を仰ぎたい」


 カリオンがそう言った時、その場へウォークとヴァルターが姿を現した。

 いつでも戦闘に出られる様な、戦支度を整えていた。


「近衛師団の再結集は完了しております。王都直営3個師団も動けます」

「親衛隊の生き残りを集めておきましたので、いつでも動けます」


 ウォークとヴァルターが順を追ってそう報告した。

 それらを聞きながら、カリオンは静かに言った。


「これより第6次祖国防衛戦闘を開始する。各公爵家の代表を王都に集め、余が自ら宣言し先頭に立つ。我が国土を簒奪する者全てを蹄に掛けよ――」


 室内をグルリと見回したカリオンは、一つ間を置いて言った。

 それは、この世界が再び動乱に入る事を宣言するものだった。


「――この節、好機とすべし。万事滞りなく進めよ」


 カリオンの言葉が冷たくなった。

 誰もがそう思ったとき、王の勅命が下った。


「根切りにすべし…… 禍根を残さず済ますには、それしか有るまい……」



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