戦争の時間(前編)
~承前
「まだ”あっち”に居た頃ね――」
シンは楽しそうな声で切りだした。
茅街へと続く一本道を東へ1キロ弱進んだ荒れ地のど真ん中あたりで……だ。
街の中で迎撃するには危険が大きい。
それならばとあり合わせで陣地を作ったのだが、その中でシンは楽しそうだ。
タカ率いるたった8人の先遣守備隊は、土嚢を積んで歩塁を作っていた。
言うまでも無く、抵抗の為の抵抗をする拠点だった。
「――ちょっとイカレな小説家の書いた本にね、書いてあったんですよ」
シンの楽しそうな言葉に全員が手を止めて顔を向けた。
隊を率いるタカですらも『どんな言葉?』と聞き返した。
「曰く……ね――」
ご丁寧に間を開けてからシンは言った。
芝居がかった大業な振る舞いは、余計に滑稽さを感じさせた。
「――戦争は時に、如何なる非道をも肯定する……って」
その言葉に多くの者がせせら笑う様な反応を示した。
如何なる世界線であっても共通する、文明の共通解だからだ。
シンと同じ時代から来たケンこと顕治とマサこと将昭は、大笑い一歩前だ。
皆が解っていながら、それでも改めて突き付けられると狼狽えるもの。
認めたくは無い不都合な真実は、多くの人々によって再拡散されるものだ。
そしてこの台詞は、その動乱の時代に在って人々に拡散された。
正義と正義の衝突により、勝者のみが正義となる人類普遍の定理を添えて。
絶対的な正義だの悪だのなんて物は存在せず、社会は勝者が作り上げていく。
その社会においての正義は、勝った側にのみ都合が良くなる仕組みだ。
故に、最も大切な事は一つしか無い。
勝者のみが報われる。
勝たない者に存在する意味はなく、惜しくも2位なんてものもない。
2位は負けの一番でしか無く、1位以外は全て敗者なのだ。
「あの勝手に死にやがったエロゲデブのオッサンだろ?」
「未冠じゃなくて未完の帝王の方だね」
ケンとマサの言葉は、多くのファンの共通認識だろう。
多くの作品を手がけながら、キチンと完結したのは一作のみ。
しかし、作品群のほぼ全てが、何らかの形で読者に影響を与えた珠玉ばかり。
名言の宝庫と呼ばれ、容赦無く真実をあぶり出す世界の真理と呼ばれ。
決してメジャーになる事は無かったが、しかし、多くのフォロワーを産んだ。
そんな作品群の多くが、類似作の拡大再生産を招き、新たな犠牲者を生んだ。
永遠に出ない続刊を待ち続け、煉獄に焼かれて身悶え続ける地獄だ。
「でも……あのエロゲデブ、こんな時にだって役に立つ言葉を書き残してるぜ?」
積み上げられた土嚢に腰掛けたシンは、声音を変えて切りだした。
おどろおどろしい、低い声での言葉だった。
――――指揮官が担うべきものは限られている
そう切り出した時、タカは表情を変えてシンを見た。
手にしていたスコップを地面に突き刺し、黙って耳を傾けた。
――――『明確な目的の提示』と『的確な判断』と『公正な責任の自覚』
――――まとめてしまえば、この三つに過ぎない……ってね
「けだし名言だぜ」
微妙に産まれた時代の異なるテツこと徹三がそう漏らす。
恐らくはシン達とタカの間当たりなのかも知れない。
敗戦の社会に生き恥を晒すと、恥辱を忍んできた先達をつぶさに見た世代。
先達達の振る舞いは、ある意味でその下の世代にとっての手本だった。
つまり、下手な言い逃れをせず、全て自分が悪くありましたと蟄居隠棲する。
そう言った世代を良い大人の見本として育ったテツは、その言葉に共感した。
上に立つ者に必要な能力や覚悟や、そう言った人格の部分。
突き詰めれば、指揮官の背負うべき責任はひとつしかない。
「……私は陸軍幼年学校から陸軍兵学校へ進んだ天保銭組でね――」
タカはやや沈んだ声で言った。
それは、後の世で無能の象徴と蔑まれた皇国陸軍士官の素の言葉だった。
「――士官教育の中で繰り返し教えられた事を今でもよく覚えている」
そんなタカの言葉に対し、サクは『そりゃなんですかね?』と聞き返した。
話の腰を折らず、上手い具合に喋らせる技術そのものだ。
「戦術講義の中で教えられるのだが、指揮官は失われる兵卒の家族について考慮してはならない。また、兵に過度に期待してはならない。突き詰めれば単純な話でしか無いのだが……」
1つ溜息をこぼしタカは続けた。
血も涙も無い冷酷な士官の真実だ。
「戦争を指揮する者は一兵卒と並んで泣く立場では無いのだと。多くの兵達が安心して死ねるように、立派な上官を演じるのが仕事なんだと。戦場全体を俯瞰的に見ながら、ただただ勝つ事だけを愚直に求めよ……とね」
指揮官たる士官は、兵と共に汗や涙を流す存在ではない。
兵に安心して汗を流せるだけの水を……要するに大義を与えてやる存在だ。
死んで花実が咲くものかというが、戦争なのだから嫌でも人は死ぬ。
それが敵か味方かは紙一重に過ぎず、些細な差で生を拾う事もある。
もちろんその逆も有り、時には呆気なく死ぬだろう。
道を歩く者は、足下の蟻を気にする事など無い。
蟻は文字通り呆気なく踏みつぶされ、死ぬ事になる。
歩兵たる兵士も結局は同じだ。
だからこそ、死ぬ事を納得するだけの理由が必要なのだ。
その為に指揮官としての士官が存在しているのだと、そう言う事だ。
「で、勝てますかね?」
ニヤケ面で弘ことヒロが言った。
恐らくは戦後産まれなヒロは、多感な時代を学生闘争に費やしたらしい。
大義の為に殉じる事を美徳とするのは、恐らく人類共通の思想かも知れない。
だが、ヒロに関して言えば、その大義とは反支配闘争であり階級闘争だった。
落ちた最初の頃は貴族階級粉砕だの反ブルジョワジー闘争だのと五月蠅かった。
親に反抗する子供の精神のまま社会に反抗してしまった、学生闘争その物だ。
故にヒロは他とはちょっと違う思考回路を持っていた。
相手を粉砕するのが楽しいというサディズム的な部分が多いのだった。
そして、その面倒な思考を恥じるどころか拠り所にしている。
自分が信じた道を疑う事は、ヒロにとって敗北その物なのだろう。
現体制粉砕を夢見た傍迷惑な子供の我儘も、ここでは闘争の道具だった。
「勝てるわけは無い。だが、粛々と言いなりになるつもりなど毛頭無い」
タカはスコップを手にしたまま、彼方を見つめて言った。
「我々もまた尊厳ある1つの人格なのだ。君らとは生まれ育った時代が違う故に、基本的な社会への認識や対応が違うのかも知れない。だが、これだけは言える。いつでも何処でも、誰が相手でもだ――」
拳を握りしめ、自らの胸に当ててタカは空を見た。
夜明けを迎えつつある空には白い雲が浮かんでいた。
夜を徹し堡塁を築いたタカたち緋組の一団は、夜明けの寒さを忘れた状態だ。
「――私の世代は人種間闘争の中で有色人種が白色人種を倒す事を主眼とし、亜細亜が世界に登場した後、初めて亜細亜として独立独歩を歩むのだと、そう夢見てきた。大東亜諸国会議の中で、我々は有色人種は、白色人種の奴隷として産まれたわけではないと、そう宣言した。その精神はまだ私の心の中に生きている」
タカはタカの思考の中で、奴隷という制度に反発しているのだ。
奴隷とは財産である。それ故に大事にされる……などという甘えは一切無い。
生殺与奪の全てを主人に握られた、哀れな存在でしか無いのだ。
その言葉にヒロは拍手を送った。そして満面の笑みで言った。
「我々は奴隷では無い。主人や社会や体制や、そう言った抑圧する者達の奴隷では無い。ブルジョワジーはプロレタリアートによって断固粉砕されるべきであり、人民の本質は自由と平等とが保証された万民に公平な社会の実現にある!」
世が世なら、それは社会を煽るアジビラの文言でもあるのだろう。
嬉しそうに言うヒロを見ながら、タカは苦笑いしていった。
「私の産まれた時代ならば、今すぐ特高を呼んで国家統制法違反で検挙だな」
呆れた声で言ったタカに、緋組の全員が大笑いした。
社会統制を法でガチガチに固めてしまった時代のおかしさだ。
ヒロもまた呆れた声で笑いながら言った。
「で、どうします? 奴ら。大人しく投降してやります? ヨロシクって」
あっちあっちと指さしたヒロ。
その指の先には、簡易テントで夜を明かしたリヴァノフ一派が居た。
「ん? よろしくだと? そんなものはあり得ん。さっき言った通り、我々だって尊厳ある1つの人格的存在であり、断じて物では無い。抑圧し支配せんとする者など断固粉砕してやる。勝てる勝てないの問題では無いのだ。力を掛ければ降伏すると思っている連中に、力による支配を諦めさせる為の闘争だ」
グッと厳しい表情になったタカは銃の弾倉を抜き、残弾を確かめ再装填した。
その流れるような作業の姿に、全員が息を呑み見とれた。
人を大別すれば2種類に分かれる。それは殺す側と殺される側だ。
人口に膾炙する通りの話なのだろうが、皆は思う。
タカは殺す側でも殺される側でも無く、殺した事のある側だ……と。
「そうですね。愚問でした。遠慮無くやりましょう」
弾む声でヒロが言う。
タカは硬い表情のまま応えた。
「ああ、そうだ。その通りだ。遠慮など絶対にしない。石の裏をこそこそと這い回る地虫の如く、断固叩きつぶし滅殺してやる」
1人熱を上げているタカだが、サクはそこに突っ込みを入れた。
「で、その後はどうするんです? 勝てっこないですよね?」
その問いに全員が微妙な表情となる。
抵抗し抵抗し抵抗し、その果てになお抵抗し、そして果てる事になる。
それは全く持って問題無いのだが、どうせ勝てないとなったその後だ。
きっと街は大変な事になる。生き残りも大変な事になる。
正直、それは申し訳無いのだ。
「決まってるじゃないか。我々は抵抗を楽しめるだけ楽しむのだ。その後の事など知らん。どうせ勝てぬ戦なら、せめて相手を苦しませねばならない。その苦悶の表情を手土産に、あの世に行って神仏に自慢するのだ。まぁ、後の事は……」
――――覚醒者にまかせよう……
その言葉が口まで出掛かって、そしてタカはその言葉を飲み込んだ。
一足先に帰ってきていた覚醒者グループとは別のグループに息子が居た。
ナオの息子ヒデトと同じく、覚醒者となったカズこと和也だ。
不幸にして猛烈な暴れん坊となったカズは、微妙にオツムが残念だった。
だが、それを補って余りある力を持つカズは、検非違使の中で重宝されていた。
そんな息子に後を託す事になるのだが……
「……生き残った者達に託すのが正解だ」
タカは覚悟を決めてそう言った。
爽やかな笑顔は気合の裏返しだ。
「まぁ、面倒を考えるのは後にしましょう。死んだ後の事まで面倒はみ切れない」
呟くようにそう言ったコウは、堡塁の中に身体を沈め99式を構えた。
投影面積は小さく、遠目には相当狙いにくいだろう。
この状態で頭上に板を乗せれば、降ってくる矢を防ぐ事も出来る。
あとは馬防柵でもあれば完璧なのだが……
「将来に向けて大きな堀でも作りたいところですね」
「馬が一跨ぎに出来ないサイズのをな」
ケンとマサは相変わらず良いコンビを見せていた。
8つの歩塁全てに緋組が陣取り、一網打尽を防ぐ仕組みだ。
「弾丸は全部で300少々だ。敵を全滅させる事は出来ない。故に、まずは指揮官を狙う。指揮命令系統を破壊し、烏合の衆になった所で街へと引き入れる。街の中ではギンさん率いる抜刀隊が対処するだろう。それしか無い。健闘を祈る」
タカは一口だけ水を飲んで歩塁に収まった。
これから幾度と繰り返されていく、戦争の時が迫っていた。




