崩壊の序曲(後編)
今日2話目
~承前
――――なんだなんだ
――――ネコもトラも大した事なさそうですな
唐突に降って沸いたその声は、街の東側から入ってきた者達の声だった。
明らかにヒトの姿をしているが、その身形は、ネコやトラの国にもない衣装だ。
覚醒者達はその衣装が自分達の生活圏とは違う地域のものだと理解する。
ただ、何処から来たのか?について、合理的な説明が出来ないでいた。
「何だおめーら」
トラの覚醒者は低い声で威嚇するように言った。
そして、それに呼応する様にネコの覚醒者が言う。
「街の代表か?」
双方の問いにニンマリと笑ったヒトの一団は、見るからに気持ち悪い空気だ。
その集団の先頭にいた2人は、顔を見合わせると頭を左右に振って否を示した。
「我等は東方より参った。イヌの国を抜けこの街を目指しやって来た。恐らくはそちらの皆さんと目的は一緒でしょうな」
先頭右手にいたヒトの男は、被っていた帽子を取って見せた。
不思議な形状をしたその帽子は、黒くて妙に細長いデザインだった。
「ル・ガルの報道によれば、この街の住人をイヌが護る義務は無いとのこと。つまり、この街にヒトが集い、そこで話し合い、イヌを含めた全てに対し独立を宣言すれば、ここはヒトの国になる」
先頭左手に居る男は、静かな口調でそう言う。
だが、その姿を見た茅街の住人が言った。
「その和装は……もしやキツネの国か?」
ワソウ?
ネコやトラの覚醒者が首を傾げる中、街の住人はワソウと言った。
その言葉に東方より来たと言うヒトの男が笑った。
冷え切った北風のような悪意の滲む、そんな表情で……だ。
「左様です。我々はキツネの国から来た」
右手の男は袂から取りだした扇子で口元を隠し、三白眼になって住人達を見る。
その口元だけがキツネのように変化していき、覚醒者であることを垣間見せた。
「我等は最も色濃くヒトの文化を受け継ぐ者ですよ……そしてね……」
左手の男が袂から取りだしたのは、まるで蓮の花びらのような紙だった。
その紙を右手の男に振りかけるようにバラ撒いた。
するとどうだ。
右手の男は扇子を広げ、それで扇ぎながら風に乗せ飛ばした。
ヒラヒラと風に舞う紙片は街の中に流れていった。
「この街の主導権を取ったなら、キツネの国が護ろうと言う事になりました」
ヒッヒッヒと嫌な笑いを零したキツネの覚醒者は扇子をスッとたたんだ。
そして、その棒になった扇子で勢いよく自らの手を叩いた。
パンッ!と鋭い音が響き、その場に居た全員がハッと驚いた表情になる。
そして、その音と同時、風に乗って舞っていた紙切れがむくりと起きあがった。
紙切れは醜悪な虫に化けていた。長い足と針の様な口を持つ姿。
「うわっ!」
「ぎゃっ!」
ネコとトラの覚醒者が同時に悲鳴染みた声を上げる。
生理的に嫌悪感を覚えるその虫は、覚醒者達へ一斉に取り付いた。
どうしたって毛並みのある姿なのだ。虫にとって足場に不足は無い。
モゾモゾと毛並みの中へ入り、身体中に針を刺し始めた。
長く鋭い針は、ブスリと感触を伝えて皮膚を突き破っている。
「やっ! やめろ! やめっ! ぎゃぁ!」
トラの男がデタラメな声を上げながら転げ回っている。
同じようにネコの一団も必死で毛繕いを始めるのだが、効果が無かった。
どんなに力のある覚醒者達でも、細々とした虫の一斉攻撃には耐えられない。
「ひゃっ! なんだ! なんだこれ! 痛い!」
デタラメな悲鳴を上げる両者を前に、キツネの覚醒者はヒヒヒと笑った。
溢れ出てくるような悪意の発露は、被害を受け苦しむ者を笑う浅ましさだ。
「それは巨大なダニですよ。身体中に張り付いて血を吸います」
「まぁ、今すぐ降参するなら取りますが、それが嫌なら元の姿に戻りなさい。毛並みが無ければ虫はたかれないんですから」
左右両側の男は順番にそう言った。
それは、極々当たり前の道理だった。
毛並みがあるからこそ虫がたかるのだ。
だが、言い放った右側の男は、右手に持った扇子で左手を叩いていた。
一定のリズムで叩かれるそれは、一種の催眠術なのだが……
「解った! 解ったから!」
「痛い! 痛い! 待って! 勘弁してくれ!」
スルスルと身体を小さくした覚醒者は、その身を元のヒトの姿に戻した。
どちらも病的に痩せた姿で、少なくともまともな生活とは言いがたい様子だ。
「さぁ、これで穏便に話が出来ますね」
ニンマリと笑った左側の男は、その場にフワリと腰を下ろした。
そして、両手をフワリと広げ『お座りなさい』と態度で示した。
ネコやトラの地域から来たヒトは、相手が悪いと悟ったらしい。
おとなしく座った彼等は、和装の男の言葉を待った。
「私の名前は藍青。独立を夢見てやって来た」
右側に座った和装の男はそう自己紹介した。
やや痩せ気味ながら、キツネらしい面長の顔立ちだ。
「私は紺青。こちらの藍青と共にキツネの国から来た」
勝手に自己紹介した和装のふたり。
紺青と名乗った方は藍青よりもやや背が低かった。
「おめーら……双子か?」
トラの国から来たと言うヒトの男はそう言った。
そして、やや間を開け『俺の名はシャグだ』と名乗った。
「左様です。ただ、母は違いますがね」
と、紺青は笑いながら言った。
そして、藍青は何とも掴み所の無い不愉快な表情になっていった。
「私は紺青の影ですよ……」
影……
それが何を意味するのかは解らない。
ただ、少なくとも余り良い意味では無さそうだ。
キツネの国と言えば、イヌとは違う意味で魔法の研究が進んでいる国。
いや、国という表現もおかしく、本来はもっと緩やかな連合体の筈だ。
実力のある者がその種族を束ねるのは何処の種族国家でも同じ事。
だが、他国と違うキツネの国には厳然たる掟が1つ存在する。
それは、『キツネ全体の利益』という解釈だ。
ル・ガル東方地域にてイヌと争ってきたキツネは、常に滅亡の危機にあった。
その関係で、種族国家という枠組み以前に、まず種の保存が最優先されていた。
また、キツネを滅亡させない為、時にはズバッと同胞を切り捨てた。
全体の中で大のために小を切り捨てる……
それは、口で言う程生易しい問題では無い。
キツネにはキツネの美学が有り、社会通念として保持されるものがある。
一言では表現出来ないその共通理念とは、つまり、死者を讃える文化だった。
「……つまり、身代わりになると?」
ネコの国から来た覚醒者は怪訝な声で言った。
それは、ネコのの文化から最も遠い概念だからだ。
奔放で自由を愛するネコは、誰かを束縛する事やされる事を極端に嫌う。
例えそれが、自分1人の犠牲で一族全体が助かる様な場面でも……だ。
そしてもっと言えば、そんな土壇場に入る方が悪い。
先を読んでとっとと逃げ出さない方が悪い。
逃げずに犠牲になるのはバカな奴。
そんなスタンスだった。
「まぁ、時と場合に因りますが……ね」
藍青は含みのあるような言葉を吐いて黙った。
それを見て取った紺青は、ネコの国から来た男をジッと見た。
「私はクアル。ネコの国で造られた魔法生物だ」
「えぇ、もちろん知っています。イヌの王が造った魔法薬で産まれたのでしょ?」
紺青の言葉には親しげな色が混ざった。
何を企んでいるのか?と全員が怪訝な顔になっているのだが……
「この場にいる我等は皆、イヌの王が造った魔法薬により産まれて来た生物兵器ですよ。それは解っています。まぁ、私と藍青の場合は更にもう一段の魔法作用を得ていますが、それは今は関係無い」
紺青の言葉が終わると同時、藍青が言葉を継いで喋り始めた。
息の合った姿は打ち合わせでもしてあったのかと訝しがれるレベルだ。
「ここで重要なのは我々が全てヒトの血を引いていると言う事。そして、この街の守護者もまた同じ存在です。故に我等は協力し合い、ヒトの住める場所を造らねばなりません」
藍青の言葉が終わる前、トラの国から来たシャグがハッと笑った。
相手を小馬鹿にするような笑い声に、藍青の表情が曇る。
だが、シャグはさも『くだらねぇ』と言わんばかりに笑っている。
そしてその笑みが消え、ボソリと言った。
「戦って奪いとらねぇ限り……居場所なんてものは造れねぇんだよ……」