表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
306/665

報道という暴力

新聞記者は戦争を始めることができる。

意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。

ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある

            ~イビチャ・オシム


 静まりかえった室内に重い溜息が漏れた。

 誰もが身動きひとつせず、黙って言葉を待っていた。


 ガルディブルク城上部。

 太陽王を交えたカリオン政権による閣議の最中なのだが……


「まぁ……言いたい放題だな」


 自嘲気味にそう言ったカリオンは、忌々しげに新聞をテーブルへと投げ捨てた。

 帝國日報の1面見出しには容赦無い言葉が並んでいた。


 ――――武装集団の痕跡発見出来ず


 それは帝國日報の特派員による現地検証の記事だった。

 最初に武装勢力と遭遇したあの業病山の中腹付近へ記者が出張ったのだ。


 片道10日を越える距離だが、新聞社は総力取材をぶち上げている。

 乗合馬車を乗り継ぎ、最後は徒歩で業病山へと向かったらしい。

 だが、カリオンの命により閉鎖された業病山は、既に野へと還っていた。


 大自然の旺盛な回復力は、閉ざされた山里から痕跡を消し去っている。

 およそ30年の年月は伊達では無いのだ。


 ――――私は現地をつぶさに歩いた

 ――――胸突き八丁の険しい斜面には微かな踏み跡があった

 ――――そしてそこを登りきると広場に出た


 ……あぁ あそこか


 まだ若かった頃、あの坂道を登ったっけか。

 そんな回想にしばし耽るカリオン。

 だが、続く言葉に再び表情を暗くした。


 ――――不自然な平場と古い踏み跡が鮮明に残ってる

 ――――だがこれは杣人のものかも知れない

 ――――或いは古い時代の炭焼き跡かも知れない


 精細なイラストが添えられた記事は段々とその論調を厳しくしていた。

 ただ、実際に現地へ立ったカリオンとウォークは、失笑せざるを得ない。

 なぜなら、そのイラストの描かれた景色に見覚えが無いからだ。


 ――――少なくとも業病の者達が死を待つ場だったとは到底信じられない

 ――――粗末な掘っ立て小屋程度ですら痕跡が無い

 ――――先の接見で王は言われた

 ――――閉鎖せよとは命じたが破壊せよと言った覚えは無いと

 ――――ではこれはどう解釈すれば良いのだろうか


「しかし……」

「あぁ」


 ウォークは渋い表情で新聞を眺め、カリオンは呆れた表情だった。

 紙面に躍る文字は最終的に国民を煽る文言ばかりが並んでいた。


 ――――イヌは信義を最も重要とする

 ――――それはこのル・ガルの根幹と言って良い事だ

 ――――しかしこれは一体なんなのだ?と記者は考えた

 ――――太陽王の言葉を疑うつもりは無い

 ――――ただ万全に信じるには余りにもおかしい

 ――――国民が知るべきでは無い事があるのは重々理解している

 ――――ならばせめて……


「もっと情報公開しろと言う事か」


 散々と『丁寧な説明』だの『納得出来る説明』だのとマスコミは煽ってきた。

 実際、事実と違う点はあれど、武装集団の話は真実だ。

 つまり……


「情報操作とはこういう事を言うんですなぁ……」


 重い口ぶりでドレイクが漏らした。

 人口に膾炙する通り、事実は1つでも真実は人の数だけ存在する。

 同じ情報をどう受け取るかで解釈が違うのだから、これはもう仕方が無い。


 ただ、現状のマスコミが行っているのは、太陽王を疑う様に仕向けることだ。

 そこには明確な悪意が見え隠れしているのをカリオンは解っていた。


 このル・ガルの中の誰かが牙を剥いている……


 それが夜盗鼠賊の類いであれば掃討すれば良い。

 王に剣を向ける不埒な貴族であれば容赦無く粛正すれば良い。

 国民の中に出来た結社組織の類いであれば、構うこと無く摘発するまで。


 だが、この敵はカリオンにもどうしようも無い。

 つまりそれは、ル・ガル国民そのものなのだ。


「全てを公開せよと言っても、これ以上何を言えば良いのだろうな」


 腕を組んで考え込んだカリオンは厳しい表情のままだ。

 全身に不機嫌な空気を纏わせ、誰も声を掛けづらい空気だ。


「陛下。とりあえずお茶にしましょう」


 それを察したウォークは、それとなく助け船を出した。

 カリオンはそれが気遣いだとすぐに気が付き、表情を緩める。


「あぁ。考えすぎても始まらんしな」


 室内の空気がやや弛み、閣僚はホッと胸をなで下ろす。

 だが、その十日後には更なる激震が王府を襲うのだった。











 ――――――――帝國歴392年 5月 2日 早朝

           ガルディブルク城 カリオン居室











「いよいよ追い込まれてきたな。どう思う?」


 カリオンは楽しそうな声でそう言った。

 新聞を見ながら笑みなど浮かべていた。


「笑い事ではありません陛下」

「あぁ。勿論だ。だが……これを見ろ」


 帝國日報の紙面は王都郊外の療養施設について詳細報をあげていた。

 業病山から業病者を降ろし、安らかな死を迎えさせるために作った施設だ。

 合わせて、その病についても研究を開始し、今では一定の結果が出ていた。

 完治は難しくとも病態の緩和はだいぶ成功したのだ。


 ただ、この施設について論ずる新聞紙面は余り宜しくない論調だった。

 業病を患った者でル・ガルへの貢献大の患者にはエリクサーが試される。

 類い希な才能を持つ者や国家への貢献が大きかった者などだ。


 しかし、帝國日報はこれを不平等と報じた。

 それはル・ガル社会に投げられた小さな石かも知れない。

 だが、王の覚えめでたき者や王の友人は優遇されると書き立てた。


 そして、そんな施設の中で金持ちの患者が事件を起こした。

『私は太陽王がご幼少の砌からの知古ぞ!』と言いだし、特別待遇を求めたのだ。

 その根拠は、以前ちょっとした仕事で帝后サンドラに収めた件の謝礼だった。


 ――――ますますのご発展をお祈りいたします


 そんな紋切り型の挨拶文を使い、精一杯自分を大きく見せた。

 成り上がり者に見られる虚勢や権勢欲の発露かも知れない。

 しかし、命が掛かってる時には、人は何でもやるものだった。


 ――――このル・ガルに産まれたイヌは全て太陽王の元に平等である

 ――――だが、その国民を太陽王が選別しているとしたら大問題だ

 ――――王府報道官はこの3週間沈黙を保っている

 ――――都合の悪い事でなければ説明がある筈なのにだ

 ――――意図的な沈黙だとしたら王による国民への裏切りと言えよう

 ――――仮定の話を持ち出すことは報道にとって自殺行為と言える

 ――――しかし、3週間に亘る沈黙は論議を呼びそうだ


「論議して問題にして欲しいって事ですな」


 ウォークも呆れ果てるしか無い状況だが、本当に拙いのは国民の声だ。

 社会の中には一定数で思考能力の弱い者が居て、悪い事にそれは増えるのだ。


 彼等は時に自分で考えることを放棄し、報道を鵜呑みにしてしまう。

 ちょっと考えれば解りそうなトリックですら、バカ正直に信じてしまう。


 そしてこの場合、国民は従来から行われてきた太陽王への報道に染まっていた。

 悪とは書かないがネガティブな報道を延々と行って下地が出来ていたのだ。

 無条件に信じる者や信じてはいるが眉唾な層は二割も居なかった。


 どちらかと言えば不信に思っている。

 或いは、悪し様に言いたくは無いが信じられない。

 そんな層が半分以上を占めていた。


 そして、そもそもマダラは信用ならん!

 マダラに産まれた時点で、何があっても信用しない。

 そんな強硬な態度を持つ者も一定数居た。


 総じて言えば、社会の7割以上が太陽王への不信を深めていた。

 報道機関にしてみれば、面白いように新聞が売れるウハウハな事態。

 それだけに、もはや穏やかな論調では無くなっていた。


 誹謗中傷レベルの言いがかりがはびこり、王は出てこいと記事は結ぶ。

 論議を呼びそうなどと言う表現は、詰まるところ社会が問題にしてくれと同義。

 その結果として自分達の商売が栄えるのだから、痛む腹は何処にも無い。


 国民が納得しない説明をする王が悪いのであって、自分達は悪くない。

 それで国が傾こうが国民生活が悪くなろうが、一切関係無いのだった。


「さて……」


 うっすらと延びた無精髭を摩りながらカリオンは思案した。

 この報道機関の過熱ぶりの舞台裏を……だ。


「誰が糸引いているのかを確かめたいものだな」

「おおかた見当は付いていますが」

「ほぉ……」


 ニヤリと笑ったカリオンは、スイッとウォークを指さした。


「やはり、フェザーストーンとメッツェルダーか?」


 思えばあのふたりは、以前より明らかにおかしい点があった。

 彼等に都合の良い方向に社会が転がされているのだ。


「先の業病山の件ですが、フェザーストーン卿より詳細な位置の問い合わせが来ていましたので、地理院地図を添えて説明したのですが……」


 あぁ……


 フェザーストーンの書いた画がカリオンにも理解出来た。

 場所を記者に教え、その路銀を支援したのだろう。

 子爵級とはいえ貴族扱いなのだから、街道馬車にも優先権がある。


 貴族特権のいくつかを使い、記者に移動の便宜をはかったのかも知れない。

 そして、そんな記者達にそっと耳打ちしておくのだ。


 王の説明ではこうだったがワシはこう思う……と。

 それを言って確かめてきてくれんか。ワシはもう歳じゃでのぉ……と。


 事前情報として耳に入った件は、どうしたって情報バイアスに繋がる。

 結果、記者達はフェザーストーンに都合の良い記事を書くようになる。


 最初はそれだけで良いのだ。


 あとはもう坂道を転がる岩のようなもの。

 若しくは、雪面を転がり落ちる雪玉だ。


 岩は岩にぶつかり、乗数算的に岩を増やしていく。

 雪玉は斜面の雪をまとい、どんどん大きくなる。


 結果、王都の新聞社全てが批判的な記事を書くに至った。

 どこの社でも競うように酷い論調を並べていた。


「何とも……気疲れするな……」


 溜息混じりに零したカリオン。

 フェザーストーンが行っているのはただの遊びだろう。


 だが、世が世なら太陽王の座に就いたかも知れない男だ。

 叔母であるシャイラが言ったように、運命の悪戯があったなら……


「いずれにせよ。もう一度くらいは謁見されますか?」


 ウォークは解決するにはそれしか無いと踏んでいた。

 報道各社の情報を否定し、そこで何を行ったのかを詳らかにする。

 こんがらがった不信の糸を1本ずつ解いていく地道な作業だ。


 労多く疲れるばかりかもしれない。

 報道各社はムキになって酷い論調を書き立てるかも知れない。

 しかし、ここで本当に問題なのは、国民に語りかける事だった。


 それこそが問題解決の筋道として唯一の正解だった。


「謁見し説明したとして……納得するか?」

「それは解りませんが」

「だろ? なら、ほっとくのが良いだろうな」

「しかし……」


 喰い下がったウォークに手を翳し、待ての指示だ。

 素直に従って口を噤んだウォークだが、カリオンは笑うばかりだ。


「……もはや手遅れかも知れんし、いっそ退位でもしてしまうか」


 カリオンは冗談のつもりでそれを言った。

 だが、ウォークはサッと表情を硬くしていった。


「冗談でもやめて下さい。ガルムやエルムはどうするんですか――」


 硬い表情でウォークは言った。

 その顔には精一杯の抗議の色があった。


「――それに、リリス様の件も……」


 流石にそれ以上の言葉は無かったが、それでも充分にカリオンの胸を叩いた。

 冗談の笑みをだったはずだが、今は安心を与える笑みに変わったカリオン。

 椅子から立ち上がると、ウォークの肩をポンと叩きバルコニーへと出た。


 降り注ぐ青い光に目を細め、城下の様子を眺めながら言った。


「そうだな。今は背負ってるものが多すぎる。軽はずみに言う事では無いものだった。スマンな」


 見慣れている筈の、あの威風堂々としたカリオンの姿が無い……

 心なしか窶れ痩せて見えたウォークは、自分の目を疑った。


 ――――気のせいだ……

 ――――気のせい……


 内心でそう言い聞かせ、ウォークは資料を整える。

 だが、その指先が微かに震えているのだけは、どうしても誤魔化せなかった。


 …………ル・ガルが終わるかも知れない


 そんな恐怖を、ウォークは感じ始めるのだった。










 ル・ガル帝國興亡記


 <中年期 憎しみと苦しみの螺旋>の章






 ―了―






 <中年期 信義無き世に咲く花を求めて>へと続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ