怖れていた事態の発生
~承前
衝撃的な襲撃から2週間が経過した首都ガルディブルク。
現場の片付けと再建の先頭に立って動くトウリは忙しい日々だった。
至る所に死体の転がっていたミタラス島内もだいぶ綺麗になりつつある。
検非違使の大暴れとヒトの軍勢の攻撃で崩れた建物も再建が始まった。
ル・ガルはこの程度ではビクともしないのだと、それを雄弁に物語っていた。
ただ、それが強がりや見栄である事は言うまでも無く、実際には相当厳しい。
そして、そんな環境に横槍を入れてくる者が居て、復興の邪魔になっていた。
他ならぬ、アージン評議会の面々が、様々な角度から嫌がらせに来るのだった。
「ふざけんな! バカヤロウ!」
手近にあった椅子を目一杯に壁へと投げつけ、トウリは不愉快さをあらわした。
年齢を重ねるとともに身体が出来てきたトウリは、父カウリ並の膂力だ。
その手には上等な便箋にしたためられた手紙が握り潰されている。
差出人はアージン評議会議長であるフェザーストン子爵だった。
「別当……」
ミタラス再建の前線本部となった旧近衛師団本部に陣取るトウリ。
その元へ連日のように様々な情報が集まっている。
だが、それと同時に面倒も集まるのはいただけない。
険しい表情で手紙を読み返したトウリは、半ギレ気味だった。
だいぶ穏やかになったとは言え、ブチ切れればやはり手が付けられない。
「……すまん。ちょっと取り乱しかけたな」
それでも、こうやって自分で自分を律せられるようになっただけ成長した。
昔のトウリを知る誰もが、そう思っていた。そして。
「で、かの御仁は……なんと?」
ウォークは全部承知で火に油を注ぐような事を聞いた。
その問いに対し、トウリは深呼吸を二つ三つとしてから応えた。
ウォークが自分を信頼してくれている。
それをトウリが実感したのだ。
「君には王の資質が備わっているとよ」
吐き捨てるようにそう言ったトウリは、露骨に不機嫌だ。
その様子を見れば、メッセージがそれで終わっているとは思えない。
ウォークは慎重に言葉を選んで言った。
「……それだけじゃ無さそうですが?」
まだ詰めるか?と恨めしげな顔でウォークを見たトウリ。
黙ってその顔を見ていたウォークには、まだ余裕があった。
「郊外に陣取っているズザ卿が、こっちも支援しろとさ」
両手を広げながらウンザリ気味の顔でトウリがそう零した。
呆れ気味なその言葉に、さしものウォークも表情を変えた。
激戦となったミタラスだけで無く、その周辺にもヒトの軍勢は現れていた。
過去に例の無い数での一斉攻撃により、郊外も夥しい被害を出していた。
それは重々承知しているのだが、要するに市民よりこっちを優先しろ……だ。
「全くまぁ……」
溜息混じりに漏らしたウォーク。
そうで無くともここしばらくは、市民からの露骨なクレームが酷い。
曰く、早く復旧してくれ……と。或いは、食料が無いと。
王府はその機能の大半を評議会により奪われていて、正直手一杯だ。
検非違使にも支援を仰ぎ、多くの地域で彼らの献身的努力が続いていた。
だが、そこに問題があった。今回の争乱で暗い影が落ちていた。
城下から上がってくる声を集約すると、そこには如何ともし難い声があった。
つまり、ヒトが怖い……と、そう言う事だ。
故に、検非違使を余り使うと市民が怖がる。
ヒト自体を怖れだしていると言って良い状態だ。
「気持ちは分かりますが、まずは落ち着きましょう」
トウリを宥めに掛かったウォークは、書類を整理しながら言った。
ガルディブルク復興に尽力している検非違使の面々を王都市民が拒絶している。
あの圧倒的な戦闘能力で襲い掛かってきたヒトを見れば、それもやむを得ない。
検非違使は違うぞ!と言ったところで、市民はやはり怖いらしい。
ヒトへの嫌悪症は、その裏にヒトへの蔑みの反動が来ているのだ。
今の今まで散々とヒトを蔑んだ結果を報復されるかも知れない。
そんな恐怖に震えている部分があるのだ。
ただ、その恐怖を煽っている者達がいる事を、トウリもウォークも知っていた。
今まで自分たちが散々やって来た事をごまかす為の詭弁が繰り返されていた。
「……やはり報道各社が一番の敵だな」
トウリは問題の本質をそう表現し、トウリは忌々しげに首肯する。
かつての王府発表について、報道各社はあり得ないと言うスタンスで報道した。
――――イヌの騎兵を撃退するような戦力などあり得ない
――――王府は嘘をついている
――――その諸悪の根源は太陽王だ
つまり、城の奴らは、あいつらは嘘つきだと断定口調でまくし立てた。
そんなレッテル貼りに勤しんだ報道各社の論調は記憶に新しい。
だが、現状の報道ではそんな論調がすっかり消えてしまっている。
「……報道に携わる面々というのは、健忘症か、若しくは記憶障害なんですよ」
溜息混じりにそう零したウォークは、ウンザリ気味の表情だ。
現状について報道を行うなら、先の報道は誤りでしたと一言付けるべきだ。
イヌの騎兵をいとも簡単に撃退するヒトの戦力は実在しました。
弊社の論調に事実誤認があったことを深くお詫びいたします。
最初にそう書くべきなのに、報道各社はそんな事をすっかり忘れているのだ。
そして、自分達の無能さを隠すように、検非違使が怖い、ヒトが怖いと書く。
最も手強い敵は無能な味方と言うが、それ以上に厄介なのが報道だった。
何故なら、自分達は悪くないというスタンスで事に当たる面々なのだ。
罪の意識が無い時、人間は最も残酷な事を平然と行えるようになるのだから。
「だな……」
ウォークの言葉にウンザリ気味な顔で首肯を返し、トウリは憮然としていた。
ただ、そうも言ってられないのが現状なのだから動き続けるしか無い。
「まぁ、愚痴を言っても始まらん。まずはカリオン帰還を準備しよう」
「そうですね」
トウリとウォークの意思統一は簡単にできた。
この国を導き護る事が出来るのは、現状だとカリオン1人。
都の誰もがそれを思っているのだが……
「あぁ、ここに居たのか」
そんな声で詰め所に入ってきたのはドレイクだった。
領地である東方へ戻っていた最中の事態だったので、初動が遅れたのだ。
「ドレイク卿。ご苦労様でした」
「いやいや、所在を掴んだだけでも大きいよ」
ドレイクはそんな事を言いつつ、トウリの事務机にケツを預けた。
「見つけたよ。と言っても、ポールの『眼』の情報だけどな」
各公爵家が国内に持っている情報ネットワークは広く大きく深くある。
全土の情報を集め、王に進言するのも公爵家の役目なのだから任務は重大だ。
「やはりシウニノンチュか?」
トウリの言葉にドレイクは怪訝な顔で『あぁ』と応えた。
その僅かなやり取りで、ウォークはドレイクの内心を見て取った。
やはりドレイク卿はトウリが嫌いなのだ。
心酔する太陽王の大切な存在を奪った佞臣など、評価するに値しない。
きっとそんなスタンスなのだろうと思ったのだが……
「六波羅もそれを報告してきた。シウニノンチュにて幽閉状態だと――」
トウリはトウリで、自分の手の内を見せていない。
ウォークやドレイクはそれにも新鮮に驚いたのだが、実際は逆だった。
つまり、手の者の情報ですらも疑う用心深いスタンス。
そうでなければ検非違使の別当は勤まらないのだろう。
「――まだハッキリした事は解らないが、どうもセオドア卿が亡くなったようだ」
枢密院会議の中で最高顧問と言うべき要職にあったセオドア卿。
その死去は、本来なら国葬級の一大事なのだが……
「やはりレオン一家でお家騒動の様だな」
ドレイクは残念そうにそう漏らした。
公爵家はどこでも内情が大変な事になっているのだ。
共通の敵をつくり、共通利益を模索する。
その積み重ねこそがル・ガルを一枚岩たらしめてきた。
そしてその先頭にいたのは、各公爵家の当主達だった。
だが、カリオン王の治世は、安寧と泰平の世なのだ。
こんな世では社会の不平不満が噴出しやすくなってしまう。
我慢無くとも毎日が暮らせると、些細な不平不満が我慢できなくなる。
そして、それに慣れると今度は不安や恐怖に対処出来なくなるのだった。
それらを宥めすかし、社会を安定させる努力は、各地域の公爵家に委ねられた。
ただし、その経費は公爵家持ちだ。国家とて余裕が有るわけでは無いのだ。
「……こうなると、国軍首魁の全滅は辛いな」
トウリは小さな声でそう漏らした。
王都近郊の治安を維持してきた国軍の首魁たる第1第2の各連隊はほぼ全滅だ。
従来はサウリクル家が維持してきたが、トウリ蟄居後は王府預かりだった。
彼らは太陽王直下にある近衛連隊への兵員供給源として、ある意味花形だった。
ただ、そこに評議会がちょっかいを出し、大幅に人員を入れ替え手駒にした。
地方出身で今まで不遇だった者達が、突然この花の都へとやって来たのだ。
狼藉の限りを尽くしたとしても、何ら不思議では無い。
結果として彼らは一兵残らずのレベルまでヒトの軍勢に射殺されている。
そして、ぐるり一周回って評議会は自分達の復旧手段が無くなった。
だからこそ、トウリ麾下の検非違使に支援を求めたのだが……
「王都の各地域から上がってくる話を見てますと、窃盗や恐喝、あと暴行などが頻発していますね」
ウォークのまとめた情報によれば、城下の治安は極度に悪化していた。
こうなるとイヌの社会の安定性など砂上の楼閣に過ぎないと誰もが思いだす。
「……やはり、早急にカリオンを呼び戻した方が良いな」
「ですね。王の元に近衛師団を再編成しましょう」
社会を安定させるには、結局のところ治安と風紀の維持しか無い。
その為に必要なのは、馬車馬のように働いてくれる兵士達だ。
ただ、彼らをただ働きさせるわけにも行かない。
つまり、相当な無理を重ねる事になるのだが、それを指示できるのは王だけだ。
「しかし、こうなるとやはり、カリオンは大したもんだな」
腕を組んでそう呟いたトウリは、何処か嬉しそうだった。
それがどんな意味を持ってるのか、ドレイクには解らない。
しかし、心酔する王を讃えられ、ドレイクも悪い気はしない。
やはりル・ガルは太陽王のものなのだ。
「……よし。ここは1つ、評議会に嫌がらせでもしておくか」
トウリは1つ手を叩いてから立ち上がって言った。
何かを思い付いたようだが、それはなんだ?とウォークが見ていた。
「今夜、私は検非違使を引き連れ茅街へ帰る。明日は市民だけで復興をやらせ、そこに評議会が口を挟む形にしよう。どうせ奴らは市民より自分達だってやるだろうから……」
トウリの目論見にウォークがニヤリと笑った。
やはり頭の回転は良い。そして、それでいて人間は悪い。
自分の手を汚す事無く、必要な結果を得る。
その中で政敵を陥れる為のえげつ無い手も使う。
一連の流れの中で、必要な結果を最大限に得るだけで無く……だ。
「……評議会側の正体を市民に知らしむる最善手ですな」
ドレイクもトウリの提案は評価せざるを得なかった。
そしてその向こうに、もう一つの目論見が見えていた。
つまり、報道各社の論調を市民自身が疑う様に仕向けるのだ。
何を調子の良い事ばかり言ってるんだと、そう思わせるのだ。
報道各社がどれ程に社会世論を誘導しようとしても、市民が真実に気付く様に。
その結果として報道各社の言う事を鵜呑みにせず、むしろ疑って掛かるように。
どれ程酷い手だと言われようと、それが一番良いのだ。
社会を導くのは政治であって報道では無いのだ。
「茅街に戻り、どうされる?」
ドレイクは次の一手をトウリに問うた。
そのトウリは腕を組みながら、幾度か首肯して言った。
「決まってるさ。シウニノンチュへカリオンを迎えに行く」
ドレイクとウォークを見た後、薄笑いを浮かべそう言った。
ただ、トウリがそれに続き何かを言おうとしたとき、早馬の伝令がやって来た。
「申し上げます!」
一瞬だけトウリとウォークが視線を交わす。
どっちが報告を受けるか?で迷ったのだ。
だが、その前に『何事だ?』とドレイクが応えていた。
「ネコの国に侵攻準備の様相あり! 国境手前の街に凡そ三個師団が結集しつつあるとの伝令がやって参りました!」
――来た……
怖れていた自体が起きつつある。
トウリは息を呑んでウォークを見た。そのウォークは額に手を当て天を仰いだ。
「やはり見逃してはくれませんでしたか……」
普通に考えればチャンスなのだ。それも絶好のチャンス。
ここで手を出さずしていつ手を出すのだと言わんばかりのタイミングだった。
「私は予定通り茅街へ帰る。市民に評議会と報道各社の真実を知らしめよう。これで……カリオン帰還への手順が完成するさ」
トウリは笑いながらそう言った。
ピンチをチャンスに変える最善手であり、必要な血の犠牲だった。
そんな冷徹な政治家の顔を見せたトウリに、ウォークは内心で喝采を叫んだ。
後は王が帰ってくれば良い。
王府の誰もが、それを確信するのだった。




