青いオオカミの正体<前編>
~承前
――――主義主張に国家を分け
――――話し合いで解決したいと思っているのだ
カリオンの言ったそれは、気の抜けていた侵入者達の目の色を変えた。
ヒトと共存する事を選んだ者達の国家があれば、それは事実上ヒトの国だ。
余りにも衝撃的なその内容に、地べたの上へ座っていた藍青が顔を上げた。
「……そんな事ができるものか」
吐き棄てるようにそう言った藍青に続き紺青が口を開く。
震える声で漏らした言葉は、諦観の元だった。
「ヒトがどんな扱いをされているか知らぬわけじゃないだろうに……」
ル・ガルの内部とてヒトは相当酷い扱われようだ。
それはいかんとシュサがヒトの扱いに気を使えと勅を下した。
まだまだ酷い話はあるが、それでもル・ガルでは大幅に向上している。
だが、逆にそれはル・ガル内部だけの話で、他国ではまだまだなのだろう。
場面場面でヒトが大切にされるシーンはあるだろうが、全体としては奴隷だ。
主人の役に立つ事で生きる事を許される存在。
そんな境遇にあるヒトは余りにも多いのだ。
「ならば世界の役に立つヒトの国家があれば良い。扱いの悪い国には役に立たぬ事を選べばよい。どうせこのまま奴隷ので居れば、理不尽な仕打ちに斃れ這って悔いを残したまま死ぬだろう?」
紺青はプイとそっぽを向いて奥歯を噛み締めた。
ヒトの世界の文化が色濃いキツネの国とて、ヒトは所詮ヒトなのだ。
主従だのなんだのと言ったところで、どこまで言っても奴隷だった。
「簡単な話だ。餓えて乾いて緩慢に滅ぶのが良いか。それとも、夢に向かって疾って死ぬか。どちらにしても修羅の道なら、どちらを選んだ方が楽しいかね?」
ある意味、これは覚醒者たちが目を背けて来た絶望的真実かも知れない。
何処の国から来たにせよ、どこの国へ行ったところでヒトの扱いなど一緒だ。
「ここならヒトは無碍に扱われないとでも言うのか?」
侵入した覚醒者の中に居た男がそう言った。
相当な一撃を受けたのか、左腕がダランと垂れ下がっている。
タロウめ……と内心で呆れたカリオンだが、おくびにも出さずに言った。
「このル・ガルが全く問題ないと言う気は無い。この街とてつい先だっては酷い事になった。ル・ガル内部の高級貴族や結託した他国からの干渉でヒトが売られていたのを掴んだからな。だが――」
カリオンは自らの胸に手を当て、自信溢れる笑みで言った。
その威風堂々ぶりに、皆が驚くほどに……だ。
「――その全ては余がこの手に掛けた。余の命を無視した者は、この手で直接斬って捨てた。嘘ではないぞ?」
直接そうやってヒトの一団を口説いているカリオン。
その姿を遠巻きに見ていたガルムは、女流騎士の姿になって街へ来ていた。
父カリオンは太陽王であり、どんな状況でも自分の目標に向かって進んでいる。
その姿を垣間見たガルムの内心には、表現出来ない感情が渦巻いていた。
――――凄いなぁ……
遠くから見たイワオやコトリの恐るべき戦闘能力。
そして、それをはるかに凌ぐタロウの冗談染みた強さ。
検非違使と呼ばれる存在を始めて生で見たガルムは、劣等感を加速させた。
いつか弟エルムがああなるかも知れない。
その時、自分はどうすれば良いのだろうか?と、不安になったのだ。
「ララ!」
トウリと話し込んでいたサンドラはガルムを呼んだ。
彼女はいつの間にか、ガルムをララと呼ぶようになった。
それ自体に不満は無いし、むしろそうしていた方が良いケースの方が多い。
ただ、最終的にどう現状と折り合いを付けるかを悩んだ。
女にはなったが、まだ男の子でもあるのだから……
「いつの間にか大人っぽくなったな」
トウリは笑って実子を出迎えた。
母サンドラ譲りの長身でスレンダーな身体に豊かな胸がある。
街を歩けば大概の男が振り返るほどの美貌と身体の持ち主。
そんな姿に育ったガルムだが、トウリが自分の父親なのは知ってはいる。
ただ、自分の父親はカリオンだと思っているし、それを拠り所にしている。
例え胤となったルーツがサウリクル家のトウリだとしても……だ。
「ご無沙汰しております」
「……そうだな。久しぶりだ」
一瞬だけ表情を曇らせたトウリだが、すぐに明るい様子へと戻った。
それで良いのだ。これで良いのだ。何も問題は無く、気を病む事も無い。
太陽王の息子として育った男の影武者を務める存在。
ララと名乗る女性は、サンドラの付き人として振舞っている。
公的に自分の息子とは出来ないし、そもそも男扱いするわけにもいかない。
超絶に難しい環境なのだから、後はそれをそのままに飲み込むだけ。
それ以上の事は期待してはいけないし、願うことすらよろしく無かった。
太陽王の関係者として振舞う。
この微妙な関係に成り下がった親子3人は、それ以上の事が出来ない。
横目でチラリとそれを見たカリオンは、それ自体を心苦しく思っていた。
そんな時だった……
「やっと見つけた」
何処かからかそんな声が聞こえた。
カリオンはその声に素早く反応し辺りを見回した。
同じようにサンドラとトウリが辺りを警戒する。
「あっ!」
トウリは近い建物の屋根を指差し、同時にサンドラとガルムを背後に隠した。
庇ったつもりなのだろうが、周囲はそれを検非違使別当の勇気と度胸に見た。
「青いオオカミか……なるほどな」
カリオンは抱えていた姪をコトリへと返し、タロウを呼び寄せた。
イワオはグッと力をいれ、覚醒した姿となってカリオンの脇へと控える。
その身に纏う空気がグッと厳しくなるのをイワオは感じた。
ひりつくような殺気を零し、カリオンは戦闘モードになっていた。
――すげぇ……
ある意味でイワオは初めてカリオンの本気を見た。
過去幾度も覚醒体の姿になって力比べに及んでいる筈だ。
だが、その全てでカリオンはまだ余裕があった。
つまり、本気という状態の真実をイワオは初めて知った。
相手を喰って掛かる。或いは、殺しに掛かると言う状態を知ったのだ。
「……久しぶりだねぃ イヌとヒトのかさなり」
青いオオカミ――ヴォルド――は、にんまりと笑ってカリオン達を見ていた。
顔こそオオカミだが、その様子はオオカミとはほど遠かった。
誰が見ても、その雰囲気はキツネだ。
三つ揃えの燕尾服だが、そのテールの部分に太い尻尾が見え隠れしていた。
「イヌの国に居ることは解っていたが――
何かを言いかけたヴォルドは、その言葉が終わらぬ内に一撃を受けた。
カリオンの隣にいたイワオが手近な瓦礫を投げつけたのだ。
しかし、その瓦礫は直撃の筈なのにヴォルドは平然としていた。
投げつけられた大きな礫は、ぶつかる前に阻まれたらしい。
「おやおや。禄に人の話も聞けないとは、やっぱりイヌは愚かじゃのぅ」
ケラケラと嗤ったヴォルドだが、カリオンは静かに剣を抜いて構えた。
その絶対的な距離を思えば、剣を抜いたところで意味などない。
だが、抜刀したその行為その物に意味があるのだ。
お前を斬ってやる・殺してやる……と、口上を述べたのだ。
「降りて来て正体を現せ。ル・ガルを蝕む諸悪の根源め」
「へへへ、知っていたのかい?」
「当たり前だ」
ヴォルドはまるで木の葉が舞うように、フワリと屋根から飛び降りた。
ただ、降りてからの視線は、カリオンでは無くトウリに注がれた。
「お前じゃ無い。妾のようはあぬしではない。その後のフタナリじゃ。いね」
ヴォルドは右手をハラリと振った。
次の瞬間にはトウリが真横へ吹っ飛んでいた。
一瞬何が起きたのかを全員が把握出来なかった。
ただ、そこに猛烈な魔法作用が起きたのは間違い無かった。
「あぬしの身体に付いておる余計な物を取り去って進ぜようぞ? あぬしには余分でも妾にはありがたい物じゃでのぉ」
まるで老婆が喋っているかのようにも聞こえるヴォルドの声。
カリオンは一言『バケモノめ』と漏らし、剣を上段に構えた。
「ソレイ・ロ・リラ・フンパ・マスラ・イラハ・ヘロ・イネラ……
何か呪文染みた物だとイワオが聞いたカリオンの言葉。
それは間違い無く魔術だと知ったのは、カリオンが剣を振り下ろした時だ。
魔導感応金属であるミスリルの剣は、カリオンの詠唱により魔素を溜め込んだ。
その剣をカリオンが振り下ろすと、魔素は剣の形のまま飛んでいった。
刃の形に纏まっている魔素の剣が切り裂いたのはヴォルドの右手だった。
トウリを吹っ飛ばしたその右手は、カリオンによって肘から切り落とされた。
本格的な魔術戦闘は、派手な詠唱では無くこんな地味な物が始まりだった。