世論という難敵(前編)
~承前
それは、ただの言葉ではなく、人を傷つけ殺すための凶器だった……
「……………………ッチ」
小さく舌打ちしたウォークは、新聞を丁寧に畳ながら言った。
早刷りの朝刊はまだインクが乾いてない事もあり、アイロンを掛けるもの。
その新聞を読みながら、苛立ちを隠せなかったのだ。
「どいつもこいつも……勝手な事ばかり……」
多くの新聞の編集委員たちが一斉に書きたてたもの。
それは、王都の騒乱は太陽王の放漫な国内政策が生み出した帰結だと言うのだ。
そして、それらをごまかす為に太陽王は出任せを言っているのかも知れない。
そもそも、それほどの大事態を国民に知らせなかったのは裏切りに等しい。
ル・ガル三部会のうち平民で構成される衆議院に開示してない事も問題だ。
三部会の第一部会である枢密院の中で内々に処理しようとした。
しかし、それはもっとほかに重要な案件があるからじゃないのか。
国民の目をごまかし、上手く丸め込むためにそうしたのではないか。
どの新聞も同じような角度で疑惑の目を向けていた。
そも、王都を焼き払った魔法使いが城の中枢に居る。
国軍は暫時縮小を続けていて、編成を変えつつある。
長年争い続け、恨み骨髄なオオカミと和解和平を勧めている。
何より、普通の軍隊が対処出来ないヒトの化け物を従えている。
そんな数々の事象を縦に貫く糸は、国王の慢心と怠慢かも知れない。
国民を騙し、裏切り、ル・ガルを滅亡に導く暗愚の王かも知れない。
そうで無い事を祈る国民は多くあるのだが、新聞はそうは書かないもの。
報道と言う機関は、社会正義と秩序を守る組織などではない。
他の組織を圧倒する事で自社の売り上げを確保するビジネスなのだ。
そしてその結果、センセーショナルな見出しが飛び交う事になる。
他人を傷つける言葉であっても、それで売れるなら平気で使う。
紙面を埋める新たな情報がなければ隠し事があるのかも知れないと書き立てる。
『ある』とは言わず『あるかも知れない』と書き『論議を呼びそうだ』と煽る。
結果、国民はそれに踊らされ、頭の悪い愚か者から言葉尻に劇昂する様になる。
騙されてる。裏切られている。踊らされている。そんな言葉に反応するのだ。
そして、最終的にたどり着くのは、無実の者が生贄にされる凄惨な結末だ。
多くを納得させるために、無い事の証明を求められる。
その悪魔の証明は、バカな人間ほど『やれ』と求めるようになる。
賢い者は口をつぐみ、愚者は不可能を理解せず納得を求める。
納得出来ない自分の愚かさを認めえられないが故に、それを求めるのだった。
「……これはまだ陛下のお手元に上がってないな?」
小さく『はい』と応えた若いイヌは、鼻先までカラカラに乾いていた。
侍従長であり太陽王腹心の臣、そして、相国や丞相も遠慮する存在。
太陽王のもう一つの背中と呼ばれる存在が、本気で怒っているのだ。
氷のように固まった王府内部の侍従官達は指示を待った。
全てが縦の線で構成された城の内部は、軍並の指揮統率を基本としている。
つまり、『指示以外の事はしない』のが重要なのだった。
「……………………」
言葉に出来ない重い唸りを漏らし、ウォークは思案した。
そして、もう一度新聞を広げ、その見出しに目を走らせた。
4月に入って早くも1週間が経過した4月の8日。
この朝配られた朝刊の紙面は、ガルディブルク全紙が同じ論調だった。
何より、太陽王批判の急先鋒となった帝國日報は過激な論調だ。
先月より数回行った王府会見の中で、最後には太陽王が直接質問に応じた。
その全てで取り上げられた質問は、未知なる武装集団の中身だった。
王府による情報公開措置により、退役した国軍騎兵が幾人が紹介された。
彼等が口を揃えて言うのは、騎兵では太刀打ちできない存在だと言う事。
これは、言葉で説明の付かない未知なるものへの恐怖を孕んでいた。
――――それは一体どんな集団なのか?
多くの記者がそれを知りたがった。
出来れば体験したいと言う者すら居た。
ヒトの世界ならば映像による伝達が可能なのだろうが、ル・ガルには無理な話。
文字と挿絵と活談師や講談師による脚色を交えた物語調が精一杯だ。
だが……
「グリーン様」
城内の者達がグリーンと呼ぶウォークは、未だに平民の立場だった。
何処かの貴族家に入る事も無く、また妻も娶っていない。
公爵家のアチコチからウチの姪御を嫁に取れと話が来たが全て断った。
最初は何処かの利権化を防ぐ為だったが、今ではメンツの話になっている。
――――待たせるだけ待たせた太陽王の懐刀が取った嫁は○○家の女だ……
それだけでル・ガルの複雑重層化した貴族社会に新たな波紋を立てる。
なにより、それでまた太陽王カリオンの頭を使わせる事になる。
「どうした?」
ウォークを読んだのは、サンドラの手下にある女官の見習いだ。
灰色のエプロンを掛けるその娘にはイヌ耳が無かった。
「王陛下がお呼びです」
「そうか」
ウォークの胸程度までしか無い背丈のヒトの娘は、やたらと緊張していた。
まだ奉公へ上がって1週間足らずな茅街出身の少女は、名を玻璃と言った。
ヒデトが惚れたルリの妹、玻璃。
ハリはカリオンが直接召し上げ、城の女官に加わった。
「ごくろうさん」
ハリの頭を軽く撫でて、ウォークはカリオンの居室へと向かった。
まだ起床の時刻には早いが、それでも呼ばれた以上は向かわねばならない。
「よし。一緒においでハリ」
「はい」
ウォークのお供となってハリはニコリと笑った。
知らないイヌばかりの城にあって、旧知なのは一握りだ。
そんな中でも特段に力を持っているウォークは、ハリの安心の元だった。
――――グリーンさまの夜伽候補かしらね
口性無い女たちは、影で遠慮なくハリを総評した。
城の女官達にだってそれなりに夢や野望はあるものだ。
カリオン政権中心部で絶大な力を持つウォークの正妻は誰もが狙う椅子だろう。
妙齢の女たちは黙って仕事に励み、ウォークから声が掛かるのを待つしかない。
基本的に誰にでも公平構成な接し方をするウォークだ。
仕事に励んでいれば必ず目に止まるし声を掛けてくる。
城の内側に居て各々の仕事を見ていれば、少々鈍い女でも気付くのだ。
女の方からアクションを起こすのは決して良い事じゃ無い。
それは、自分が間者や諜報員の類いと自己紹介するものだ。
間違い無く城の中にある公安部門が身辺調査に入り、徹底的に調査される。
――――厨房職員の過去を洗え
太陽王の尊父ゼル公の言葉により作られた調査部門は、驚くくらい優秀だ。
彼等はル・ガル国内外を問わず、ありとあらゆる事を詳細に調査してしまう。
様々な階層から集まっている女官の中には、出自の怪しい者も居るのだ。
それこそ、色街の女が産み落とした孤児を育て送り込まれるのは定番と言える。
何処にも繋がりの無い、天涯孤独な存在が城に寝起きしているようなもの。
そんな女たちの眼差しは、妬心混じり羨望の眼差しでハリを見た。
「カリオン様のお部屋ですか?」
カリオンの居住エリアに入れるものは本当に一握りだ。
そんなスタッフ達を統率し、城の何処にでも行けるのはウォークのみ。
有毒物の影響で閉鎖されたと言う城の地下ですらも入れる権力にハリは驚く。
だが、ウォークはいつも飄々と淡々と仕事をこなすだけ。
色街で騒いだとか酒場で飲んでいたとか、そんな男らしい話は全く出てこない。
そんなウォーク・グリーンと言う男がハリは不思議だった。
「そうだよ。この先は誰でも入れる場所じゃ無い」
長い廊下を進んでいったウォークがピタリと足を止めた。
その後ろに居たハリが不思議そうに前を見ると、ただの廊下だった。
――あれ?
何故止まったのかを理解出来ないハリは、黙って進むのを待った。
こんな時は黙っているのが良いのだと学んでいたからだ。
だが……
「そちらのお嬢さんは?」
「茅街の遺児ですよ」
「……さいでやんすか。見慣れねぇお嬢さんなんで驚きやした」
廊下の片隅にある柱の陰から、ヌッと灰色の影が出てきた。
随分と色褪せた毛並みを持つ老成期のネコだった。
「しばらくですね」
「へぇ。ちょいと仕事で城を開けておりやした」
「なる程。良ければ後で教えて下さい」
後のハリにチラッと視線を零してからウォークは言った。
この娘の耳には入れるなと、そう言外に伝えたのだ。
「さいでやんすね。しかし、よく気付きやしたねぇ……」
柱の陰に隠れていたリベラの気配をウォークは察した。
その事実に、リベラはウォークの進歩では無く自分の力量の低下を案じた。
細作稼業も随分と長いリベラにとって、昨今最大の敵は老化だった。
どんなに身体を鍛え、維持する努力を重ねたとても……
「あっしも老いやした。そろそろ引退でござんす」
老化は止められないとリベラも解っている。
過去見聞きした多くの細作がそうだったように、自分も技のキレを失うだろう。
その結果、何処かの細作の手に掛かり死ぬ事になるかも知れない。
言葉や表情に出さなくとも、リベラはそれを危惧していた。
ただ、そんなリベラを相手にウォークは笑って言った。
「リベラさん……私が進歩したとは言ってくれないんですね?」
冗談めかした口調だったが、どこかでは割りと本気の言葉だ。
間者細作暗殺者の類いが完全に消し去ったつもりの僅かな殺気を感じ取る。
言葉では表せない肌感覚のそれを、リベラからも感じ取れるようになった。
王の側近中の側近として、過去幾度も修羅場を乗り越えてきたウォークだ。
遂に行き着く所まで辿り着いた……と、そう言って欲しい部分でもある。
「……さいでやすね。男子三日会わざれば~って奴でやんすね」
クククと籠もった笑いを零し、リベラとウォークが笑った。
もはや男子と呼ばれるような歳では無いが、リベラの歳と比べれば……だ。
それが解っているからなお、ウォークは冗談のように言うのだった。
「もうちょっと努力してリベラさんに追いつきますよ」
「さいですか……できりゃぁ早くしておくれなせぇ。あっしも歳でやす」
その一言を残し、リベラは風の様に流れていずこかへ消えた。
城の各所に下がっている厚い緞帳は、冬の寒さを絶つ保温材だ。
だが、その緞帳の影には隠し通路が用意されて居る事が多い。
リベラは長年忘れられていた隠し通路を幾つも発見していた。
リリスの従者として入った城で、文字通りのキャットウォークを見つけたのだ。
「……グリーン様?」
「あぁ、リベラさんを見るのは初めてか」
ハリは不思議そうな顔でウォークを見ていた。
何でイヌの城の中にネコが居るのかと不思議だったのだ。
「今の人はリベラトーレさん。外の誰でもない、太陽王と王妃の御二方にだけ仕える最強の存在の1人だよ。覚えておくといい」
小さく『はい』と返答したハリ。
ウォークは再び歩き出し、階段を上がってカリオンの居室に入った。
「おはようございます。お呼びでしょうか」
ハリが太陽王の居室に入ったのは2度目だ。
彼女はトウリの手によって検非違使本部で匿われていた。
ルリの妹と言う事でトウリも気を使ったのだろう。
ヒデトの手によって城へと上がったハリは、一回だけここへ来ていた。
太陽王とはいえ1人に人間なのだから、どうしたって生活があるのだった。
「あぁ、朝からスマンな」
居室の中で起き抜けの茶を嗜んでいたカリオンは、ガウンを羽織っただけだ。
筋骨隆々とした迫力あるその体躯に、ハリはただただ目を見張る。
国王も1人の騎兵であるとするノーリの伝統をカリオンも受け継いでいた。
「いえ」
「で……今朝の新聞はどうだ?」
単刀直入にカリオンは聞いてきた。
つまりそれは、マスコミ各社の論調確認だ。
「それが……」
言葉を濁したウォークは渋い表情を浮かべる。だが、嘘をつく訳にもいかない。
ル・ガル全土から城に集められる様々な情報全てにウォークは目を通す。
太陽王へ提出される報告書をまとめるのは、ウォークの差配する官房故だ。
つまり、ウォークは全て知っていて当たり前の存在。
官房長官はこの世界において最も情報通な存在であり、その分析も一流な筈。
ウォークの要約する新聞各社の論調は、ル・ガルの今を諮る最高の資料と言えた。
「要約すれば……」
「ずばっと遠慮なく言え。余の罪状は何だと言うのだ」
ハリを含めた全員がその言葉に総毛だった様な表情になった。
太陽王が自らを罪人だと言ったのだ。
「……陛下」
ウォークは抗議するように強い口調で言った。
だが、当のカリオンは緩い調子だった。
「余を罪人に仕立て上げ国家転覆を謀りたい者が居るのだ。それに踊らされる国民が哀れだが……それでも、国民の声を聞くのが王の努めだ」
カリオンの言い放った言葉にウォークは渋い表情のまま言った。
重い声音となったそれは、帝國日報の見出しだった。
「疑惑は深まった……です」