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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
幼年期 ~ うたかたの日々
3/665

転移の後


 日の暮れたシウニノンチュは、家々の竈から夕餉の香りが漂い始める。

 もっとも高台にあるこのチャシに居れば、その夜に家々の食卓へ並ぶメニューが想像つくほどに豊かな香りで満たされる。


 山の幸に恵まれるシウニノンチュは、冬を越える者たちの体力を養うカロリーの供給源として、山の獣や川魚を盛んに食する事になる。

 それを調理する香りは幸せな家庭の暖かさと共に、山肌を登って行くのだった。


 テラスに設えられた特設のテーブル。

 シュサを上座にチャシの高階層な者たちが勢ぞろいしていた。


 太陽王の摂政として帝王学を学ぶ宰相のノダ。

 そのノダの手足として文武両面において執事のように従う者がいた。


 ノダの従兄弟。カウリの子。トウリである。

 エイダより十五ほど年上のトウリはこの時十九歳。

 ノダの側近として様々な現場でものを学ぶ最中だった。


 そして、シュサ唯一の娘であるエイラとその息子エイダ。

 エイラの入り婿でありトウリの父カウリの兄ゼル。

 そのゼルの影武者であるワタラ。


 シウニノンチュを生活の場とするノダの家族が揃う席だ。

 耳がないワタラと耳のあるゼルは同じ帽子を被っている。

 つまり、傍目に解る識別ポイントを二人とも隠してしまっている。

 

 その姿は勉強中であるトウリも間違えるほどだった。


「見れば見るほど伯父上とワタラ殿は瓜二つですね」

「そうなんだ。時々俺も鏡を見てる気分になるよ」


 楽しそうに言うゼルだが、シュサもノダも何処か苦虫を噛み潰したような表情だ。


「昼間も言ったと思うが」


 やおら口を開いたシュサ。

 テーブルを囲むモノの眼差しが帝王へと集まる。


「ワタラは重き荷を背負っておる。トウリ。そなたはそれを決して忘れてはならん」

「はい」


 力強く答えたトウリ。

 ノダの目が僅かに微笑む。


 だが、当のワタラは静かに笑って言う。

 面帯を取っているワタラの素顔には一筋の刀傷も無かった。


「苦労などと思った事はございません」

「強がりおって」


 ワインを嗜む手をワタラへ向け、シュサは僅かに首をかしげた。

 嗾けるようで、試すようで、それで居てその言葉には優しさがある。

 多くの者が誤解しているシュサ帝の真実。

 

 この王は誰よりも情深く徳の篤い男だった。


「すべては(しゅ)の御手の上でしょう」

「主……か」


 ワインを一口含み、ゆっくりと嚥下しながらシュサは空を見上げた。

 明るく輝く白い月と暗く赤い月がテラスを照らす。

 その光りに負けぬ一際強い輝きの星が天頂近くに有った。

 太陽王が休んでいる夜の間。二人の月の女神が喧嘩しないよう見守る青星。

 天狼星と呼ばれる眩い輝きが夜の空を支配していた。


「神はどのようなお考えがあって、そなたをこの世界へ落とされたのだろうな」


 シュサの言葉には確かな温かみが有った。

 それと同時に、決して抗えぬ存在への諦観。

 運命と言う大波に翻弄される屈辱感を皆が感じる。

 

 シュサの父トゥリはノーリが二百歳の時に直接選んだ後継者。

 そしてシュサもまた父トゥリが二百歳のときに選んだ後継者だ。


 太陽王は齢二百歳を迎えた時、百歳を超えた息子達の中から後継者を選ぶしきたりになっている。初代太陽王がそうしたので、それに習っているのだった。

 

 四十人以上いた王位継承権利を持つ者の中で、唯一戦を知らぬ最年少で、尚且つ妾の子として生まれたシュサ。

 ノーリの生まれ変わりといわれ、周囲の多大な期待を一身に集め、押しつぶされそうなプレッシャーと戦いながらここまでやって来た男だ。

 己の意思とは関係ない理不尽な仕打ちに振り回され、その中で必死に生きてきたシュサにとってワタラは救ってやりたい存在なのかもしれない。


「そなたにはひと時も忘れず願う事もあろうに」

「……あれから五年。出来る範囲で手を尽くしました」


 深い深い溜息を吐いて、ワタラは目を閉じた。

 テーブルの上に置かれていたその手がギュッと握り締められる。


「同じ所へ落ちなかったのなら、もはや無理かと存じます」


 目を閉じたまま沈痛な表情を浮かべたワタラ。

 そのワタラの隣に座っていたゼルは、肩へ手を載せた。


「余は時々思うのだ。太陽無き夜の空はこれほどに星々が美しく輝いておる。だが、太陽の存在はすべての輝きを消し去ってしまう。余は太陽など無いほうが良いのではと思うことすらある」


 シュサもまた一人の人間として悩んでいるのだ。

 そう感じたワタラ。勿論それはワタラだけではなかった。

 ノダやエイラもまた、父シュサの吐露に複雑な思いを持った。


「ですが、わが王よ」


 ワタラはジッとシュサを見た。


「太陽が無ければ地上には光無き常闇の世界となるでしょう。月の女神は月の不浄を恥じて一月に数日は姿を隠してしまいます。暗闇のみとなった世界を星々や月だけでは照らしきれません。闇夜でなければ生きていけない生き物が居るのも事実です。ですが、多くの生き物に太陽は必要なのです」


 聊かの迷いも衒いも無く真っ直ぐにそう言い切ったワタラ。

 わが意を得たりと膝を叩いたノダが頷いた。


「さすがだ。ワタラの言葉にはワシも学ぶ事が多い」


 快活に笑ったノダに目を細めたシュサ。

 あまねく地上を照らし給う太陽の王は柔らかに笑む。


「余も、まだまだ学ぶ事が多い。そなたには苦労を掛けるな」

「わたしは苦労などと思った事はございません。それに、失ったものと同じくらい得たものがあります。それで、私は満足です。強がりでは有りませんよ?」


 ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべたワタラ。

 グッと食卓のワインを飲み干すと、給仕の者がすばやくもう一杯のワインを注いだ。

 やや赤味を帯びるワタラは、どこか上機嫌だと皆が思った。

 誰よりもワタラの機微に聡いエイダは不思議そうにしていた。


「ワタラは何処から来たの?」


 その言葉にエイラがドキリと驚く。

 ワタラの存在に疑問を持つわが子をエイラは不憫に思う。

 決して口には出来ぬ深い事情を抱えているのだから。

 だが、当のワタラは静かに微笑んでいる。


「知りたいですか?」


 エイダはコクリと頷いた。


「良いでしょう。ちょっと長いお話ですよ?」


 再びエイダはコクリと頷いた。

 ワタラはエイダを抱き上げて自らの膝に据わらせた。

 愛しいわが子へ本を語り聞かせる父親のようなワタラ。

 

 その振る舞いに誰も何も言わなかった。

 給仕ですらも……だ。


「途中で寝ちゃったら風邪を引きますからね?」

「うん」


 エイダの素直な返事を聞き届けたワタラは、どこか眩げな眼差しでエイラを見た。



■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「1」




 ハッと飛び起きた時、五輪男(いわお)は最初に体中を確かめた。足は折れてないか。手は動くか。首は。身体は。その全てに機能的異常の所見を認められないと安堵し、初めて周囲を確かめる余裕を持った。

 仄暗い森の中だった。密度の高い木々の向こう。僅かに見上げた空には見た事のない星座が瞬いていた。事態を飲み込むべく冷静に冷静を重ね記憶の糸を辿っていくと、五輪男はそこにあるべき存在がないことを気が付く。


「琴莉!」


 森の中に声が響いた。あらん限りの大声でもう一度叫んでみる。


「ことりぃ!!!」


 結果は同じだった。

 静まりかえった森の中に自らの声が吸い込まれていって、やがて闇と同化した。ポケットをまさぐって取り出した携帯電話はバッテリーが切れていた。スペアのバッテリーは機内に残してきたはずだ。充電する手立てはない。ただ、この先に充電出来る可能性を考慮して、再びポケットに収納する。

 

 一つ息を吐いて、それから再び空を見上げた五輪男。自分が落下したのは海の上だったはずだ。あの高度からなら、叩き付けられる海面はコンクリート以上の強度になるはず。つまり、何らかの理由により自分は海では無く森へ落下したことになる。

 最初に思い浮かんだのは、偏西風やジェット気流により強く流された可能性だった。しかし、これだけ深い森のある山まで飛ばされたとは考えにくい。

 

 つまり、何者かに助けられ運ばれたか、または、何らかの力により遠くまで飛ばされてしまい、その影響で意識を失っていた。月明かりを頼りに腕時計を確かめた五輪男は機内に居た時点から既に二日が経過していたことを知った。

 昏睡状態に陥っていたか、完全に眠っていて意識を取り戻さなかったか。何者かに眠らされていた……のか。

 

 冷静だったはずの五輪男は段々と不安に駆られはじめる。心の隙間に入り込んだ恐怖という化け物は、人の心の最も弱い部分を突いてくる。暗闇の中にあるはずの無い気配を感じ、木々のざわめきに悪意ある会話を幻聴する。

 駆り立てる焦燥感に居てもたっても居られず、五輪男はがむしゃらに山の中を走り始めた。どこに居るのかを知りたい。それだけが理由だった。少しでも高い所へ行けば、或いはなにか解るかも知れない。

 そんな淡い期待を持って尾根筋に取り付き、道無き道を走っていく。時々は木々の根に足を取られ転げた。高く聳える木々の下で枝を伸ばす若木の梢に行く手を阻まれた。倒れ朽ちた木々の枝に襟を取られ酷く狼狽した。


 そんなこんなを繰り返しながら走り続けた五輪男は、気が付けば山の頂へとたっていた。風の強い頂には木々が無かった。全周に渡って遮蔽物の無い場所だ。五輪男は嫌でも現状を認めるしか無かった。

 頭の中にある大人としての良識や常識や、そう言った自分を支えてきたモノの全てが今この事態を認めたくないと本能的に全力で拒否しているにも係わらず……だ。


「ここは……地球じゃ無い」


 見上げた空には記憶にある月とは違う、二回り以上大きな青白い月。

 その隣には赤く染まって三日月状に欠けた一回り小さな月。

 二つの月には様々な形のクレーターが見える。

 ただ、五輪男の知る地球の月のように【海】が無いのだ。


「うそ……だろ」


 山の頂より周辺を見回しても、人家の明かりであるとか、街灯や道路照明と言ったモノが一切無い。まるで南米のジャングル地帯にでもいるかのような、そんな景色だ。


 突然足下からガクリと衝撃を感じた五輪男。気が付けば自分の足から力が抜け、大地に跪くようにして呆然としていた。


「俺は……どこに居るんだ? ここはどこだ? どこだよ! 誰か教えてくれよ!」


 押さえようのない苛立ちと絶望感が五輪男を責める。そのまま大地へと寝転がってしまい、なすすべ無く空を見上げた。一筋の涙がこぼれ落ちていった。


 誰も居ない場所だった。五輪男はまるで子供のように泣いた。声を上げて泣き続けた。そして、ハッと目を覚ました時、空の月が傾いていることに気が付いた。

 泣き疲れた五輪男はいつの間にか寝てしまっていたらしい。猛烈な空腹感と喉が張り付くような喉の渇きが襲いかかってくる。山の頂に居ては両方とも手に入らない。

 それは山岳部に所属し、散々山に登ってきた五輪男なら嫌でも知っている事だ。荘厳な朝焼けを見ながら、五輪男は山の頂より周囲を確かめる。


 どの沢筋を行けば水にありつけるのか。山の頂を目指す途中で飲む沢水の旨さは格別だ。冷え澄んだわき水ともなれば、水筒に入れて持ち歩きたいほどだ。

 もう一度腕時計を見たら、午前五時を僅かに回っていた。この時間で日が昇っていないのであれば、この惑星の時間体系として考えた場合、五輪男の居た日本よりも随分と西よりと言う事に成る。

 山頂の高度がイメージ出来ないので何とも言えないが、少なくとも、薄いワイシャツを着ただけの五輪男が寒さを感じないのだから、ベースとなる気温はそれなりに高い筈だ。

 

「いったいどこなんだよ」


 ふと口を突いて出た言葉に自らの弱気を悟る五輪男。

 だけど、愚痴愚痴と現状を呪っていても始まらない。


「ことりぃー! 生きてろよー!」


 下界に向かって大声で叫んだ五輪男。

 その言葉を祝福するように太陽が照らし始めた。

 眩い光が地上へ降り注ぐ頃だ。


 五輪男は目をこらして下界を観察する。降りて行きやすそうな尾根筋を探し、それに合わせ下界の沢筋をイメージする。これだけの山だから、途中に水場の一つや二つはあるだろう。

 

 それよりも、下界へ降りた時に集落くらいは有って欲しい。いや、集落とか軽く言ってるけど、そこに人間は居るのか? 猿の惑星みたいにいきなり檻へ入れられたりしないか? そんな不安を覚える。

 

 ……全裸に剥かれ慰み者となり、泣き叫ぶ琴莉の姿が頭に浮かぶ


 口の中にギリッと歯ぎしりの音。

 握りしめた手に力が漲る。

 

 音が聞こえるほど強く頭を振り、邪念を頭から追い払う。

 悪いイメージは考えるな!と自分に言い聞かせる。

 共に幾つも山へと登った仲だ。

 山中で安全に過ごす方法は知識として持っているはずだ。


 再び五輪男の脳内に浮かぶ琴莉のイメージ。

 山中の沢沿いで辺りを見回し不安そうな彼女の姿。


 ―――― いや違う…… 彼女じゃ無い! 妻の姿だ!


 両手で頬を叩き自分に気合を入れた五輪男。

 双眸に強い決意の炎を燃やし、もう一度下界を見る。

 自分が上がってきた尾根筋を再度確認し冷静に考える。


 ――――もし近くに琴莉が居たなら俺の声に気がつくはず……


 つまりこちら側には居ないか、居たとしても移動済み。

 では何処へ行ったのか? もう一度山頂の僅かな平場を確認する。

 誰かの足跡らしきものは無い。つまりここへは来ていない。


 ――――よしっ! 行こう! 琴莉を探す!


 五輪男は意を決し、別の尾根筋を降り始めた。

 まずは渇いた喉を何とかしようと、水場を探す為に。

 名も知らぬ可憐な花が、その五輪男の背中を見送った。






 年代記 2 2代目太陽王トゥリ トゥリ・レ・アージンの時代



AC100

 トゥリ帝。地域によりバラバラだった通貨をル・ガル帝國通貨に統一すると発表。

 トゥン貨幣制度始まる。トゥンとはトゥリのモノを意味する造語。金本位制度から国家による価値保障を行った統一通貨により地域格差を埋める事が狙いだった。


AC152

 トゥリ帝200歳。妻6人の中から8人の息子を選び、前帝に習い息子シュサを次期帝に指名。同年。シュサ。摂政職に就く。幼少時代より将来を嘱望された神童であった。


AC158

 西方種族との暫定国境線のうち、未確定だった部分の領有権争いから第3次国防戦争始まる。西方種族とル・ガル共に戦力の暫時投入という愚を犯し、国内の犠牲者が多数となった。結果、ル・ガルの国力が大幅低下し、戦災孤児が多数生まれる。


AC160

 シュサ第一王子セダ産まれる。


AC168

 後に10年戦争と呼ばれる第3次国防戦争が終焉。泥沼の戦争となってしまい国内総生産能力が半分程度の水準にまで減衰する。総人口で約38パーセント減耗。


AC169

 トゥリ帝。荒廃した国内環境を回復させるべく植樹活動の詔を発する。統合国土整備計画を立て、国土整備と環境整備への参加を国民の義務とする。大規模堤防開発などを行い効用状況の改善と低所得層への資金還流を推し進める。


AC170

 国内の未成年へ就学を義務付ける。幼年学校6年、高等学校4年、計10年教育計画だった。全額国費による世界初の全国民義務教育の開始。同年。大規模医療制度改革始まる。国民へ保険義務を課し、同時に医療費の全額国費負担を開始。


AC175

 医療制度改革の効果現れる。出生率の上昇。新生児死亡率の大幅低下。国民への病状改善教育も進む。国民の医療知識底上げが図られ、伝染性疾患の封じ込め政策などにより流行性疾患が減少する。


AC178

 この歳から約30年。トゥリ帝はル・ガルの市民生活改善へ向けて様々な手を打つ。国内における街道や駅逓制度の整備により国内郵便網が完成する。水源整備などにより水を媒介とした病気の減少が大きかった。


AC180

 シュサ第二王子ノダ産まれる。


AC210

 シュサ第三王子セダ産まれる。


AC220

 トゥリ帝。青空議会の召集を行う。各地域の代表者を一堂に集め、国民の声を聞く事が目的であった。ル・ガル全土から5000人を越える代表者が集まり、闊達な意見交換を行う。


AC222

 トゥリ帝崩御。享年270。安らかな老衰死であった。前日まで執務室に入り、報告書を読み、議会関係者と打ち合わせをするなど、全くごく普通の日常を送っていた翌朝だった。

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