多重の罠
~承前
「その偽者を捕らえよ!」
ウォークは苦しそうな声音でそう言った。
改めて見れば、その姿は満身創痍だ。
左腕は肘の上から無くなっており、顔には大きな傷がある。
それだけでなく、左脚を引きずるように歩いていて、重い怪我を思わせた。
「王を騙る愚者を処断する! 抵抗するなら斬り捨てよ!」
王府の全てを差配する男なのだ。城に詰める衛士の多くがそれに従った。
屈強なル・ガル騎兵が取り囲み、一斉に槍を向けた。
――凄い迫力だな……
一瞬、全てを忘れてそんな事を思ったカリオン。
しかし、その包囲の輪が狭まった時に我に帰った。
――殺される!
この時、カリオンの中で全てが繋がった。
あのキツネは殴られた腹いせに報復に来たのだ。
それも、自分自身の国に殺されるように仕向けられた。
僅かな間に良くそれだけの事を、それだけの画を描いたと感心したくもなる。
だが、ここでもまずは脱出せねばならないのだが……
「待て! ウォーク! これは如何なることだ!」
……余は本物ぞ!と叫んだところで意味は無い。
ここで唯一本物である事を示す為には覚醒するしかない。
しかし、それをすればウォークには本物と伝わっても兵士たちが驚くだろう。
そしてその後、王はやはりバケモノだったと言われる事が目に見えている。
「声まで似せてくるとは大したものだ! 本物の王はどちらにおいでか吐いてもらわねばならぬ。殺さぬ程度に痛めつけろ!」
ウォークの命が下り歩兵が一斉に襲い掛かってきた。
それを見て取ったヴァルターが身構えた。
「陛下! お下がりを!」
最初に襲いかかってきた歩兵の襟倉を掴み、ヴァルターは容赦なく投げ飛ばす。
二人目には当て身を入れて動けなくし、三人目の腰にあった剣を抜きはなった。
「……最前列は刮目せよ! 見えぬ者は音に聞け。ル・ガル剣士最強は誰か! 万の候補から勝ち残りしその頂点! 不敗のヴァルター見参!」
そこから先は文字通りの不敗モードだった。
ヴァルターの剣は致命傷にならぬレベルで兵士達を圧倒した。
正直、この剣が敵に回っていたら面倒だった……では済まないレベルだ。
カリオンも相当な剣の腕だが、今は丸腰なのだ。
祖父シュサが父ゼルに与えた物を受け継ぐ愛刀はブルが持っている。
今さらながらに思うのは、ブルの亡骸と共に剣が帰って来ないかと思う……
「どうした! これで終りか!」
ヴァルターの剣が全てを圧倒し、ウォークは不機嫌そうに髭を揺らしていた。
憤懣やるかたないと言った状態だが、身体を支えていた杖を振り上げ叫んだ。
「忠勇なるル・ガル騎兵よ! 王を騙る愚か者をル・ガル軍馬の蹄にかけよ!」
それは苦しげな声ではなく張りのある怒声だった。
カリオンはそこに言葉では表現出来ない違和感を覚えた。
ただ、その前に現状を何とかせねばならない。
目の前に転がった兵士から剣を取り上げると、カリオンは数歩下がった。
突進してくる騎兵を止めることなど出来やしない。
ならばすれ違いざまに斬るしかない。
――よし……
――やるか……
カリオンはグッと身体に気合を漲らせた。
世界を統べる太陽王の本気が辺りに漏れた。
その怒気とも殺気とも付かない気迫は、騎馬にも伝わったらしい。
「どうっ! どうっ! 落ち着け!」
急に落ち着きを失った愛馬を落ち着かせようと騎兵が馬を宥める。
そのごく僅かな時間的隙間が事態をグッと改善した。
「へいかー!」
ガルディブルクのミタラス大手門に迫ってきたのは騎兵の一団だ。
先頭にドレイクがいて、やや後方にサンドラとガルムの姿が見える。
だが、そこにブルの姿はなかった……
――ブル……
一瞬だけブルの死を悼んだカリオン。
しかし、そんなシンミリとした空気はドレイクの声に掻き消された。
「きーさーまーらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ドレイクは一切速度を落とす事無く剣を抜いた。
ル・ガルの暴力装置全てを預かる男は裂帛の気勢を上げて叫んだ。
「王に弓引く逆賊を鏖殺せよ! 我等は太陽王の剣ぞ!」
カリオンは一瞬何が起きたのか理解できなかった。
凄まじい速度で突っ込んできたドレイクは、そのまま襲い掛かってきたのだ。
凡そ騎兵と言うものは、騎馬一体の連動による突撃衝力を最大の武器とする。
脱出の犠牲となった騎兵が多かったと見えるが、それでも50を越える数だ。
同じ数ならば運動中の騎兵の方が手強いのは言うまでも無い。
近衛騎兵は一瞬にしてカリオンに槍を向けた騎兵を鏖殺した。
そしてそのままウォークに襲い掛かった。
――あっ!
カリオンは思わず叫び掛けて飲み込んだ。
ウォークは杖を捨てて騎兵と正対したのだ。
「……えいっ!」
何ごとかを詠唱し、えいっ!と気を放ったウォーク。
そこまでの魔法を使いこなせるとは思えない故にカリオンは確信する。
あのウォークは偽者だ……と。
ただ、ウォークの前に楔形の障壁が現れ、ドレイクの一団は左右に割れた。
その障壁がフワッと霧散した時、カリオンの鼻が何かを捉えた。
それは、普段感じない微妙な臭いだ。
――これはっ!
同じ物に気が付きハッと驚いて振り返ったヴァルターはカリオンを見た。
その一瞬に膨大なアイコンタクトが交わされ、二人は無言の会話をした。
「「偽者め!」」
それはカリオンとヴァルターが同時に叫んだ声だ。
2人の鼻に香炉の中から香る匂いが届いたのだ。
上等な衣類に香りをしみこませたようなものだった。
「チッ!」
ウォークの姿をしていた何かが舌打ちし、その直後にボンヤリと滲んだ。
そして、その姿がハッキリした時には、あの七尾のキツネが姿を現していた。
「邪魔が入ったかぇ!」
カリオンは迷わず剣を握ったまま走り出した。
障壁の消えた今なら、この剣が届くと確信したのだ。
「今度こそ!」
速度に乗って斬りかかったカリオン。
キツネはカリオンに向けグッと手を伸ばす。
「うっ!」
全身に強い衝撃を感じカリオンは後方へと吹き飛んだ。
ゴロゴロと地面を転げてから立ち上がり、頭を振って衝撃を逃がす。
薄ボンヤリとした意識の中、カリオンは『攻撃せねば!』と逸った。
だが、霞の掛かったかのような意識の中にリリスの声が聞こえた。
緊迫した声音で言葉をねじ込んできたリリスは強い口調で言った。
『任せて!』
――え?
上空に何かの気配を感じたカリオンが空を見上げた。
すると、城のバルコニーにウィルの姿があった。
そしてその隣には、黒尽くめの何かが佇んでいた。
――リリスだ!
地下から出てきたリリスは天に向かってワンドを伸ばした。
すると、よき隣人や魔道回路や全ての魔術とは関係ない何かのゲートが開いた。
カリオンが『ばかな!』と驚くもの。それは完全な天然雷による落雷だった。
目の前に居たウォークに着雷し、イナヅマが視界を真っ白に染めた。
落雷の持つ莫大なエネルギーが一瞬にしてキツネの身体を焼いたらしい。
――凄いな……
それ以上の言葉がない状態でキツネを見たカリオン。
七尾のキツネは全身から煙を上げて苦しがっていた。
『もう一発お見舞いしてぁぁぁぁぁ――――――
意識がハッキリしてくるにつれ、リリスの声は遠くなった。
だが、再び猛烈な落雷が目の前に発生し、キツネの姿が見るも無残になった。
「わらわに恥を掻かせたな…… 決して許さん……」
キツネは苦しそうにそう言うと、何事かの術を使おうとしたようだ。
だが、あのヴォルドと名乗ったキツネに3発目の雷が落ちたのだった。