命運とは尽きるもの・・・・
~承前
シウニノンチュを出てから10日目。
雪深い北府からの街道も、王都まで指呼の間となれば雪は消える。
北限の地フレミナから来た寒立馬は雪路にめっぽう強く、力強い歩みを見せた。
蹄が大きく足の太い寒立馬は、雪路を行くには最高の馬らしい。
膝まであるような雪をザクザクと踏みつけ、まるで舗装路のように歩いた。
そのせいだろうか。
普通なら20日の行程な王都への道も、一行は10日で踏破している。
道中でアッバース家一門率いる歩兵が合流し、さらにレオン家騎兵も参加した。
すでにカリオン一行の騎兵団は5個師団、約2万騎に膨れ上がっていた。
「さて……評議会のお歴々は小便でも漏らしていなきゃ良いが」
カリオンの飛ばす軽口に、ジョニーやオクルカが大笑いしている。
王の周りにいる騎兵達までもが大爆笑し、一行は順調に進撃を続けていた。
ただ、彼方にインカルウシの巨石が見えた頃、カリオンは不意に足を止めた。
雪の無くなった街道は、やる気を漲らせた騎兵たちで一杯だった。
「ドリー ちょっと来てくれ」
「はっ!」
スペンサー家の騎兵を引き連れ行軍していたドレイクは息を切らせやって来た。
幾人かのガードをつれた姿は、立派な公爵そのものだった。
「お呼びでありますか!」
「あぁ。すまないが余の先触れとして王都に入ってくれるか?」
「……と、申しますと?」
カリオンは彼方の城を見て言った。
穏やかな口調ながら、怒りを噛み殺した姿だった。
「アージン評議会の面々が逃げ出さぬよう捕縛せよ。ただし、何があっても絶対に殺すな。いいな」
両の拳を胸の前でぶつける様につき合わせ、ドリーは恭しく頭を下げた。
王の勅命を受けたドリーは、僅かな手勢を引きつれ、一気に王都を目指した。
「ジョニー! アレックス!」
カリオンは続いて腹心の部下二人を呼んだ。
家名を捨てたジョニーはカリオンのすぐ近くに居た。
ややあってアレックスがやって来たのだが……
「どうした?」
先に口を開いたのはジョニーだ。
アレックスも怪訝な表情なのだが……
「いま、ドリーを先に王都へとやったんだが――」
都の方を一瞥したカリオンは、ジョニーとアレックスに向き直っていた。
その姿は何とも堂々とした、威厳のある姿であった。
「ジョニーはミタラスの西側を、アレックスは東側を抑えてくれ。逃げ出さないように栓をする役だ」
御安い御用とばかりにふたりは駆け出した。
アレックスはジダーノフ家の騎兵を引き連れて行く。
そしてジョニーは『ロニー! 適当に見繕って続け!』と叫ぶ。
その様子を見ていたオクルカは、スッとカリオンに近づいた。
自分も指示を受けようとしているのが目に見えていたのだが……
「オクルカ殿は私と一緒に王都へお願いします」
「……では、南の抑えは?」
その問いにカリオンはニヤリと笑った。
「大丈夫。最強の切り札を南に送り込みまする」
その言葉と同時、カリオンはトウリを呼んだ。
当のトウリは『あぁ。解ってる。南側だろ?』と答えて動き出した。
幾人もの検非違使を引きつれ、馬で掛けていった。
「これでい良い。今頃は評議会の連中がガタガタと震えているだろうな」
最後にカリオンはチョイチョイと手招きし、エルムを読んだ。
王側近の騎兵に混じっていたエルムは、幾人かの騎兵と共に父の元へ来た。
「呼んだ?」
「あぁ、呼んだぞ。お前は俺の後ろに居ろ」
「え? そうなの?」
その疑問形が何を意味するのかは言うまでも無い。
血の滾る黒耀種の本能そのままに、斬り込んで暴れる算段だった。
「いいモノを見せてやる。楽しみにしていろ」
「……はい」
どんな意味があるのか?と訝しがったエルム。
だが、王の命である以上は従うだけだ。
「さて、では進撃を再開しましょうか」
再びカリオンは進み始めた。
歩兵込みで凡そ5万の大軍ゆえに、その統制は中々大変だ。
だが、そもそも40個師団を抱えるル・ガルならば、そのノウハウは豊富にある。
「さて、良い夢を見た事だろうし、もう満足だろうさ。ただな、国境がいろいろたいへんだ。そろそろご退場願おうか」
低く渋い声音になってそう言ったカリオン。
その姿を見ていたエルムは、帝王のなんたるかをなんとなく感じていた。
――――それから半日後の夕刻
「えぇい! あのマダラは何処まで来たと言うのだ!」
ガルディブルク郊外の評議会本部では、ズザが会議室で荒れ狂っていた。
街道筋の各所へ放ってあった物見の者達からは、途切れ途切れの情報が集まる。
実際、寒立馬を先頭に立てた一行の進軍速度が余りに速かったのだ。
ズザ達評議会の手元に太陽王の進軍を伝える報が届いたのは2日前。
それから大慌てで評議会軍を再編成したが、総勢で千騎に満たない数だった。
「こうなったらやむを得ません。近衛騎兵たちを集めましょう」
ズザの側近のように振る舞うギザは、ここに及んでそう進言した。
かつては王都より追放同然の仕打ちをした、太陽王子飼いの騎兵たち。
カリオンに直接忠誠を誓った男達を集め、王に槍を付けよと命じる腹らしい。
「のぉ……ギザや」
呆れた様な声を出してギザを呼んだのは、ローズバーグ家を預かるファサだ。
その向かいにはミューゼル家を差配するモサが居て、ワインなど舐めていた。
「そろそろワシ等も退場する頃じゃ。無駄な事はするでない」
ファサとモサは共にカリオンとも深く面識がある。
かつては城へ何度も遊びに行ったのだから、カリオンも良く知っていた。
「しかし!」
いきり立つギザは、顔色を変えて声を荒げそうになる。
だが、好々爺の笑みを浮かべるファサがフッと険しい顔になって言った。
「お前さん方も、もう良いじゃろ。ル・ガルをこれ以上蝕むでない」
……蝕む
その言葉にギザが顔色を変えた。
ただ、大爆発をする直前、ズザがそれを制した。
「なんだ。ファサは随分と手厳しいな。怖じ気づいたかね」
誹るようにそう言うズザは、赤く熟したアザルの実を手に取った。
甘みと酸味を程よく感じさせるアザルの実は、医者要らずの別名を持つ。
ただ、その実が採れるのは年に一度だけ。
その僅かなチャンスの時のみ、それを味わえる。
だから1年をじっくりと待てるのだ。
待てば待っただけ、美味さも格別なのを知っているのだから。
そしてズザは1年どころか100年待った。いや、実際には200年を待った。
再び自分にチャンスが巡ってくるのを、ジッと待っていたのだ。
「怖じ気づく?」
ハハハと軽快に笑い、ファサはズザを見て言った。
「ワシは短い夢を見に来たのだ。土台、国を差配するなど無理な話。あのシュサを思いだせば、ワシになど荷が重すぎて話にならんよ」
ファサの言葉が終わると同時、モサが口を開いた。
それは、ズザにとってはある意味で許容しがたい言葉だった。
「むしろワシなどはあの小僧に国を預けるべきだとすら思うがね。国境のゴタゴタをお主は把握しておらぬのだろう?」
心底小馬鹿にするようにそう言ったモサ。
ル・ガル周辺部の国境において一斉に始まった小競り合いをズザは無視していた。
正直、勝手にやれと言うのが本音だった。
何処かで折り合いがとれるだろう。それまでほっとけば良い。
向こうだって腹に一物抱えての行動なのだから、まずはやらせるのが吉だ。
「……その様なもの、いずれ折り合いが取れる」
「ル・ガルが滅んでも……同じ事を言うかね?」
モサの言葉には明確な棘があった。
お前らには無理だ……と、そう言わんばかりだった。
「じゃぁ、どうすれば良いのですか?」
ズザではなくギザがそう問うた。
一世代下に居るギザは、あくまで下手に出ていた。
だが。
「どうもこうも、国の運営はあの小僧にやらせれば良い。あれは優秀じゃぞ。なんせこのル・ガルをここまでにしたんだからな」
ル・ガルの繁栄はズザやギザにとって絶対に認められない事だろう。
だが、国栄えて民笑えるの通り、ル・ガルは空前に活況状態だった。
戦という無駄なものを行う事無く、国内外へ莫大な投資をしていた。
その投資がグルリとまわり、いまは国内に富として存在している。
カリオンがやって来た事の全ては、ここに帰結していた。
「それではワシ等が余りに不遇では無いか……」
ズザは吐き捨てるようにそう言った。
ただ、その言葉に対し、ファサは笑みを浮かべ言い返した。
「ワシは不遇だなどと思っておらんぞ?」
ニヤリと笑ったファサに続き、モサが言った。
「ワシもじゃ。次の時代をになう若者は充分育った。これだけを持ってしても、ワシは充分満足じゃ。ル・ガルは安泰で未来は輝いておる。故にワシ等は……」
モサの眼がファサを捉える。
お前が言えと言わんばかりになったモサに、ファサが首肯を返した。
「ワシ等は舞台から降りるのじゃ。もう充分じゃでの。最後の最後で、良い思いをさせてもろうたし、それに、国民に迂闊な事をするなと教訓も残せた。ワシ等の名前はル・ガルの国誌に残ろうぞ。永劫にな」
ファサの眼がその場の片隅に居た男を捕らえた。
メイ・スカイ・アルファーノ。彼は代々、国史編纂委員会をまとめる家の主だ。
ル・ガルの歴史は国史編纂委員会によって毎年編集され、城の大書庫に残される。
その編纂委員会の首席代表を勤めるアルファーノ家の主は微妙な顔になった。
「私は…… まぁ、キチンと記録を残しますがね……」
不本意だ……と言わんばかりの顔になったメイ・スカイは、ファサをジッと見た。
その表情から読み取れるのは、知った事かという拒絶だった。
ただ、その言葉の続きは異なる男が言った。
その場に居た全員が『えっ?』と言葉を飲み込んだ存在だった。
「その必要はありませぬぞ?」
会議室の何処からか『きさま!』と声が飛ぶ。
だが、その声の主は意に介す事無く、室内中央へ進んだ。
「記録も何も、そんなものは必要ない。この……裏切り者どもめ」
それを言ったのは、王都に入って来たドリーだった。
勇猛果敢を持って鳴る猛闘種の騎兵たちは、とにかく獰猛かつ猛烈だ。
評議会の騎兵たち全てを一気に蹴散らし、ドリーはこの部屋へ入り込んだ。
「これより太陽王陛下がこの場にご降臨なさる。お前達が言うべき事など何も無いのだ。お前達に出来るのは、ただただ、神に祈る事だけだ」
ドリーの言葉は全員の胸をえぐるようなものだった。
ただ、この猛闘種の男を敵に回す度胸など誰にも無い。
ル・ガルの為に戦い続けてきた各公爵家の当主は、その誰もが獰猛果敢だった。
「……何をバカな事を」
ズザはそう吐き捨てるしか無かった。
ギザは悔しさの余りにカクカクと震えていた。
ただ、それら全てを飲み込み、ドリーは笑うばかりだった。
「弱いイヌほど良く吼える。それは世界の絶対不変の定理だな」
ドレイクの言った言葉に全員が表情を変えた。
この場において言えるのは、言葉の機先を制したものだけが発言できるのだ。
そして……
「ドリー。余り虐めるな」
穏やかな声が会議室に響いた。全員が驚いて部屋の入り口を見た。
そこに立っていたのはカリオンだ。返り血ひとつ浴びてない姿で立っていた。
「お待ちしておりました、陛下」
「うむ、ご苦労」
そのままツカツカと会議室中央まで進み出たカリオン。
抜き身の剣を翳し、誰を斬るかと勘案しているらしかった。
「さて、では国難を乗り越える為の努力をしようか……」
カリオンがそう言ったとき、ズザは己の命運が尽きた事を知った。
もはやこれまでと諦めるしか無い状況だった。
ただ、最期の瞬間まで諦めない事が大事なのも解っている。
ズザはジッとカリオンを見ていた。己の運命を、精一杯に呪いながら。