アージン衛星貴族の宴(前編)
ガルディブルク城、小広間。
本来ここは城内で行われる平民議会などの打ち合わせに使われる施設だ。
300年の年月を数える城だが、そもそもは武具庫として設置されたらしい。
さほど広くは無い部屋だが、それでも城の広間と名が付く以上はそれなりだ。
普段であれば広い事務机などを並べ、庶民の為の施設として使われる。
だがこの日、この小ホールは華やいだ空気に包まれていた。
窓辺からは朗らかな声が流れ、室内には軽食とお茶が用意されていた。
王の庭ほどでは無いが、それでも視界良く見晴らし出来る環境なのだ。
「ほぉ~」
楽しそうな声を上げたのは、先々帝シュサの一番下の弟だ。
イン・チャート・オヴェット公
生来病弱な身体故に最初から王位継承権を与えられなかった存在だ。
事実上の潰れ屋だったオヴェット家に送り込まれ、子爵位に列せられている。
元々は軍の測量部隊で技師を務めていた男に与えられた子爵位。
しかし、その当主はシュサ帝の率いた北伐で呆気なく戦死してしまった。
残された妻子らの生活が問題になった時、シュサは末の弟を送り込んだ。
そして、王立国土地理院を立ち上げ、定期的に国土測量を命じたのだ。
インはそんな組織の総裁を務め、国内における地図製作の元締めとなった。
残されていた遺児の成人を待ってオヴェット未亡人と結婚する算段だった。
だが、ノーリの定めたアージン一門の掟は絶対だ。
結局、インはオヴェットの名を継いだが、未亡人とは遂に結婚しなかった。
そしてそれは、公式には嫡子無しという扱いなのだ。
なぜなら、夫婦と認められていない男女の間の子は庶子扱いとなる。
つまり、継承権など一切存在しない根無し草扱いだった。
そしてその庶子も別の当主不在子爵家を継ぎ、別の家となった。
未亡人も既に亡く、オヴェット卿は寂しい老後を過ごしていた。
「これはこれは、何とも素晴らしい眺めですな」
そんなオヴェットの話相手になっているのはソーク家の当主だ。
キーロ・サチスタ・ソーク
トゥリが気まぐれで手を付けた娘の産んだ子は、文字通り望まれない子だった。
だが、トゥリは母子共々に城へと引き入れ、女官としての待遇を与えた。
そんな環境で育った男子もやがて成人し、軍の工兵科へと進んでいた。
キーロと名付けられたその子は強い体躯を持った血統だったらしい。
母サチの名をミドルネームにし、ソーク家で土工に従事した。
現在の役職は、ル・ガル全土の農業水路を維持管理する水路組合の首席だ。
水を巡って争う農夫達の諍いを仲裁し、農事の円滑な発展を援助している。
どんな時代でも世界でも、国家を支えるもっとも重要な柱は農事なのだ。
その重要な柱を支える大切なポジション。
水争いは命のやり取りに繋がり、市町村単位から民族や国家にまで発展する。
場合によっては国家存亡の危機となり、民族滅亡に直結している。
そんな難しい立場にあって、太陽王の血縁という肩書きは最強の説得力だ。
キーロは大小様々な訴訟案件を処理し、王府からも信任厚い存在だった。
「太陽王の座所とは斯様な高みだったのか……」
チャート卿の漏らした言葉は、何処までも素直な感嘆だった。
二人ともある意味で不遇な生涯となったのだろう。
だが、それを補って余りある強大な権力を手にしていた。
ある意味、地域を支配する公爵ですらも筋を通さねばならない存在だ。
太陽王にはなれなかったが、その近くに居て公爵家に『意見』出来るのだ。
それが歴代太陽王とその側近達の深謀遠慮と言えばそれまでなのだろう。
だが、王家に連なる血を持ちながら、平民として暮らさざるを得ない彼らだ。
「結構結構。大変結構ですな」
キーロ・サチスタも上機嫌で果物などを摘まんでいる。
郊外の官設アパートに暮らす彼にしてみれば、めったに登城の機会など無い。
だが、今日は王に連なる子爵として恥ずかしくない正装で登城してきた。
普段なら城下を歩く存在が、わざわざ迎えの馬車を寄こされたのだ。
何とも胸のすくような、鼻の高い心境に胸躍る扱いだ。
――――どうせ碌な事じゃ無い
ここに来て太陽王カリオンの召集が行われた。
それは、まず間違いなく難しい問題であり、また、面倒な事だ。
少なくともアージン本家筋で処理しきれないか、難しい事なのだろう。
何処かの子爵家が面倒を押し付けられ取り潰しにあうかも知れない。
現状のル・ガルでは貴族家が多すぎると問題になっているのだ。
――――王府は弱小貴族の統廃合を検討しているらしい
誰とは言わず、そんな不穏な噂が貴族階級の中を駆け巡っている。
見えないプレッシャーを感じつつ集まったアージン衛星貴族諸家の当主たち。
彼等は焼け付くような焦燥感を覚えつつ、主役の登場を待った。
どれ程望んでも手の届かなかった、太陽王という肩書きを持つ男を……だ。
――――――――帝國歴392年 4月 5日 午前
ガルディブルク城 小ホール
僅かな物音と共にドアが開き、最初に入ってきたのは王の側近だった。
今では誰もが知るカリオン政権中枢の中枢で、ほぼ全ての差配を行える男。
ウォーク・グリーンだった。
「皆様、ご多忙の中をわざわざの御登城、お疲れさまでございます。間もなく王がお見えになります。お待たせして申し訳ありません」
左手を胸に添え、恭しく頭を下げてウォークはそう言った。
たかが子爵と侮ってはいけない面々がここに居るのだ。
アージン周辺貴族家に集合を命じる書状は、太陽王自らが一枚ずつ書いていた。
王直筆のその書状は、このウォークが一軒ずつ訊ね歩き、直接手渡したのだ。
――――王はさる案件で懊悩されております
――――皆様方の知恵を募りたいのでは無いかと予想しております
彼等の自尊心をくすぐるような言葉を付け添え、ウォークは各家を歩いた。
王府所属の全官房に睨みを効かせる最強の懐刀がそれを行ったのだ。
当然、王の血筋に連なる各家の当主は皆一様に満足を覚えた。
そして、何らかの運命の巡り合わせで、自分がそれを行った可能性を思った。
世が世なら、自分が太陽王だったのかも知れない……
そこらの貴族や庶民などでは考えもしない偶然の奇跡の成せる技。
だが、可能性としては公爵五家の当主よりも遙かに高い筈だ。
『委細承知した。王に宜しく伝えてくれ』
その言葉を持って帰ったウォークは、感触良好を伝えていた。
カリオンはその言葉を元にあれこれと思索を巡らせ、ストーリーを練った。
アージンの血を引く者達の自尊心をくすぐり、手伝いたいと思わせる術だ。
リリスやサンドラを交え、時にはジョニーやアレックスにも話を聞いた。
そして、練りに練ったストーリーを胸に、カリオンはやって来た。
沸き起こる拍手に手を上げて答えつつ、小ホールへと入った。
「やぁ、皆さん。わざわざ呼びつけて申し訳ありません」
彼等はカリオンにとって伯父や叔父に当たる存在だ。
そこを配慮し敢えて柔らかな言葉を使ったカリオン。
若輩者が分不相応の重責を背負ったと散々言われた日々を思い出す。
だが、逆に言えばそれは無言のプレッシャーとなって彼等を襲った。
太陽王はその肩書きを降ろし、あくまで一門当主として振る舞っている。
つまりそれは、主君らもアージンだと言外に伝えたに等しい。
帝國歴306年の産まれな太陽王は、まだ100にも為ってない若い存在だ。
だが、この部屋にやって来たカリオン王は、酷く窶れ年老いて見えた。
太陽王という重責がのし掛かり、3倍の速度で老いていると誰もが思った。
「なんだなんだ。随分と他人行儀では無いか。一体何があったんだ?」
明るい調子で切り返したのはローズバーグ家を預かるカチン卿だ。
相変わらず仲の良いミューゼル家のモサ・フラス卿とワインなどを舐めていた。
「何でも遠慮無く相談してくれる方が年寄りは楽しいがのぉ」
フォフォフォと笑いながらフラス卿はチーズを囓った。
共にシュサと直接の兄弟だったので、カリオンは孫世代だった。
そして、そこにズザ・ノエル・フェザーストーンが口を挟む。
「ワシ等にしてみれば可愛い孫だ。シュサ兄の目は確かだったが、少々不幸じゃで手を伸ばさねばの。あの世で目を光らす兄に合わす顔が無い」
不遇の生涯を送ったはずの面々だが、その表情は明るかった。
カリオンの代になり、ル・ガルは大きく発展している。
その恩恵がこの一門にも福音をもたらしているのだった。
「とりあえず話を承らなければな。我々も多忙だが、太陽王はもっと多忙の筈」
固い調子でそう言ったのは、造兵敞を預かるメッツェルダー公だ。
キザ・サイモン卿は本来であれば庶子扱いで、この場にも入れないはずだった。
だが、シュサ帝の気まぐれで掴んだ幸運をキザは自力で切り開いてきた。
造兵敞というポジションにあって、各軍団の主計から心付けを集めているのだ。
騎兵や歩兵の持つ武具と防具はキザの管轄下にある。
遠征や出征だけでなく、演習や訓練ともなれば、それなりに造兵敞は忙しい。
そんな現場で数々の配慮を繰り返してきたキザの努力は凄まじかった。
ある意味、ル・ガル国軍の首を最も掴んでいるのはこの男かも知れない。
この場にいた誰もがそう思った。
そして、その言葉の端々に見える悔しさをも感じ取った……
「そう言ってくれるのはありがたい。まぁ、とりあえず資料を見て頂こう」
カリオンは僅かな仕草でウォークに指示を出した。
ウォークは手下に命じ、幾枚かのレポートを全員に配る。
表紙には部外秘と赤く書かれていて、他言無用を念押ししていた。
「その資料を読みながら聞いて頂きたい。本家筋のみに口伝で伝わってきた重要な話だ。決して……他言しないようにお願いしたい。場合によってはル・ガル自体が崩壊しかねない」
念入りに釘を刺したカリオンは、僅かに黙って間を開けた。
全員が一心不乱に資料を読む中で、カリオンとウォークは目が合った。
――――やりましょう!
ウォークの目にギラギラとした光が見える。
ここに集まった子爵達は、貪る様に資料を読んでいた。
「今を去る事150年前。まだ私が産まれる前の話なので、私がそれを確かめる術は無いのですが――」
そう切り出したカリオンは、全員の反応を見た。
ピクピクと耳だけが反応しているのを見れば、話は聞かれているらしかった。
「――祖父シュサはある所でヒトの女性を保護したそうです。そも、この城にあった王の後宮は、シュサがその女を匿うために作られた所だったと叔父ノダ公から聞かされました。だがそれは、とんでも無い軛の始まりだったのです」
カリオンはやや声音を落とし、重い口調で話を続けた。
「私が産まれた凡そ90年前、ル・ガル北部シウニノンチュの近くにヒトの男が1人、向こうの世界から落ちて来ました。その男の名はワタラセ。皆さんも良く知っている通り、後にゼルの振りをする事になるヒトの男です」
その言葉に各所から『あぁ』とか『そういえば……』と声が漏れる。
ゼルが河原で死ぬ頃には、もうル・ガルの上層階級では有名人だった。
ヒトの世界から落ちて来たとんでも無い存在。
イヌの騎兵を率い、常勝無敗の存在となった男だ。
「ワタラセは父ゼルと瓜二つの姿だったため、私は父が2人いる環境で育ちましたが、その中で多くの教えを受けました。もはや説明不要でしょうが――」
意図的に間を開けて話を続けるスタイルは、完全にゼル譲りだ。
その巧みな操話術により、幾人ものイヌが丸め込まれてきた。
「――ヒトの世界は我々よりも数段進んだ文明を持っているようです。社会制度や様々な技術的進化が認められます。ワタラセは言いました、ヒトの寿命は長くて80年。普通は50年が関の山。世代交代の回転が速いので進歩も早いと」
それは概ね間違いがない事を全員が知っていた。
何故なら、イヌよりも遙かに長寿なネコは、その手の発展が異常に遅いのだ。
世代交代という荒波を前に、彼等は必死で何かを残そうと努力してきた。
その結果、ヒトの世界はこの世界よりも数段進んだ社会だった。
悔しく口惜しいが、それは認めざるを得なかった。
「そして、それに気付いたネコは、我々よりも早くヒトの世界の進んだ戦術や戦略と言った軍事的な事象を吸収し始めました。その結果が私を可愛がってくれたシュサ帝の死に繋がるわけですが――」
シュサ帝死去に至る課程は、ル・ガル内部でもはや常識レベルで広まっていた。
旧態依然とした軍の戦術がシュサを殺した。いや、見殺しにした……と。
その痛切な自責の念が軍の抜本的な組織改編に繋がっていた。
「――これは恐らく……皆さんが初めて耳にする事でしょうけど」
カリオンの言葉に全員が顔を上げた。
資料を一心不乱に読んでいた面々の眼差しは真剣だった。
その眼差しの強さに満足したカリオンは、やや低い声で言った。
「シュサはある密約を交わしていました。それは――とあるヒトとの密約です」
全員がその言葉に『は?』とでも言わんばかりの表情となった。
この子爵達の集まりにも内緒で太陽王シュサが密約を交わした。
それは、ある意味で明確な裏切り行為だった。
だが、逆に言えば太陽王の専権事項を遂行したとも言えることだ。
そもそも、子爵の集まった衛星貴族の立場は、ある意味で王のお情けだからだ。
「……で、一体それは?」
期待していた通りに質問の声が上がった。
クラノカ・カシャ・ヘルメスベルグ子爵
軍馬育成の専門集団を預かるヘルメスベルグ家の当主。
そして、シュサの異母兄で、軍役についての相談相手。
ある意味、一番喰い付いて欲しい存在が一本釣りで釣れた状態だった。