堕落と腐敗と世代交代と
~承前
首都ガルディブルクの中心部は、ようやく平穏な暮らしを取り戻しつつあった。
争乱の後片付けだけでもひと月を要し、夥しい死者は郊外の塚に収めた。
その陣頭指揮に当たったサンドラは、城の中でウンザリ気味だった。
「……これ、どういう事でしょうね」
その冷たい声音に王府の担当者は背筋を寒くする。
ウォークにより再び集められた王府の事務方は、半数程度が死傷していた。
「どうもこうも…… そのままでしょうね」
まだ経験浅い事務官の若者を宥めるように、ウォークは涼しい顔で言った。
報告書にまとめられた現状は、評議会の乱行が書き記されていた。
まず、首都郊外の旧近衛連隊官舎を彼らは一方的に接収した。
そして、周辺住民を動員し、中を片付けさせ、彼らはそこに収まっていた。
ただ、問題はそこからだ。
僅かに生き残った……と言うには些か数の多い評議会軍は、約300名。
彼らは官舎近隣の市民宅を訪問し、食料や酒の類いを洗いざらい徴発していた。
王都への食糧供給が滞り始めている中、彼らは市民の迷惑を省みていない。
そして、官舎周辺の市民が何処かへ逃散すると、その徴発の手が広がっている。
旧軍官舎や駐屯地だけで無く、ミタラス島内を含めた病院の食料庫まで……だ。
市民は猛烈に抗議しているようだが、評議会軍はそれを武力で鎮圧している。
そもそも国軍は、緊急時における食料の徴発は太陽王が認めた正統な行為。
国家鎮護の大黒柱として、まずは軍が動けなければ、民族滅亡の危機に瀕する。
その為の許可証を持っているのだが、今回はそれを悪用しているのだ。
「市民が心配ですね」
「えぇ。ですが……」
ウォークは怜悧な眼差しで書類を再読し、そのまま机に放り投げた。
ウンザリ気味の様子で、空席となって居る太陽王の事務椅子を眺める。
サンドラとウォークの陣取る太陽王の仕事場は、主不在のままだった。
室内に居る王府の職員は数名で、常に人の気配がした頃が懐かしくすらある。
そんな職員に『お茶の入れ替えをお願いします』と指示を出したウォーク。
王の書斎から職員が消えた頃合いを見計らい、ボソリと言った。
「酷い言い種ですが、これはある意味で好機です。市民と評議会を離間させるには良い手でしょう。市民が評議会を見限るまで放置が宜しいかと」
市民の窮状を見て見ぬふりをせよ。
ウォークの言葉を要約すれば、つまりはそれだ。
市民は自発的に行動し、自決せねばならない。
その為に、辛く苦しい現状を承知の上で、見殺しもやむを得ない。
善悪で言うなら悪だろうが、時には必要な悪もある。
全てが表裏一体となっているのであって、両面が表はあり得ない。
「……ただ」
サンドラが手に取った別の報告書には、懸念される重要な文言が並んでいた。
ル・ガル西方のレオン家所領に西方地域の難民が集まりつつあるとの事だ。
その発生源は西方辺境自治領で、フィエゲンツェルブッハを中心としている。
報告書にはネコの騎兵団が急襲し、ネコ以外の種族を街から追い出したとある。
つまり、ル・ガルによって奪われた国土を奪回しに来ているのだ。
「更なる侵攻を覚悟するべきですね」
ウォークは涼しい顔で平然と言い切った。
薄い笑みなど浮かべているが、正直言えばどうにも手の施しようが無いのだ。
「かの人物達は……死ぬのが目的でしょうかね」
「迷惑な話ですが、ル・ガルごと亡びるつもりかも知れません」
アージン一門の中で無聊を託っていた彼らだ。
恨み骨髄の中で祖国ごと滅んで欲しいと思わないとも限らない。
もう自分達は長くない……と、彼ら自身が解っている。
ただ、どうせ死ぬなら国ごと死んでやれ……と。
自分達を冷遇し続けた国ごと滅んで、そのまま永遠に苦しめ……と。
そう思っていたのだとしたら。
「何とかしないといけませんね」
「いえ、何にもしなくて良いのです」
「え?」
サンドラの切な言葉をウォークはスパッと否定して見せた。
そのまま席を立ち、王の事務机の前までやってきて、漏らすように言った。
「市民が王に戴冠を求めるなら、王はそれをなさるでしょう。市民が滅んでも良いと思うなら、王はそれを見届けられるでしょう。王の作られた大憲章には、全ては国民の思いが根本であると記されています。故に――」
クルリと振り返ったウォークは、両手を広げサンドラに言った。
「――私達は国民の操り人形に過ぎません。王は常にそれを言われています。市民が望む方向へ国の舵を切る。その先にある問題は、全て市民の責任です。王は弾劾されるでしょうが、最終的な責任は全ての国民が負うのです」
それは、極々原始的な民主主義の根本だった。
「でもそれでは……国が滅ぶやもしれません」
「それもやむを得ませんね。なにせ、戦を厭うて手を引いた結果、国土が蹂躙されたとしても、それは手を引いた側が悪いのです。誰がじゃなく、それを選んだ者達の責任です。故に――」
再びウォークは王の机の側を向いた。
「――私は待っています。王がお帰りになられるのを。そして、全てを持って国土を保全せよ。喪った我が領土を奪回せよ……とお命じになられるのを」
どこまでも純粋に心酔する姿。
それを見ていたサンドラは、心の中の何かがポッと温かくなる思いだった。
カリオン政権は磐石なので心配ない。後は国民とどう向き合うかだ……と。
「……ならば、私は私の出来る事をしましょう」
スッと立ち上がったサンドラは部屋を出て行った。
向かった先が城の地下なのはウォークも承知していた。
この何ヶ月も夢の中の会議は行なわれていない。
あのキツネの邪魔が入るだけでなく、場合によっては筒抜けになる。
情報の管理と言う点においては使えない手段だった。
――さて……
リリスとの打ち合わせはサンドラに任せておけば良い。
そこには面倒を厭うのではなく信用と信頼があった。
何より、方針を纏めて光通信でシウニノンチュへ報告できるのだ。
指示は返って来なくとも、王府の方針を把握するだけで安心だろう。
シウニノンチュからは王は健在と定期通信が帰ってきている。
――さて……
――そろそろ反撃ですよ
ニヤリと笑ったウォークは、解散した近衛師団の中の主だった者へ書を送った。
王はお帰りになられる。意志あらば城へ集えと。そして、再起せよと。
――――――――同じ頃 ル・ガル西方 レオン家所領 メチータ
「オヤジ! また難民ですぜ! 今度は300人くれぇ居やす!」
どう見たって堅気には見えない片目の荒くれが紅朱舘の中をやって来た。
幾人も従えている任侠者の中には、元々国軍士官だった者が何人もいた。
セオドア卿の遺言により、グラハムの息子ポールが次期領主となっている。
未だ齢15歳のポールだが、その顔は精悍な緋耀種の風貌だった。
「バカヤロウ! 若の勉強中だ! 静かにしねぇか!」
お前の方が余程うるさいと言わんばかりにロスを見たポール。
その周囲には幾人もの男達が揃っていた。
「……若、続けますぜ」
「えぇ、お願いします」
ポールの周囲にいるのは、レオン家の中にあって算盤を預かってきた者達だ。
新しい時代の任侠一家は算術に強くなければ生き残れない。
あのジョンですらもビッグストンではカリオンに次ぐ秀才と呼ばれた。
そんなレオン家の教育システムは、銭の流れをしっかり掴む最強の英才教育だ。
いわゆる経済ヤクザの台頭こそ、レオン家が西方地域を纏める術だった。
「これが、あのなんたら評議会って胡散臭い連中の銭の流れです」
大きな机の上に並べられた様々な小道具。
それは、紙やインクを自在に使えない世界の知恵だった。
「国民から搾り取った税金を連中はこうやって自分達のために使いやす。当然、それを買い上げられる連中は儲けやす。すると、そいつらに銭が流れて、そこから回りに銭がこぼれて行きやす」
ウンウンと首肯を返すポールは実態を把握していた。
「空っぽの桶に水を入れて、桶の周りにこぼれるって事だね」
「さいでやす。それに対して太陽王がやってたのがこうです」
机の上に樋がおかれ、その樋には幾つも穴が開いていた。
穴の下には小さな杯があり、その杯から矢印が敷かれて樋の元の桶に戻った。
「銭が循環するって事か」
「そうです。こうやって銭が流れれば世の中が潤いやす。馬鹿は使う事しか知りやせん。そして、銭を使えばなくなるって考えやす。対して、賢い人間はこう考えやす。銭は水と同じだと。使った分だけ入って来るもんだと」
それは、文字通りの循環経済学だ。
もっと言えば、国家財政そのもの捉え方だった。
頭の出来が悪いもの。愚かなもの、思慮の浅いもの。
それらは総じてこう考える。銭は使わなければ減らない……と。
だが、事の本質は異なるのだ。
誰もが銭を使わなければ、経済は止まってしまう。
経済が止まれば銭は流れなくなる。そして、銭が腐り出す。
社会が不安になればなるほど、銭の流れが滞りがちになる。
それ故に、国家にしろ為政者にしろ貴族にしろ、求められる事は一緒。
まず率先して銭を使うこと。銭をばら撒くことに躊躇しないこと。
どんなに奇麗な水だって、貯めておけば腐るのだ。
「では、あの評議会の言うことの何が間違っている?」
ポールが不思議がったのはそこだ。
アージン評議会は各公爵家が国家に収める税の半分を免除すると通告してきた。
つまり、評議会が書く公爵家を取り込みに掛かっているのだ。
レオン家もご多分に漏れず、その内情は火の車。
そうやって少しでも収入が増えるなら、歓迎するのも当然だ。
だが、それは諸刃の剣であり、最終的に国家財政が破綻する。
それでもなお、そんな一手を打つのはつまり、各公爵家への切り崩し工作。
ル・ガルの国境地帯で始まった他種族国家による侵入を防ぐつもりなどない。
首都では国民に対し『価値のない土地など他種族にくれてしまえ』と喧伝した。
そして、思想統制を強め恐怖政治一歩前になりつつあった。
こんな状況では国民が評議会を見ず、五公爵各家に対処を求めたのだ。
故に評議会はそれをした。いや、せざるを得なかった。
首都の中で享楽三昧に耽る彼等に、国政で奔走する余裕などないのだ。
つまり、国家を好きにして良いと空手形を乱発しているような状態だった。
「一言で表現するなら……全てですよ」
レオン家の中にあってセオドアの知恵袋だった女がそう言った。
上等な仕立てのスーツを着込んだ女は、決して若くは無いが年増でもない。
しかしながら、薄く軽い仕様の眼鏡を掛けたその女は、静かに言った。
「能無しがいくら雁首そろえたって、烏合の衆は烏合の衆って事です」
「……と言うと?」
「他国から見れば組し易しと捉えるでしょう。能無しが国を導けば、それは亡国の始まりです。ヒトの世界でもそんな事は幾らでもありました」
それを説いた女の頭には耳が無かった。
長く伸ばした髪を背にまとめ、片隅に立っていたヒトの女。
「では、どうすれば良いのだ?」
「まずはポール様がレオン家当主襲名の披露を行ないましょう。そして――」
女はニヤリと笑って続けた。
「――評議会との断絶を宣言し、太陽王カリオン陛下の再戴冠を求めると発表するのです。そうすれば燎原の火の如く、国内にその言葉が走るでしょう。彼ら評議会はそれで高転びします」
――高転び……
ポールは小さく呟いて、その言葉を反芻した。
つまり、評議会が自滅するように仕向けることこそ重要だとポールは理解した。
「そして、その後は?」
「簡単です。復帰された太陽王を補佐し、レオン家の権益を強化します。この国の西方地域全てを差配できるまでに強化した暁には、太陽王もレオン家を無視できなくなります」
ぐるりと一周回ってレオン家が強くなるように仕向ける。
評議会を潰し、太陽王に恩を売り、収益体制を強化して更に発展する。
現状において財政的に限界だったレオン家を立ち直らせる為の一手。
それは、或いは人倫に悖るやり方なのかも知れない。
弱みに付け込んで権益を拡大するのは、不調法のそしりを受けかねない。
だが、現実問題としてレオン家も限界なのだ。
だからこそ、若き領主となったポールはレオン家再興を図っていた。
「……なるほど。わかった」
しばらく黙ったポールは、不意に顔を上げるとロスを見た。
「ところで、ジョンの兄貴は?」
幾度か面識のあったジョンの事をポールは兄貴と表現した。
頼れる兄貴分であり、いつかはレオン家を預かる男になるはずだった。
そして、自分はそんなジョンの片腕になるつもりだったのだが……
「若、この家の主は若ですぜ。兄貴など居やしやせん」
「あぁ。それは解ってるが、俺には兄貴なんだよ」
リーダーの孤独をいきなり背負わされたポールのこぼす弱音。
それが分かっているからこそ、誰も強くは言えないで居た。
「ロス。ジョンの兄貴に支援を。それと……逃げてきた難民の支援を」
ポールの方針にロスは『へい』と応えるだけだった。
そもそも、任侠の男は弱い者、虐げられた者、傷ついた者を護るのだ。
任侠の三原則でもっとも重要な事をポールはちゃんと学んでいる。
それを知ったロスは、何も心配ないと安堵するのだった。