ナオの実力
~承前
――――大人しく斬られろ!
何処かからか荒々しい怒声が響いた。
一瞬だけ我を失っていたタカは、ハッと気が付き辺りを確かめる。
斬られている死体はどれもイヌだ。
それも、決して安い衣装では無い、高級貴族に近い側だ。
「タカさん、こいつら……」
「あぁ、指揮官側だ」
コウの言葉にタカがそう応える。
ここで死んでいる貴族騎兵は、子爵や男爵では無く伯爵級だ。
家紋の頂点は王冠では無く城のマークだ。
普通、貴族家を示すマークの頂点は、その家の成り立ちを語る物。
そこにクラウンがあると言う事は、王がそれを認めた家を示す。
つまり、城のマークが付く家は、城持ち領地持ち貴族という事だ。
男爵や子爵は王がその権威を担保するために王冠を乗せるのだ。
「いよいよ本体っすね」
サクは落ちていた何処かの貴族家の宝剣を取り上げた。
見事な出来映えの太刀は、重心が手前にある乱戦仕様だ。
馬上刀は重心を先端に集め、遠心力を使って威力を高める。
だが、乱戦仕様は使いやすさと切り返しの早さを求めるので、こうなるのだ。
「各自、剣を調達して進もう。これで挟撃できる」
タカもまた手近な騎兵の持っていた剣を取った。
細身に仕上げられたそれは、ソードでは無くレイピアに近い。
斬ることも出来るが、どちらかと言えば突くのがメインの刃物だ。
故に、これを使いこなすのは相当の技量が要求されるのだが……
「随分と長い銃剣ですね」
テツは同じようにレイピアを持っていた。
刃渡りは銃剣の二倍近くあり、リーチは充分だった。
「あとは槍でもあれば安心なんだがな」
剣の柄を握りしめて前進を再開したタカは、広場に出る通りを進んだ。
一歩進む毎に、広場を埋め尽くす凄まじいその声が大きくなっていた。
罵声と怒号とが混ざり合い、一種独特の空気を造り出す音楽にも似たもの。
「……戦場音楽ってね」
テツは相変わらず独り言が多い。
そんなテツを横目に見ながら、タカは前進した。
――――まいね!
……ん?
タカは足を止めて首を捻った。
まいね……とはなんだ?と。
数歩進んで再び足を止め、タカは思案する。
「とりあえず突入しましょう。間違い無く中にいるはずです」
コウはそう進言し、剣の柄を握りなおした。
もはや状況は最悪で、恐らくは最終決戦直前なのだろう。
「……そうだな」
僅かに首肯したタカは、先頭に立って広場の中に入った。
ただ、その広場の中の惨状は、言葉に出来ない物だった。
幾多の死体が転がる中、少しずつ包囲の輪が小さくなっているのだろう。
夥しいイヌの死体の中にあって、ヒトの死体がチラホラと見える。
斬られ、突かれ、引き裂かれ。そしてなお、殴られ蹴られ潰された死体。
最期の瞬間まで抵抗し続けた彼等の死に様は、言葉にならなかった。
「…………………………ッチ」
タカは悟った。
これは避けられた死だった……と。
「穏健派ってのはとにかく戦闘を回避しようって言ってましたけど……これ見たら理解も出来るってもんすね」
サクの言葉に苦笑いを浮かべるしかないタカ。
己のしでかした致命的な失敗に顔から火が出そうだ。
だが、やってしまったものは仕方がないし、後戻りだって出来ない。
ならば出来る事はひとつだ。とにかく前進あるのみ。
「支援に入ろう。声は出すな。後方からいきなり斬り付ける」
背筋を伸ばしたタカは勇気を持って一歩を踏み出した。
広場の奥のほうに人だかりが見えた。恐らくはあそこが前線だろう。
剣を構え、人だかりに向かって走り出した。
だが、その足もあと10歩のところで止めざるを得なかった。
「嘘だろ……」
ぼそっと呟いたサクは、その場に足を止めた。
その隣に居るテツは『悪夢だな』と漏らした。
半分腐った死体が一斉に襲い掛かり、槍や剣などで騎兵が応戦しているのだ。
だが、そもそも死体なのだから反撃を恐れる必要は無いし死ぬ事も無い。
腕を斬られ、足を折られ、頭を潰され、それでも死体は前進していた。
「ゾッとしねえ光景だ……」
コウの呟きが全てだった。
イヌの剣士に襲い掛かったゾンビの群れは、噛み付くだけの攻撃だった。
だがその噛み付きは、肉を噛み切って咀嚼し、飲み込むものだ。
――――喰ってる……
ゾクリとした寒気を感じ、息を呑んだ。
だが、見てばかりはいられないのだ。
続々と集まってくるゾンビの対策が要るし、この後の事を考慮せねばならない。
どうしたものかとアレコレ考え込むタカだが、その直後に誰かが叫んだ。
その声で現実に引き戻されたタカの両眼は見たくない物を見てしまった。
抜き身の愛刀を持ち、大通りを歩いてくるジローの姿だった。
「じっ! ジローさん!」
声を出すのも憚られる筈だったが、タカは思わず叫んでいた。
一斉に襲い掛かってくるイヌの剣士達を膾に切り刻むジローに……だ。
ゾンビとなったジローの剣は、恐ろしいほどに鋭かった。
生身であれば無意識下でセーブされている力が全て解放されている。
苦痛や不快感なく、腱は伸びきるまで、筋は縮みきるまでを使っている。
その太刀筋は恐ろしいほどに早く鋭く強力だった。
甲冑を着込んだイヌの騎兵を甲冑ごと切っていた。
――――なんて威力だ……
5人ほどが一斉に斬りかかったのだが、ジローは一歩踏み出し全て斬った。
太刀行きの速さと力強さは全く別人だったが、その技量だけはジローだ。
近づく事も能わず、その剣先の暴風圏内に入った者から死んでいた。
――――この広場は全部ジローさんが斬ったのか……
そのデタラメな強さに驚くやら呆れるやら……で、タカは言葉が無い。
だが、ややあって妙な違和感に気が付いた。
多分に感覚的な物で、言葉にしにくいものだった。
――――あれ?
どう見たってジローが一人で斬れる数ではない。
そもそもイヌに限らす人の身体は五人と斬れば脂身で刃物など斬れなくなる。
だが、そこにある死体は、そのどれもが鋭利な切り口で果てていた。
並みの腕前ではこうは斬れないはずだ。
少なくとも剣での斬り合いを経験したか、若しくは相当な技量を持った有段者。
ただ、有段者であっても人を斬れるかどうかは別の次元の問題だ。
凡そ一般的な常識として、戦国時代でも無ければ人を剣で斬るなどあり得ない。
江戸時代以降の太平な頃では、侍ですらも人を斬る機会など滅多に無いのだ。
そんな場面が戻って来るのは、明治維新の頃における白兵戦の経験である。
もっとも、その時代には既にミニエー銃などが導入されている。
つまり、純粋な斬り合いなどあり得ない。
――――ジローさんの前に誰かが戦った!
――――だが、それは誰だ???
この茅街の中に身分を偽っている者がいる。
住人台帳に記録された各々の出身記録を誤魔化している可能性がある。
ふと、タカの脳裏に陸軍兵学校におけるカリキュラムが思い浮かんだ。
帝国陸軍の教育において余り重要視されなかった諜報の授業だ。
あの時、教官だった少佐は繰り返し言った。
必要の無い嘘は存在せず、欺瞞の裏には都合の悪い真実がある。
隠さなければならない問題を解決する為に嘘が使われる。
その真意を見抜け……と。
――――いったい誰が?
黙って首を捻るタカだが、そんな彼にサクが声を掛けた。
「なぁタカさん。今ふと思ったんだけどさ……」
サクもまたそれに気が付いたようだ。
基本的には勘の鋭いサクだ。この問題も直感なのだろう。
「……あぁ。誰かが先に戦ってるな」
それが誰であるかは解らない。しかし、並みの腕ではない。
そんな存在がこの街に居て、全員がそれを把握出来ていなかった。
ただ、何となくそれを気持ち悪いと感じても、敵を倒すなら誰でも良い。
この非常時なのだ。戦力は一人でも多い方が良いのだ。
そして、それ故にジローは黙々と戦っていた。
「向こうへまわろ――
テツがそう提案した時、ジローの背後から断末魔の声が聞こえた。
そこに居た全員が秒未満で反応し、ジローですらも振り返った。
「……ナオさん」
その声の主はナオだった。全身に返り血を浴び、真っ赤になった姿だった。
右の手には長刀を握っていて、その刃先には全く脂が残っていなかった。
「なー…… ジロー? なして?」
その言葉は、普段のナオとは全く違う訛り具合だった。
油断しているのか素が出ているのか、完全に油断しきった言葉使いだ。
「せばだば――」
なにかを言いかけた時、物陰からイヌの剣士が飛び出した。
その襲撃を軽やかなステップで後退し、袈裟懸けに切り捨てる。
流れるような一連の動きは、目を見張る程の腕前だった。
「……そうか」
タカは全てを悟った。
この広場の死体を作ったのは、ナオを含めた数人の仕業だ。
ナオの他にも穏健派と呼ばれる者が何人か見えた。
そのどれもが見事なまでに返り血を浴びている。
滴らせる程の返り血の向こうで、冷徹な表情を浮かべている。
――――これ程の実力が有りながら……
相手を簡単に切り伏せるだけの実力が有りながら、ナオは戦闘を回避し続けた。
その意味をタカは全て実感として理解したのだ。
――――戦術的に勝つことは出来る
――――戦略的に勝つことは出来ない
場面場面で勝利したとしても、最終的には併呑されるのだ。
――――こういう事か……
つくづくとナオの言っていた事を理解したが、まずは自体の解決だ。
加勢しないと言う選択肢は無く、タカは走り出すのだった。