市民の蜂起
~承前
その日、平穏を取り戻していたはずの王都は、再び慌ただしくなっていた。
西方地域を所領とするレオン家の一党凡そ1000騎が王都へやって来たのだ。
評議会軍が制止を試みたが、あっという間に取り囲まれ半殺しにされた。
それは騎士や騎兵と言った規律と体面とを重んじる国軍とは言いがたい集団。
野武士の一党か、野盗・山賊の類いと言っても良いレベルだ。
300騎程度しか生き残らなかった評議会軍を取り囲む任侠集団。
そのどれもが、誰が見たってアタシはヤクザでございますと言わんばかりだ。
「えー アージン評議会の御歴々にお取り次ぎ下さいやし。レオン家の使者として参りやした。どうか穏便に、お取り次ぎ下さいやし」
それは、あのセオドア卿から首級を託されたクロームの口上だった。
王都郊外にある評議会の宿舎前で、ヒトの老人は代表の到来を求めた。
「あー 何も取って喰おうと言う事ではございやせん。こちらにレオン家を訪問された御歴々の首級を持参いたしやした。どうかお検めになって下さい」
クロームの声に呼ばれたのか、宿舎の中から姿を現したのはズザ・ノエルだった。
あくまでも子爵であるのだから、それなりに箔の付く衣装だった。
だが、その衣服は零した酒と食べかすに汚れていた。
それを見れば、この宿舎の中で何をやっていたのか……
改めて聞かなくともよく解るのだった。
「……これは」
首桶に収められた首級は全部で6人分。
その顔はどれも穏やかで、険しい様子は一人も無かった。
「ズザ・ノエル・フェザーストーン卿とお見受けいたします。手前はレオン家に奉公いたしまして凡そ50年。ヒトの世界より落ちて参りました者にございます。ヒトの世界での名は捨てて、今はクロームと名乗ってございます」
クロームは口上を一度切り、自らの胸に手を当てて深々と頭を下げた。
反撃を試みるには最高のチャンスだったのだが、ズザはそれが出来なかった。
クロームの周辺に居たレオン家の一党は、誰も抜き身の剣を握って眺めている。
殺れるもんなら殺ってみろ……と、ニヤニヤ笑いながら見ているのだ。
「我が主ジョン・セオドア・レオンは齢350にて遠行し、手前は主の言いつけに従いまして、こちらの御歴々を送って参りました。どうかお検めになり、それぞれの墓陵へお納め下さい。そして――」
スッと頭を起こしたクローム。
その顔は穏やかな声に反し、今にも戦を始めるかのような武人の顔だった。
「――どうか我が主最期の言葉をご静聴賜りたい。宜しゅうございますか?」
黙って聞かねば命が危ない。或いは、碌な死に方をしない。
ズザもそれを理解したらしく、騎士の礼に乗っ取り剣を右手に持ち替えた。
首実検にも作法があると言う様に、騎士は敵意無しの意をこれで示す。
剣の柄を握る右手で剣自体を持つのだ。抜く意志は無いとこれで宣言する。
「かたじけのうございます。さすれば……」
クロームは腰を割って左足を引き、右手をグッと下げて任侠の礼儀を取った。
その姿が余りに堂に入った者だったので、ズザはこの老人の正体を知った。
ヒトの世界でも、任侠の生き方をしてきたのだろう。
そして、きっとその残滓が抜けぬまま、レオン家に下足を預けたのだろう。
謂わばそれは、残侠とも言うべきものなのかも知れない。
自分自身の生き方に責任を持つ、そんな振る舞いだった。
「面倒な仁義は省かせていただきやすが、一宿一飯の恩義を忘れたとあっちゃぁお天道さまの下を歩くのはまかりならねぇってのがあっしの親の教えにござんす。ましてやこの国は太陽の代理が王様ってお国にござんす。さすれば手前は――」
クロームはこれ以上ない蔑みの笑いを見せてズザを見た。
「――冥途へ旅立つ切緒の草鞋をこの両脚へ履く前に、主の恩義を返さにゃなりやせん。とくとく続く冥府の道は、太陽王が照らしてくださいやすでしょう」
ズザは言葉が無かった。ただただ、その老人の迫力に気圧されていた。
たかがヒトの男に……と、そう舐めて掛かっていた事を恥じた。
「主は事切れるその前に、こう言いつけられやした。レオン家の跡目はグラハムの息子ポールが跡を取りやす。そして、これよりレオン家の当主は代々ポールを名乗る事になりやした。セオドア様のご子息ジョン様は家を出られ、その行方は知れておりやせん」
それは評議会にとって聞き捨てならない問題だった。
五公爵の各家が世代交代するときは、太陽王の承認を求めるものだ。
だが、レオン家はそれを頭から無視していた。
つまり、太陽王の代わりにル・ガルの支配者となった評議会を認めない……と。
公爵家が剣を捧げるのは太陽王ただひとりであり、お前達は違うのだ……と。
言外にそう宣言したに等しいのだ。
「それでは……」
二の句を告げないズザは細かく震え始めた。
こうまで見事にプライドを踏みに来るとは思わなかった。
そんな驚きと戸惑いもあるのだろう。
だが、本当に恐るべきは、そこでは無い。
世代交代したレオン家の全てが事実上敵に回ったのだと知ったのだ。
「我が主セオドアは最期にこう言われました。どうか覚悟してお聞きなせぇ」
クロームは勿体ぶるように間を置いて言った。
「次は……お前達だ……と。シュサ帝と共に、冥府の底でお前達を待っていると」
クククと噛み殺した笑いを残し、クロームは腰を上げてその場を立ち去った。
残された首桶を前に、ズザは言葉も無く立ち尽くした。
ややあってレオン家の一党が王都ガルディブルクを離れ始める。
それと入れ違いにやって来た伝令は、走り書きの書類をズザへと差し出した。
西方地域へと放っていた物見の報告だった。
――――レオン家は当主をポールレオンが襲名せり
――――その場にてカリオン王の復帰を求める宣言を行う
――――西方市民熱烈にそれを歓迎し支持を表明
――――評議会の解散と処罰を求める
「……ばかな」
これだけ手厚く公爵家に配慮したはずなのに……
信じられないと言わんばかりのズザは逃げ込む評に宿舎へと駆け込んだ。
悲鳴にも似た情けない声で叫びながら。
ややあって残っていた評議会の面が集まり、恐慌状態のズザを介抱した。
そして、その場での表情の果てに、彼らはある1つの決断をするのだった。
――――翌朝
「……へぇ。随分と思い切った事をしましたね」
何とも楽しそうに笑うウォークは、その報告書を読むなりサンドラへと見せた。
ララを従えて朝食を摂っていたサンドラは、思わずお茶を吹きだし掛けていた。
「笑い事じゃなくてよ?」
「いえいえ、こういう事は笑うべきですよ。きっと王はいつもの調子で――」
カリオンの仕草を真似するように、左手を腰に当て右手を額に添えたウォーク。
その姿のまま、やや大袈裟にワハハと笑い始めた。
「――こんな調子ですよ」
「ですが……」
怪訝な顔のサンドラは、その報告書をララに見せた。
それを読み始めたララは、みるみる顔色を悪くし始めた。
報告書に並んでいる文言はシンプルだがパンチ力充分なもの。
言い換えるなら、サンドラやララの顔色を悪くするのに充分なものだった。
「父上……」
「心配要らないよラリー。王はきっとこう言われる。やれるものならやってみろ」
胸を張ってそう言ったウォークは、執事のようにララのカップへお茶を淹れた。
王の家族への給仕役すら戻っていない城の中は、ウォークの差配で回っていた。
「でも」
「大丈夫だ。こんなもの、窮地の内にすら入らない」
クククと笑いを噛み殺し、ウォークはもう一度報告書を読んだ。
それは、評議会によるル・ガル全土への布告文書草案だった。
――――太陽王を僭称する罪人カリオンアージンを死刑に処す
――――ついてはその身柄を見つけた者に樽一杯の金貨を与える
――――なお、カリオンを匿った者は五等親に渡り死罪とする
それを一言でいうなら、もはや『必死だな』としか言いようが無い。
彼らはその手にしている権力の全てで対抗しようとしているのだろう。
だが、所詮は烏合の衆なのだとウォークは理解していた。
カリオンによって政権中枢から遠いところ、離れた所へ押し込まれた者達。
彼らには政治的なセンスが致命的レベルで欠如しているのだった。
「さて…… 楽しい事になりそうですね」
悪い笑みを浮かべるウォークは、数少ない城のスタッフに情報収集を命じた。
そして、夜になったらシウニノンチュへ光通信で報告を遅れと指示した。
その全てが太陽王に筒抜けになって居る事を知らず、評議会は抵抗するだろう。
無様かつ無駄な抵抗を積み重ねた果てに、彼らは絶望を味わう事になる。
崖っぷちに立ち、次に縛り首となる時、彼らはどんな顔をするのだろうか?
それをイメージするだけで、ウォークはこみ上げる笑みを抑えられなかった。
やや雑種の傾向が強いとは言え、獰猛な黒耀種の血を引く男は猛っていた。
――全て粉砕してやる……
その思いが腹の底で、フツフツと沸き起こっていた。
だが、その日の午後に自体は思わぬ展開を迎えていた。
「ウォークさま!」
階段を駆け上がって長官室へと駆け込んできた伝令は、肩で息をしていた。
相当慌てたらしいのだが、ウォークに向かい大声で報告した。
「王都各所にて一斉に火の手が上がりました!」
「なに! 何処の工作員か!」
「差に非ず! 王都市民の武装蜂起にございます!」
その報告にクワッと目を見開き、椅子を蹴り飛ばして立ち上がったウォーク。
下顎がカタカタと震えているのは、驚きと戸惑いの証拠だった。
「……ぼっ 暴動か?」
祈るような心持ちでウォークは尋ねた。
だが、それへの回答は至ってシンプルなものだった。
「いえ、暴動ではございませぬ! これは革命です!」
「革命……だと?」
「はい! 評議会への抵抗を叫び、その正当性を認めぬと市民が蜂起しました」
それは、王都各所で同時発生的に起きた市民感情の爆発だった。
後にその活動を詳しく調査した者の報告書で判明する、些細な切っ掛けだった。
王都の中で食料品店へ押し掛け、評議会関係者が徴発しようとしたのだ。
だが、店主はこれ以上やられると商売にならぬと抵抗した。
評議会の関係者は軍属を使い圧力を掛けたのだが、それに市民がブチ切れた。
すぐ隣にあった食堂の主人が熱く煮えた油を頭からぶっかけ、火を付けたのだ。
調理油では無く灯明油に使われるもの故に、一瞬で火だるまになったらしい。
そのまま助けを求めて近所へと走り込んだのだが、そこから火の手が上がった。
ただ、興奮していた市民は、それを評議会関係者の嫌がらせだと勘違いした。
まさか商店主がそんな事をするとは思わなかったのだろう。
口コミにより王都中にその話が広まると同時、街中各所で一斉に市民が動いた。
評議会関係者だと指差された者は、近隣の市民から一斉に棒などで殴られた。
凄惨なリンチその物であり、死ぬまで殴られ続けて絶命していた。
「……随時報告を。それと――」
一瞬だけ思案したウォークは次の指示を出そうとした。
ただ、その前に指示の内容そのものがウォークの部屋にやって来た。
「ウォークさま。不敗のヴァルター見参にございます」
太陽王親衛隊の首席代表。
ル・ガル剣士の頂点に立つ不敗のヴァルターがそこに居た。
「ヴァルター! 良い所に!」
「以前より焚きつけておりました市民感情が遂に発火いたしましたな」
「あぁ。これで王をお迎えできるだろう」
クククと悪い笑みを浮かべたウォークは、誰が見たって乱世の奸雄状態だ。
乱れ荒れた世にあって、更に奸計を繰り出す者。
その酷い笑みに、ウォークは寒気を覚えていた。
「……まず、近衛師団の主立った者を集めよう」
「そうですな。目星はついております」
「あと、装備を調え戦闘可能状態に」
一歩下がったヴァルターは、両の拳を左右から付き合わせ『御意』と応えた。
それは、王に対する最大限の敬意を示すポーズだ。
不意に目をやった窓の向こうには、幾つもの黒い煙の柱が見えた。
その1本1本が市民の不平不満で有り、評議会への敵意だった。
――ここまで長かった……
ふと、そんな感慨に浸ったウォーク。
しかし、すぐに我を取り戻し、何処かへの書状をしたため始めた。
「まずは各方面に王都の現状を説明申し上げる。その上で対処の強力を願い出る」
最初に書き終えたのは、茅街に居る検非違使別当のトウリ宛だ。
王都の現状と展望。そして、カリオン王奪回の相談が書き加えられた。
続いてウォークが書いたのは、メチータを出奔したジョニーへの報告書だ。
王都の惨状と蜂起の内容。そして、王を奪還する上での諸注意を書いてある。
そしてそのまま、太陽王奪回作戦の参加者を募る勧誘の手紙を書き出す。
「協力者はひとりでも多い方が良いな」
「そうですな」
ジョニーだけで無く、アレックスやフレミナを掌握したオクルカにもだ。
シウニノンチュへ集結しよう。そして、太陽王を奪回しよう。
その言葉に胸の震えぬ者が居るなら、それはきっとモグリだろう。
このル・ガルにおいて太陽王を邪険に使うのはあり得ない事だった。
「これを、それぞれの元へ届けるんだ。決して人に預けず、当人に直接渡すようにして欲しい。そして、来たるこの日程で……
ヴァルターに指示を出しながら、ウォークは再び動乱の時代が来ると確信した。
それは、全てのル・ガル国民が願う事なのだと痛感したのだった。