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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
中年期~憎しみと苦しみの螺旋
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世論という難敵(後編)

~承前






 重い沈黙が続いた後、カリオンはポツリと漏らした。


「疑惑は深まった……か」


 フッと鼻で笑ってソファーへ身を沈める。

 彫像の様なその姿に、ハリは言葉が無かった。


 この国を、ル・ガルを差配する頂点の存在。

 そしてそれは、この世界を支配する絶対的な存在。

 明晰な頭脳と強い体躯とで世界を俯瞰する存在。


 そんなイメージでカリオンを見ていたハリ。


 だが、いま目の前で豪華なソファーに身を沈める男はどうだ。

 不機嫌そうに眉根を寄せ、顎に手を添えて沈思黙考している。


 ――――何も言っちゃいけないんだ……


 まだ城勤めの浅いハリだが、それでもこの場の空気を読む事は出来た。

 太陽王とその従者は、猛烈な速度で無言の会話をしているのだ。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい世の中の流れにほとほと辟易としているのだろう。


 だが、その核心は無責任な報道に踊らされる愚かな国民だと気付いた。

 そして悪い事に一握りの存在は、それを知っていて認めないのだろう。

 己が愚かである事を気が付いた者は自然と口を噤むもの。


 最初は沸き立った国内世論が沈静化するにつれ、声高に叫ぶ者は先鋭化する。

 己の無知蒙昧さを隠すために、声高に叫び続けるしか無いのだ。

 それを窘める者達にあらん限りの罵倒語を浴びせかけながら。


「……ただ」

「ただ?」

「手の者による城下の世論を見ますに――」


 ウォークは懐からメモ書きを取りだして検めた。

 そこに並ぶ文言は、王府の情報機関が集めた国民の言葉だ。


 マスコミによるフィルターの掛かった、彼等に都合の良い言葉では無い。

 街の酒場や商店街や、そう言った市井の人々が集まる場で集めた声だった。


「――最初は沸き立った世論も今は沈静化しています」

「そうか……」


 基本的に報道各社も商売なのだ。

 どんなに高尚な理念を掲げたとて、その記事その紙面が売ることが本義だ。

 故に報道機関の編集部は、国民の目をひこうとヘッドラインに気を配る。


 少しでも関心を惹き、手を伸ばしてその新聞が売れるようにしなければ。

 国民が『知りたい!』と願うようにしなければ、意味がない。

 そしてそれは、多少の勇み足をも彼等自身が許容してしまう。


 だが、やがて国民はそれに飽きてしまい手を伸ばさなくなる。

 そうなった時、報道各社は更に酷い言葉を使う事になる。

 煽り文句の常套手段は『新事実発見』だった。


「良し悪し両面の言葉がありますが、総じて言えば……市民の側はいい加減にして欲しいという空気のようですね」


 各家への朝刊配達が無いガルディブルクの街では、街角の立売が販売の全て。

 その為、見やすい紙面とキャッチーなヘッドラインが重要だ。


 しかし、そこにどんな文言を並べても、新聞の売り上げは微減傾向だった。

 工業的な紙の生産がまだまだ貧弱なこの世界では、紙は重要な戦略物資なのだ。

 それ故に各社は発行量報告の義務がある。


 王府はその発行量を見ながら、報道各社の浸透を慎重に量っている状態だった。


 つまり、新聞に手を伸ばす人が減り、売り上げが下がれば、発行量もおちる。

 そもそも紙は高価なもので、余裕を持った仕入れなど出来るものでは無い。

 故に各社は売れるギリギリの量を狙って印刷するのだ。

 巨大輪転機のようなものは無く、文字通り瓦版印刷程度のものをだ。


「つまり、買うのは余の存在を苦々しく思ってる側と言う事か」

「その通りです」


 新聞もビジネスである以上は、顧客の求める物を売るのが基本だ。

 それが無ければ生活出来ないのであれば我慢しても買うもの。

 だが、無くとも何も困らないのであれば、興味を失えば買わなくなる。


 つまり、現状では勝手に盛り上がったバカだけが新聞を買う。

 自分の間違いや認識の誤りを認められないバカだけが……だ。


「疑惑は深まった……か」


 もう一度ポツリと呟き、カリオンは苦笑いだった。

 国民の為に働き、最前線で槍を振るい、困難を幾つも解決してきたはずだった。

 父を待つ子や妻のために戦を減らす努力をしてきた筈なのに……


「ままならぬものだな。王という仕事は」


 深い溜息をこぼしながら、カリオンはそう吐き捨てた。

 立派な体躯が萎んだように見え、ハリは驚いた。


 世界を統べる太陽王と言えど、恐れや迷いの中で必死に戦っているのだ。

 森羅万象の全てを思うがままに差配できるなどと思っていた自分を恥じた。


「とりあえずは事態の経過を見守るのが肝要かと」

「そうだな……」


 僅かの間を思考に費やし、カリオンは頭を上げてウォークを見た。


「次の定例会見には余も出席する」

「……はい?」

「勝負に出よう」


 クククと悪い笑みを浮かべたカリオンは、顎を引いた三白眼で言った。


「報道各社の思惑を粉砕してやろうじゃ無いか」


 実際の話をすれば、後ろめたい部分が無い訳じゃない。

 リリスを救うために無茶をしたし、その為に国土が荒れる事に目を瞑った。


 それをして国民への裏切りと言うなら、それは一切の言い逃れが通用しない。

 また、カリオン自身がそれをするつもりもない事だから。


 しかし、後ろめたい部分があっても、口汚く罵って良いという事ではない。

 如何なる事にも功罪両面あって然りなのを、大人なら知っている筈なのだ。


「さて、誰が裏で糸引いているのか……」


 悪い笑みを浮かべたカリオンは揉み手をしながら身を起こした。

 ソファーの上に寛ぐ姿は、間違いなく世界の王だ。


「……その件ですが――」


 言いにくい事を切り出すように、ウォークは言葉を選んで言った。

 やや低めの声は、ウォークが自分の手に余す案件を話す時の癖だった。


 相当言いにくい事かとカリオンも身構えるのだが……


「――実は学術同人の集まりの中に強硬論者が散見されます」

「学術同人?」


 学術同人とは王都の中に存在する、言わば高階層向けのサロンだ。

 高級貴族のなかで引退した者や隙をもて余す者などが集まっている。


 彼らは子爵階級や平民階級の研究者を集めパトロンとして振る舞っていた。

 ただ、その研究がパトロンの意向に振り回されることは言うまでもない。


 高級貴族が王都の論壇で自説を唱える為の、いわば裏支えだ。

 政策上の重要案件だったり、或いは様々な戦略的投資への支持集めだったり。

 時には王府の発布した政策方針に関して、公然と異を唱える為のケースもある。


 かつて国内法の整備に邁進した2代目太陽王トゥリ帝が始めた頭脳集約政策。

 その残滓も今となっては、パトロンと言うスポンサーの幇間持ちだった。


「えぇ。最近では血統と家系の総合研究とか言う集団が幅を効かせています」


 ウォークの言った言葉に焦眉を開き『ほぉ……』とカリオンは応えた。

 血統と家系と言えば、ひと頃盛んにミューゼル家のモサ・フラスが口にした。

 そしてそれは、アージン大公家の本家筋に入れなかった傍流家の口癖だ。


「その最大の支援者は何処か解るか?」

「はい。それが――」


 改めてメモ帳を広げたウォークは、淡々とした顔で答えた。


「――主宰はフェザーストーン家のノエル公が就いているようですが、公の既にお歳のようなので、差配はメッツェルダー家のサイモン公が行っている様です」


 カリオンは言葉の代わりに溜息で応えた。

 メッツェルダー家とフェザーストーン家はシュサ帝直接の兄弟が継いだ家だ。


 ズザ・ノエル・フェザーストーン子爵。

 ノエル公は紅珊瑚海を走る交易船協会の首席理事を務めている。

 シュサと同じくトゥリ帝妃ヴェラの産んだ最後から二番目の息子だ。


 キザ・サイモン・メッツェルダー子爵。

 サイモン公はシュサが保護し後宮に入った女カレンの産んだ息子。

 没落貴族の隠し胤という女だったはずだが、貴族らしい姿とはほど遠かった。


 それでもシュサの血を継いだのだから、カリオンには叔父に当たる存在だ。

 アージン家を名乗れなかった為、公式には叔父でもなんでも無く、ただの親戚。

 しかし、カリオン即位の際、カウリとゼルの相談で公は造兵敞首席となった。


 つまり、軍の装備に関する様々な利権を一手に引き受けていた。

 ノダの世代で耐えてしまう各家に対する配慮と手当ての為だった。


「……軍内部で横に手を広げるには『うってつけですね』


 カリオンとウォークのイメージしたサイモンは、反王権派の首魁だ。

 そして、軍内部で不穏な空気を煽り、不信感を受け付けるポジション……


「情報収集を進めろ。場合によっては粛正する」

「畏まりました」


 カリオンの指示にウォークが応える。

 ただ、そうは言ってもカリオンの表情は晴れない。


「しかし……」


 その気掛かりの種はウォークもよく解っている。

 恐らく一番奥底で糸を引いているのはあのキツネだろう。

 だが、それに踊らされる者が余りに多いのだ。


 不安を煽り、疑心暗鬼にさせ、他人を疑わせて孤立させる。

 他人を信じられなくなった者が頼るのは強力のみとなる。

 その結果、同じような者達が集まり、徒党を組み、一大勢力となる。


 ただ、往々にしてその手の集団には相互信頼が欠如してしまうのだ。


「見事な手腕と褒めるしかありませんね」

「全くだ」

「所で……」


 ウォークはハリに見えないように足下を指さした。

 そのジェスチャーが意味する所は、地下に居るリリスの件だ。


「ご心配なさっているのでは?」

「あぁ。随分とな。だが――」


 クククと笑ったカリオンは、楽しそうに言った。


「――生憎と俺は随分と鍛えられていてな」


 太陽王が『余』では無く『俺』と表現した。

 僅かな違いだが、ハリはそれを理解した。

 個人と公人を使い分けているのだと気が付いたのだ。


 太陽王という外套を脱ぎ、1人の人間としてカリオンは言った。

 場数と経験を重ねた結果として、少々の事ではへこたれないと言う意味だ。


「そうですね。その通りです」

「よろしい。とりあえず手を進めてくれ。余は……」


 ソファーから立ち上がったカリオンは1つ伸びをしてから上着を羽織った。

 上等な衣装に身を包み無精髭の残る顎をさすりつつ、思慮を重ねていった。


「まずは大公家周辺貴族を召集するか」


 それは、過去に例の無い事だった。

 個別に相談の場を作る事はあっても、まとめて召集は無い事だ。


 周辺貴族家の子爵達は国家の重要なポジションに分散している。

 その子爵家の中で、頭1つ抜けている彼等は、一目置かれる存在だった。


「用向きはどうされます?」


 そう。召集するにしても大義名分が要る。

 ただ一言『出てこい』でお茶を飲むわけには行かないのだ。


 現状では報道各社の目が厳しいのだから、それなりに理由が要る。

 誰が聞いても『それは仕方が無い』と思わせるだけの何かだ。


「そうだな……」


 頭を捻って理由を考えたカリオンは、咄嗟に良い案が浮かばなかった。

 だが、ハッと気が付き顔を上げ、笑いながら言った。


「ここで茅街を公式に公開してしまおう」

「……大丈夫ですか?」

「上手く丸め込むと言う訳には行かないが、逆に言えば何とか出来れば良いのだ」


 カリオンはわずかに間を開け、脳内で絵図を描いた。

 上手くまとめて、茅街をル・ガルに組み込み、この先の布石とする。


「……出来れば検非違使も上手く公開したいですね」

「あぁ、そうだな。こうなると人間は現金な者だが――」


 スイッとウォークを指さし、カリオンはニヤリと悪い顔になった。


「――あの例の武装集団が何処かに現れて欲しいとすら思うよ」


 それはジョークでも歓迎しかねるものだ。

 如何なる戦力を持ってしても対抗出来ない武装集団なのだ。

 国家を預かる者にしてみれば、そこにいるだけで頭痛の種だった。


「……余り歓迎出来ませんがね」

「勿論だ。しかし、奴らがどんな存在かを示すには最も説得力があるし……」


 その時、カリオンはハッとした表情で遠くを見た。

 何かが何処かに繋がって1本の線になった状態だ。

 カリオンの脳内でガラガラと歯車が周り、カチッとはまって1つの形になった。


「そうか……こうしよう」


 カリオンの目に力が宿った。

 何かの確信を得た表情だ。


「あの武装集団はヒトの世界から来た施設団だと。この世界に落ちて来たヒトを回収するべく、盛んに研究を重ねていると。そして、ヒトを虐げた者が報復され幾人も死んだ結果、シュサ帝はヒトの保護を約束したのだ……と。どうだ?」


 ウォークは何度か首肯を返し、楽しそうに笑った。


「そうですね。悪くないと思います。もう少し肉付けが必要ですが、検討に値します。各所に現れた覚醒者のバケモノ情報を公開してしまって、説得力を持たせましょう」


 さすがだとカリオンは唸った。

 回転の良さと飲み込みの早さは昔からだ。


「あぁ。そうしてくれ」


 これで全て上手く行く。上手く収まる。カリオンはそう確信した。

 ただ、そうは問屋が卸さないと言う事を、カリオンはこれから知るのだった。

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